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もう一人の少女~時は駆けません~

学生にとって夢のような時間、夏休みが始まってから既に十日と二日経っていた。地方によって期間は違ったりするものの、月夜たちが住んでいる地方の学生は例外を除いたそのほとんどが夏休みになっている。バイトや遊び、恋や旅行などといった一夏の思い出を作ろうと様々な人が躍起になっている中、相変わらずぼーっとしてるのは言うまでもなく月夜だった。



「あつーいあつーい・・・」

昼食を食べた後、リビングの絨毯の上で転がっている月夜は、苦しそうに呻いていた。元々日当たりが良く、今も夏場の太陽がギラギラと絨毯を熱しているにも関わらず、あついあつい、と呻きながら月夜はコロコロと転がりまわっていた。

「そんなに暑いなら、どうしてそんなところにいるの」

食器洗いを終えた楓が、呆れ返ったように言いながら寝転がっている月夜の隣に座った。下はデニムのやや青色寄りの短パン、上は白いランニングにピンクのランクールを着ているラフな格好の楓。下は多少緩めで生地が薄いジーパンに、上は夏にも関わらず熱を吸収しやすい黒のタンクトップを着ているラフな格好の月夜。そして、二人の胸元には首から小さな鎖で垂らされた、星型と満月を思わせる丸いペンダントが光を浴びてキラキラと輝いている。並んでいる二人の服装を見るだけで、夏なんだなぁ、と第三者に思わせる。

「ご飯食べた後は、ここでゆっくりするのがいつものことだろ?」

月夜と楓は、ご飯を食べた後はよくそこでくつろいでいる。それは既に日課になりつつある程のものだが、季節によってやはり状況は変わるものだ。

「そだねー・・・でも私は、日焼けしちゃうから・・・」

楓はそう言いながら、ずりずりと座ったまま日陰に隠れた。月夜もコロコロと転がって日陰に逃げようとするが、日向九割日陰一割の比率の絨毯の上では、楓が日陰にいる時点で月夜は入れなかった。月夜は楓の隣でピタリと止まった後、うぅ、と呻いている。

「さすがに、行儀悪いんじゃない?」

楓にそう言われたものの、月夜は、

「家にいる時ぐらいいいだろ」

と素っ気無く返した。

「プールにでも行きたいねー・・・」

月夜の素っ気無い返事はいつものことなので、それを気にすることもなく楓はそう言った。家に冷房がないため、外にいても中にいても暑いものは暑い。冷房の効いたファミレスやコンビニに逃げてもいいと思ったが、それなら夏らしくプールがいい、と楓は考えていた。

「明日から海なのに、なーんで今からプール行かなきゃならんのよ」

月夜としても暑さから逃げたい気持ちはあったが、今の事情が事情だけに楓の言葉を否定した。去年もそうだったが、今年ももちろんランスからの誘いが来ているのだ。ランスの別荘があるハワイには、言うまでもなく海があり、プールとは比較にならないほど広く、そしてきれいなのだ。そこにお呼ばれしているのが明日からなため、月夜は今日は(夏休みが始まってからほとんど出かけていないため、正確には今日も)どこか出かける気がそこまで湧かなかった。

「そうだけど・・・むー、言ってみただけじゃない」

ふてくされたように言う楓に、

「悪い悪い」

と月夜は軽く謝った。本心では全く謝る気のない月夜をジトーとした目で見ながら、楓は小さくため息を吐いた。

「そういえば、夏休みの宿題ちゃんと終わらせたの?」

長い夏休みは遊ぶ前に大量にある宿題を終わらせる(なので冬休みと春休みは例外)、という真面目な二人は、いつも十日と経たずに宿題を終わらせている。だからこそ本来なら、楓はそれを聞く必要もなかったのだが、実は一つだけ、月夜が悩んでいる宿題があるのを、楓は知っていた。

「んー・・・一つだけ終わってないー・・・」

楓の予想通りの答えを、月夜は返した。しかし、本人には終わらせる気持ちが全くないのか、その言葉からは焦りもやる気も感じられない。

「だめだよ、ちゃんと終わらせないと」

「・・・とは言っても、なぁ」

月夜は体を起こし、燦々と輝く太陽を目を細めて見つめる。それは遠く離れた太陽よりも更に奥深く、決して見えないその先を見ようとしている目だった。そして、ぽつりと呟く。

「考えてないわけじゃない、見えてないわけでもないんだ・・・でも、それは結局漠然とし過ぎていて、見ることが出来ないんだ」

月夜が出来ていない宿題は、将来の夢を四百字詰め原稿用紙に五枚以上書くという、成績や授業態度の悪い一部の生徒に出される特別なものだった。ただそれは、小学校などで出される漠然とした課題ではなく、それを目指すために今何をやるべきか、高校を卒業したらどこの大学や職場に就くか、など、そういったものをある程度細かく書く必要がある。簡単に言ってしまえば、進路希望表みたいなものだ。しかし、書いた進路先に進まなければいけないというわけではない。成績や授業態度の悪い一部の生徒の将来を心配している、あくまでも学校側の配慮なのだ。それ故に大半の生徒は真面目に書かないが、それでも多少とはいえ自分の将来と向き合うことになるその課題は、ほとんどの場合良い影響を与えることになる。しかし、月夜は普通の人間とは違った。

「・・・俺はさ、こうやって日常を送れることに、自分自身今でも驚いてる。だから、とは言わないけど、先が全く見えないんだよね」

変わらない日常、大切な日常・・・かつて月夜がインフィニティとして生きていた幼少時代、そんなものは一つとしてなかった。今の月夜にとって当たり前の日常は、かけがえのない程大切なもので、だからこそそれを変えてしまう恐れがある将来が怖かった。楓は黙ったまま、遠くを見ているような月夜の横顔を見ている。楓の表情は、どことなく寂しそうだった。

「なんて、言い訳にしか過ぎないのかもしれないけどさ」

楓の方を向いて、月夜は苦笑した。笑ってはいるが、本当に悩んでいる、という月夜の思いが見え隠れしていた。

「・・・言い訳なんかじゃないよ。だって、人間はみんなそうだもん」

月夜を励ますように、楓はゆっくりと続ける。

「将来のことを真面目に、現実的に考えてる人間は少ないと思うよ。月夜だけじゃない、私だって完璧に考えてるわけじゃないし、課題を出されてない他の生徒だって、きっとそこまで深くは考えてないと思う」

考えてる人もいると思うけどね、と楓は付けたし、そして続ける。

「だから、今はそこまで深く考える必要はないんじゃないかな?能天気過ぎるのはだめだけど、悩み過ぎても良くないよ」

月夜は考え過ぎる悪い癖がある。それを知っている楓は、月夜が深みにはまりすぎる前に、そう言った。

「そんなもんかな?・・・まぁ、そうなのかもしれないな」

月夜は、楓の言葉に微かに頷きながらそう返した。一度考え出したり落ち込んだりし始めると、底がない月夜だが、立ち直りだけはやたら早い。元々結構楽天的な性格であり、尚且つ、悩み続けていたら生きていけないような人生を送って来たからこその立ち直りの早さだった。

「そうそう、宿題はやらないとだめだけど、そんなに深く考えることもないと思うよー」

一見投げやり気味に見える楓だが、決してそんなことはない。彼女は誰よりも月夜のことを思っているからこそ、落ち込んだり寂しがっている姿は見たくなかった。

「じゃあ、後ででいいか。兄貴とかに聞くのも、ありだと思うしな」

そう言いながら、月夜は気が抜けたようにまただらりと寝転んだ。熱された絨毯の上はいまだ非常に暑かったが、月夜は先ほどより不快を感じてはいない。

「遊びに行く準備も、終わらせないといけないしねー」

そう言いながら、楓も月夜の横に寝転ぶ。日陰から多少はみ出しているが、楓はそんなことを気にせずに、月夜と目線の高さを合わせて見つめる。やや熱っぽく、そして優しい眼差しを見て、月夜はドキドキと胸を高鳴らせるが、楓から視線を外すことが出来なかった。お互いの距離は二十センチもなく、少し顔を前に動かすだけで唇が触れ合う距離だった。

「・・・準備、終わってなかったっけ?」

照れを隠すように、月夜はそう聞いた。その顔は、夏の暑さ以外の理由で赤くなっている。

「一応最終確認して終わりかな。十日近く旅行に行くんだから、忘れ物はないようにしないとね」

そう言いながら微笑む楓を見て、月夜も釣られて微笑んだ。

「そうだな、簡単にとりに来れないもんな」

当たり前のことを当たり前のように冗談めかして言う月夜。・・・それから先は、どちらも口を開かず、夏の太陽に照らされながら、ただ黙って見詰め合っているだけだった。手を伸ばせば触れられる距離、少し顔を動かせば触れられる唇、それでも二人は、相手に触れることをしない。平穏の中、ただ見詰め合っている・・・もしかしたら、それは意味のない時間なのかもしれない。しかし、二人にとってそれは、何よりも大切なもので、そして大事な大事な宝物だった。



その日の夕方、月夜と楓の二人はいつも通り夕食をとり、少しゆっくりした後、焦ることなく大き目の鞄を二つ持って家を出て行った。少し歩いてバスに乗り、駅前で降りて駅から電車に乗り込む。結構な時間電車の中で揺られ、乗り換えを数回し、そして一番近くの国際空港に着いた。それから先も特に何かあるわけではなく、飛行機に乗り込み、そして長時間揺られながら軽く睡眠をとり・・・二人は、再びアメリカに降り立ったのだった。



二人がハワイの空港に着いたのは日本時間で朝四時、ハワイ時間では一日前の朝九時だった。

「やぁやぁ、よく来た。久しぶりだね、二人とも」

空港で待っていたランスが、二人を見つけて手を振りながら近づいてきた。

「よっ、久しぶりだな兄貴」

「お久しぶりだね、ランス」

二人は手を振り返し、気軽な口調でそう言った。

「わざわざ暑い中、こんなところまでありがとうな」

かつて母国と慕っていた国を、こんなところ、と表現したランスに月夜は笑いを噛み殺した。ランスは、実は口で言うほどこの国を愛していないことを、月夜は理解していたからだ。

「全くだ。ほんと、なんの因果か知らないけどさ、度々ここに来ることになるとはねぇ」

嫌味に聞こえそうな言葉を、月夜はお気楽な口調で言った。

「まぁ、そう言うなよ。今回も、楽しんでってくれ」

苦笑しながらランスは、それじゃこっちに、と言いながら二人の前を歩き出す。

「たくさん楽しませてもらいますね」

「ま、ほどほどにな」

二人はそう言いながら、ランスの後ろをついていった。



ランスの車の中、後部座席に座っている月夜は運転中のランスに疑問の声をあげた。

「そういや、姉さんとリミーナは?」

「ああ、お前らが来るっていうんで、二人でパーティの準備をしてるよ。二人とも、元気さ」

そう答えたランスに、そうか、と月夜は頷いた。離れていても、なんだかんだで兄弟のことが心配な月夜だった。

「お姉ちゃんがパーティ・・・?」

心配している月夜の横で、これから不吉なことが起こるのを知ってしまったように、楓は深刻そうに呟いた。

「結構前から計画立ててるみたいだし、相当力入ってるんじゃないかな」

そんな楓の不安を知りながらも、ランスは少しだけニヤニヤとした嫌な笑みを浮かべながら答えた。その顔は、後ろにいる月夜と楓には当然見えていない。さすがに月夜も不安になって来たのか、ぽつりと隣に座っている楓に呟く。

「・・・逃げようか」

「・・・それが出来たら、いいのにね」

準備されているパーティが、間違いなく飲み会という名前の宴会になるのを確信している二人は、逃げたい気持ちを抱えながらも、諦めた。



月夜たち三人が去年と変わらず豪邸のような別荘に着くと、別荘の入り口前では、ずっと待ち詫びていたような表情をした茜とリミーナが立っていた。

「お、やっと来たねー。お久しぶり、二人とも」

ウキウキとした感じで挨拶をする茜と、

「久しぶりーー!」

そう言いながら嬉しそうに楓に飛びつくリミーナ。多少の温度差はあるものの、どちらも久しぶりに会った月夜と楓を歓迎している。

「久しぶり、つってもそんな期間があったわけでもないんだけどさ」

パーティ、という単語に多少の不安はあったものの、久しぶりに二人の顔を見た月夜は笑いながら言った。

「久しぶりー、リミーナちゃん少し大きくなった?」

楓は、母親のようにリミーナの頭を撫でながら、そう聞いた。

「少しだけ伸びたかな?まだまだ成長期だから、お兄ちゃんぐらいはあっという間に抜かしちゃうよっ」

はしゃぐ声をあげるリミーナに、月夜はため息を吐きながら答えた。

「俺もまだまだ伸びるっつうの、お前に抜かされてたまるか」

「何よー!」

リミーナは楓から離れて月夜の頭をペチペチと叩く。負け時と、月夜もリミーナの頬を両側から引っ張った。この五人の中で、一番幼く、そして一番仲が良いように見える。

「はは、さて、いつまでもこんな暑い中で馬鹿なことやってないで、中に入ろうか」

ランスの言葉に、月夜とリミーナはピタリとけんかを止め、茜に招かれて別荘の中に入っていく。別荘の外も変わっていなければ、中も相変わらず豪華だった。

「さて、まずは荷物を置いてくるといい。二階に上がって左側の一番奥から五番目までがベッド二つあるからそこら辺で・・・」

「待て待て待て、だから俺と楓は一緒の部屋じゃないつってんだろ!」

去年も同じやり取りがあったなぁ、と懐かしく思いながらも、月夜はしっかりと否定した。楓も困ったように、顔を赤くしている。

「ああ、一番奥は僕らの部屋になってるから、それ以外の場所にしてくれよ?」

月夜の否定を軽やかに無視し、続けるランスに月夜は犬歯をむき出しにして怒鳴ろうとした。

「だーかーらー!」

「ん?ベッドが二つあるからって、誰も楓と一緒の部屋にしろ、なんて言ってないよ?」

からかうような笑みを浮かべているランスに、月夜は睨みながら言葉を詰まらせた。

「まぁまぁ、月夜落ち着きなよ。ランスも、あんまり月夜をからかっちゃだめよー?」

助け舟を出すように、茜が笑いながら言った。しかし茜は、楓が一人で黙ったまま困ったような顔をしながらも、少しだけ期待しているような顔をしているのは、見逃さなかった。

「楓は、どう思ってるか分からないけどね」

楓に向けた茜の表情は、からかっている色は一つとしてなく、年上の姉としてお節介の色があった。

「わ、私は別に・・・」

いきなり話を振られた楓は、慌てて何かを言おうとしたが、少しだけ何かを考えるように黙り、そして口を開いた。

「・・・ベ、ベッドが二つあるなら、一緒の部屋でいい、かな」

恥ずかしさを隠しながら、消え入るような声で楓はそう言った。それは、一緒の部屋でいい、という消極的な言葉だったが、一緒の部屋がいい、という楓の気持ちが、強く見えていた。

「な、ええ、ちょ・・・」

「えー、私楓お姉ちゃんと一緒に寝ようと思ってたのにー」

明らかな狼狽を見せている月夜を、リミーナの言葉が遮った。

「リミーナちゃんはうちと一緒で我慢してね。それに、結構日数もあるから、一、二回なら楓も大丈夫だよ」

子どもを諭すような口調の茜に、リミーナは一瞬、むー、と唸ったが。不甲斐ない兄に少しは華を持たせてあげよう、という気持ちから、渋々と納得した。

「と、いうわけだ。さっきも言ったように、二階上がって左側の一番奥から五番目まで、一番奥はだめ、分かった?」

いまだ狼狽している月夜にではなく、ランスは赤くなって俯き気味の楓にそう説明しなおした。

「うん、分かった」

「いや、ちょっと、な・・・えええ?」

頷いている楓を見ながら、月夜はいまだに困惑している。今時の高校生にしては初心な月夜だが、今はそれが情けなくも見える。

「それで決まりだねー。月夜はまさか、嫌とは言わないよね?楓がそう言ってるんだし」

茜の言葉に、月夜は反論のしようがなかった。恥ずかしそうに顔を赤くしながらも、嬉しそうな顔をしている楓を前にそれを否定する度胸も勇気も理由もなかった。

「ったく・・・仕方ないか」

諦めたようにため息を吐き出す月夜。仕方ないとは言っているものの、本当のところは、月夜も嬉しかったりするのだが、それを表情に出すのも言葉に出すのも、ひどく恥ずかしいことなので月夜はそれをしなかった。実際、隠せてるのは本人だけだと思ってるのだが。

「仕方ないとは何よー」

月夜の本当の気持ちを知りながらも、楓はそう言った。楓もまた、そんな風にしてなければ恥ずかしさで倒れそうだったのだ。

「はいはい、夫婦喧嘩はいいから、早く荷物置いておいで?」

茜にそう言われ、夫婦喧嘩じゃない!と二人は反論しそうになったが、更にからかわれるだけになりそうだったので、そそくさと荷物を持って二人は二階の部屋に向かった。

「あ、パーティの前にみんなで海で遊ぶから、ちゃんと水着持って来るんだよー」

やたら豪華な造りの階段を上りながら、二人は茜の言葉に手を振って答えた。



まだ昼前だというのにも関わらず、ハワイの太陽は日本の比ではなく、燦々と輝いていた。気温自体はそこまで高いわけではないが、乾燥している空気と灼熱の太陽は、何よりも暑さを感じさせた。

「ふー・・・暑いなぁ、いや、熱い、かな?」

砂浜の上にシートを敷いて、ランスはその上に仰向けで寝転んでいた。パラソンが立ててあるものの、それでも太陽の日差しは熱く、肌を照り付ける。あまり日焼けしない体質のランスだったが、熱いものは熱かった。

「ちょっと待て!げほ、三対一は、ごほ、卑怯だぞ!!」

「男なんだから弱音はかないのー、ほらほら」

「お兄ちゃん情けないよ、それ」

「ちょっと楽しいかも、えいえい」

少し離れた海の中では、四人の遊んでいる声(?)が聞こえてくる。無邪気に水をかけ合っている、というか月夜に集中豪雨している様子を横目で見ながら、ランスは笑った。

「平和だなぁ・・・去年は色々あったけど、いや、今も色々あるか・・・」

母国の今の状況を考えて、ランスはため息を吐きそうになったが、それを振り払うように首を振った。

「いや、今は忘れよう・・・」

そう呟いてから、何か違うことを考えることにした。そういえば・・・、とランスは何かを思い出す。

「去年、ここで夢見てうなされたっけ・・・・・・あれ?」

苦笑しながら去年の夢のことを思い出していたら、不意にランスは不思議な疑問が浮かんだ。夢の内容は、ランスが学生で学校にいる時に、突然空襲警報が発され、目の前で人々が死んでいくのを見ていることしか出来なかった、という、あの時のランスの心の傷を抉るような夢だった。それはリミーナがランスを仲間にするための罠だったのだが、一つだけランスには腑に落ちない点があった。夢の最後に語りかけてきた少女、それはリミーナのように肌が白く、銀色の髪をたなびかせていた。その少女は間違いなくリミーナの姿をしていたが、その少女が名乗った名前が、違うものだったということに、ランスは今更気づいた。

「なんて言ったかな・・・確か、クリス、クリス=ステイア」

記憶の底を探って出てきたその名前に、ランスは一度として聞き覚えがなかった。一年も前の夢の矛盾、それを今更考えても仕方のないことだが、ランスも月夜同様、一回考え出すと深みにはまるタイプだった。

「うーん・・・」

「どうしたの、ランス」

考え事をしていたランスは、突然声をかけられてビクッ、とした。気づけば、すぐ隣にはワンピースの形をした白い水着を着ているリミーナが立っていた。

「いやちょっと、考え事を・・・ね」

ふーん、と言いながら、リミーナはランスの隣に座った。水に濡れ、額にへばりついている髪を、やや鬱陶しそうに手で上にかきあげている。

「遊ばなくていいのかい?」

「少し休憩、私は頭脳派だからあんまり体力ないのよ」

自分で言うか?とランスは思ったが、確かにリミーナは頭脳明晰で、そして肌が病的なまでに白いため、体力がなさそうに見える。

「そうか・・・」

ランスは少し迷った後、リミーナに先ほどの疑問を聞いてみることにした。

「一つ聞きたいんだけど、覚えてるか?」

「何?」

月夜や楓や茜、三人の前では子どものように振舞うリミーナだが、ランスの前では対等な立場の大人として振舞っていた。かつてあった出来事が、リミーナをそうさせていた。

「去年、僕がここで寝ている時・・・夢の中に出てきたよな?」

その言葉に、リミーナはきょとんとした顔をしている。そんなものは知らない、というような顔だった。そんなリミーナの態度に不審な顔をしながら、ランスは続ける。

「覚えてないのか?まぁいい、そこで確か、君は僕にこう名乗ったはずだ。クリス=ステイア、と」

その名前を聞いて、リミーナはビクッ、と体を震わせた。

「・・・知らないわ、そんな名前」

微かに青ざめた顔をしながら答えたリミーナの言葉を、ランスは否定した。

「それは嘘だろ?ならどうして、そんなに震えて・・・」

「知らないものは知らないわ!」

リミーナはもうその名前を聞きたくない、というように、ランスの言葉を遮り、走って逃げていった。月夜たちがいる海とは逆側の、交通量の多い道路の方に・・・。

ランスは上半身を起こし、振り向き、駆け出したリミーナを、とっさに視線で追った。砂浜と道路はほぼ繋がっており、ランスがいる位置から道路に出るまでの距離は五十メートルもない。周りが見えなくなっているリミーナは、真っ直ぐ道路の方へと走っている。そのままの速度で走り続ければ、横から走ってきている車にちょうどぶつかるタイミングだった。

「っ馬鹿、止まれ!」

ランスは即座に立ち上がってリミーナに向けて走り出す。まだ子どもであり華奢なリミーナの足と、既に大人であり軍人として鍛えられたランスの足、どちらが速いかなど一目瞭然だが、道路までの距離と、二人が離れている距離を見れば、車にぶつかるまでに追いつくのは絶望的だった。

「止まれ、って言ってるんだ!」

それでも、ランスは全速力で砂浜を駆け抜ける。車にぶつかったところで、人間をはるかに超えているリミーナが怪我をするはずもないし、下手したらぶつかった車自体が大破してしまうかもしれないが、そんなものは関係なしに、ランスは走った。どんな力を持っていても、化け物だったとしても、知り合いであるリミーナが車にぶつかる瞬間を黙って見てられるほど、ランスは人間を捨てていなかった。

「くそ・・・」

リミーナが道路に出るまで後数メートルもない。横から迫ってきている車の運転手は、リミーナに気づいていないのか速度を緩めることなく走り続けている。ぶつかるまで、後四メートル、三メートル、二メートル・・・。

「うおおおぁぁ!!」

ランスはリミーナと車がぶつかる直前に、手前四メートル程の場所から思いっきり飛び跳ねた。走って来た速度を生かし、前のめりの体勢でリミーナの背中に両手を伸ばし、思いっきり突き飛ばす。車との距離は既に、一メートルを切っていた。

「きゃぁっ!」

ドン!リミーナが叫んだのと、車が何かにぶつかった鈍い音が響いたのはほぼ同時だった。

(間に合・・・ったか・・・)

一瞬の思考は痛みによってすぐに遮られ、ランスの意識は深い暗闇の底に落ちていった。



「馬鹿な人だわ、あなたも」

「ん・・・?」

仰向けになって寝転んでいるランスは、誰かに声をかけられて目を覚ました。体の痛みは既になく、頭の下の仄かに温かく、そして柔らかい感触を、ランスはうまく働かない頭で呆然と感じていた。

「あんなことする必要もなく、あの子は死ぬわけがないのに、ね」

上から自分の顔を覗き込んできている相手の顔を見て、ランスは少しの間思考が止まったが、すぐに安堵の息を吐いた。

「死ぬ死なないは、関係ないだろう?ともかく、無事みたいで何よりだ」

そう言いながら、上半身を起こそうとしたランスの肩を、雪のように肌の白い少女は両手で押さえつけた。そして、何かを少し考えた後、口を開く。

「私は、あなたみたいな馬鹿、嫌いじゃないわ」

「そうか、僕は嫌われてると思ってたけどな」

苦笑しながら言うランスの髪を、少女はそっと撫でる。

「ところで君は・・・誰なんだい?」

ランスの問いに、少女は柔らかな笑みを浮かべた。少女の姿形は、紛れもなくリミーナだが、やけに大人びた口調や雰囲気のせいで、別人にしか見えなかった。

「女性に二度も名乗らせてはだめよ。覚えていてくれていないなら、それでいいわ」

幼いリミーナとは対照的に、ゆったりとした喋り方の少女に、ランスは何かを理解したように頷き、そして確認する。

「君が、クリス・・・か?」

驚いた様子もなく、ただ目を細めて嬉しそうな微笑を浮かべ、クリスは頷いた。

「ええ、そうよ。私は、そうね・・・あの子、リミーナの闇だと思ってくれてかまわないわ」

ランスは多少驚いたような顔で、聞き返す。

「闇・・・?」

「ええ、分かりやすく言うのなら、もう一つの人格、といったところかしらね」

二重人格・・・身近ではないその単語に、ランスはしばし言葉を失った。そんなランスを見ながらも、クリスは柔らかな微笑を崩さない。

「二重人格が、どのようにして生まれるかご存知?」

「・・・確か、人格が形成されきっていない子どもの頃とかに、虐待や耐えられないことをされたりすると、自分自身が壊れてしまわないように人格が分かれる。そんな感じだったかな?」

大分回るようになってきた頭で考えつつ、ランスはそう答えた。

「ええ、そうね。簡単に言ってしまえば、耐えられない現実から逃げるために、その辛さを押し付けるために作られた、もう一つの人格、といったところかしらね」

ふふふ、と声を出して笑うクリスは、外見に似合わずやたら大人びている。その雰囲気からは、子どものような純粋さは感じられず、苦労や苦悩などといった、大人になるまでに、そして大人になってからも死ぬほど味わされる暗い闇の部分が、見え隠れしていた。

「私たちの境遇を知るあなたなら、分かるでしょう?」

「・・・なるほど、ね」

リミーナは、あまりにも辛い経験をしてきた。幼い頃より檻の中で育ち、自分を娘として愛してくれる、自分が母親として愛している人物にすら、触れることすらほとんど叶わなかった。それどころか、自分自身のせいで、その母親に迷惑さえかけてしまっていた。

「ということは、前に事件を引き起こしたのは・・・君の方なのか?」

純粋な疑問を、ランスはぶつけた。

「半分正解で半分はずれね。私は確かにあの子とは違う人格だけど、あの事件も結局はあの子が望んで起こしたことよ。主導権はあの子にあるし、何より、結局、私はあの子であの子は私なんだもの。どちらが引き起こした、と言われれば、明確な答えはないわね」

それは自分自身にも分からない、というように、クリスは答えた。

「そうか・・・ところで、ここはどこなんだい?」

話題を変えるように、ランスはそう聞いた。ランスが首と目だけを動かしても、明るく、だだっぴろい空間が広がっているようにしか見えない。

「ここは、生と死の狭間よ」

平然とそう答えたクリスに、ランスはあまりにも驚いた表情をした。そしてすぐにその表情は、哀しさを含んだ物に変わる。

「そうか・・・じゃあ僕は、死ぬのかな」

そう呟いたランスの顔を、クリスは少しの間黙って見ていた後、

「ふふ・・・冗談よ」

そう言った。舌を、ペロッ、と出して子どものように笑うクリスの姿は、外見にひどく似合っていて、大人びた雰囲気をやや打ち消した。

「全く・・・人が悪いな、君は」

やられた、とでもいうように、ランスは苦笑した。そんなランスの顔を、クリスはただ愛しそうに見ている。

「そろそろ・・・お別れした方がいいわね。みんながあなたを、向こうで呼んでいるわ」

名残惜しそうに言いながら、クリスはランスの足が向いている方向、ただ明るいだけの空間を指差した。そっちからは物理的な声が聞こえるわけではないが、ランスには、確かに誰かが呼んでいるような気がした。

「そうだな、僕はそろそろ、帰るとしようか・・・」

ランスはそう言った後、ふと思いついたように、自分の顔を覗きこんでいるクリスに尋ねた。

「君は、行かないのかい?」

一瞬、クリスは泣き出しそうな顔をした。しかし慌てたように、すぐに柔らかな微笑を浮かべて口を開く。

「・・・私は行けないわ、闇を抱えた私が、あの子の元に戻ったらまた何か起きてしまうもの」

ランスは、首をかしげた。その言葉には、深い意図が隠されているような気がしたからだ。ランスがそれを考えようとした瞬間、その思考を遮るように、クリスはランスの頭を両手で軽く持ち上げて、額に口付けをした。

「あなたに、祝福と幸せを・・・」

そう言って、ランスの頭を離し、自分の膝の上に戻した。額に残る柔らかな感覚に、ランスはしばし呆然とする。

「さぁ、もう行って。そしてこれだけは、約束して」

呆然としたままのランスに、クリスは強い口調で言う。

「絶対に、後ろを振り返らないで・・・立ち上がったら、前だけを見て、進んでね・・・そうすれば、すぐにあなたは戻れるから」

「あ、ああ・・・分かった」

自分よりかなり年下のクリスの額への口付けに、ランスは動揺していたため、ただそう答えた。それはただ単にランスがロリコンとかそういうわけではなく、それ程の魅力が、クリスにはあった。

「じゃあ僕は、行くよ」

ランスは後ろを振り返らないように上半身を起こし、次いで立ち上がる。ランスの後ろであまりにも哀しそうな顔をしているクリスには、気づかない。

「ええ、さようなら。元気でね」

その声を背に、ランスは少し歩いた後、後ろを振り向かないで聞いた。

「もう、会えることはないのかな?」

「・・・さあ、私には、分からないわ」

消え入りそうにぽつりと呟かれた言葉は、もう二度と会えない、と言っているように聞こえた。

「そうか・・・じゃあ、本当に・・・さよならだな」

何かを薄々感づいていたランスは、寂しそうにそう言った後、ゆっくりと前へと足を進める。クリスは、もう何も言わない。ただ、ランスがこちらを振り返らないのを祈るように、胸の前で手を組みながらランスの後姿をずっと見続けている。そして十数秒も経たずに、唐突に、ランスの姿がかき消えた。

「・・・」

何も言わずに、クリスは安堵のため息を吐いた。そして、ランスが消えた逆側へゆっくりと振り返る。そこには、ランスが消えた明るい空間と対照的に、真っ暗な闇が広がっていた。

「・・・もし、あなたがあの時、彼への罪悪感を己の死で断罪しなければ・・・私に、ずっとついてきてくれることを望んでくれていたら・・・私は、どうなってたのかな?」

考えても仕方のない過去のことを、口に出しても仕方のない昔のことを、クリスは後悔するような気持ちを込めて、吐き出した。

「・・・今よりもっと、私は・・・幸せに、なれてたのかな?」

ゆっくりと真っ暗な闇の方へ歩きながら、自分の気持ちを吐露していく。その姿は、先ほどまでの大人びた雰囲気は一つとしてなく、外見に合った子どもそのものだった。

「・・・考えても仕方ない、かな。どちらにしても、全てが良い方向には、いかないんだもんね・・・」

今にも崩れ落ちて泣き出してしまいそうな顔をしながらも、クリスは足を止めずに歩き続ける。ゆっくりとゆっくりと、クリスの姿は暗い闇に飲まれていく。その存在が消えてしまうように、もう、戻れないように。

「・・・馬鹿みたいだ、私・・・どうして・・・?どうして、あの子は幸せなのに・・・私は・・・!」

自分の体が、どんどん闇に飲まれていく様子を見ていたら、我慢出来なくなってクリスは叫んだ。

「どこにも、居場所がなく、て・・・それで、も、居続けられる、程、傲慢なんかじゃなくて・・・!」

真っ暗な闇の中から、途切れ途切れの泣き声が響く。

「それでも・・・いたら迷惑な存在・・・だか、ら・・・私は・・・」

きっと、この行動に間違いはないし、後悔はない。その最後の言葉は深く暗い闇に飲まれ、声になることもなく、誰かに聞こえることもなかった。

誰もいなくなった世界に、静寂が戻る。そこは、生と、そして、死の狭間・・・。



そこはランスの別荘の一室、ランスと茜とリミーナが寝泊りする予定の部屋。誰かに呼ばれるような声が聞こえて、ランスは目を覚ました。目を開けてややうつろ気味な表情で、ランスは自分を取り囲む面子を見渡した。

「っ・・・やっと起きやがったかこのクソ兄貴!」

心配するように顔を覗きこみ、しかしそれでも口調は荒い月夜。

「良かった・・・本当に良かった」

心配するように顔を覗きこみ、安堵の息を漏らした楓。

「馬鹿・・・うち・・・心配、したんだよ?」

心配するように顔を覗きこみ、泣きそうな顔をしながらも安心したように呟く茜。

「・・・馬鹿じゃないの、私は、車にぶつかったって平気なのに・・・」

そして、一人だけそっぽを向きながら、ランスを責めるように文句を言うリミーナ。その目は、微かに赤くなっている。ランスはやや痛む体を動かし、上半身を起こした。

「ごめん、心配かけたみたいだね・・・」

申し訳無さそうに謝るランス。そんなランスを尻目に、楓は月夜に文句を言う。

「だから、病院連れてこうって言ったのに!」

「いや、悪い、それは俺の完全な判断ミスだったけど・・・でも奇跡的に外傷もなかったし、血液や脳波だって問題なかったから寝かせときゃその内起きるだろう、って、な?つか、大体からお前らもそれで納得しただろうが!」

謝ってるんだか逆ギレしてるんだか、よく分からないことを言っている月夜は楓に頭をペチペチと叩かれている。

「ごめんねランス・・・うちがもっとしっかりしてれば・・・」

茜は取り乱していたため、まともに物事を考えられる状況じゃなかった。だから、周りに流された。

「いや、いいよ。気にしないで」

茜の過去を知っているランスは、頭を下げる茜にそう言った。

「・・・もう、嫌だから・・・大事な人がいなくなるのは・・・もう・・・」

涙が目に溜まり、今にも零れ落ちそうになっている茜を、ランスは優しく抱き締め、そして頭を撫でた。

「大丈夫、僕は君を置いていなくならない、絶対に死んだりしない」

慰めるように言うランス。その言葉には、聞く者を安心させる、優しさと力強さがあった。茜を抱き締めているランスは、ふと、茜の後ろにいるリミーナと目が合った。他の三人に比べると、リミーナは一人だけランスから離れており、睨むような目つきをしている。

「・・・悪いんだけど、リミーナ以外、ちょっと席を外してもらえないかな?」

リミーナは何かを言いたがっている、それを察したランスは、そう言いながら優しい手つきで茜を押し戻した。

「ほいほい」

「はい」

短く答えた月夜と楓は、特に理由も聞かずに部屋を出て行く。茜は、心配そうな顔でランスの顔を見たが、大丈夫、と言うように微笑んだランスの顔を見て、

「うん、分かったよ」

とだけ答えて、部屋を出て行った。部屋の中には、ランスとリミーナの二人だけが残され、しばしの沈黙が流れた。不意に、リミーナが数歩歩いた。ランスが横たわっているベッドのすぐ横で止まり、辛そうに口を開く。

「・・・クリスは、」

「言わなくていいよ。一応、全部分かっているつもりだから」

リミーナの言葉を遮るように、ランスはそう言った。

「そう・・・」

リミーナは俯いてそう呟いた。再び、部屋を静寂が支配する。沈黙の中、ランスは一人の少女について考えた。リミーナの闇を抱えてしまった少女、クリスは、本来リミーナが望んでいたものを現実にしようとした。自分を縛る鎖を、母親を縛る鎖を、解き放ち、そして鎖をつけた連中に復讐しようとした、一つの事件。それはリミーナの望みであり、本当に彼女の望みだったのかは、ランスには分からなかった。

「あの子は・・・」

ランスが考えてる最中に、リミーナはぽつりと呟いた。それは消え入りそうな声で、そして後悔の念を含んだ呟きだった。リミーナは、続ける。

「あの子はどんな気持ちだったんだろう・・・?」

それはランスにではなく、自分の中にいるはずの、もう一人の自分に話しかけるような響きだった。

「さて、ね」

なんとなく分かってはいるものの、ランスはそう口にした。

「あの子は、ずっと私を見守っていてくれた。あの事件の後も、少しぶつかった時もあったけど・・・あの子は、私のことをずっと心配してくれていた」

いない誰かに話しかけるように、とつとつとリミーナは続ける。

「・・・いつからだろう、あの子がいなくなっちゃったのは・・・眠りに就くって言ってただけなのに、気づいたら、あの子はもうどこにもいないの・・・!」

大切な友人を、気づかない内に失ってしまったかのような口調で、リミーナは言った。そして、視線をランスに向ける。

「ねぇ、あなたは知ってるはずよ?あの子がどんな気持ちだったか、だってあの子はランスのことを・・・」

「知らないさ、知ってるはずがないだろ?ただ一つ分かるのは・・・彼女は自分一人を犠牲にして、君を護ったんだ」

リミーナの闇から生まれた人格、クリス。彼女は、リミーナが望んだことを実行した。しかし、戦争が終われば兵器はいらないように、平和な暮らしに大きな闇は必要とされない。平和に暮らしている多くの人間は、闇を抱えているが、無意識の内に人格が分かれてまで自己を護ろうとする人間は、決してそんなに多くはない。自分がいたら邪魔になる、リミーナの平穏を壊してしまう、そう思った彼女は、自ら消えることを選んだのだ。

「私は、人殺しよ・・・関係のない多くの人を巻き込んだだけじゃなく、私を護ってくれた自分の中の彼女さえ、殺してしまった・・・こんな私が、生きていていいはずがない」

辛そうに言葉を吐き出すリミーナに、ランスはなんの感情もなく言う。

「甘えるな、彼女がなんのために君を護ってきたと思ってるんだ?何のためにわざわざ自ら消える道を選んだんだ?多くの人を殺したのは僕や月夜も同じだ、それでも僕らは生きている。単なる身勝手で、わがままな理由かもしれないけど、僕は僕が殺してきた人たちの分まで生きる。それが、死んでいった人たちへの贖罪になると、願ってる」

自分のために犠牲になった人、自分が生きるために犠牲にした人、その人たちの死を無駄にしたくないから、生きる、とランスは強く言った。

「リミーナ、君はどうする?死にたいなら止めない、止める権利も資格も僕にはない」

泣いている子どもを突き放すように、冷たく、ランスは言った。先ほどのような事故ならばともかく、自殺をするのならさらさら止める気気はランスにはなかった。

「私は・・・」

俯きながら、リミーナは考える。自分のせいで犠牲になった人たちのため、とまではいかないが、せめてその人たちの死を無駄にはしたくない、そんな思いが、溢れた。

「私は死なないわ、生きる。わがままかもしれないけど、生きたいと願っているんだから」

「なら、それでいいだろ?」

外見に似合わず、大人びていて魅力的だった少女のことを、ランスは思い出す。彼女にもう二度と会えないのだと思うと、切なくて、胸が締め付けられた。

(茜がいるっていうのに・・・僕は、不謹慎なやつだな)

気を紛らわすように、心の中でそう呟き、ランスは苦笑した。

「それにしても、どうして彼女は僕のことを気に入ってくれてたんだろうね?」

今までのような気難しさはなく、気を抜いて、ランスはリミーナにそう聞いた。

「分からない、あの子とあなたは、ほとんど面識がないはずなんだけどね・・・ただ、あの子があなたを仲間にしたがっていたのは、間違いないわよ」

「仲間、か」

初めて会ったのは夢の中で、ランスにはクリスとそれ以前に会った思い出はなかった。もしかしたら忘れているだけなのかもしれないが、覚えていないものは覚えていない。その答えを知るたった一人の少女は、既にこの世にはいなかった。

「・・・さて、湿っぽい話は終わりにして、あの二人の歓迎会でもやるとするか」

気持ちを入れ替えるように、ランスは明るい声を出した。

「そうね、いつまでもあなたと二人っきりじゃ、息が詰まっちゃうわ」

「それはこっちの台詞だよ」

冗談めいた風に言い合う二人、しかしそこには、多少のわだかまりがなくなったように見えた。


五人の休みは、まだまだ始まったばかりだ。

・・・裏話。

リミーナは当初こっちの名前のはずだったのに、彼女の初登場時(止む6)と二度目の登場時に名前を間違えたことから生まれた話です。

作者二部書き始めてちょっとするまで気づいてませんでしたorz

ご都合主義って素晴らしい

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