一時の日常~AfterDay~
「いやぁ、やっぱり自分の部屋だと落ち着くなぁ・・・」
昨日の今日で退院してきた月夜は、自分の部屋でゆったりとした時間を過ごしていた。部屋は七畳程の広さで、あまり物は多くない。端っこの方に布団があり、その少し離れた右側に本棚がある。服が入っている箪笥はその本棚の横にあり、部屋の真ん中には小さなテーブル(卓袱台)がある。部屋が汚く見えないのは、几帳面に片付けられているからではなく、ただ単に圧倒的に物が少ないだけだからだ。
「しかし暇だ、ひまひまだ・・・」
さっきから幾度となく口にした言葉を呟きながら、月夜は本棚を漁ったり布団の上に転がったりしている。いくら落ち着くとはいえ、月夜の部屋にはゲームどころかテレビもラジカセもない。落ち着く場所ではあるが、暇を潰すには適していない部屋だった。
平日の時刻十一時、本来なら月夜は学校に行っている時間だが、病院から家に帰ってきたのが十時頃だったため、遅刻するぐらいなら休むか、と思った月夜はこのように家でダラダラとしていた。もちろん楓は月夜が退院したのを知らないので、一人で今日も学校へ行っている。
「うーあー」
激しく暇そうな奇声をあげながら、月夜は布団の上をコロコロと転がる。学校が終わるのは帰りのホームルームと掃除を合わせて大体四時ぐらいだ。その時間になったら、楓が病院に行ってしまわないように学校まで迎えに行く予定の月夜だったが、それまでが激しく暇だった。落ち着きなく部屋を動いている様は、籠の中の小動物のようにも見える。そんな今の彼は、誰がどう見てもごく普通の、ごくごく普通のちょっとグータラしてる高校生にしか見えないだろう。
「んー・・・」
月夜は布団の上に仰向けで寝そべったまま、動きを止めた。その視線は部屋の天井に向けられているが、その瞳は天井など見ていないように虚ろになっている。考えないようにしていたことを、つい考えてしまった、とでもいうように、その瞳は曇っていた。
(命を狙われてる、か・・・)
普通の日常に生きている人間にはほとんど縁がなさそうなことを、月夜は普通に考える。月夜にとってそれは面倒ごとではあるが、それ自体は決して非日常ではなく、当たり前にすぐそばにあるものだった。
(どういった理由で?目的は?俺とどんな関係が?)
一度考え出してしまうと、月夜は疑問が止まらなくなる。考えることは悪いことではないが、答えが見つからない何かを考え過ぎてしまうのは、月夜の悪いところだった。
(・・・相変わらず、一つも分からないな・・・)
早速壁にぶつかった月夜は頭を抱え始める。そこでふと、何かを思い出したように呟き始めた。
「そういや・・・国に危険視されてるんだっけか?とすると、それが一番怪しい・・・かな?」
いや、と月夜は自分の問いに首を振った。その可能性はゼロではないが、限りなくゼロに近いことを月夜は分かっていた。誰かに人外の力を与える生物・・・例えばリミーナと同じような生物を再び作れば、国が敵として差し向けることも出来る。しかし、戦争で疲弊した国々には財政面を考えれば、それをすることが不可能なのだ。それに、例え設備や金があったところで、誰かに人外の力を与えられるような生物は早々作れるものではない。
(となると、国とは関係がない元より人外の生物・・・ルシファー辺りと同じやつ、か)
そこに行き着いてしまったら、もう月夜にとって分かることなど一つとしてない。理由も目的もそれまでの過程も、その全てはその本人に問いたださなければ分からないことだからだ。
「ほんとさ・・・俺はただ、普通に生きていたいだけなのにな・・・」
疲れた、といわんばかりに月夜はため息を吐く。しかし、それでも月夜は考えてしまう。俺みたいなやつは、普通に生きる資格も権利もないのかもな、と、考えることの本題を切り替え、ただ一人、沈み込んでいく。
(人を殺すことは許されないこと。なら、人を殺しても尚普通に生きていこうと思う人間は・・・許されるはずがないんだよ、な)
布団の上で体を丸め、自分の存在を守るように、確かめるように小さく震えている少年は、最強であり、そして最弱だった。
歌が聞こえる。それは安心させるように、それは慰めるように・・・母が子を眠りにつかせるために歌う子守唄のような、柔らかく温かい歌・・・どこから聞こえるか分からないそんな優しい歌声を聴きながら、月夜はゆっくりと目を覚ました。
「あ、起こしちゃったかな・・・?おはよう」
「んー・・・?ああ、おはよう」
楓に膝枕をされている状態の月夜は、寝ぼけ眼で自分の顔を覗き込んでいる楓の顔を見た。その顔を見ていると、安らぐような、そんな温もりを感じながら、月夜は軽く目をこすった。いつの間にか寝てたみたいだな、と他人事のように月夜はうっすらと思った後、ぼんやりと眠気の取れてない頭で考える。
(あれ・・・?どうして、楓が?)
そこまで考えて、月夜は突然冷や汗を流しながら焦った表情をした。ようやく目が覚めて、今の状況を理解したようだ。
「・・・えーと」
予定通りなら、月夜は楓を迎えに行くはずだった。行かなければ、事情を知らない楓は学校帰りにそのまま病院に行ってしまうからだ。
「どうしたの?」
しかし、楓が怒っているような気配はなかった。もしかして行かなかったのか?と、月夜の中に淡い期待が浮かんだが、それでも月夜は楓から視線をずらしながら、おそるおそる当たり障りのないことから聞いてみる。
「えーと・・・今、何時?」
「六時ぐらいだったかな?少し過ぎてるかも」
少し考える仕草をしながら答えた楓に、月夜は驚きの声をあげる。
「六時!?」
どんだけ寝てんだ俺・・・という月夜の思考を遮るように、楓は頷きながら言う。
「私が帰ってきたのが確か六時二十分前ぐらいだったはずだし・・・」
「六時二十分前ねぇ・・・ん・・・・・・!?」
ちょっと待て、と月夜の中で疑問が浮かんだ。学校が終わるのは約四時頃、そして学校と家の距離は歩いて十五分もかからない。利樹や紫や保と話をしたところで、二時間近くも時間がたつわけがない。そう、どこかに寄り道でもしない限り、そんなに遅くなるはずがなかった。
「あのさ・・・もしかして、病院行った?」
意を決して、月夜は楓に尋ねた。
「行ったよ」
さらりと、まるでなんでもないことのように楓は答えた。それがどうしたの?とでも言わんばかりだ。
「・・・ごめん」
月夜は素直に謝った。楓は無駄足になったことを気にしていないように見えたが、もしかしたら本当は怒ってるんじゃ?と月夜は推測したからだ。そんな月夜に対し、楓は不思議そうな顔で言う。
「どうして謝るの?・・・あ、月夜が私に知らせなかったせいで、私がわざわざ病院に行っちゃったから?」
その言葉に悪意は感じられなかったが、一つ一つに月夜を責める言葉が混じっていた。
「いや、本当は学校が終わる時間位に迎えに行く予定だったんだ!そう思ってたんだけど・・・ついつい寝ちゃって」
言い訳するように、月夜は焦りながら言う。やっぱり怒ってる、と月夜は少しビクビクしていた。怒った楓は怖いのだ。
「うん、知ってるよ。だって、今まで寝てたんだもんね」
悪意を感じさせない責める言葉が、逆に怖かった。怒りを表面に出す人間よりも、怒りを感じてても普通通りにしている人間の方が、月夜は怖かった。
「えーと、その・・・」
「んー?あ、もしかして、私が怒ってると思ってるの?」
コクコク、と月夜は頷く。その動きは機械のようにカクカクしていて、面白い。しかし、そんな月夜に、楓は優しく言う。
「怒らないよ・・・確かに、私がしたことは無駄になったみたいだけど・・・月夜が無事に帰ってきてくれたことが、何よりも嬉しいから」
本当に、心の底から嬉しそうな楓の声を聞いて、月夜はようやく楓に視線を合わせた。月夜からは逆さまに見える楓の顔は、言葉通り怒りの色は一切なく、逆にすごく嬉しそうな顔をしていた。月夜は胸が締め付けられるのを感じた、例え楓が怒っていなかったとしても、月夜のせいで楓が無駄に時間を消費したことが、月夜には辛く感じた。楓が怒らずに、本当に嬉しそうな顔をしているからこそ、月夜はそれを強く感じさせられた。
「・・・心配かけて、ごめんな」
今にも消え入りそうな声で、申し訳なさそうに謝る月夜に、楓は笑いかけた。
「しょうがないよ、私が勝手に心配してるだけだもん。・・・でも、月夜は絶対戻ってきてくれるって、信じてるから・・・だから、そんなに辛くないよ」
健気で、それでも強い想いを持つ楓・・・月夜は、そんな楓を愛しく、そしてかけがえのない存在に感じた。そう感じた後、不意に、自分をそこまで慕ってくれる少女がいることに、月夜は涙が零れ落ちた。
「ど、どうしたの月夜?まだ、どこか痛むとか?」
長い付き合いの中でも、片手で数えられる程しか涙を見せてない月夜の突然の涙に、楓は慌ててそう聞いた。
「・・・だい、じょうぶ、別に、どこかが痛むとか・・・そういうのじゃ、ないから」
涙が目の横から伝い、零れ落ちる感覚を感じながら、月夜は途切れ途切れに言う。月夜の言葉通り、その表情から痛みは見えず、むしろ喜びや嬉しさの類が感じ取れる。
「本当に、本当に大丈夫?」
それでも、楓は不安そうに月夜を見つめている。月夜は涙を流しながら、それでも微笑みながら答えた。
「大丈夫だよ・・・楓が、そばにいてくれるから・・・」
俺はまだ、生きていくことが出来る。月夜は、最後のそれだけは、口にはしなかった。
「うん・・・いつだって、そばにいるよ。ずっと、ずっとそばにいるよ」
楓の声が、楓から伝わる温もりが、月夜を温かい気持ちにさせた。不安な時、悲しい時・・・自分が辛い時は、いつだって楓がそばにいて、励ましてくれた、それはきっとこれからも、ずっと変わらないんだろうな・・・と、月夜は確信めいた気持ちを抱きながら、楓の頬に触れながら言う。
「俺は・・・弱いな」
それは自嘲気味に言ったものではなく、自分の弱さを認め、受け入れ・・・それでも、歩むことを止めないという、月夜なりの意志だった。
「そだね・・・でも、私も弱いよ」
それを感じ取った楓は、月夜の頬に触れながら言う。
「楓は強いだろ?俺は・・・」
その先を言うか言わないか迷った後、月夜は恥ずかしそうに言う。
「楓がいないと、生きていけそうにもない」
月夜の言葉に、少しだけ驚いた表情をした後、楓も嬉しそうに微笑みながら、それでも恥ずかしそうに言う。
「私も、月夜がいなくなったら嫌だよ・・・死んじゃうかもしれない」
愛しい人がいなくなったら、死んでしまう・・・それは、強い想いから来る比喩に聞こえてしまうかもしれないが、今の二人は、本当にそう思ってしまう程、弱く、そして、お互いを想い合っていた。
「じゃあ、俺もそう簡単には死ねないな・・・例え全ての人間に忌み嫌われようとも、全ての人間を敵に回したとしても・・・死ぬわけには、いかない」
月夜は、強くそう言った。一人の人間に直接責められただけで、折れてしまいそうな心を持つ月夜・・・しかし、この時だけは、全ての人間を敵に回してでも、生きたい、そう強く願った。誰のためでもなく、自分のためですらなく、ただ一人、楓のために。
「うん・・・信じてる、月夜がいなくならないって、私は、信じてるから・・・」
信じる気持ち、その気持ちに応えようとする気持ち・・・二人の絆は、きっと世界を創造した神ですら、消せはしない。
「・・・楓」
「月夜・・・」
お互いの名前を呼びながら、二人はしばらくの間見つめあった。リミーナや茜がいたら、茶化しそうな状況だったが、今は誰もいない。いつまでも続きそうな二人の世界は、唐突に、ぐぅー、という場違いな音によって崩された。
「はは・・・なんか、安心したら腹減った」
空腹によって鳴った自分のお腹を押さえながら、月夜は苦笑した。
「もう・・・じゃあ、夕ご飯にしようか」
もう少しの間二人の世界の浸りたかった楓としては、予期せぬ事態に少しだけ呆れたような顔をしたが、すぐに微笑んでそう言った。
「俺も手伝うよ」
よっ、と口にしながら、月夜は楓の膝から頭を上げて立ち上がる。
「いいの?お腹が空いてるなら無理に動かない方がいいんじゃない?」
純粋に心配して言う楓に、月夜は苦笑しながら答えた。
「楓にまかせっきり、ってわけにもいかないだろ?料理は出来ないけど、皿とか準備は出来るからさ」
「うん、じゃあ手伝ってもらおうかな」
うきうきとした感じで、楓も立ち上がる。
「んじゃ、さくさくやろうか」
「りょーかーい」
部屋を出て行く月夜の後ろに楓が続き、二人は部屋を出て行った。
そこは、何もない世界だった。地球に当たり前のようにある、重力や空気、大地や空、その全てがそこにはなく、どこまでも白い世界が広がっていた。そんな空白の世界に、二人の人間がいた。一人は金色の髪を腰程まで垂らしている美形の人物、その整った顔立ちと高い身長の割りには華奢な体を見ると、男とも女とも区別がつかない。もう一人は、きれいで染み一つない白い髪を目の辺りまで垂らしている少年。彼は金髪の人物と同様に華奢で美形ではあるが、金髪の人物程性別が分からないわけではなかった。そもそも、金髪の人物には性別なんて存在しないのかもしれない。
「中々、この世界は思う通りに動いてくれませんね」
重力も空気も、大地や空すらない、立っているのか浮いているのかすらも分からない世界で、金髪の人物はどこか遠くを見るような瞳をしながら、男とも女とも区別のつかない声で目の前の少年に呟いた。
「あなた程のお方が、また随分と弱気なことを言いますね」
少年は、心配しているわけでもなく皮肉を言っているわけでもなく、ただ淡々とそう言った。
「彼がいる限り、私に安らぎが訪れることはありません」
金髪の人物も、言葉とは裏腹に、ただ淡々とそう言った。それはまるで、当たり前の事実を当たり前に言っているように聞こえる。
「ええ、やっぱり彼はそう簡単には死んでくれませんね・・・あれが眠りについている状態とはいえ、生半可な人間に力を与えた程度じゃ噛ませ犬にすらなりませんし」
少年は整った顔立ちを歪ませ、凶悪な笑みを浮かべる。それは楽しそうでもあり、同時に強い恨みや怒りを感じさせるものだった。
「彼もまた、特別な存在。偶然と偶然が重なって、もはや必然と呼んでもおかしくないほど・・・彼がこの時代に生まれたのは、運命と呼んでも差し支えありません」
金髪の人物は、微かに口元を緩めていた。少年とは違い、懐かしい友人と再会した時のような、そんな嬉しそうな表情をしている。少年は、金髪の人物のそんな表情を見て、歯軋りをしながら言う。
「なら、僕が彼を殺すのは天命ですね」
「ふふ、確かに、そうですね・・・期待していますよ」
金髪の人物の言葉に、心に思ってもないことを・・・、と少年は心の中で毒づいた。しかし、その心中を全く見せることなく、落ち着いた口調で言う。
「では、今後も僕の好きなようにやらせてもらいますよ・・・惨めで辛い思いをさせてからじゃないと、僕は納得出来ないんで」
「君の好きなようにするといい」
投げやり気味に言う金髪の人物には、少年が抱いている憎しみや怒り、それらの感情や理由が分からなかった。感情に乏しいわけではなく、かといってそれらを感じない程聖人ではない。金髪の人物にとって、長すぎる生は、感情を忘れさせるには十分過ぎた。
「それでは、また後ほど」
少年はそんな金髪の人物に、吐き捨てるように言った後、何もない世界からゆっくりと、空気に溶けるように姿を消していった。何もない世界に、金髪の人物一人が残される。
「ふふ・・・彼は私のことを憶えているでしょうか、ね」
静かな笑みを浮かべながら、一人呟く。懐かしさを含むその笑顔は人としては自然であったが、感情を忘れてしまった金髪の人物にとっては不自然なものだった。
月夜が家に帰ってきた次の日、月夜と楓の二人は学生として当たり前のように学校に来ていた。いつも通り他愛のないお喋りをしながら教室に入って来た二人、しかし既に教室にいた数十名の生徒の反応は、いつも通りではなかった。二人が入った瞬間、それに気づいた生徒たちは他の生徒とのお喋りをやめた。そして、一瞬だけ月夜の顔を見た後、わざと視線をそらすようにぎこちない動作をする。そして数秒後には、先ほどのように他の生徒と他愛のないお喋りに戻る。しかし、そこには今までの日常的な雰囲気はなく、嘘で塗り固められたような異常が含まれているように見えた。そんな生徒たちの反応に、楓はムッとして口を開こうとしたが、月夜は楓だけに聞こえる小さな声でそれを止める。
「気にするなよ、あんなことがあった後だから仕方ないさ」
それでも、楓は納得がいかない、というように小さな声で返す。
「だからって・・・こんな腫れ物を扱うような態度とられるのは許せないよ・・・」
「俺は気にしない、慣れてるからな」
生まれた時から危険物を扱うように育てられて来た月夜は、今の状況を何一つ気にしていなかった。部活動説明会の件で、自分がそんな状態になるのを月夜はある程度理解していたし、例え暗闇の中で姿が見えていなかったとしても、噂やそういった類の話は広がるのが早いことを知っていた。そしてその事件の後、六日も学校に来ていなければ元々噂の絶えない月夜は疑われてもおかしくはないのだから。
「でも・・・」
いまだ納得が出来ない楓に、月夜は笑いかける。
「いいんだよ、楓が俺の存在を認めてくれれば、それだけで、いいんだ」
自分のために楓が怒ってくれた、それが何よりも、月夜にとっては嬉しかった。どんな状況でも、やっていけるような、そんな気さえしていた。もう・・・、と仄かに顔を赤くしたり、でも・・・、と困ったような顔をしたり、一人百面相をしている楓に、月夜は笑いをこらえて言う。
「とにかく、いつまでもこんなところに突っ立ってないで、早く席に座ろうぜ?」
教室に入ってすぐのところで話していた月夜は、教室の雰囲気を気にすることなく、楓は周囲を少し威嚇しながら、いつも通り自分たちの席、前から二番目の窓際とその隣の席に歩いて行った。
「平和な日常は、時間がたつのが早いもんだよなぁ・・・」
気づけば四時間目が終わり、昼休みでわいわいがやがやと賑わい出す教室を見ながら、月夜は切なそうに呟いた。
「何言ってるの、月夜は寝てばっかりだからそう思うんでしょ」
隣の席でそれを聞いていた楓は、呆れたような声を出す。
「いやいや、平和な日常だからこそ、眠くなるし・・・慌しく時間を過ごすよりは全然いいだろ?」
月夜が言うと多少なりとも重みがある言葉だが、楓にはジジくさい上に単なる言い訳にしか聞こえなかった。
「だからって授業中に寝てばっかりいていいわけないでしょ、追試どころか留年しちゃったらどうするのよー」
不機嫌というよりも、ふてくされてるといった感じの楓に、月夜は軽く首をかしげる。楓が月夜の留年の話題になると、毎回毎回不機嫌になる理由が鈍感な月夜には分かっていなかった。
「どうしてそんなにおこっ・・・」
「よーっす、相変わらず夫婦喧嘩か?」
「病み上がりなのに、二人はいつも通りね」
月夜のそんな疑問の言葉は、突然後ろから現れた利樹と紫の声に遮られた。楓は二人に視線を移し、少しだけ不機嫌なまま言う。
「だって月夜が寝てばっかりなんだもん・・・」
利樹はそんな調子の楓に、笑いながら言う。
「こいつの場合仕方ないさ、月夜自身寝てばっかりなのもあるし、周りも今じゃ諦めてるしな」
反面、紫は困ったように言う。
「もしかしたら病気とかかもしれないわよ?一度病院で検査してもらった方が・・・」
「ほんとに一度、病院でしっかり見てもらったほうがいいよね」
呆れながら言う楓に、月夜はため息を吐く。
「退院してきたばっかりだっつうの・・・というか、早く昼飯食べないと時間なくなるぞ」
三対一で分が悪い月夜は、さっさと話題を変えるためにそう言った。
「そうだね、悩んでても仕方ないよね。月夜だし」
「しょうがないな、月夜だし」
「月夜君だからね・・・」
三人が頷きながら言う様を見て、月夜は、なんだかなぁ、と思ったが、図星だったので言い返せなかった。それじゃ行こうか、と言いながら歩き出す利樹について、三人が教室を出て行こうとした時、
「あ、あの・・・」
教室の一番後の廊下側の席に座っていた眼鏡をかけている少年、保が四人に声をかけた。
「お、新倉お前も来るか?」
月夜が誘いの言葉を言うと、保はそれを待っていたように頷いた。
「ご一緒させてもらいます」
「多い方が楽しいもんねー」
楓がそう言うと、利樹と紫も頷いた。保と一、二回程しか面識のない二人だが、友達の友達に気を使うほど二人は奥手ではなかった。
「みんなで飯だ飯、大分暖かくなって来たし、屋上でも食べやすそうだな」
「冬でも屋上だったけどね、スカートだと結構寒いのよ?」
そんな他愛のない話をしながら、五人は一度一階まで降りて購買でパンを買い、そして屋上へと歩いて行った。
屋上の手すり付近で、五人は各々が買ったパンを食べながら他愛のない話をしていた。円を描くように座り、月夜から順に右隣へ楓、紫、保、利樹、と座っていた。
「そういや、科学部の方はどうなったんだ?」
月夜はコロッケパンを頬張りながら、ふと思い出したように保に視線を向けそう聞いた。月夜のその一言で、軽い雑談をしていた他の四人は押し黙った。突然流れ出した気まずそうな雰囲気に、月夜はわけが分からず口を開く。
「どうしたんだ、急にみんな黙って・・・」
「・・・科学部は、廃部になりました」
一人疑問を浮かべていた月夜に、保が申し訳なさそうな口調でそう説明した。
「は?ちょっと待て待て、なんでいきなり廃部に・・・」
恋愛ごと以外にはそれなりに鋭い月夜は、そこまで言って何かに気づいた。そして、おずおずとそれを口にする。
「もしかして・・・体育館壊したりしたからか?」
月夜の言葉に、保は力なく頷いた。
「けど!科学部は何も関係ないはずだろ?なんでそんな理由で、廃部にされなきゃならないんだよ!」
月夜には本当は分かっていた。体育館を壊したり、わずかとはいえ生徒を危険に晒したりしたことは、直接科学部には関係がない。しかし、事情を知っている者ならまだしも、事情を知らない者には月夜と保の間に何が起きたのかすら分からない。結局のところ、単なる誤解で科学部は危険だと思われ、廃部になったのだった。事件の当事者が、科学部だった月夜と保、というのも一つの理由だが。それを分かっていても、月夜は声に出さなければ気がすまなかった。
「ごめんなさい・・・折角お二人が手伝ってくれたのに・・・」
そんな月夜に、本当に申し訳なさそうに保は謝った。
「新倉が謝る必要はないだろ?こうなったら、校長に直接文句でも・・・」
「・・・いいんです!」
怒りで沸々と頭が沸騰していた月夜は、その突然の叫びに押し黙って保を見た。他の三人も、今まで気まずそうに視線を泳がせていたが、そこでようやく保に視線を合わせた。
「いいんです・・・もう。前も言いましたよね?大切なのは部が在ることじゃなくて、それに関係する大切な時間があることだって・・・」
四人の視線が集まる中、保は少し悔しさの残る微笑みを浮かべながら続ける。
「結果はどうであれ、月夜さんや楓さん、紫さんや利樹さんと友達になれたことは、とても嬉しいです。だから、気にしないでください」
完全に吹っ切れた、といえる程ではなかったが、保は保なりに現実を受け止め、前に進もうとしている。
「・・・はぁ、そんな風に言われたら、俺が怒る理由がなくなっちまうじゃねーか」
保の言葉に毒気が抜かれた月夜は、苦笑しながらそう言った。
「でも、でも・・・結局お二人には無駄な苦労させてしまったみたいで・・・本当に、ごめんなさい」
部がなくなったことよりも、月夜と楓のことを気にかけている保に、月夜は笑いかけた。
「気にすんなよ、それなりに楽しかったし、お前とも友達になれた。そうだろ?」
「そだねー、私も楽しかったかな。新倉君ともお友達になれたし、結果はちょっぴり残念だったけど・・・無駄な苦労じゃ、なかったと思うよ」
月夜に同意するように、楓もうんうんと頷きながらそう言った。
「月夜さん、楓さん・・・ありがとうございます」
感極まり、うっすらと涙を浮かべながら頭を下げる保を見て、月夜は照れ隠しをするように頭を軽くかいた。
「泣くなって、礼を言われるようなこともしてないし」
「ま、湿っぽい話はもう終わりにしようぜ?楽しくいかないと、飯がまずくなるぜ」
今まで黙っていた利樹が、場を盛り上げようとするためにそう言った。
「そうね、ご飯を食べる時はみんな明るいほうがいいわ。利樹は少しうるさいぐらいだけど・・・」
「うるさいって言うな!」
利樹と紫のやり取りに、他の三人は笑い出した。
「お前らの方がよっぽど、夫婦漫才やってるように見えるぞ」
月夜のそんな一言に、
「うっせーうっせー!」
「そんなことないわよ!」
と本気で利樹と紫の二人が返し、笑いは更に大きくなった。ったく・・・、もう・・・、と言いながら、そっぽを向き合う利樹と紫、そんな二人を含んだ四人を見ながら、月夜は胸が温かくなるような気持ちを感じた。
(どんな些細なことでも、こいつらがいると飽きないなぁ。・・・ずっと、こんな時間が続けばいいのに)
そんなことを思う月夜は、誰かのそばに自分の居場所があることを再認識し、嬉しい気持ちでいっぱいだった。
五月の空は青く晴れ渡り、今の月夜の気持ちを表しているかのように見えた。
のほほんのほほんのほほん・・・日常があるからこそ、帰ってこれる場所があるからこそ、物語は輝くものだと俺は思います。
まぁ止むは輝いてませんが(←