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ほのぼの入院~でも健康体~

幼い少年が一人、そこには立っていた。建物も草木も、人っ子一人いないような荒野に、少年はただ一人で立っていた。少年の表情には、なんの感情も浮かんでいない。怒りも悲しみも喜びも切なさも、何一つとして浮かんでいないその顔は、正に「無」表情だった。

何も考えていない何も思っていない何も望んでいない・・・だからこそ、感情を持つ全ての生き物にとってそれは最強であり最恐だった。



真っ白いベッドの上で、月夜は目を覚ました。

「相変わらず・・・嫌な目覚めで、気分は最悪だな・・・」

ランス達を連れ戻しに来たサーシャと会ってから、よく見るようになって来た昔の自分の夢を見て起きた月夜は、嫌なものを振り払うかのように頭を振る。そこで、ふと月夜は気づいた。

「・・・あれ?ここ、どこだ?」

病的な程真っ白な天井を見上げながら、月夜は疑問の声を口にした。

「んー・・・?」

上半身を起こし、首を動かして辺りを見回す。およそ十メートル四方の広い部屋、壁は天井と同様に病的な程の白さ。それどころか、ベッドの横に置いてある小さな棚も、棚の横に置いてある折りたたみ式の椅子も、月夜が寝ている布団も何もかも、病的な程の白さを持っている。白いカーテンから差し込む光がその白さを殊更強調し、一種の芸術に仕立てあげている。しかし、それは一面雪景色などというきれいさを持つものではない。白は無のイメージを強く持たせる、純白や純粋・・・だからこそ、その中にいると色を持つ人は、自分自身の存在が希薄に感じられ、圧迫されているような感覚すら持たされてしまう。

「随分と趣味が悪い部屋だな・・・まぁ、部屋の作りとこの気持ちの悪いぐらいの白さを見る限りじゃ、ここは病院、ってことでいいのかな?」

まさか自分が入院する羽目になるとはなぁ、と月夜は思いながら、あれだけ騒ぎ起こしたら仕方ないか、と呟いた。普通の人間なら死ぬ程の怪我でも、月夜は死ぬことはない。しかし、事情を何も知らない人間からしたら、救急車を呼んだり病院に運んだりするのは当たり前のことだった。

「ま、死ななかっただけでもよしとしよう。そういや、新倉は大丈夫かな・・・」

自分が無事であいつが死んでたら元も子もないなぁ、と月夜がぼやいていると、ドアが軽くノックされ、そしてすぐに開かれた。

「おやおや、目を覚ましたようだねぇ」

月夜の返事を待たないで入ってきた白衣の男は、上半身を起こしている月夜を見て目を細めて笑った。面長の顔をしたその男は、まるで蛇のような顔に見える。白衣につけられた名札には、田宮、とだけ苗字が書かれている。

「それにしても、すごい回復力だねぇ。実際に目にしてみると、恐るべきものだねぇ」

白衣の男・・・間違いなく医者である田宮は、月夜の隣に立ちながら、ニヤニヤと笑みを浮かべている。

「おかげさまでね。色々事情を知ってるみたいで、余計な説明する手間もなくてこっちとしては楽だな」

月夜は皮肉気にそう言った。元より自分が、何も事情を知らないまっとうな病院に運ばれるとは思っていなかった。

「ここは国立病院だからねぇ、国の管轄なのさ。しかも医者の大半は、過去に軍医や野戦病院勤めだった者たちばかりなのさ」

そんなことを明かしてもいいのだろうか?と月夜は思ったが、あっさり言う辺りその辺は別に隠しているわけでもないのだろう、と納得し、特には追及しなかった。

「ああ、そうだねぇ。一応医者として、君がどの程度の高さから落ちたのか教えてほしいんだけどねぇ?」

「医者として?また随分と馬鹿げたことを言うんだな」

田宮の質問に対し、月夜は皮肉気に答えた。どんな状況で怪我をしたか、などは確かに医者が患者やそれを知っている者から聞くのは当たり前だが、田宮は医者として、ではなく、国に仕える者として、それを聞いているのだ。田宮は笑いながら、悪びれた様子もなく言う。

「ああ、そうだねぇ。確かにそれじゃ馬鹿げた言い方だねぇ。どうせ隠しても意味ないから言うけど、国は君のことを知りたいみたいだよ?最強なんてものは既に知られていても、それが今でもそうか?とか、じゃあどの様になっているのか?とか、ねぇ」

まるでそれは、未知の兵器の構造を調べたがっているかのような言葉だった。

「それなら、俺が寝ている間に解剖でもなんでもすりゃ良かっただろ?」

「それじゃだめなんだよ、君が途中で暴れたりしたら大変だし、もしうまく解剖できても調べられなければ意味がないだろう?何より、そんな回復力を持ってるんじゃ、解剖してる間に傷口がふさがってしまうんじゃないかねぇ」

田宮の言うことはもっともだったが、だからといって今のやり方も十分間違ってる、と月夜は思った。どんな兵器でも、その弾の速度や威力からは中身を調べられるはずもないのだから。

「つーかそんなもの調べてどうすんだ、まだ戦争なんか起こす気でいるのかこの国は?」

呆れたような月夜の言葉に、田宮は笑った。

「違う違う、研究者としての血、ってやつじゃないかねぇ。僕もそうだけど、未知なる物を調べたいと思うのは当然のことじゃないかねぇ」

確かにそれはもっともだった。だからといって、はいそうですか、と言って自分の体を差し出す程月夜も馬鹿ではない。

「分からないでもないけどな・・・ああ、そうだ。一つ質問」

いつまでもくだらない世間話をしているわけにもいかない月夜は、唐突にそう切り出した。

「なんだいなんだい、なんでも聞いてくれたまえ」

本当にこいつは医者なのか?と思えるほど、一応患者である月夜の前で楽天的な声を出す田宮に呆れながら、月夜は質問の言葉を口にする。

「俺以外にも一人いたはずだけど、そいつのこと知らないか?」

はて?といったような顔を少しした後、田宮は思い出したように頷いた。

「ああ、いたね。名前は確か新倉君だっけ?君と一緒に運ばれてきたけど・・・」

田宮はそこで言葉を区切り、突然暗い表情になった。暗い、というよりは、焦っている、という方が正しいのかもしれない。

「けど・・・?どうなったんだ?・・・まさか」

田宮の表情から、月夜は嫌なものを読み取った。まさか・・・、と月夜が思い悩んでいると、田宮は蛇のような顔によく似合った細く長い舌を軽く突き出し、申し訳なさそうに言った。

「いやぁ、ねぇ・・・?非常に言いにくいことなんだけど・・・」

いまだ言い渋る田宮を急かすように、月夜は無言で睨んだ。

「・・・彼がどういう状態だったのか、忘れちゃった、てへっ」

てへっ、の後に星マークでもくっつきそうな程軽快に言った田宮を、月夜は口をあんぐりと開いて間が抜けた表情で見つめた。しかし、徐々に月夜の瞳に怒りの色が浮かんでくる。それに気づかない田宮は、軽快な口調のまま続ける。

「いやぁ、確か大した怪我はなかったと思うけど?僕は興味があるもの以外にはからっきし記憶力がなくてねぇ・・・って!」

田宮を見る月夜の瞳には、怒りを通り越して殺意がこもっていた。その殺意は黒い触手のように形を成し、月夜の周りに浮かび上がっている。

「ちょっとちょっと!さすがにそれは冗談にならないって!それに僕はぎりぎりのラインで痛めつけるのは好きだけど痛めつけられるのは・・・」

「うるせぇ黙れ!言いたいことはそれだけかこのヤブ医者がぁぁぁ!!」

心配やら悩みやらを無駄にさせられた月夜は、容赦なく田宮を(死なない程度に)痛めつけた。ギャー、という声が病院内に響き渡ったが、その間に誰も月夜の病室に来ることはなかった。



月夜によってボコボコにされた田宮が病室を出て行った後、月夜はぶちぶちと文句を垂れていた。

「ったく、あれで本当に医者なのか?あんなのがごろごろいたら、間違いなく医療機関は潰れるな・・・」

容赦のない文句を垂れてる月夜は、ふと気になって自分の足を布団から出して見てみた。

「やっぱり・・・ちゃんと二本生えてるよなぁ?」

自分がどれだけの間眠っていたのか知らない月夜だったが、少なくとも普通の人間は二日三日で切断された足が生えてくるほど便利じゃないことは知っている。先ほどの黒い触手といい、どうにも自分自身の力はなくなってないんじゃないか?と思う月夜だった。

「だとするとおかしいんだよなぁ・・・あの時は確か、気絶もしたし、力もなくなってたし・・・」

リミーナの時を思い出しながら、月夜は思い悩む。と、そこで、病室のドアがコンコン、とノックされた。月夜はドアの方に視線を向け、すぐに相手が入ってこないことから、あの医者じゃないな、と判断した。

「開いてるよ」

月夜はそう呼びかけたが、ノックの本人がドアを開ける気配はない。ん?と思った月夜は、

「開いてるよー」

と、さっきより大きな声でもう一度呼びかけた。しかし、それでも相手が動く気配はない。不審に思いながら、月夜はけだるそうに立ち上がり、ドアに向かう。

「開いてるっつうの、まさかピンポンダッシュならぬコンコンダッシュか?」

それでも返事はない。月夜はため息をつきながらドアノブに手をかけ、勢いよく内側に開いた。

「うわわっ!」

そこには、何やら驚いた様子の保がいた。月夜は一瞬怪訝な顔をしたが、

「何そんなとこ突っ立ってるんだよ、俺に用があるなら入ればいいじゃん?」

と、保を部屋に促した。保は緊張の表情を浮かべたまま、

「えーと・・・はい」

とだけ答え、月夜の後に続いて部屋に入った。月夜は特に気にした様子もなく、ごそごそとベッドの中に入り、上半身だけを起こした格好で視線を保に移す。当の保は、しっかりと病室のドアを閉めた後、月夜の前で緊張した面持ちで立っていた。

「・・・そこに椅子あるから、使ったらどうだ?」

棚の横にある椅子を指し示しながら言う月夜に、保は月夜と目を合わせないまま小さく頷きながら、まるで機械のようにカクカクとした動きで椅子を取り、そして開いて座る。

(不謹慎かもしれないけど・・・なんか面白いな)

椅子に座っても、保は緊張しているのか、月夜と目を合わせない、そして言葉も出さない。保の様子がおかしい理由がなんとなく分かる月夜は、その理由を分かっていても、今の保の動きは面白いと感じてしまった。だからこそ、月夜の中にちょっとした遊び心が生まれた。

「新倉、起立!」

教師のような言い方で月夜がそう言うと、保はビクッ、とつい条件反射で立ち上がってしまう。月夜は笑いをかみ殺しながら、続ける。

「回れ右!前ならえ!」

焦りながらも、月夜の指示に従おうとする保だが、うまく頭が回ってないせいか、起立以降の一つ一つの行動が鈍い。しかし、月夜は容赦なく、次々と指示を飛ばす。

「そのまま回れ左!着席、しないで立ったまま!一度ジャンプして、くるっとターン!」

あわわわわ、とでもいうように、保はそれについていこうとするが、足元がおぼつかないままジャンプをした保は、派手にすっ転んだ。ぎりぎり椅子を巻き込みはしなかったものの、投げられて受身を取れなかった者、のようになっていた保は、相当ダメージを受けたらしい。さすがにやりすぎたか?と思いながらも、月夜は笑いながら声をかける。

「大丈夫か?」

「あいたたた・・・だ、大丈夫です」

打った腰をさすりながら、よろよろと保は立ち上がり、そこで初めて月夜と目が合った。笑っている月夜の瞳には、保に対しての敵意や憎しみなど一つとしてない。仲の良い友達をからかったような、そんな無邪気な瞳だった。そんな月夜に影響されたのか、今まで緊張して硬くなっていた保の表情に自然と笑みがともる。

「やれやれ、ようやく堅苦しい顔じゃなくなったな」

「ごめんなさい、気を、遣わせちゃったみたいですね」

実際のところ、月夜は気を遣ったわけでもなかったがまさか、面白かったから、と言うわけにもいかず、多少の罪悪感から目をそらした。

「あーあー、で、お前は体の方とか大丈夫なのか?」

目をそらしたまま、月夜はそう尋ねる。

「はい・・・どうやら、無傷だったみたいです」

保もまた、月夜に対して罪悪感を感じていたが、それでも月夜から視線を外さずにそう言った。

「それなら良かった。お前が死んでちゃ元も子もないからなぁ」

ようやく保に視線を戻し、苦笑しながら言う月夜に、保は頭を下げた。

「ごめんなさい・・・」

「何謝ってんだ?」

月夜は、謝られる覚えはない、とでもいうように、純粋にそう聞いた。保は頭を下げたまま、弱弱しく言う。

「僕のせいで・・・月夜さんが、その・・・」

「あー・・・」

月夜は、どうしたもんか、と思いながらやたら真っ白な天井を仰ぐ。どうせならその間のことは忘れておいて欲しいと思っていた月夜だったが、ことはそううまく進んでくれなかったようだ。元より、保の様子がおかしい時点で月夜は気づいてはいたのだが、一縷の望みを捨てる気にはなれていなかったのだ。

「あれは仕方ないことだと思うぞ。お前の意思じゃなかったわけだし」

それに、と月夜は続ける。

「そういう類のは慣れてるんだ。何より俺は死なないしね。だからお前に怪我がなきゃいいんだよ」

月夜はそう言い切った。例え狙われることに慣れている人間でも、自分を本当に殺す気でいた人間を目の前にそんなことを言ってのけられるのは、月夜がそれだけ修羅場をくぐっているのと、そして、ただ純粋に優しいからだろう。

「でも・・・でも、僕は・・・!」

しかし、保は一歩も譲ろうとはしない。月夜を殺す命令を強制されたと分かっていても、結局それを行ったのは保自身なのだと、彼は理解していたからだ。

「気にすんなって、お互い無事だったからいいんじゃないか?実際俺もこんなところに入院させられてるけど、体は至って健康、怪我なんざどこにもないぜ?」

ほれほれ、と首を左右に振ってみたり、腕を回してみたり、と月夜は元気な証を見せる。自分が殺されかけたことよりも、月夜は保の落ち込んだ顔を見る方がよっぽど胸を抉った。

「でも・・・」

それでもまだ、納得しない保に月夜はため息をついた。どうすればこの堅物を納得させられるのだろうか?と月夜は思い悩む。

「んー・・・じゃあこうするか?俺がこれから、お前を殴る。もちろん思いっきりな、それでチャラだ。やられたからその分やり返す、間違っちゃいないと思うけど?」

悩んだ末にそう提案した月夜だったが、本気で殴るつもりは毛ほどもなかった。それは言わば一つのけじめ、それを保にとらせることによって、もやもやした物を全て終わらせる、月夜はそういうつもりだった。

「でもそれじゃ・・・僕がしたことと全然つりあいがとれないじゃないですか!」

保のまじめな性格は、こういうところでは損な性格かもしれない。そんな保の気持ちを逆手にとって、月夜は言う。

「つりあいとったら死ぬぜ?そうしたら、俺がお前を助けた意味もなくなるだろ?」

う・・・、と保は言葉に詰まる。そして、月夜はとどめとばかりに、追い討ちをかける。

「大体から、お前が俺に負い目を感じてるって言うのなら、俺の気持ちや発言が優先されるのは当然じゃないか?」

まじめな保は、この言葉で反論出来なくなったようだ。それでもまだ、納得できない、というように表情を沈ませている。月夜は立ち上がり、そんな保のそばまで歩く。

「目、瞑った方がいいぞ?舌噛むなよな」

そう言った後、月夜は軽く腕を後ろに寄せる。いつでも殴れる、という月夜の意思表示に、保は立ち上がって目を瞑った。震えることなく、怯えることなく、自分がした罪を償うように・・・保は、強かった。保のそんな姿を見て、月夜は手加減することの愚かさを知った。ここで手加減したら、保を侮辱することになる、そう思った月夜は、一度だけ深く息を吐き、そして・・・保の左頬を殴り飛ばした。ガッ、と鈍い音がして、保が後ろに吹っ飛び、床に背中を強かに打ちつける。

「はぁ・・・これで、チャラだな」

殴られた保も痛いが、もちろん素手で殴った月夜の方も痛い。遠慮なく本気で殴った月夜だったが、元より貧弱が服を着て歩いているような月夜の力じゃ、精々怪我をさせる程度で致命傷を与えることは不可能だった。

「・・・本当に、いいんでしょうか・・・?」

倒れたまま、仰向けで保は弱弱しく言う。死ぬようなものではないとはいえ、それなりの痛みがあることは赤く腫れた頬からよく分かる。それでも、保はまだ納得しきれていない様子だった。

「いいんだよ、結果オーライだ。大体から、お前は悪くないだろ?」

そう言いながら、月夜は倒れた保に手を差し伸べる。なら、誰が悪いんだろうな?と、月夜の中に虚しさのある疑問が浮かんだが、それは気にしないようにした。考えるだけ無駄、と、いつも訳が分からない内に問題ごとに巻き込まれている月夜はよくそれを理解していた。

「例え僕が悪くなかったとしても、僕があなたを殺そうとしたのは事実ですよ」

悲しそうな・・・何もない空間を見つめるような虚しさのある目で、保は月夜の手を見ながら、辛そうに呟く。

「・・・まぁ、そりゃそうだな」

そんな保の言葉を、月夜は否定しなかった。否定する理由も、なかった。泣いている子どものように、保は顔を歪める。

「けどよ、友達だろ?けんかすることもあるし、殴り合いすることだってある。仲違いして、友達をやめることだってあるかもしれない・・・でもな、けんかしても殴り合いしても、例え殺し合ったとしても、俺はお前と友達やめる気にはならないさ」

泣いている子どもを諭すような口調で月夜はそう言った。月夜が保の言葉を否定しなかったのは、否定する理由すらなかったのは・・・それが理不尽なものでも、受け入れられる覚悟があったからだ。ただ、友達として。

「だからさっさと、手をとれよ」

月夜の言葉に、保は涙を流した。胸に広がっていた罪悪感が、何か温かいものに塗りつぶされていくのを、保は感じながら、差し出されている月夜の手を握った。月夜は満足気にそれを見た後、保の体を引っ張って立たせようとした。しかし・・・非力な月夜は、その非力さ故に、少し強めに力を入れていた。そして、保は涙を流しながらも力強く立とうとした。結果、余った力は言うまでもなく、月夜の方に流れる。

「おわっ」

バランスを崩した月夜は、尻餅をついて後ろに倒れる。そして同時に、手をつないだままの保もそれに引っ張られ、倒れてきた。

「ぐぎゃ」

上から覆いかぶさるように倒れてきた保に、月夜は蛙が潰れたような声を上げた。

「あわわ、ごめんなさい!」

保が謝罪の言葉を述べた瞬間、病室のドアがノックされる。この時、とっさのノックに反応出来ず、動けなかったのを月夜は後々後悔する。

「月夜、入るよー?」

呆けたような表情でドアを見ていた月夜の目に入ったのは、楓の姿だった。学校帰りなのか、着ているのは高校の制服だった。

「って・・・あれ?」

楓は倒れている二人を見て動きが止まる。月夜はそんな楓を見て、冷や汗を流す。今のこの状況、保が月夜を押し倒したようにも見えるし、つないだままの手を見る限りじゃ、月夜が保を引き寄せて倒れたようにも見える。何にせよ、いまだ保が涙目だったため、あらぬ誤解を受けるのは必至だった。

「・・・・・・」

無言のまま、微かに青くなったり赤くなったりしている楓に、月夜はどう説明しようか迷った。保も状況を理解したのか、あたふたと慌てて口を開いた。

「こ、これは違うんですよ!偶然倒れてしまっただけなんです!」

月夜は頭を抱えたくなった。例えば浮気現場(のようなもの)を見られた人間が、必死で弁解してたらどう思うだろうか?まず間違いなく、疑惑はふくらむだろう。かといって、このまま月夜が黙っていても状況は悪化するばかりだ。

「決して楓さんが思っているようなことは何一つなくてですね、単なる友達の・・・えーとえーと、なんて言えばいいんでしょう?」

その証拠に、焦って説明していた保は、困ったように月夜に目を向ける。俺に聞くな、と月夜は言いたかったが、楓の目も保から既に月夜に向けられていた。

「・・・とりあえず、お前ら少し落ち着こうぜ?それと、いい加減この体勢直そう」

そう言いながら、月夜は保を引き離して立ち上がる。

(楓が誤解したまま逃げる、なんつうどこぞのテレビみたいなパターンにならなかっただけ、ましか・・・)

そう思いながら、月夜はため息をついた。



ベッドの上に戻った後、楓の誤解を解き終えた月夜はどことなく疲れた表情をしていた。色々片付いていない問題もあったし、何より楓が終始不機嫌だったため、月夜はいつもの数倍疲れていた。

「まぁ、そういうわけだ。ところで・・・」

月夜は今まで目を向けていた楓から視線を外し、椅子に座っている楓の隣に最初のように緊張して立っている保を見る。

「結局お前は怪我しなかったのか?俺みたいに、入院とか」

「僕は軽い検査だけで終わりましたから、どこも異常もありませんでしたし。一日で解放されましたよ」

じゃあなんで俺は入院させられてるんだ?と思いながら、月夜は保に続けて尋ねる。

「そういや、あれから何日経ってるんだ?」

月夜の質問に、保は指を折りながら数える。

「えーと、五日程ですね」

「・・・は?」

五日?悪い冗談だ、と月夜は嘆きそうになった。とは言っても、月夜自身五日なくなったからどうというわけでもない。実際、五日の間ぶらぶら学校行って、だらーと授業中寝て、家に帰ってきてもぼーっと過ごすだけの五日間。しかし月夜が望んでいるのは、そういう平凡なものなのだ。ありえないことに巻き込まれて、意識不明などという比較的ありえないもので五日を失ったのは、月夜にとっては痛手だった。

「五日・・・五日、ねぇ」

ぼやくように言う月夜を見て、保は心底申し訳なさそうな顔をした。

「まぁ仕方ないか、選択肢はいくらでもあったのに、それを選んだのは俺自身なんだからな」

そんな保に、月夜は軽く笑って言った。そんな月夜は、目の前にいる楓の不機嫌度が上がってることには気づいていない。

「あ、えと・・・とにかく、ごめんなさい。それじゃ僕は、もう行きますね」

楓の不機嫌オーラを感じ取った保は、焦りながらそう言う。

「ああ分かった。すぐ退院できると思うし、また学校でな」

月夜は軽く手を振る。保は軽く頭を下げ、そそくさと部屋を出て行った。それを見送った月夜は、ようやく部屋の空気が重苦しい物になっていることに気づいた。それの発生源が楓であることぐらい、鈍感な月夜でもすぐに分かった。

「えーと・・・楓?」

おどおどした調子で、月夜は楓に声をかける。月夜をただ黙って見ている楓の視線が、何か訴えかけている。

「・・・もしかして怒ってる?」

それは聞くまでもなかったが、沈黙が怖かったから月夜はそう尋ねた。

「・・・怒ってるに、決まってるでしょ?」

押し殺したような楓の声。ただその声色は、純粋に怒りだけが含まれているものではなかった。心配、不安、そしてそれ故の怒り・・・そういった類の、月夜を想う気持ちがそこにはあった。

「・・・ごめん」

それを感じ取った月夜は、ただ謝る事しか出来なかった。

「大体、月夜はいつもそう・・・何かあっても私に言ってくれないし、事後報告じゃ遅いんだよ?何も言われてないまま、何も聞かされてないまま、月夜がいなくなったら私はどうすればいいの・・・?」

苛立ちながらも、切なそうに寂しそうに、楓は月夜を責める。月夜は胸が張り裂けそうになりながらも、ただ黙ってそれに耳を傾けていた。

「確かに私は弱いよ、何も出来ない。でも私だって、月夜を支えたいんだよ?出来ないからって、何もしてあげれないなんて、私は絶対嫌だから・・・」

楓はノックをした後月夜の反応を待たずにすぐ入ってきた。それから分かるように、月夜が五日間意識を失っていた間、足繁く通っていたのだろう。制服姿のままなのは、学校には行っているものの、月夜のことが心配でたまらないから学校からそのまま来ているのだろう。月夜は、それが分かってしまった、それを分かってしまったからこそ、胸が苦しくなった。そして同時に、嬉しさでいっぱいになった。

「ほんと、ごめんな・・・」

それでも自分の口から出てくるのはそんなちっぽけな言葉だけで、嬉しい気持ちも、辛い気持ちも、伝えたい気持ちをうまく言うことが出来なくて、月夜は情けない気持ちになった。だからこそ、月夜は立ち上がった。言葉に出来ないならせめて、行動であらわせば良い、そう月夜は思ったからだ。あまりにも辛そうな顔をしている楓を、月夜は前から抱きしめる。座っている楓の首に腕を回し、苦しくないように強すぎず、不安にさせないように弱すぎず・・・それで気持ちを伝えるように、月夜はただ、優しく抱きしめた。

「ん・・・」

楓は別段抵抗せずに、月夜の背中に腕を回し抱きしめ返す。楓の体は微かに震えていた、その様子は、何かに怯える子どもが親に抱きつくような、そんな光景を連想させる。

「言い訳はしない、俺が楓を不安にさせたのは確かだから・・・」

だからこそ、月夜は楓を安心させたかった。月夜は本人が言うように馬鹿だ。それは頭が悪いとか、生活能力がないとか、そういった類のものではなく、誰かに心配をかけたくないから、問題ごとを誰かに言わない。一人で背負い込む馬鹿だ。これからも、月夜は楓を不安にさせ、心配かけさせることになるだろう、それでも、と月夜は思う。不安にさせてしまったのが自分なら、その不安を取り除くのも自分の役目だ、と月夜は心に決めた。

「いいんだよ月夜・・・私が勝手に心配して、不安になって、傷ついてるだけだから・・・」

誰かを心配して、傷つくのは自分勝手だ、と楓は言う。そんなことを言わせてしまう自分に、月夜はイライラしながらも楓に言う。

「俺が不安にさせといてなんだけどさ・・・そんなこと、言うなよ。俺は楓が心配してくれるのは嬉しい、でも、傷つく姿を見るのは嫌だ」

だから、と月夜は続ける。

「俺がそばにいる間は、絶対に不安になんてさせない。周りの誰にも、俺自身にも・・・」

させたくない、させない、月夜はそう力強く言った。楓の目に涙が浮かび上がる。この五日間、どれだけ彼女は不安になり、辛い思いをし・・・そして、心配していたのだろうか?それは楓にしか分からないことだったが、今、張り詰めた糸が切れたように、楓は泣き出した。

「・・・嘘つき・・・ばか・・・ばかぁ・・・」

楓の腕に力がこもる。月夜が意識を失っていた五日、たかが五日の間に感じた辛い気持ちを、もう感じたくはない、というように、もう話したくない、というように、楓は強く、強く月夜を抱きしめた。

「ごめん・・・ごめんな・・・」

月夜はそう言うことしか出来ない。しかしそれでも、楓を抱きしめる腕は力強く、そして楓を安心させた。



二人がどれだけそうしていたかは分からない、しかし気づくと、窓から差し込んでいる太陽の光は、夕暮れのそれに変わっていた。

「そろそろ・・・面会時間も終わりだし、私、帰るね」

話したいことや、今回のことで説明したいことは山ほどある月夜だったが、さすがに面会時間が過ぎるのはまずいと思い、仕方なしに頷いた。

「うん、まぁさっきも言ったようにさ、すぐ退院できると思うし・・・積もる話は、またその時にでも」

お互い名残惜しそうな顔をしてはいたが、時間は今しかないわけではない。二人はそれをよく分かっていたため、残ることも引き止めるようなこともしなかった。

「それじゃ・・・またね」

「ああ、またな」

楓が部屋から出て行く様を見送った後、月夜はため息をついた。情けなさや切なさが混じるそれには、同時に嬉しさや喜びや混じっていた。

「さて・・・何するか」

月夜は楓が座っていた椅子を片付け、ベッドに戻る。そういえば腹が減ったなぁ・・・、と嘆息しながら、楓の料理が食べたい、と呟いた。一面真っ白だった部屋は、今は夕焼けの赤に染まり、なんともいえない奇妙な色をしている。元が真っ白なだけあって、陽が当たっている部分は真っ赤になり、どことなく血液を連想させる。

「しかしまぁ・・・ほんと、悪趣味な部屋だよな。こんな部屋に入院させられたら、普通の人間なら余計体壊しそうだ」

再確認するように部屋中を見渡しながら、月夜は微かにイライラしながら呟く。無を強調しているような白、夕焼けに染まり血を連想させるような赤・・・この部屋の一つ一つが、まるで自分に対するあてつけのように感じられ、月夜の心を乱れさせた。

そんな風に月夜がやきもきしていると、病室のドアがノックされた。月夜が呼びかける前に、ノックの主はドアを開けて入ってくる。

「やぁやぁやぁ、相変わらずお元気そうで何よりだねぇ。夕食の時間だーよー」

入ってきたのは、いくつかの食器が載ったお盆を持った田宮だった。少し前に月夜にボコボコにされた割には、何やら上機嫌である。

「・・・普通さ、そういうのは看護師さんがやることじゃないのか?」

入院したことのない月夜にはそういった経験はなかったが、常識的に考えれば大体それは合ってるはずだと月夜は思った。

「君は特別待遇だからねぇ、普通の患者なら僕だって看護師に任せるさ、だってめんどくさいし」

医者として不謹慎な言い方をしながら、田宮はベッドの上にお盆を置いた。そのやり方は、入院経験のない月夜にもあまりにも大雑把なやり方に見えた。

「って、おい!ベッドの上でそのまま食えってか?こぼれたらどうすんだ、大体からこれじゃ食べにくいだろ!?」

ぶちぶちと文句を垂れる月夜、それでも田宮は気にせずに、棚の横の椅子を開いて座った。月夜はため息をついたが、お腹が減っていたのでそれ以上追求するのはやめた。まずはご飯、と思い、上半身を起こした状態でお盆を太ももの上に載せ、食べ始める。体勢が悪いため、こぼさないように気を遣いつつ食べるご飯はあまりおいしいとは感じられなかった。

「そういえば、自己紹介がまだだったねぇ。僕としたことが、すっかり忘れていたよ、あっはっは」

月夜がご飯を食べる様を見ていた田宮は突然そう言い始めた。食べることに集中している月夜は、視線を軽く田宮に移したが、またすぐに目の前のお盆に向けられる。田宮はそれを気にした風もなく、続ける。

「僕は、田宮 田次(たみやでんじ)。一応副院長をやってるよ」

ぶーっ、と、危うく月夜は口の物を吹き出しそうになった。それを阻止するために、月夜は慌てて水を飲む。

「なんだねなんだねぇ、その反応は!」

ぷはっ、と水を飲んで一息ついた月夜は、田宮を見ながら怪訝な顔をした。

「副院長?あんたが?」

失礼な質問を、月夜はした。だが実際、目の前の医者が副院長には到底見えなかったのだから仕方がないのかもしれない。むしろ、こんなのが副院長でこの病院大丈夫か?とまで、月夜は思う。

「失敬な、僕はこう見えても腕は確かなんだよ?大体から、国にとって重要人物である君に、普通の医者が付くとでも思っているのかい?」

田宮が言っていることは、確かにもっともだった。

「本当は院長がやるべき仕事なんだけどねぇ・・・彼は今、忙しくて病院を空けているんだよ。おかげで僕が、君の担当医兼お世話役といった感じさ」

要は仕事を押し付けられた、といった感じなのかもしれないが、田宮はそれが悪いことだと感じていない様に見えた。

「僕としては、嬉しい限りなんだけどねぇ。漆黒の悪魔と恐れられた君と、こうして話すことが出来るんだから」

田宮のその言葉に、月夜は手を止めた。その名前を呼ばれたのは久しく、そして不本意だった。

「黙れ、俺をその名前で呼ぶな。八つ裂きにされたいのか?」

本音半分、脅し半分で月夜はそう言った。アメリカで呼ばれていたインフィニティという名前より、月夜はその名前を嫌っていた。漆黒の悪魔、幼い少年につけられる呼び名にしては、あまりにも程遠く、そして重苦しいものだった。

「まぁまぁまぁ、そうカリカリしない。一つの物事に対して、達人と呼べる程の人間になるなんていうのは本来すごいことであって、怒ることではないよ?まぁ君の場合、それが殺戮と破壊・・・」

そこで、田宮の言葉は止まった。いや、止まらざるをえなかった。人をはるかに超越した速度で、月夜は田宮の前に立ち、右手でその頭をつかんでいる。月夜はさほど力をこめているわけではなかったが、それだけでも普通の人間である田宮には、かなりの痛みがあった。

「黙れよ」

ピリピリと、月夜の体から、声から、肌を突き刺すような鋭い何かが放出され、田宮の動きを止める。ガシャン、と何かが割れる音が響いたが、二人はそんなものをまるで気にも留めない。

「いい加減、黙れ。それとも、黙らせて欲しいのか?」

ビリビリとしたもの、それは強い殺気だった。月夜が一言一言口にする度に、そのあまりにも強すぎる殺気によって、窓に、バギィ、と亀裂が入り、部屋が震え、部屋の中の真っ白い全ての物が、暗い暗い真っ黒な闇に塗りつぶされていくような気さえしてしまう。

「ひ、ひひひ。すごいねぇ、すごいねぇ月夜クン。その体が、仕組みがどうなってるのか、僕は調べたい、ぜひ調べてみたいねぇ」

そんな月夜を前にして、田宮は恐れるわけでも怯えるわけでもなく、まるで狂った科学者のように笑みを浮かべた。

「黙れって言ってんだよ」

ミシミシミシ、と骨が軋む音が部屋に響く。あまりの痛みに、頭蓋骨もろとも脳が潰されてしまいそうな感覚を、田宮は感じた。

「お前らみたいな人種が・・・てめぇらみたいな腐った連中が、多くの人を犠牲にするんだよ。分かってるのか?おい、分かってんのかよ!?」

恐怖の象徴とされている漆黒の悪魔月夜、しかし彼の叫びは、それとは真逆に位置するような、悲痛な叫びだった。

「あがががが・・・わ、悪ふざけが過ぎた・・・みたいだ、ね」

振り絞るように出された田宮の言葉に、月夜は少しだけ力を緩める。しかし、それでもまだ離す気にはなれない。

「悪ふざけ?お前は悪ふざけ程度で、どれだけ人を怒らす気なんだ?」

月夜の怒りに満ちた瞳は、それで言い残すことはないか?というような殺意の目だった。それに対し、田宮は慌てる様子もなく言う。

「違う違う、そこが悪ふざけなんじゃない・・・僕は医者だよ?人を殺すのが目的なんじゃない、人を助けるのが目的なんだ」

田宮が言っていることは、医者としては当たり前のものかもしれない。しかし、人としては立派なものだった。月夜は徐々に力を緩めながら、まだ何かを言おうとしている田宮を目で促す。

「目の前に助けられない人がいるのが悔しい、目の前どころか、今でも多くの人が亡くなっている国もあるんだよ・・・ならその全てを救うにはどうするか?そんなのは、到底人間には不可能だからねぇ、答えなんてないんだよ」

だからこそ、と田宮はいつになく真剣な表情で続ける。

「未知の者、君の体を調べてみたいと思うのは当然だろう?そこには不治の病を治す何かがあるかもしれない、そこには誰かを救える力があるかもしれない・・・可能性がわずかでもあるなら、それを試してみたいだろう?」

田宮の真剣な言葉を聞いて、月夜は顔をつかんでいた手を離した。少なくとも田宮が嘘をついているようには見えないし、月夜自身、国の上層部誰も彼もが戦争を望んでる、と思っていた自分に少しだけ恥ずかしさを感じた。

「どうも、勘違いしてたみたいだな・・・田宮っつう、医者をさ」

ばつが悪そうに言う月夜だったが、その口からは謝罪の言葉は出てこない。田宮の真意がどうであろうと、勘違いされる発言をしたのは田宮自身なのだから。

「職業柄、勘違いされたり糾弾されるのは慣れてるから、気にしないでくれると嬉しいねぇ」

悪意の全くない田宮の言葉に、月夜はすっかり毒が抜けてしまった。疲れた、といような表情で、月夜はベッドに戻り、いつもの上半身を起こしたままの格好になる。

「つか、俺をからかうとか、結構命知らずだな」

その言葉には威圧や脅してる、といったものは含まれていない。呆れながら、田宮の無謀ともいえる行動に、ただ感想をもらしただけだった。

「いやぁ・・・ねぇ?ただちょっと試してみたかっただけだねぇ。君がどういった人物なのか、知っておきたかったしねぇ」

その口調に今までのからかっているようなものはなく、どちらかといえば、申し訳ない、といった感じだった。そんな田宮の気持ちを汲み取った月夜は、やや自嘲気味に言う。

「別に、俺も気にしないけどな。何万何十万と、人を殺戮して来た人間、だからな」

その言葉自体に真実味はなくても、それははっきりとした事実だった。

「僕はそういうつもりで君を試したわけじゃないんだけどねぇ・・・いや、悪いねぇ。やっぱり、僕にはそういう気持ちがあったんだ」

田宮はそれを否定しなかった。事実だから否定出来なかったわけではなく、今の、あまりにも切なそうで寂しそうな月夜に対して、否定すること自体が意味のないことだと、田宮は思ったからだ。

「・・・けど、君が単なる兵器じゃなくて、僕としては嬉しいねぇ」

田宮の純粋な言葉、しかし、純粋故にその裏にある黒い何かが見え隠れしたような気がした。

「どういう意味だ?」

「察しがいいね君は・・・なに、上からちょっと色々命令が来ててねぇ。それもこの国だけじゃなく、色々なところからね」

不穏な空気を感じさせる田宮の言葉に、月夜は黙って続きを促した。田宮は、説明しづらい、といった感じで、話し始めた。

「今、色々な国が疲弊しているのは君も知っているだろう?この国とアメリカが特にひどいんだけど・・・参戦しようとしてしそこなった国も、実は色々問題を抱えてるんだよ」

田宮の一つ一つの言葉を聞き逃さないように、月夜は沈黙を保ったまま耳を傾ける。

「元々あった国民の火種が爆発したところがいくつかあってねぇ・・・無理もないよ、誰も好き好んで自国が戦争に参加するのをよしとするわけがないんだからねぇ」

辛そうな田宮の言葉に、月夜は絶句した。沈黙、ではなく、絶句。月夜の中に、苦い何かが広がっていった。

「他国との戦争が回避されても、自国内で小規模なクーデターが起きてる。それは珍しいことでもないんだけど、なんか、おかしな話だと思わないかい?」

田宮が言っていることは確かにおかしかった。世界を巻き込む戦争が回避されても、規模が小さいとはいえ、結局そのせいでどこかで戦争が起きているのでは、ある意味本末転倒といってもいいぐらいだ。月夜の唖然とした表情を肯定と受け取った田宮は、更に続ける。

「まぁそんなわけで・・・色々あってねぇ。その世界戦争を止めたとされる本人、君が危険視されてるのさ。今、力を失ったこの国とアメリカ、その他の大小国家が、形だけとはいえ同盟を組んでいる。そして君は、その中で一番危険視されてるんだ。全てを破壊出来る君の力、常識の通じない大きすぎる力・・・ほとんどの国は、それを恐れてる」

「なんだよ・・・それ」

月夜は、誰に対して怒りをぶつければいいのか分からない。兵器として作られ、用済みになれば捨てられ、捨てられて尚、普通の生活を望むことすら許されない。そんな自分を取り巻く環境に、月夜はそう呟くことしか出来なかった。

「実のところ、君が意識を失ってる間に殺せ、とまで言われてたんだけどねぇ・・・僕としては、君と話してからでも遅くないと思ったんだよ。まぁ話をする時点で、君は起きてしまっているから、君がどんな人間であろうと、僕は命令を達成をすることは出来ないんだけどねぇ」

田宮が月夜を試すようなまねをしたのはそれが原因だった。人を殺すことをためらわない、人を殺すことに何も思わない、もし月夜がそんな人間だったら、田宮は月夜が起きているという無謀な状態でも、おそらく殺そうとしただろう。例え、自分が死んだとしても。だからこそ、そんな風に思える人間だからこそ、田宮は医者なのだ。

「・・・けど、話をして分かったよ、君は普通の人間だ。どこにでもいるような、誰かが傷つくのを、死ぬのを許せない、普通の高校生だ。だから僕は、君の味方になろうと思う」

田宮の決意あふれるその言葉に、月夜はつい涙が出てしまいそうになった。月夜がして来たことを知っている人間ならば、そのほとんどは、罵るか、恐怖に怯えるか、殺そうとする人間ばかりの今のこの状況で、田宮は確かにそう言った。国を敵に回してでも、普通の高校生の、味方になると言ってくれた。

「とはいっても、何が出来るわけでもないんだけどねぇ」

と、舌を出しながら田宮はばつが悪そうに笑った。

「・・・十分だよ、それだけで、俺には十分すぎる」

月夜も、自然と口元が綻んでいた。楓や保が認めてくれたのとはまた別種の嬉しさが、月夜の中にこみあげる。

「辛いかもしれないけど、君にはがんばって欲しいねぇ。何かあったら、僕に相談するといいよ。これでも医者だからねぇ、傷も心も治してあげようじゃないか」

「何うまいこと言ってんだよ」

笑いながら言う田宮に、月夜は笑いながらつっこんだ。それでも月夜の心の冷えた部分に、一つだけ腑に落ちない点があった。もし田宮が俺の味方になったら、田宮自身はどうなる?という、不安だった。しかし、田宮もそれを分かってはいるんだろうな・・・と、月夜はそれを口にはしなかった。

「さてさて、堅苦しい話は終わりにしようかねぇ」

肩がこったよ、と言いながら田宮は肩を回し始める。時刻は既に、九時を回っていた。

「ああ、そうだ。君を試したことで、一つだけ謝っておかなきゃいけないことがあるんだよねぇ」

田宮の言葉に、月夜は不適な笑みを浮かべて答えた。

「この部屋、だろ?」

「なんだ、バレバレだったんだねぇ。この部屋は一つの異次元みたいなものでねぇ。僕はともかく、慣れない人間が長時間ここにいると、発狂してしまうんだよ」

恐ろしいことを口にしながらも、田宮は淡々と続ける。

「音も光もない暗闇もさ、人間は長時間いると発狂するんだ。それの逆バージョン、ってとこかな。ここは音も光もあるけど、逆に見えてしまうからこそ、人としての存在が浮き上がる」

「でも、朱に交われば赤くなる。ここにいると、自分の存在がなくなるような・・・そんな感じだよな」

「君には効果なかったようだけどねぇ。説明する必要も、なかったみたいだしねぇ」

笑いながら言う田宮に、そうでもなかったなぁ、と月夜は嘆息した。実際、田宮と話してる間、月夜はすぐに感情が高ぶった。この場所は、感覚的にも視覚的にも、毒なのだ。普通の人間程ではないにしろ、月夜にも、確かに影響があったのは間違いではない。

「・・・で、俺をいつまでこんなところに入れておくつもりなんだ?」

月夜の質問に、田宮は意地の悪い笑みを浮かべた。

「別に、いつでも退院は出来るけど?元々君には怪我はないし、意識を失ってたから入院させていただけだしねぇ」

命を狙っていたから、というのを田宮は説明に入れなかった。本人が気にしているのか、それとも月夜に気を使っているのかは分からない。そんな田宮に、月夜は容赦も遠慮も愛想も何一つなく、言う。

「じゃあ、今」

さすがに田宮も苦笑しながら、それに答えた。

「せめて明日にしてくれると助かるねぇ」

そして、いやらしい笑みを浮かべながら続けた。

「そんなに早くあの子、楓さんだったかな?に会いたいのかい?・・・って、ちょっと・・・冗談、だよ?」

ゆらり、と月夜の周囲の空気が揺らぐ、目に見えない何かが動いているような、蜃気楼のような光景だった。焦る田宮に、月夜は冷静に、そして冷酷に告げた。

「・・・言い残すことは?」

「あは・・・はは・・・ほら、もう消灯時間だし、ねぇ?」

冷や汗を垂らしながら、田宮は一歩、二歩と後ずさる。しかし月夜は、無言で田宮を見ている。その瞳に、怒りの感情はない。ただ一つ、黒い殺意だけだった。

「や、やっぱり、部屋を変えた方がいいかな?君はすごく怒りやすくなって・・・ギャー!」

夜中にも関わらず、田宮は襲い掛かってきた黒い何かに絶叫した。今にも死にそうな田宮の声が、病院内に木霊した。それは後にこの病院の、七不思議の一つになったとかならないとか・・・。

やはり何かあった後は、ギャグ的なほのぼのさが必要だと思うんです。

シリアスに欠けるのはいつものことなので、気にしないであげてください

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