部活~青春は友情と共に~
月夜と楓が科学部に入部してから早一週間、決戦の場といっても過言ではない部活動説明会は、あと二週間と少しまで迫っていた。
「えーとですね、それじゃ今までで決まったことをおさらいしますね」
放課後、化学室に集まった四人、月夜と楓と保と太郎はこの一週間で話し合って決まったことを一度おさらいしていた。
「今のところ・・・こんな感じです」
進行役の保が、壁にポスターのような物を貼り付ける。横五十センチ、縦一メートル程のその紙には、見やすく無駄のない簡潔な文がいくつか書かれていた。
「見えます?」
一同を見回しながら言う保に、椅子に座っている三人は頷いた。文字は大きすぎず小さすぎず、見やすく必要なことだけ簡潔に書かれているポスターは、教科書みたいな感じだった。保のお手製らしい。
「それじゃおさらいしましょう」
保は制服のポケットから、少し太めで長さはシャーペン程の棒を取り出し、それを軽く一振りして伸ばす。三倍近くまで長くなった棒は、教鞭というよりは警棒といった感じの物々しさがあった。
「上から順に見ていきましょう。まずは、部活動説明会時に説明する人、これは楓さんになってます」
一番上に書かれた文を棒で指し示しながら、保は説明していく。
「うーん・・・今更だけど、私に出来るか、自信ないなぁ」
それが決まった後も自信がなさそうに困っていた楓は、この場でそう漏らす。
「大丈夫ですよ、ただ説明するだけですから。それに決めた時も言いましたけど、説明する人は楓さんが一番いいですよ。紅一点で華やかさがありますし・・・それに、可愛いですから、自信を持ってください」
女性に可愛いなんて言ったことがなさそうな保は、恥ずかしそうにそう言った。
「そ、そうかな?」
えへへ、とまんざらでもなさそうに楓は笑っている。そんな二人を見て、なんだかなぁ、と腑に落ちない月夜だった。
「えーと、続けますね」
コホン、と気を取り直すようにせきを一度した後、保は続ける。
「楓さんが説明する文は僕と太郎が作るんで・・・えーと、次は・・・何をするか、ですね。これが一番重要な点ですが、これはまだ正確に決まってません。何か実験するにしても、危ないことは出来ないので、色々考える必要がありますね。今出てる案は、花火・ペットボトルロケット・未完成機械人形・・・と色々ありますが、火気取り扱いは厳しいかもしれません。ちなみに去年は先輩方がみんなの前でマイクロカプセルを作って欲しい人に配ってましたね」
そこそこ盛況でした、と保は付け加えた。
「マイクロカプセルってなんだ?」
今まで黙っていた月夜が、そこで疑問の声を上げた。楓も同じ疑問を抱いてたらしく、ハテナマークを浮かべている。
「えーとですね、小石ぐらいの大きさで、宝石みたいにキレイな物なんです。アルカリ性と酸性を調べられるちょっとした面白い物ですよ」
へー、と月夜と楓は感心したように頷く。実際、実物を見たことがない二人にはそれが想像できてはいなかったが。
「今度作ってみましょうか。化学実験室にある物で、簡単に作れますから」
月夜と楓は、うんうん、と頷いた。
「じゃあそれは置いといて、続けますね」
コホン、と一区切りある度に、保はせきをしてから続ける。
「次は・・・あの先輩方のこと、ですかね」
あまり考えたくない、というように保は続ける。
「嫌がらせとかはさすがにしてこないと思いますが・・・新入部員が入ったらわざわざいじりに来そうな気がするんですよねぇ・・・」
重々しい溜め息を吐きながら、保は頭を悩ませながら言う。
「その辺は俺に任せてくれればいいよ。あのタイプは、一回脅せば手出してこなくなるだろうしね・・・精々引退、いや、卒業まで大人しくしててもらおうかな」
悪意のある笑いを浮かべながら、微妙に恐ろしいことを言っている月夜だったが、誰も異論を言う者はいなかった。それ程、科学部にとって浩二と鋭治はお荷物であり迷惑な存在だったからだ。
「えーと、じゃあそれは月夜さんにお任せするとして・・・そうですね、おさらいはこれぐらいですかね・・・太郎は特になにかある?」
「特にはないでござるよ・・・」
今まで黙って話を聞いていた太郎は、元気がなさそうに言う。
「元気ないみたいだけど・・・何かあったの?」
一週間前に太郎をボコボコにした保がそれを口にするのも変な違和感があったが、保の言葉には心配の気持ちがはっきりと読み取れた。
「・・・ほんと、なんでもないでござるよ・・・今日は体調が悪いので、これで失敬させてもらうよ」
では、ごめん、と言い残し、太郎はよろよろと立ち上がり部屋を出て行こうとする。
「太郎!何かあったのなら僕に言ってくれよ、友達だろ?」
太郎の背に、保はそう言葉を投げる。太郎は振り向かないで、辛そうに言った。
「みんなが科学部のために色々やってくれているのに・・・俺には何もすることが出来ない・・・それが、悔しいんだ」
太郎の言葉よりも、口調や一人称が普通だったことに月夜と楓は驚いたが、さすがに今の状況でそれにツッコミを入れる程馬鹿ではなかった。
「何言ってるんだよ!そんなことない、太郎だって頑張ってるじゃないか!」
何やら保の言葉にも熱いものが含まれている。二人の間には、月夜と楓が知らない色々な思い出やら何やらがあるのだろう。
「科学部を想う気持ちは強い、けど・・・だからこそ何も出来ないのが嫌なんだ!止めないでくれ!!」
これから戦地にでも突撃するような雰囲気で太郎は叫んだ後、ドアを開けて走り去って行ってしまった。
「太郎・・・」
力なくうなだれる保に、月夜は励ますように言う。
「今はそっとしておいたほうがいいんじゃないか?何かしたいのに何も出来ない、そういう気持ち、分かるからさ」
なぜか月夜の中にも、熱いものが生まれつつあった。
「月夜さん・・・」
「大丈夫、あいつも男だ。きっと強くなって帰ってくるさ!」
「僕・・・僕もがんばります!太郎が帰ってくるその日まで!」
今にも、ひし、と抱き合ってしまいそうな保と月夜を、楓は一人冷静に見ていた。男同士の青春ドラマみたいなノリに、いまいち楓はついていけていないようだった。だからこそ、現実でそれを目の当たりにしても、そういえばそんなテレビこの前やってたなぁ、と他人事のように思っている。
「えーと・・・話終わったのなら、私帰っていいかな?」
やる気がないわけじゃない楓だったが、違った意味で重い雰囲気に耐えられず楓はそう言った。
「んー?・・・今日は、話合うこととかあるのか?新倉」
突然素に戻った月夜には、今までの熱い何かはなかった。その切り替えの早さはすごいが、実際のところ月夜にとっては、保や太郎よりも楓の方が優先順位が高いだけに過ぎなかった。
「えーとですね・・・実は特にないんですよねー。今までの話し合いで、ある程度は決まってますし。後は何をするか、と、楓さんが読む文章ぐらいですかね」
保の切り替えの早さも十分過ぎる程だった。元より、保と太郎の間にはそんなことが日常茶飯事なのかもしれない。
「現役科学部として、その二つは僕と太郎に任せてくれればいいですよ。月夜さんにもお手伝いしてもらうかもしれませんけど」
「・・・月夜に任せたら、爆発オチがつきそうな気がするんだけど」
心配をしているのか嫌味を言っているのかどちらともいえないような声で、楓はそう言った。
「いやつーかさ、なんで俺=爆発だと思われてんの・・・?確かに化学は興味ないし何かする気もないけど、これでも勉強は出来るんだぜ?材料なんかなくてもちょちょいと力を使って小規模な核ゆうご・・・」
そこまで言って、月夜は楓の頭をはたかれて口を止めた。
「材料なくても、の時点で化学じゃないよね?というよりそんな物騒なこと言わないでよ」
月夜ははたかれた頭をさすりながら、
「冗談に決まってるだろー、ったく・・・相変わらず手出すの早いんだから」
とぶつぶつ文句を言った。さっきのきな臭い演技っぽさのある青春ドラマとは違い、二人は素で夫婦漫才をしているのだからある意味恐ろしい。
「相変わらずお二人は仲良いですよねー、羨ましいです」
保の言葉を聞いて、さっき、保が楓に可愛い、と言った時の保の表情を思い出し、月夜は思った。
(それは単に男女間で仲良いのが羨ましいのか?それとも楓と仲が良い俺が羨ましいのか?・・・まさか、その逆ってことはないよな・・・?)
楓の立場を羨ましい、なんて保が思ってた日には、月夜はその日の内に夜逃げするだろう。月夜にはその気は全くない。
「ああ、そういえばさ」
何かを思い出したように、月夜は保に聞いた。
「ここって科学部、なんだよな?化学部、じゃなくて」
月夜はそれをずっと聞こうと思っていたが、実際はどうでもいいことだったの聞くのを後回しにしていたのだった。ある程度とはいえ、落ち着いた今、その疑念が月夜の中には再度膨らんでいた。
「あれ?そうだっけ・・・?集まる場所がいつも化学室だったから、化学部だと思ってた」
頭をひねりながら悩む楓に月夜は、書いた入部届けに書いてあったじゃねーか、とツッコミたかったが、自分の疑問が優先されたため口は開かなかった。
「あ・・・えっと、科学部じゃだめですか・・・?化学部の方が良かったですか・・・?」
おどおどしながら、保は涙目で困ったように言う。
(そんな涙目になられると・・・なぁ)
まるで自分がいじめているような錯覚に襲われ、月夜も頭を悩ませながら言う。
「いや、そういうわけじゃないんだけど・・・ただ気になっただけで」
あー、月夜が新倉君泣かせてるー、と横でやかましい楓の頭をペチペチ叩いて黙らせながら、そう口にした。
「・・・月夜さんは、化学と科学の違いを知っていますか?」
保の質問に、月夜は軽く頭をひねらせた後、答えた。
「科学は一定の目的の元に、様々な研究や実験をする。化学は分子や原子、それらに着目し、その構造や性質、その構成の変化をなどを取り扱う。簡単に言えば、科学は幅広い学問、化学は科学の中の自然科学に分類される学問・・・人間と日本人の関係、みたいなもの、だろ?」
月夜の辞書から取り出したような説明を聞いて、保は頷き、楓は目を回していた。
「そうです、科学は幅広く、化学は狭く・・・といっても、化学自体の幅も人からしたらとても広いものですが」
「だなぁ・・・で、結局、その違いと科学部である理由に何か関係あるのか?」
月夜の疑問に、保はしばらく動きを止めた後、深刻そうに首を振った。
「いえ、実は全然関係ないんです」
「ちょ、ちょっと待て。じゃあ何か、お前は意味も関係もない説明を俺にさせたってのか!」
月夜はそう怒ったものの、保が深刻そうな感じになっていることが気にかかった。隣には、いまだに目を回している楓がいるが、もはや月夜はそんなことを気にしてはいない。
「・・・で、本当のところ、どうなんだよ?」
言いたくない、表情がそう物語っている保を、月夜は促す。何か重大なことでも・・・と勘ぐる月夜は、保から視線を外さずに言葉を待った。
「・・・実は、ですね」
ゴクリ、と月夜は唾を飲み込む。保の深刻さは、場の雰囲気を緊張させるには十分すぎるほどだった。
「科学部を作った過去の先輩方が・・・化学と科学の漢字を間違えて提出してしまったらしくて」
月夜はこけた。昔の漫画のように、ドテッ、とか、ズルッ、などの擬音が似合いそうな見事なこけかたをした。それ程、保の口から出てきた言葉はどうでもよく、そしてくだらないものだった。
「お、お前なぁ・・・」
「何も言わないで下さい!こっちとしては身内の恥を晒しているようなものなんですから!!」
必死な保を見て、月夜は不憫になった。おそらく保も、月夜同様に最初はこけたのだろう。しかし、当の部に入っているからには、それは笑い話ではなく恥ずかしい話になっていってしまうのも無理はないのかもしれない。
「な、なんだかなぁ・・・まぁ、いいか」
実際どうでもいいことだったので、月夜は話を適当に流し、立ち上がる。
「それじゃ、どうでもいい話も聞けたことだし・・・帰るか・・・っておい、いつまで目回してんだお前は」
隣には場の雰囲気に飲まれることなく、いまだ目を回している楓がいた。楓の頭の上には、化学と科学という漢字がくるくる回っているような、そんな幻覚を月夜は見た。その言葉を追い出さなければ、いつまでも楓はクルクルしていそうだった。月夜は溜め息をつきながら、楓の頬をペチペチと軽く叩く。
「きゃ!・・・あれ?」
はっ、と目を覚ましたように、楓は月夜を見る。男子に密かに人気があり、実は学年で五本指に入ると噂されてる楓だが、今の間の抜けた顔からはそれは全く以って想像不可能だった。
「いつまで呆けてんだお前は・・・帰るぞ。また放課後、ここに来ればいいか?」
前半は楓に、後半は保に向けた言葉だった。
「はい、特に話し合うこともないですけど・・・」
保の言葉は、いまいち危機感というものに欠けていた。保にとって大切に思っている部がなくなるかもしれないのに、保がそんなのんびりとしていられるのは、ただ単に大物なのか、それとも案外どうでもいいと思っているのか、もしくは月夜や楓を信頼してのことなのか、それは誰にも分からなかった。だからこそ、月夜はついそれを口にしてしまった。
「新倉さ、お前不安じゃないのか?俺から見る分には、大切な部がなくなる、っていう、そんな危機感じみたものが感じられないんだけど・・・」
月夜の言葉に、楓も月夜から保に視線を移す。保はしばしポカーン、とした後、何かを想うように微笑んだ。
「確かに不安はありますよ?でも、大切なのは部が在ることじゃなくて、それに関係する大切な時間が有ることでしょう?もしなくなってしまったとしても・・・月夜さんと楓さんが手伝ってくれたその時間は、消えてなくなったりしませんから」
先輩達や太郎との思い出も、そうですよ。と、保は屈託のない笑顔を浮かべた。聞き様によっては暗に、部活がなくなっても仕方ない、と言っている保だったが、その言葉は月夜と楓の胸に響くものだった。
「・・・そっか、そうだな」
「そう、だよね・・・うん」
二人は驚きのあまり、言葉をなくしてしまい、ただそう言うことしか出来なかった。しかし、保は何か勘違いしたらしく、
「・・・もしかして僕、何かおかしなこと言いました?そうですよね・・・折角手伝ってもらってるのに、そんな、なくなっても、みたいな言い方されたら怒りますよね・・・」
と、何やら一人悲しそうに呟いている。保の天然によるギャップの激しさに、月夜と楓はつい吹き出してしまった。
「な、なんで笑うんですか!」
保にそう言われても、二人はついつい笑いがこみあげてしまった。
「わ、笑わないで下さいよ・・・つーか、笑うなつってんだろー!」
一瞬の合間に眼鏡を取り去り、口調を荒げて保は月夜に蹴りを放つ。保の瞳は一週間前と同じく、鋭くなっている。
「まぁまぁ、落ち着けよ」
月夜はいまだ笑いを押し殺しながら、飛んできた蹴りをなんでもないように片手で止め、なだめるように言う。
「別に悪い意味で笑ってたわけじゃないんだからさ」
月夜の言葉に、保は我を取り戻したように、はっ、とした顔をしてすぐに足をおろした。そして、すぐに土下座でもしそうな勢いで頭を下げる。
「ごめんなさい、またやっちゃいました!」
「すごい変化だよねー・・・個性的だね」
楓の褒めてるのかけなしてるのかどちらとも言えない言葉に、保は恐縮して小さくなる。
「ま、楽しければなんでもいいんじゃないか?そういう思い出が、大切なんだろ?」
笑いながら言う月夜に、保は頷いた。照れてるのか恥ずかしがってるのか、その表情は仄かに赤くなっているが、はにかんで笑っている。
「それじゃ、いい加減帰るかー」
「そだねー、結局長くなっちゃったね」
「長くしちゃってすいませんでした」
申し訳なさそうに言う保の肩を、月夜はバシバシ叩く。
「気にしない、友達だろ?」
「お友達だね」
保は少しの間黙った後、
「そう、ですね」
と笑った。それを見た月夜と楓は満足そうに頷いた後、じゃあ、またー、と言って、化学室を出て行った。後に残された保も、さてと、と言いながら、鞄を背負って化学室を出て行こうと・・・
「友達、ねぇ」
した瞬間、部屋に声が響き渡った。その声は男ようにも女のようにも聞こえ、大人のようにも子どものようにも聞こえた。
「だ、誰ですか?」
保はビクビクしながら、辺りを見回すが、人の姿は見えない。雑多に物がある化学室とはいえ、元々狭いため人が隠れられるようなスペースは存在してはいなかった。
「僕が何一つ得られなかった物を彼は持ち、僕がたった一つ望んだ物を君は持っているんだね」
凛とした、透き通る声は部屋に響く。保は恐怖のあまり、部屋から逃げ出そうとしたが、まるで接着剤で塗り固められたかのように、足は動かなかった。
「羨ましいと思う、妬ましいと思う・・・うん、そうだね。スタートを飾るのは、君が良いかもしれない」
凛とした、透き通るきれいな声・・・しかし、その声には、聞く者を恐怖に陥れるようなおぞましさがあった。
「な、なにを・・・うあっ・・・!」
抵抗も出来ないまま、怯えながら震えている保の体が、一際強く、ビクン、と震えた。何かが、脳に侵食してくるような感覚・・・おぞましいという言葉すら可愛く思えてしまう程の戦慄が、保を包み込む。
「怖がることはないよ、そう・・・全ては、」
その声が最後まで言わなかったのか、それとも、先に自分の意識が失われたのか、それすらも分からないまま、保の意識は急速に遠のいていった。
二週間後、部活動説明会も間近に迫り、学校の門や入り口付近では科学部以外にも必死になっている部が多く見られるようになってきた。普通に紹介が書かれているチラシを配っている者もいれば、変な格好でパフォーマンスをしている者もいる(教師に見つかって指導されてる者も多数いるが)。
「他の部も色々大変なんだなぁ・・・」
登校する度に過激になっていく人々を見ながら、月夜は他人事のように呟いた。
「そんなのんきなこと言ってる場合じゃないでしょ?」
月夜の隣を歩いているのはもちろん楓だ。楓もまた、月夜同様に様々な部のパフォーマンスを見ていたが、月夜の言葉を聞いてそれに言葉を返した。
「そうなんだけどなぁ・・・肝心のあいつが来ないんじゃ、俺らに出来ることなくね?」
肝心のあいつ、とは保のことだ。二週間前から、保は一度も学校には来ていない。かと言って、別に行方不明というわけでもない。要は、体調を崩して休んでいるのだ。二週間前に保の身に何が起きたのか知らない月夜と楓は、大事な時なのに、とよくぼやいている。
「そうなんだけど・・・でもこのままじゃ、うまくやることなんて出来ないよ?説明の時に使う原稿とか何をするかとか、鳥沢君もがんばってくれてるけど、やっぱり一人じゃ大変みたいだし・・・」
楓の言葉を聞くと分かるように、実は月夜と楓は何一つしていない。科学部に入ってから三週間ほど経つ二人だが、部活動の時間にほとんど雑談や話し合いばっかりしていたため、科学部らしい行動は何一つとしていない。科学部、と一言で言っても、実際普段どんな活動をしているのか分からない二人には、紹介などが出来るはずもなかった。
「うーん、鳥沢は大変そうっていうか、あいつ自身大変な奴っていうか・・・」
月夜は二週間前、去っていった後の太郎を思い出す。なんのことはなく、次の放課後にはしっかりと化学室にいた彼だが、なぜか背中に丸めたポスターを身に付けていた。なんとかサーベル、とか言っていたが、月夜には全く理解不能だったので覚えてすらいない。しかも、保がいないため色々煮詰まりだした彼は、そのポスターを振り回して何やら叫んでいた。正直、痛い人物だ。
「まぁ仕方ないのかもしれないな。新倉はああ言ってたけど、本当のところ、鳥沢も新倉も科学部がなくなるのは嫌なんだろうし・・・」
そこまで真剣に打ち込むことが出来る何かがある二人を、月夜は純粋に羨ましいと思った。今まで月夜がやって来たことは、ただ周囲の環境に流され、やらなければいけない、という積極的とは言いがたいものだったからだ。少なくとも、月夜自身はそう思っている。
「じゃあ、月夜はどうなの?」
「ん?」
「月夜は、科学部がなくなったら嫌じゃないのかな?」
んー、と月夜は考える。楓の質問に、嫌だ、とはっきり答える理由は月夜にはない。しかし、それでも月夜はしっかりと答えた。
「嫌だな。科学部がなくなることよりも、あいつらが大事に思ってるものがなくなるのが、俺は嫌だ」
月夜の言葉に、楓はくすくすと笑う。月夜が怪訝な目を向けると、楓は笑いながら言う。
「月夜、変わったね。前は人間関係が苦手で、そんな風にすることもなかったのに」
「そうか?」
月夜は口ではそう言いながらも、確かにそうかな、と思った。楓やランス、茜やリミーナ、家族とも言える彼・彼女らが困った時はすぐにでも手助けはしていた。しかし、他の人間に対して月夜は消極的だった。利樹や紫はともかく、出会って間もない誰かのために、月夜がそんな風に思うのは初めてと言ってもいいかもしれない。
「俺も変わった、ってことかな?あんまり、自覚はないんだけどなぁ・・・」
「月夜は何一つ変わってないと、私は思うけどね」
「は?」
先ほど言ったことと全く逆のことを言っている楓に、月夜は間の抜けた声をあげる。
「なんでもない・・・なんでもないよ。今日は新倉君、来てるといいね」
照れくさそうに言った後、場を流すように話を変えた楓は怪しかったが、月夜は、まぁいいか、と気にしなかった。
「来てるといいなぁ、時間もないし・・・問題なさそうだな」
そうぼやきながら教室に入った月夜は、数十人の生徒の中から目当ての人物を見つけ、安堵したように言った。
「よう、体調の方は大丈夫か?」
月夜は保に近づき、そう聞いた。
「二週間も休んでたから、心配してたよー」
月夜の隣に並ぶ楓も、保に声をかける。
「あ、お二人とも・・・おはようございます」
当の保は、元気がなさそうに返す。目の下には隈があり、その表情にはどことなく生気が感じられない。見る者にまるで骸骨のような印象を与える保を見て、月夜は嫌な感覚が体を這いずり回るのを感じた。それは見た目がどう、とかではなく、月夜の本能そのものが、何か良くないことが起こる前の警告を鳴り響かせていた。
「うわぁ・・・新倉君、すごいやつれたんじゃない・・・?」
月夜と違い、危機的直感が人並の楓は、心配そうに尋ねる。
「大丈夫・・・です。あ・・・これ、原稿です」
よろよろと、今にも倒れてしまいそうな動作で、保は鞄からホッチキスで綴られた数枚のレポート用紙を取り出した。丁寧な字で見やすく、なおかつ分かりやすく書かれたそれは、相も変わらず教科書のような模範的な物を思わせる。
「多分・・・太郎が書いたやつも、あるでしょうから・・・それと合わせながら、形に出来れば、良いと思います」
それは保なりの謙遜だったが、彼が書いてきた物はそれ単体で十分完璧だった。
「体調悪いのに書いてくれたの?・・・ごめんね、私たちがもっとしっかり出来てれば良かったんだけど・・・」
申し訳なさそうに謝る楓に、保は微笑みながら言う。その笑顔は、すぐにでも壊れてしまいそうな程儚く、そして脆かった。
「いえいえ、巻き込んでしまったのは僕の方ですから・・・僕がもっと、しっかりしていれば、お二方にも迷惑かからなかったと、思います」
「そんなことないよ!迷惑なんかじゃないし、逆に何も出来なくて迷惑かけてるのはこっちのような気がするし・・・ねぇ、月夜?」
楓に話を振られても、月夜は何かを考えるように黙り込んでいた。
「・・・?どうしたの?」
楓が軽く揺さぶりながらもう一度話しかけると、月夜はようやく反応した。
「ん?ああ、悪い、聞いてなかった。何?」
「だから・・・私たち」
「おい、お前らいつまで喋ってんだ!そこの二人はさっさと席に着け!」
いつの間にか教卓に立っていた担任が、三人を怒鳴りつける。話し込んでいる内に朝のホームルームの時間になっていたようだ。周囲の生徒の視線を感じながら、
「すんませーん」
「ごめんなさい」
と言いながら月夜と楓の二人は席に戻っていった。
(なんだろうな・・・嫌な予感がする)
授業中、珍しく寝ていない月夜は、かといって真面目に授業を受けるわけでもなく、考え事をしていた。
(もし・・・もしそうだとしたら、俺はどうすればいいんだろう?)
それを考えたくはない、と月夜は目を逸らしたくなった。月夜が本能的に嫌な、ねっとりとしたものを感じる時は、大体何かしらの事件が付きまとう。変態男しかり、リミーナしかり、葉月しかり、ルシファーしかり・・・人間以外の特殊な力を持った生物と対峙した時、月夜は全てにおいてそれを感じていた。どことなく様子がおかしい保・・・彼からその嫌なものを感じたとするなら・・・。
(考えたくない、な)
自分の感じたものが間違いであることを、月夜はただ願うことしか出来なかった。
放課後、月夜と楓はいつものように化学室に赴いた。同じクラスの保が一緒ではない理由は、月夜と楓が紫と利樹とだらだら話をしていたからだ。
「ういっす」
「やほー」
ガラガラ、と化学室のドアを開けると、机には保と太郎が座っていた。相変わらず太郎はポスターを身に付け、保は死にそうな顔をしていた。
「遅かったでござるな。今日は保氏もいるんで、話が進むと思うでござるよー」
久しぶりに保がいるせいか、太郎はどことなく上機嫌だった。
「時間もないですし・・・休んでて、迷惑かけた分・・・がんばります」
上機嫌太郎とは果てしなく対極の位置にいそうな保は、弱弱しく言った。
「ほんとに・・・新倉君、大丈夫?」
楓は椅子に座りながら、心配そうに保の顔を覗き込む。いつもの月夜なら少しムッ、とし、いつもの保なら少し赤面するところだったが、今日の二人の反応は違った。
「大丈夫・・・です」
「・・・」
弱弱しくも保は気丈に返し、月夜は無反応で椅子に座った。
(間違いなんかじゃ・・・ない)
月夜が感じる嫌なものは、そこで予感から確信に変わった。先ほどよりも強く、不快なものが体を這いずり回る感覚・・・気持ちの悪い物が込み上げるのを我慢しながら、月夜は保に視線を向けていた。
「どうか・・・したんですか?」
月夜の視線に気づいた保は、怪訝な目を月夜に向ける。子犬のような、純粋さを感じさせる丸い瞳。今はそれに、禍々しい何かが渦巻いているような気がして、月夜はそっぽを向きながら答えた。
「いや、なんでもない」
おそらく保は自分の変化に気づいてはいない。だからこそ、月夜はなるべくそれを悟られないように気をつけた。
「・・・それじゃ、始めましょうか」
弱弱しい口調で保が言い、話し合いが始まった。
家に帰ってきた二人は、夕飯をつつきながらいつものように他愛のない話をしていた。
「・・・どうしたの月夜?今日、なんか様子がおかしいよ」
唐突にそう言い始めた楓に、月夜は困ったような表情を浮かべた。
「おかしいって、何が?」
月夜は演技が出来るほど、器用な人間ではない。それを分かっていながらも、月夜はなるべく表情に出さない様に、態度に出さない様に、極力注意を払っていた。保の前では一瞬一瞬に戸惑いを見せていた月夜だったが、普通の人間が見る分には、今の月夜はいつもの月夜に見えただろう。
「また何か、隠してるでしょ?」
しかし、いつも近くにいる楓には、月夜の些細な変化がよく分かったようだ。
「何も隠してないよ。もう近い部活動説明会のことで、色々悩んでるだけさ」
楓に嘘をつき通すことは不可能だと分かっていても、月夜はそう答える。楓に心配をかけないため、という理由もあるが、何より月夜自身、どうすればいいか分からないため、という理由があった。今までから考えれば、いつかの変態男やサーシャなど、元々普通の人間だった者が何者かによって力を与えられた時、大抵は月夜と対峙することになることを、月夜は理解していた。
(俺が・・・誰と戦わなきゃいけないだって・・・?そんなの、出来るわけがない)
そんな風に考える今の月夜にすら、表情や態度、仕草には一つとして怪しい点はない。それでも、楓は何かを感じ取っている。
「嘘つかないでよ・・・また、何か起きたの?」
心配そうな顔の楓を、月夜は見ることが出来なかった。見たら自分の不安を言ってしまいそうで、言ってしまったらそれが真実になってしまいそうで・・・。
「悪い、少し・・・考えさせて」
月夜は立ち上がり、逃げるようにリビングから飛び出して行った。不安な顔をしている楓だが、それでも後を追う様なことはせず、黙々と後片付けを始めた。リビングには、沈黙の寂しさがただ、流れていた。
月夜は自分の部屋の布団に寝そべり、ぼーっと天井を眺めている。そんな呆けた様子とは裏腹に、頭の中は考え事でいっぱいだった。
(今まで普通の人間だった新倉が、二週間という時間を空けて、違う生き物になっていた・・・)
混乱気味の頭で、月夜は一度整理をする。
(本人に変化は見られないけど・・・自覚してないのか?だとすると、争う必要はなくなりそうだけど・・・)
どんなすごい力を持っていても、本人がそれを自覚していなければ使いこなせるわけはない。また、それを使って何かをしようなどとは思わないはずだ。しかし、それは月夜の不安を消し去る材料にはならない。
(本人に自覚がなくても、その力を与えたやつが・・・何か良くないことを考えていたら、それを何とかしないと・・・)
悪い言い方をしてしまえば、保は力を与えられた駒の一つに過ぎない。本人が何も知らなくても、駒は使い手の道具にも武器にもなる。
(また問題事増えたな・・・日常以外での問題は、とにかくやめて欲しい・・・)
月夜は現実から目を逸らすように頭を抱えるが、それじゃ何も解決しないと、月夜自身よく理解していた。
(それにしても、今回の敵の目的はなんだ?どうせまた、世界を滅亡させる、とかほざく馬鹿野郎だとは思うんだけど・・・新倉である必要は、ないと思うんだけど・・・)
そこまで考えて、月夜は何かに気づいた。今までの不安やめんどくさそうな表情は一変し、怒りとも寂しさとも言えない負の念がこもった顔をする。
「結局・・・結論はそこか」
疲れた声で月夜は呟く。もし世界を滅ぼそうとするやつがいる、そいつにとって、一番邪魔な存在は、言うまでもなかった。
「俺が友達一人、殺せない男だと思ってるのか?」
その場にいない誰かを威嚇するように、月夜はそう吐き捨てる。それは本音ではなく、単なる虚勢だった。それでも、月夜はそう言わなければやるせなさに潰されてしまいそうだった。
「上等だよ、誰かの影に隠れて陰湿なやり方しか出来ないっていうなら・・・多少の犠牲を払ってでも、俺はお前を殺し尽くす」
凶悪な言葉とは裏腹に、その表情は今にも泣いてしまいそうな・・・幼い子どものようだった。
数日後、ついに部活動説明会の日となった。問題の本人である保は、今までの間特に何も行動は起こしていない。体調が悪いながらも、学校に来るようになってからは、短い時間をフルに使ってこの日のためにやること全てを終わらせていた。
「ついに来ちゃいましたね・・・やることは全てやり切ったので、少し不安ですけど、なんとかなると思いますよ」
体育館の舞台袖に待機している保は、目の下に隈を作り、疲労と体調不良で今にも倒れてしまいそうな雰囲気を醸し出しているが、その表情はとても晴れ渡っていた。
「これだけやってきたんでござる、大丈夫でござるよ、保氏」
保を取り囲むようにしている三人の内の一人、実験に使う道具が積まれた台車を片手に、太郎が励ますようにそう言った。しかし、その声は微かだが震えている。太郎も、やはり不安なのだった。
「絶対大丈夫だよ!新倉君も鳥沢君もがんばってくれたし・・・私が失敗しなきゃいいんだけど」
説明の紙を片手に持ちながら、保を励ますのは楓だ。これだけやってきたんだから大丈夫だよ、と絶対的な自信を持って言う楓だったが、自分がこれからやることには自信がなさそうだった。
「楓なら大丈夫だろ、そこは俺が保証するよ・・・まぁ、完全にうまくやれても、どうなるかなんて、誰にも分からないことだけどさ」
最後に、楓を励ましながらも、全員の不安を煽るようなことを口にしたのは月夜だった。彼らは今、出番待ちのために体育館の舞台袖に待機しているのだった。他にも数人の生徒がいたが、月夜たち同様に緊張しているのか、部内以外の生徒には目もくれてない。
「本当に・・・ありがとうございました。お二方が協力してくれてなきゃ・・・ここまですら、僕らは出来なかったと思います」
丁寧に、保は頭を下げて月夜と楓に礼を述べた。
「私たちは何もしてないよー、新倉君と鳥沢君が、一番頑張ってたじゃない」
「だな、結局はお前らの力だよ」
礼を言われた二人は、手をひらひらとさせながらそう答えた。それはお世辞でも建前でもなく、二人の本音だった。
「そんなことないですよ!月夜さんのおかげで、あの先輩方も何もして来ませんでしたし・・・楓さんは、いてくれるだけで場が華やかになりますし」
「私、それだと全然役に立ててないような気がするんだけど・・・」
しょんぼりと肩を落とす楓を尻目に、月夜は三日前のことを思い出しながら軽く頭を悩ませた。
三日前、月夜は問題になっている科学部の先輩、浩二と鋭治のところに赴き、引退するまで幽霊部員として大人しくしててください、と言いに行った。もちろん二人は、はぁ?と聞く耳を持たなかったが、月夜が殺気めいたものを放ちながら、一生入院生活続けたくないのなら来るな、と明らかな脅し文句を言ったら、二人は頷きながら、危険なものを感じ取りすぐに逃げて行ってしまった。
(少し・・・やりすぎた、かな?)
問題事を抱えている月夜は、いつもより不機嫌だった。それ故に、一般人にとってはトラウマになりかねない殺気を放ちながら、そんなことを言ってしまったのだ。
「どうしたん・・・ですか?」
自分を覗き込む保の顔を見て、月夜は我に返った。ばっ、と保から体を離すように二歩程身を引き、月夜は答える。
「いや、なんでもないよ」
自分のとっさの行動に軽い罪悪を感じ、月夜は保から目を逸らした。そんな月夜の挙動を気にすることなく、保は舞台の方に目をやり、
「あ、そろそろみたいですね」
と言った。
「よぅし、拙者、がんばりますぞ!」
「私も・・・ガンバルガンバル」
「意気込むのはいいけど・・・鳥沢はその口調やめたほうがいいんじゃないか?後楓、緊張のせいで微妙にカタコトになってるぞ」
月夜の指摘に太郎は困った顔をし、楓は恥ずかしさで顔を赤くした。
『はい、演劇部のみなさんありがとうございました。片付けが終わり次第、次は科学部のみなさんにがんばってもらいましょー!』
司会役の生徒がそう告げると、舞台の幕が下りていき、月夜たちがいる舞台袖の反対側の舞台袖から、片付けを手伝う生徒達がわらわらと出てきた。
「よし、僕たちも準備にかかりましょう!」
いまだ困ったような顔をした太郎、微妙に赤い顔の楓が、舞台に飛び出していく保の後ろに続いて行く。他の生徒とぶつからないように黙々と準備を進める三人を舞台袖から見ながら、月夜は溜め息をついた。今回、月夜はここでお留守番なのだった。
「何も、起こらなきゃいいけど、な」
保に対しての嫌な感覚を拭えないまま、更にその上を行く嫌な感覚が体を這う月夜は、心からの願いのように、そう呟いた。
『お待たせしましたー!それでは、科学部のみなさん、どうぞ!』
司会役の生徒がそう叫ぶと、下りていた幕が上がり、そこそこの拍手が鳴り響いた。
「初めましてー、私たちは科学部です!」
大勢の生徒の視線を感じながら、舞台の真ん中に立っている楓はマイクを片手に声を張り上げた。そんな楓を見た数十人の男子生徒は、盛り上げるように声を上げる。可愛い方に美人の楓は、やはり男子には人気が高いようだ。体育館は暗幕が張られ暗く、唯一光が強くよく見える舞台の上、というのが更に楓を輝かせていた。
「今日はですね、えーと・・・」
もう片方の手に持った紙に目を落としながら、楓は続ける。
「過酸化水素を使った光る液体の実験?をやりたいと思います!」
なぜ疑問形?という疑問を抱かせてしまう楓の言い方だったが、その天然っぽさは余計楓の魅力を引き立てていた。
「それでは、どうぞー!」
舞台の端に寄り、楓は部隊の中心に立つ二人を手で示した。楓と違い地味な男子生徒、保と太郎の登場に場は一瞬白けたが、そんなものなど関係ない、というように保は説明をしながら実験を進めていった。
「一応、こっちの方は大丈夫そう、かな?」
こっち、というのは部活動説明会のことだ。舞台袖で見守るように見ている月夜は、舞台に出ていないにも関わらず、緊張していた。
「それにしても・・・楓の人気はやっぱり高いんだなぁ・・・」
苦々しげに、月夜は呟く。本人は気づいていないが、意外と独占欲が強い月夜としては、男子生徒の歓声にちょっぴり怒りを感じていた。
月夜が不安げに見守る中、実験は着々と進んでいく。保が説明しながら試験管に何かを入れたり、それを太郎がかき混ぜたりしている。舞台の端っこに立っている説明役の楓は、なぜか興味深そうに黙々とそんな二人の様子を見ていた。
(そろそろ終わりそうだな・・・杞憂だったかな?)
そう思いながらも、月夜の表情は険しいものから変わってはいない。無事に終われば良い、と強く願っている月夜だが、同時に、無事に終わるわけがない、と本能的な何かが告げていた。
実験は既に最終段階に来ていた、保は混ぜ終わった試験管を持ちながら、
「舞台の電気を消してもらえますか?」
とマイクで指示を出した。それはすぐに伝わり、舞台の斜め上にある音響や照明をいじれる部屋にいる生徒が舞台の電気を全て落とした。元より暗幕で外の光を遮断されている体育館は、近くにいる人の輪郭が薄っすらと見える程度の暗闇に包まれた。それは完全な暗闇ではなく、しかしそれ故に、微かに何かが見えてしまうからこそ恐怖を抱かせる・・・そんな、暗闇だった。
ざわざわ、と体育館の中が少しだけざわつく、何をするんだ?という生徒の期待に答えるように、保はかき混ぜ終わった試験管に、スポイトを使って液体を注ぐ。そして待つこと数秒、今まで色がついていただけの液体が、薄っすらと光を放ち始めた。保が持っていた赤い液体の試験管は赤い光を、太郎が持っていた緑の液体の試験管は緑の光を、それは淡い輝きだったが、暗闇の中で見るそれは、神秘的とも言えた。それを見ていた生徒たちからは、すげー、とか、きれい、など様々な声がとんだ。その一つ一つの言葉を聞いて、月夜はこの部活動説明会が成功したことを感じた。しかし、そんな感動は、すぐに吹っ飛羽目になった。
ガシャン、と、保が持っていた赤い光を放っていた試験管が地面に落ちた。そして、苦しそうに保は体を丸めて、頭を抱え始める。何も見えない生徒たちは、突然の音に唖然とし、近くにいた太郎と楓は保に駆け寄ろうとする。
「大丈夫!?」
「どうしたんだ!保君」
「馬鹿!お前ら離れろ!!」
しかし、それよりも早く、二人と保の間に月夜が割り込んだ。なぜそうしたのか月夜自身にも分からない、しかし、突然自分を襲った気持ちの悪い感覚に、月夜は突き動かされていた。突然、サク、と、鋭利なナイフを何かに刺した様な音が、聞こえた。
「「え・・・?」」
暗闇の中、微かに見える光景に、太郎と楓は何が起きたのか理解していなかった。それは仕方のないことかもしれない、月夜自身、突然のそれに頭が追いついていなかったからだ。
「なっ・・・」
一呼吸置いて、熱く突き抜けるような痛みが、月夜の体に襲い掛かった。自分の体から何か生暖かい物が流れ出ていく感覚を感じながら、月夜は顔を下げて、自分の体に刺さった薄っすらとした物を見る。腹の辺りから、何か細い物が突き出ていた。
「あぁっ・・・ぅぁっぅ・・・」
月夜の後ろにいる保は、苦しそうな声を上げている。それは人のものではなく、獣のような声だった。
「つきや・・・さん・・・にげ・・・て・・・」
辛うじて吐き出された小さな呟きを聞いて、月夜は我に返った。今、自分がしなければいけないこと、それをするために、月夜は素早く動き始めた。背中から腹を突き抜けて出ている何かを無理やり引き抜き、月夜の前で呆然としている楓と太郎をつかんで舞台袖に放り投げる。きゃっ、うわ、と二人は声をあげたが、それを気にしている余裕は月夜にはない。何が起きているか分からず、呆然としている生徒たちも無視し、月夜は保に振り返る。
「新倉・・・お前、何があった?」
押し殺すような月夜の声、聞いても無駄だと分かっていても、月夜はそれを聞かないわけにはいかなかった。
「わから・・・うぁぁぁぁっ・・・ない・・・」
うずくまる保の体は、内側で暴れる何かによって痙攣している。
(ここじゃ・・・まずいな、俺はともかく、保は・・・)
自分の腹に穴があけられても、月夜は保のことを心配していた。今は暗くても、すぐに明るくなる恐れがある。まだ日常に戻れるかもしれない保を、生徒の目に晒す事によってもう戻れなくなってしまう事態を、月夜は恐れた。
「ほんと・・・厄介ごとばかりだな」
月夜は自嘲気味に呟きながら、うずくまっている保を片腕で担ぎ上げ、思いっきり上に向かって跳んだ・・・いや、飛んだ。体育館の屋根をぶち抜き、光に晒されながらも速度を緩めることはない。上空五十メートル程のところで月夜の体は一度止まり、落下しそうになるが、背中から現れた一対の黒い翼が緩やかに羽ばたき、落下を食い止めた。
「この辺なら見えても、問題はない、かな」
そう呟きながら、月夜は視線を保に移す。月夜の片腕を中心にくの字に折り曲がって担ぎ上げられている保は、苦しそうにビクンビクンと痙攣している。その姿は、人とは言い難かった。指についている十本の爪は、数メートルあり、その鋭さは肉食獣のそれに似ている。爪の一本が赤くなっているのは、先ほど月夜の体を貫いたからだろう。体中の血管は浮き出ていて、触れたら破裂してしまいそうな痛々しさがある。暗闇の中では見えなかった保の姿を見て、月夜は目を背けたい衝動に駆られた。
「さて・・・実際、どうすればいいんだろうな・・・」
月夜はどうすればいいのか、それが分からなかった。穴があいた腹を見れば分かるように、保は月夜を殺そうとしている。今はまだ辛うじて保としての意識が残っているせいか、それ以上の攻撃の素振りは見せないが、それも時間の問題なのかもしれない。
「・・・ううぅあぁぁぁ・・・」
苦しそうに呻く保、そんな姿を見ていると、月夜には彼を楽にしてやりたい気持ちが湧くが、それだけは絶対に出来なかった。しかし、もし保が今月夜を殺そうとすれば、月夜といえど無事ではすまない。どちらも一瞬で相手に致命傷を与えられるほど、二人は密着しているのだから。
「い・・・や・・・だ・・・ころせ・・・って・・・・・・あなたを・・・ころ・・・せって・・・そんなこ・・・と・・・したくない・・・のに」
何かに必死に抗うように、保は震える声で呟く。その言葉とは裏腹に、十本の鋭利な爪は、月夜の体を切り裂くために、振り上げられていた。それが振り下ろされれば、月夜の体の下半分はその鋭利な爪に切り裂かれるだろう。
「俺はお前を殺したくない・・・お前は俺を殺したくない・・・どうすれば、いいんだろうな」
そんな危機に瀕していても、月夜はひどく冷静だった。いや、冷静になって考えなければ助からない、と考える月夜だからこそ、努めて冷静だった。どんな状況でも、友達を殺せるほど、月夜は冷酷ではなかった。
(考えろ・・・どうすればいい?)
今の月夜には、逃げる、という選択肢はなかった。今なんとかしなければ、保は戻れない、月夜はそれを強く感じていた。
(力を無くす・・・?そういえば・・・)
そこまで月夜が考えた時、保の腕が振り下ろされた。緩やかに放射線を描いて、鋭い爪が月夜の片足を切断する。それでも、そんなものは月夜にとって致命傷にはならない。多少の痛みに頭が鈍りながら、月夜は考えることをやめない。
(あの時、俺はどうやった?あの時・・・どんな、気持ちで)
「・・・」
保はもう何も言わない。ただ、一度目で仕損じた月夜を殺すために、再度腕振り上げ、そして振り下ろす。その軌道は月夜どころか、自分ごと月夜の全てを切り刻むかのように振り下ろされていた。
「結局、賭けになるんだな」
月夜はそう言いながら、保を片腕で数十メートル上に放り投げた。振り下ろされていた爪が、その反動で月夜の額を浅く切ったが、それを気にせずに月夜は何かを念じる。心に、強く思い描く。新倉を、友達を、助けたい、そう強く願う。リミーナとの戦いの際、楓を貫いてしまった時と、月夜は同じ様に願う。あの時、瀕死の楓を助けるために発生した光は、同時に、リミーナによって力を与えられていた者たちを普通の人間に戻すことが出来た。月夜は、今この状況で、それをやろうとしていた。
上に放り投げられた保は、空中で器用に体勢を整え、両腕を高く振り上げ頭上から月夜を切り裂こうとしている。ただでさえ鋭利な爪は、重力が乗れば人どころかダイヤモンドですらあっさりと切り刻めるだろう。そんな凶器が上から迫っていても、月夜は念じることをやめない。ついに、保と月夜の距離は数メートルもなくなった。時間にして僅か一、二秒後には月夜に爪が当たる距離だ。
「・・・」
一瞬、保の表情が歪んだが、すぐに鋭い凶器がついた腕を振り下ろした。時間が止まった、ように二人は感じられた。爪が当たるまでの時間が、あまりにも長く感じられた。しかし、確実に当たるはずだった爪は、突然現れた光によって、遮られた。ガギン、と音が鳴り響いたかと思うと、保の体はその長い爪ごと光に包まれる。友達を想う月夜の心を表したかのような温かい光は、包み込む保を全ての視界から遮り・・・そして、唐突にかき消えていった。
「最初の賭けは・・・成功、ってとこだな」
人の姿に戻った保は、緩やかに落下を始める。月夜はそれをなんなく受け止め、微かに笑みを浮かべた。しかし、すぐにその表情からは笑みが消え、突然苦しそうなものに変わる。空中に浮かぶために羽ばたいていた黒い翼は、徐々に小さくなり、月夜の背中に戻っていくように消えた。月夜はこれを、賭けだと言っていた。それは何も、保を戻すことだけが賭けだったと言っていたわけではない。
「賭けなんて・・・レベルじゃなかったかな?・・・これじゃ、単なる・・・」
自殺行為だ、そう言いながら、月夜は重力に引かれるように、落下を始めた。かつて楓たちを助けた時も、月夜は力を使った後気絶し・・・そして、短いながらも力を失っていた。言うまでもなく、ここは上空五十メートル程の場所であり、普通の人間が落ちたら、万が一にも助かる術はない。それでも月夜は、そんな自殺行為とも呼べる賭けを行った。異形となった友達を誰かの目に晒すことなく、命を狙われても逃げることすらせずに、自分よりも大切な友達を・・・保を、助けることを選んでいた。
「はは・・・これで、新倉も死んじまったら、元も子もないんだけどな」
薄れ行く意識の中、あまりの落下の衝撃に手を離してしまいそうになる保を、月夜は人間としてのか弱い腕で強く抱きしめた。
それより少し前、月夜たちが飛び出していった後の体育館は混乱を極めていた。何が起きたのか分からない生徒たちは、事件?とか、演出の一部?などと騒いでいる。楓もまた、月夜からは何も聞かされていなかった。それ故に、楓もひどく混乱していた。
「えとえと・・・な、何が起きたの!?」
体育館が騒然とする中、いち早く混乱から脱した教師たちが、声を荒げた。
「早く、電気をつけろ!」
「念のため、警察も呼びましょう!」
わらわらと動き出す教師を見て、演出ではないことを知った生徒たちは、何が起きたのか分からない恐怖のあまり、体育館から逃げるように走り出し始めた。
「こらぁ!お前ら止まらんか!!まずは事態を把握してから・・・」
教師の呼びかけも虚しく、生徒のほとんどは我先にと体育館の出口に群がる。まるでそれは、監獄という暗闇から、外への光を求めて逃げ出そうとする囚人の如く。生徒たちが押し合いへし合いをしている間に、ようやく体育館の明かりがつけられた。だからといって、何かが解決するわけでもない。元よりあいた穴からは光が差し込んでいたし、天井に穴があいたことは誰が見てもすぐに分かっていたからだ。
「た、保君は!?つ、月夜さんも・・・一体どこに!?」
いまだに舞台の上に残っていた太郎は、キョロキョロと辺りを見回す。もちろん、二人はいるわけもない。
「何が・・・何が起きたの・・・?月夜・・・」
同じく舞台の上に残っていた楓も、心配そうに辺りを見回す。しかし、やはり月夜たちはどこにもいない。
「お前たち!そこは危険かもしれない!すぐにそこから離れるんだ!!」
舞台に上がってきた数人の教師たちは、身動きがとれずに固まっている楓と太郎にそう怒鳴る。不安と困惑の表情を、楓と太郎が浮かべたその時・・・
「時間がない、すぐに、手伝ってくれないかな?」
と、凛とした少年の声が体育館に響いた。その場にいた全員の視線が、声が聞こえた舞台袖に集まる。そこには、いつの間にか影の薄そうな白髪の少年が立っていた。学校の制服を着ている辺り、この学校の生徒であることは分かるが、楓はその少年の顔に見覚えがなく、新入生?と疑問を抱いた。
「ここにあるマットを動かしたいんだけど・・・手伝ってくれるかな?」
少年は、舞台袖の壁にくくりつけられた器械体操に使う大きなマット(普段は舞台の下の体育館の横の壁に設置されているが、部活動説明会で使うためそこにあった)に触れながら、もう一度そう言った。
「どういう意味?」
なぜか、いつもはうるさいぐらいの教師たちが、少年の静かな雰囲気にのまれているのか、口を開かない。その代わりに、その言葉に疑問を抱いた楓がそう問いかけた。少年は微笑みながら答える。
「単なる気休め、といったところかな。でも、それをしなければ彼は助からないかもしれない・・・ここまで言えば、分かるよね?」
少年の言葉をすぐに理解した楓は、不審気に少年を見る。
「あなたは・・・誰なの?」
少年は自嘲気味に笑いながら、
「今は、そんなことどうでもいいんじゃない?・・・さぁ、ほら、早く」
急かすようにそう言った。何も分からない楓としては、その声に従う他はなかった。動き出した楓を見て、怪訝な顔をしながらも太郎や教師たちがマットを動かすのを手伝い始めた。この何も分からない状況で、突然現れた少年に異論を挟むことなく従う彼らは、まるで不思議な力に操られているようにも見えた。
「・・・さてと、こんなものかな」
少年は動かしたマットの位置を確認した後、満足気に頷いた。そしてすぐに、その場にいる全ての人間に指示を出す。
「舞台の上から下りて、後は見守るだけだよ」
真っ先に舞台の上から飛び下りた少年は、体育館の天井・・・穴があいた少し横辺りに視線を向け、じっと押し黙って見ている。他の者も怪訝な顔を崩さないまま、それに従い、舞台から下りて少年が見据える先を見つめていた。と、数十秒も経たないうちに、ドガン、という音と共に、何かが天井を突き破って降って来た。バラバラと、へし折られた鉄や粉々に砕かれた木の屑が落ちてくる。
「っ・・・月夜!!!」
「た、保君!!!」
落ちてきた何かをすぐに認識した楓と太郎は、互いにそう叫んだ。その声が体育館に響き渡る前に、落ちてきた二人はマットに激突し・・・そして、それすらも突き破って、更にその下の床に穴をあけ、そこで止まった。舞台の床下は何もなく、コンクリートで舗装されているだけだ。普通の人間ならばまず助からない光景を目にしても、楓はすぐに二人が落ちた場所へと走り出した。
「つき・・・や!つきや・・・・・・つきや、月夜ぁ!」
穴があいた床下へと飛び込み、そこでうずくまっている二人に楓は寄り添う。ありえないことに、二人は上空五十メートルからたたきつけられたにも関わらず、人間の姿をしっかりと保っていた(月夜の片足は太ももの中程から切断されていていまだに血は出ているが)。すぐに、その後をついてきた太郎も床下に飛び込んできた。
「な、な、な、な・・・何があったんだ!?二人とも・・・あわわわ」
楓も太郎も、ひどく混乱している。無理もない、それは言ってしまえば、大好きな人が、親しい友人が、自分の目の前で飛び下り自殺をしたようなものなのだから。舞台の上では、警察を!いや、救急車を!と叫ぶ教師の声が聞こえてくる。用意されたマットは、気休めどころか、全く意味を成してはいなかった。混乱の頂点に達している楓は泣き叫び、太郎はあわてふためいている。
「・・・よ、馬鹿」
だからこそ、小さく囁かれたその声に、最初は気づくことが出来なかった。
「月夜ぁ!・・・死んじゃだめだよ・・・」
「あわわわ・・・!」
「・・・うっせーよ、馬鹿」
月夜と保に寄り添う楓と太郎に、ようやくその声が届いた。え?といった表情の二人に、今にも死ぬ寸前のような声で、月夜はもう一度言った。
「・・・眠いんだよ・・・疲れたし・・・静かに・・・しろ、馬鹿・・・」
もうろうとしながらそう言い切った月夜は、保を抱きしめていた腕の力を緩め、完全に意識を失った。
「えう・・・つき・・・や?」
混乱しながらも、楓はどうにか落ち着きを取り戻そうと心がけた。少なくとも、今月夜は生きている、それが楓を冷静にさせるための力になった。いまだに混乱している太郎を無視し、楓はゆっくりと月夜と保の口に耳を近づけた。すぅ・・・すぅ・・・と、浅い吐息ではあるものの、二人とも息をしている。そしてすぐに、首筋に手を当て脈を測る・・・弱弱しいながらも、二人の脈は動いていた。嬉しさのあまり月夜に抱きつきたい衝動に駆られた楓だったが、そんなことをしている暇はない、と自分に言い聞かせ、楓は穴から顔を出して教師たちに叫んだ。
「まだ生きてます!すぐに救急車を!それと、すぐにここから運び出してください!早く!!!」
ギョッ、としたような教師たちを見ることなく、楓は穴の中に顔を戻し、両手で顔を覆いながら、再び泣き始めた。
何があったのか分からない、それでも・・・生きていてくれて良かった、と、楓は少しの間涙をこぼした。
前回の止む~は学校メインのイベントが少なかったので、今回は学校メインのイベントを多めにするか、と思いつつ書きました。