ラブコメ~変わらない二人~
夜のとばりがおり、人々が寝静まる頃、ランスの別荘のリビングでは、一人の少年がいくつかある内の一つのテーブルを陣取って、ぼんやりと何かを考えていた。
(寝れない・・・)
椅子の背もたれによっかかりながら、妙に冴えた目をこすっているのは、最強の兵器こと月夜だった。今日の昼頃から、他のみんなが寝静まるまで寝ていた月夜は、寝れなくなったため、一人リビングでぼんやりとしていた。部屋には楓が寝ているため、電気を点けるわけにもいかなかったのだ。
「寝すぎたよなぁ・・・」
先ほどから何回繰り返しているか分からない言葉を、月夜は再度繰り返す。いくら疲れていたとはいえ、そんな何十時間も寝ていられるほどのん気ではなかった。特に今は、新たな敵や不審な楓に思うところがあり、こうして一人でゆっくりと、考えごとをしているのだった。月夜はどこか遠くを見るような目をしながら、背もたれに体重を預けている。傾いている椅子は今にも倒れてしまいそうだが、テーブルを掴んでいる月夜の手が、うまく均衡をとっていた。
(何者なんだろうな・・・あいつは)
そんな不安定な体勢のまま、月夜は今日出会った金髪の人物を思い出す。人には持ち得ない神々しさがあり、他人をひきつける強い何かがあり、そして、感情がないように見えるのにその実、自信に満ち溢れていた金髪の人物・・・月夜ですら、彼、もしくは彼女の言葉に惹かれてしまった。全てのものが幸せになれる世界など、月夜は既に諦めていたが、なぜかあの人物が言うと、それは出来てしまうような感覚に陥ったのだ。
(でも・・・あいつは・・・)
不思議な人物であることに間違いはなく、そして強大な力を持っているのもおそらく間違いではない。もしあの人物が言うとおりに、彼、もしくは彼女が全ての人間を排除しようとしたら、月夜は間違いなくその前に立ちふさがるが・・・勝てる自信が、なかった。最強の生物と言われている月夜にそう思わせてしまうほど、底が見えなかった。
(だめだな・・・一人だとつい、弱気になっちまう)
不安を振り払うように月夜は頭を振るが、頭にこびりついた不安は一向に消えてくれなかった。
「あれ?月夜起きたの?」
いまだに不安を振り払うために頭をぶんぶんと振っている月夜は、その声と、起きてリビングに入ってきた楓に気づくことが出来なかった。何やってるんだろ?と不審気な顔をしながら、楓は月夜に近づく。それでも、月夜は目に見えていないのか、全く気づいた様子もない。
「おーい!月夜ってばっ」
「おわっ!?」
三十センチ程の距離から、突然声をかけられた(と思っているのは月夜だけ)月夜は、焦って体勢を崩した。そのため、元々不安定だった椅子が後ろに倒れ、ゴン、と床に強かに後頭部を打った。
「わわ!大丈夫!?」
いきなり後ろに倒れた月夜を介抱するように、楓が月夜に寄り添う。
「いててて・・・急に声かけるなよ、びっくりするだろ」
後頭部をさすりながら、唇を尖らせて文句を言う月夜に、楓も口を尖らせて反論する。
「さっきから声かけてたもん、気づかなかった月夜が悪いんでしょ。・・・それで、大丈夫なの?」
反論しながらも、最後にはしっかりと月夜の心配を口にする楓は、いつも通りだった。
「大丈夫・・・じゃない」
「ええ!?血とか出てないよね?病院とかやってるのかな・・・」
月夜はふらふらと頭を動かしながら、心配そうな顔でそう言った楓に対して続ける。
「お腹減って目が回るー・・・」
月夜が言った瞬間、スパン、ととどめをさすかのように、楓が月夜の頭をはたいた。なんだかんだで、いつも通りの二人だった。
「それで、こんなところで何やってたの?」
楓は呆れた顔をしながら、テーブルを挟んだ真向かいの席に座っている月夜にそう聞いた。
「ひょっほはんがえほほを(ちょっと考え事を)」
楓が冷蔵庫の残り物で作ってくれた炒飯を食べながら、月夜は答えた。何を言っているのか分からない楓は呆れ顔で、
「食べ終わってからでいいから、物を口に入れたまま喋らないでよー」
「わふい(悪い)」
そしてお互いがしばしの間沈黙する。月夜は黙々と手と口を動かしているし、楓は自分が作った料理をおいしそうに食べている月夜を、嬉しそうな目で見ていた。
およそ五分後、炒飯を食べ終えた月夜は、ふー、と満足そうな息を吐いて、言う。
「こっちに来てからランスと姉さんの料理ばっかりだったからなぁ・・・確かにおいしいんだけど、やっぱり楓のがいいな」
ここに来てからたかが二、三日程度しか経っていないが、自宅では毎日楓の料理を食べている月夜としては、そう思うのが当たり前だった。ノロケに聞こえるようなことを平然と言う月夜に、楓は照れた笑みを浮かべる。
「そ、そうかな?でも、私じゃまだまだあの二人程じゃないし・・・」
「そんなことないと思うけど?俺が言うのもなんだけど、楓はすごいうまくなってるし・・・何より、ずっと一緒だからかな。味が俺好みなんだよね」
謙虚な物言いをする楓に、月夜は手放しで褒める。普段は不器用な物言いしか出来ない月夜だが、こういう時は素直な気持ちを口にする。だからこそ、普段は恥ずかしがって言えないようなノロケも、意識しないで口から出るのだ。そんな月夜の天然性は、楓にとってすごく嬉しい反面、臆面もなく言われると照れと恥ずかしさが相まって顔が赤くなってしまう。
「あの、えと・・・ありがとう、えへへ」
恥ずかしさでやや伏せ目がちになりながら、楓は感謝の言葉を口にする。そんな楓に気づいているのかいないのか、月夜はやや遠い目をしながら、昔を思い出して呟く。
「懐かしいなぁ・・・楓が初めて作った目玉焼き(?)を食べて、一時間以上トイレから出れなかったあの頃が・・・」
それは二人が小学四年生だった頃、学校の調理実習の予習!と言いながら、楓が誰の力も借りずに初めて目玉焼き(?)を作った時だった。名称通り、それは決して目玉焼きとは呼べないもので、黄身は潰れていたし、こげてる部分とまともな部分の比率が八対二ぐらいで、更に付け加えるなら、何をどう間違えたのか調味料として酢がかけられていた。
「な・・・っ、そ、それは昔のことでしょ!」
忘れたい過去を掘り返され、楓は怒って言う。
「そ、あの頃に比べれば大分うまくなったよなぁ・・・ってね。でも、原点は忘れない方がいいんじゃないか?」
初心忘れるべからず、とはよく言ったもので、初心や原点があるからこそ、今の楓が料理上手になった、と言っても過言ではない。その裏には、もちろん多大な努力もあるわけなのだが。
「そうだけど・・・あ・・・」
まだ何か言おうとしていた楓だったが、不意に何かを思い出したように言葉が止まる。
「ん?」
月夜は、どうした?といった感じの目を向けるが、
「いや、なんでもないよ。うん・・・なんでもない」
と言葉を濁した。その顔はやけに嬉しそうににやついている。
「なんだよー、気になるじゃんかー」
「教えてあげないよーっだ」
うー、と唸る月夜を見ながら、楓は嬉しそうに目を細めて過去を思い出していた。
楓が初めて作った目玉焼き(?)は、本当に失敗作だった。自分でも一口味見して気持ちが悪くなり、あの時生きていた他の兄弟や義理の父すら、困った表情をして食べてはくれなかった。子ども心に泣きそうになりながらも、その目玉焼き(?)を捨てようとした楓だったが・・・それを横からとって、楓の静止の声も聞かずに平らげたのは、誰であろう月夜本人だった。そして月夜は平らげた後、泣きそうな顔で驚いている楓に言った。
「捨てるのはもったいないよ、折角作ったんだから」
目元に涙を浮かべ、今にも死にそうな顔をしながらも、月夜は微笑みながらそう言った。結局その後、月夜はトイレから一時間以上出れなくなったわけだが・・・楓にとって、それは何よりも大切な思い出となった。月夜の天然ノロケは、下手したら生まれつきなのかもしれない。
「うー・・・そういやさ」
唸っていた月夜が、唐突にそう切り出した。過去を思い出していた楓は、え?と気の抜けた声で返事をする。
「えーと、なんて言ったらいいんだろうなぁ・・・」
自分から切り出しといて、月夜はどう言えばいいか迷っている。
「どうかしたの?」
月夜の言いたいことが分からずに、楓は怪訝な顔をしている。んー・・・、と月夜は少し悩んだ後、うまい言い回しが考え付かなかったのか、単刀直入に聞いた。
「どういう心境の変化があったのかなぁ、ってね。俺はてっきり、楓が怒ってるもんだと思ってたんだけど・・・」
言いづらそうに言う月夜に、楓は少しだけきょとんとした。しかしすぐに、寂しそうな微笑みを浮かべて口を開く。
「怒ってたよ・・・でも、月夜が何も言わないなら、私は聞かないことにする・・・だって、迷惑でしょ?」
その言葉に、月夜は言葉を失った。確かに、月夜は何かをする時大抵楓には何も言わない。しかし、それはあくまで心配をかけさせたくないだけなのだ。追及されるのは、どうやって嘘を吐き通すか?と考え、疲れるだけで、決して月夜は迷惑だと思っていない。嘘をついてでも、自分が疲れてでも、月夜は楓に負担をかけさせたくなかっただけだ。しかし・・・今の楓の表情は、何よりも寂しそうだった。
(結局・・・どっちでも同じなんだな)
月夜は悟った。言っても言わなくても、楓は結局心配する。それは自分自身の未熟さによるものが大きく、月夜を深く傷つけた。
(それなら、言っちゃった方がお互い楽なのかもな・・・でも・・・)
分かっていても、納得のいかない部分が多かった。確実に楓を不安にさせるより、少しでもその確率が下がる方を月夜は選びたいからだ。そしてそれは、月夜自身が巧く立ち回れるようになれば、大幅に下がるものだった。口を閉ざして真剣な表情で悩んでいる月夜を、楓は寂しげな表情のまま黙って見ている。楓の中には、何かある時は話して欲しい、という心配の気持ちと、でも月夜が嫌なら・・・という月夜を案じる気持ちが混じり合わさり、胸が潰れてしまいそうな程の苦しさが住み着いていた。そんなモヤモヤとした気持ちが、楓に口を開かせてくれない。
「何やってるんだ?二人とも」
そんな二人の沈黙を破ったのは、月夜でも楓でもなく、コツコツ、と足音を響かせてリビングにやって来たランスだった。ランス自身は別に隠れてやって来たわけではなかったが、月夜と楓は全く気づいていなかったため、ビクッ、と体を震わせてランスに顔を向けた。
「おわっ・・・なんだよいきなり、びっくりするだろ」
口を尖らせて言う月夜に同意するように、楓もコクコクと頷いている。そんな二人を、ランスはやや眠そうな目で困ったように見ると、億劫そうに口を開いた。
「それはすまなかったね。で、こんなところで何してるんだ?」
不当な言いがかりを軽く流し、再び同じ質問を口にした。
「いや別に、何かしてるわけじゃないけど・・・俺は眠れないだけだし」
「私も・・・少し、眠れないだけで」
先ほどまでの沈黙のせいか、少々ぎこちなく言う二人に対して、ランスは、ふーん、と気のない返事をしてそれ以上は追及しなかった。
「若い時はそういうこともあるね。むしろ月夜の場合は不規則になってるだけか・・・でも、夜はしっかり寝ないとだめだぞ」
ランスはそう言い残し、二人の反応を見る間もなくキッチンの方に姿を消した。冷蔵庫の開け閉めの音が一回響き、それから一分の間も空けずにランスはリビングに戻ってきた。ちなみに、その僅かな空白の時間も、月夜と楓の二人は気まずそうにお互い沈黙を保っていた。
「いやぁ、喉が渇くとつい起きてしまうな」
そう言ったランスは、先ほどよりもやや眠気が覚めていた。言葉通り、喉が渇いたから起きて、水分をとるためにキッチンに来たのだろう。
「それはなんとなく分かるけどねぇ、ここあっついし」
「だろ?ま、僕は水分もとったし、部屋に戻るよ。二人も、早く寝るんだよ」
月夜の言葉に同意しながら、ランスはきびすを返してリビングを出て行こうとした。が、リビングを出る少し手前で突然止まり、振り返った。
「ああ、そうだ。月夜」
「なんだよ?」
怪訝そうな顔をする月夜に、ランスは躊躇いも言う。
「五人がとても感謝してたぞ。落ち着いたら、今度はゆっくり話でもしようとのことだ」
その言葉に月夜は、楓がいるのに今それを言うか?と焦りを感じたが、表に出すことなく、ましてや声に出すこともなく、素っ気無く返した。
「ああ、分かった。その内な」
その真向かいでは、楓が不思議そうに首を傾げていたが、そう言えばキールさんがお世話になったって言ってたっけ、と思い口を挟むことはしなかった。
「うん。それと後一つ、悩むぐらいなら自分から言い出した方が楽になれるぞ?ずっと、ってわけにもいかないだろうしね」
な・・・、と月夜は絶句した。全く気づいていない素振りをしながらも、ランスには全てお見通しだった、というわけだ。もしかしたら喉が渇いたというのも嘘で、わざわざそれを言いに来たのか、なんてことすら月夜は考えてしまった。月夜の真向かいでは先ほどと同じように首を傾げていた楓だったが、思い当たる節があるのか、その表情は曇っている。
「さて、それじゃ僕は寝るとするよ、おやすみ」
そんな二人の考えや思いなど気にすることなく、ランスはそう言い残し、今度こそ本当にリビングを出て行った。二人は去っていくその背中に、おやすみ、とだけどうにか答えた。ランスが去った後、またしても、落ち着かない沈黙が辺りを支配した。しかも今回は、先ほどよりも少しだけ重苦しさがある。どうしようか、と悩む月夜に、チラチラと落ち着かない様子で月夜の方を横目で見ている楓。そんな落ち着かない沈黙を先に破ったのは、
「・・・あのさ、楓に言いたいことがあるんだけど」
ついに覚悟を決めた月夜だった。言い辛そうに言った月夜に、少しだけ視線を向けると、楓は神妙な面持ちで聞く。
「何、かな?」
月夜が何を言おうとしているのかはっきりとは分かっていない楓だったが、聞き返したその声は、月夜の覚悟に感化されたのか、少しだけ強張っていた。
「えー・・・とね」
言いたいことがある、と言ったにも関わらず、月夜はうまく言葉がまとまらず迷った。そんな月夜を急かすこともなく、楓はただ黙って見ている。
「・・・ごめん、言いたいこと、っていうよりも、謝りたいこと、かな」
ようやく口を開き出した月夜は、最初に先の自分の言葉を訂正した。それに対して小さく頷く楓を見ながら、月夜は昨日の夜から今朝方までのことを話した。困っている女性を見かけたこと、その女性が月夜と同じ生物兵器だったこと、その女性を助けるためにマフィアとやり合ったこと、そしてなぜか芋づる式に助けなければいけない人が増えていったこと、そしてまたマフィアとやり合ったこと・・・簡潔に明瞭に、月夜はその出来事を話していった。その間、楓は余計な口出しをせずに、ただ黙って、時折頷きながら話を聞いていた。
「・・・というわけなんだ。その・・・嘘吐いて、ごめん」
最後に謝罪の言葉を述べて、月夜は説明を終えた。自分が危険なことに首を突っ込んだことよりも、楓に嘘をついていたことが、月夜には一番心苦しかった。
「・・・どうして、言ってくれなかったの?」
今まで黙って聞いていた楓は、そう聞いた。その声には、恨みや怒りといったものはなく、ただ、寂しそうな色だけがあった。
「心配させたくなかったんだ」
それは月夜の素直な気持ちだった。むしろその気持ちのみで、楓に嘘を吐いていたと言っても過言ではない。楓に負担をかけさせたくないから・・・月夜は自分が傷ついてでも、嘘を吐いてでも、ただ一つのその想いを貫くために、頑張ってきた。しかし結局それは、楓を不安にさせる結果にしかならなかった。
「確かに心配だよ、不安だよ・・・月夜は馬鹿だから、すぐ事件に首突っ込むから、すごく心配。それなら、何も知らないでいた方が幸せなのかな、って思う・・・でもね、」
一度区切ってから、楓は強い口調で続ける。今まで言えなかった、想いを言葉にするように。
「私は知りたいの!月夜が何をしてるか、危ないことをしてないか、それを知りたいの!知らない内に月夜が傷ついて、いなくなるなんて絶対に嫌だから!」
強い口調とは裏腹に、その瞳には涙が浮かんでいる。今にも零れ落ちそうな涙を湛え、今までの強い口調が嘘だったかのように、楓は消え入りそうな声で呟く。
「迷惑かもしれない・・・邪魔かもしれない・・・鬱陶しいかもしれない・・・でも、私は・・・月夜と一緒にいたいから・・・何も出来ないけど」
月夜は何も口にすることが出来ず、ただ黙ってそれを聞いていることしか出来なかった。楓のそんな気持ちを知っていても、結局月夜は、心配させたくない、という自分の気持ちを優先させてしまったのだから。
「月夜が辛い時はそばにいたい、月夜が哀しい時は慰めてあげたい・・・図々しいかもしれないけど、時間も気持ちも、もっともっと共有していきたいよ・・・」
まだまだ言い足りない、という気持ちはあったが、楓はそこで言葉を止めた。少しだけ落ち着いたのか、自分が言ったことの恥ずかしさや図々しさに気づき、赤面しながら申し訳無さそうに月夜から顔を背けた。今まで黙って聞いていた月夜は不意に立ち上がり、テーブルを回って楓の後ろに行くと、その細い肩に顎を乗せながら優しく抱き締めた。
「ごめん・・・俺、全然楓のこと分かってなかったのかも」
楓の強さを月夜は理解していたつもりだったが、そこまでとは思っていなかった。楓が辛いのが嫌だから、月夜は何も言わないで物事を進めてきたが、それは見当違いだったようだ。
「私も・・・月夜のこと、よく分かってないのかも」
抱き締められている楓は、恥ずかしそうに俯いているが、嫌がる素振りはなく、むしろ嬉しそうだった。しかし、その声には覇気がない。不器用な月夜は、うまく自分自身の気持ちを言葉に出来ずしばし迷ったが、結局諦めて素直な気持ちを、そのまま口にした。
「でも・・・楓に負担をかけさせたくないのは、本当の気持ちだよ。俺のそんな気持ちは迷惑かもしれないけど・・・」
なるべく優しく、そして嘘偽りのない言葉を口にした月夜だったが、実際、言葉にしてしまえばそれは呆気ないもので、その中に含まれている苦悩や、苦痛を伴った努力が楓に伝わっているかどうかなんて、月夜には皆目見当がつかなかった。
「迷惑なんかじゃないよ、月夜が私のことを想ってくれるのはすごく嬉しい・・・でも、私だって力になりたい・・・月夜には、それが迷惑なんだよね?」
「迷惑なんかじゃない」
おずおずと聞いてくる楓に、月夜は即答した。
「楓の気持ちは嬉しい、すごく嬉しいさ・・・でも、本当に負担をかけたくないんだ」
どうして分かってくれないんだ、と月夜は言いそうになったのを懸命にこらえた。それを言ってしまったら、楓への想いが偽善になってしまいそうで、月夜は言えなかった。お互いがお互いを心配し、大事に想い合うからこそ、二人はすれ違っていた。
「・・・いつからだろうね」
弱弱しく吐き出す楓の言葉を聞きながら、月夜は黙って続きを待った。
「前は、なんでも話してくれたのに・・・」
子どもの頃を懐かしむように、羨むように楓は呟いた。昔は悩みを相談し合ったり、木登りや火遊びなどの危険な遊びも、二人は一緒にやっていた。しかし、時が流れるにつれ、二人が親密になるにつれ、相手を心配し合う気持ちが強くなり過ぎたのだ。
「今と昔じゃ勝手が違うんだ・・・いつ死ぬか分からないいざこざに、楓を巻き込みたくないんだ」
弱弱しく震える楓の体を強く抱き締めながら、月夜は自分に言い聞かせるように呟いた。
「じゃあ、月夜は・・・私が知らないところで、死ぬ気なの?」
ぽつりと呟かれたその言葉に、月夜は冷水を浴びせられたような感じがした。それは・・・、とつい口ごもってしまう。
「私は、月夜が死んだら嫌だ。月夜だって、同じでしょ?」
問い詰める楓に、月夜は少しだけ冷静さを取り戻して答える。
「・・・俺は、死なないから。でも楓は、違う」
「違わない、違わないよ!」
今までとは打って変わったように、強い調子で楓は言った。急な変化に、呆気にとられて黙っている月夜に楓は続ける。
「同じ人間なんだから、いつ死んじゃうか分からないんだよ!?尚更、何かあったら一番危ないのは月夜なんだよ!?」
涙を流しながら、俯いて訴えるように言う楓に、確かにそうかもしれない、と月夜は分からされてしまった。確かに月夜は死なないかもしれない、しかし、今までだって何度も死にかけたことがある。楓と約束した、もう誰も殺さない、それがある限り、月夜は全力など出せるわけもなく、何か事件が起きた時は常に死がまとわりついている。夢の中に出てきた金髪の人物が敵だとすれば、今の月夜じゃ間違いなく殺される、いや、全力を出したとしても、万が一にも勝ち目はないかもしれない。
「それに・・・言ったでしょ・・・言ってくれたでしょ?私を、護るって」
弱弱しく呟かれたその言葉に、まるで頭を思いっきり殴られたかのような衝撃を、月夜は感じた。護ると言っておきながら、危ないからといって危険なことに近寄らせないようでは、決して護ってるとは言えない。それも一つの護る形に違いはないのだが、結局楓を傷つけてしまっている月夜としては、それは護ってないのと同じ意味だった。
「・・・・・・ごめん」
何に対して謝ったのか、月夜自身分かっていなかったが、その言葉は不意に口からもれた。謝らなければいけないことが多すぎて、月夜にはその全てを把握することは出来なかった。それでも、その言葉には一つだけ意味があった。
「・・・護れてないよな、俺・・・本当にごめん・・・俺さ、頑張るから、絶対に楓を傷つけないようにがんばるからさ・・・だから、」
月夜はそこで言葉を止め、いまだ完全に納得のいっていない心をなだめながら、深呼吸をし、口を開いた。
「何かあったら、力になって欲しい。無駄な心配かけさせるかもしれないけど、楓を不安にさせてしまうかもしれないけど・・・何かあったら、真っ先に楓に言うよ」
それは、月夜には認めたくない言葉だった。しかし、今の状況ですら楓は大分傷ついている。爆弾が仕掛けられている危険な室内に、安全な外にいる楓を引き込むようなまねはしたくなかったが、結局楓が心配をして傷ついてしまうのなら意味はない。なら、爆弾だろうがなんだろうが、渦中の中ですら護れば良い、月夜は己にそう言い聞かせた。その言葉を聞いて、楓は初めて横を向いた。後ろから抱き締めている月夜の顔を見ているその目は、涙が今も溢れ赤く充血しているが、その表情はほっとしたように緩み、嬉しさを湛えた微笑みを浮かべている。涙で可愛い顔が台無し、ともとれる顔だが、月夜には、神秘的な程にまでそれがきれいに、そして愛しく思えた。
「ほんと・・・?」
今にも顔が触れ合いそうな距離で、表情とは裏腹に少しだけ不安気に楓は聞いた。
「ほんとだよ、信じて欲しい」
楓の熱い吐息を感じながら、月夜は真っ直ぐな瞳で見つめる。その瞳には、嘘を言っている色はなく、ただ純粋なものが宿っていた。何がなんでも護る、月夜のそんな気持ちを表すかのような、真っ直ぐで曇りのない眼差しだった。
「・・・うん、信じるよ」
楓はつい頷こうとして、額がぶつかりそうになったが、月夜は楓に頷くことすら許さなかった。それよりも早く、月夜は楓にキスをしていたからだ。今にも触れ合いそうだった二人の顔の距離は今はなく、お互い唇と唇を触れ合わせている。お互い熱い吐息で唇を触れ合わせる中、月夜は少しだけしょっぱい味を感じたが、それを気にすることなどなかった。
暗い部屋の中、二つあるベッドの内の一つから、ぽつりと小さな呟きがもらされた。
「・・・ほんと、不器用なやつらだよなぁ。これで、少しは良い方向に進んでくれると嬉しいんだけどね」
やれやれ、と嘆息交じりに呟いているのは、先ほど喉を潤してから部屋に戻ってきたランスだった。すぐに部屋に戻ってきたランスは、二人が今頃どんな展開を繰り広げているのかは知らなかったが、二人を心配していることは間違いなかった。
「くす、またお節介焼いてきたの?ランス」
不意に、もう一つのベッドから声が聞こえて、ランスは申し訳無さそうに言う。
「ごめん、起こしちゃったかな?」
「んーん、目が覚めちゃっただけだから気にしないで。それで、またお節介でも焼いてきたのー?」
のほほん、とした口調でランスに再度尋ねた声の主は、リミーナと一緒に横になっている茜だった。
「お節介・・・になるのかな。正直、見てられないんだよ、あの二人はね」
苦笑いをしながら、ランスは言った。月夜が寝ている間、やたら元気がなさそうな楓をランスは気の毒に思っていたし、体の無理をおして頑張っている月夜もまた、ランスには見ていられなかった。月夜がやろうとしていることを一人だけ知っていた、という負い目も感じ、お節介の一つや二つを焼かなければ気が済まなかったのだ。
「分かる分かる。なんていうか、じれったいんだよねー」
今のランスの事情を知らない茜だが、二人が見てられない、というのに共感出来る茜は、そう言った。
「二人とも不器用だからね・・・兄としては、心配だよ」
本当に心配だ、と思いながら言ったランスに対し、茜はお気楽な声で言う。
「若い時はそんなもんでしょー。確かにじれったい部分はあるけど、二人とも根っこの部分がしっかりしてるから大丈夫だよ」
「そうかなぁ・・・」
確かに月夜と楓は根っこの部分がしっかりしている。それでも、ランスは心配だった。長い時間をかけて築かれた信用・信頼・絆・・・そういったものですら、失われる時は一瞬なのだから。
「そ・れ・よ・り・も、うちはランスの方が心配だねー」
え?と間の抜けた返事に、茜は叱るような口調で言う。
「うちが気づいてないわけないでしょ?月夜もぐったりしてたけど、ランスも相当疲れてるんじゃない?二人して何してたか知らないけど、そんな状態じゃ、誰かの心配より自分の体の心配しないとだめよ」
急に矛先を向けられたランスは、どう言えばいいか迷った。軽い冷や汗をかきながら、どうしてばれてるんだ、と心中穏やかじゃない。月夜同様、茜に心配をかけさせたくないランスは、昨晩ほとんど寝ずに月夜を待っていたり、今日、あの五人を軍に所属させる手続きなどをして疲れていたものの、疲れを感じさせないよう普段通り振舞っていた。嘘下手な月夜とは違い、ランスは疲れている時でも疲れていないように見せれる自信があったし、実際今までそれを見破られたことはなかった。しかし、どうやら茜はお見通しだったようだ。
「・・・なんのことかな?僕は十分元気だけど」
とぼけながら言ったランスに、茜は口調を強くして言う。
「嘘つかないの!全く、月夜もランスもすーぐ無茶するんだから。うちには楓の気持ちが痛いほど分かるよ」
そう言われて、ランスは、うっ、と言葉を詰まらせた。月夜と同じことをしてる、と暗に言われ、反論することも出来なかった。
「だから、早く寝なさい。ただでさえ忙しい合間の休暇なんだからね」
茜は説教するように言った後、なんて、うちが今引き止めてるんだけどねー、と笑いながら言った。
「はは、確かにそうだね・・・うん、じゃあ、寝かせてもらおうかな」
この人には敵わないなぁ、と心の中で苦笑しながら、ランスは目を閉じる。
「おやすみー」
「おやすみ」
ランスの、誰でも騙せる自信、は打ち砕かれたものの、茜に全てを見透かされているような感覚は悪くなく、逆に安心さえ感じてしまい、不思議な心地よさを感じながらランスは眠りに就いた。月夜や楓に比べれば、年上であり大人なランスだが、茜からしたらまだまだ子どもなのだった。
(うちのことも、もうちょいかまって欲しいんだけどねー・・・)
しかし、そんな茜も、あまりランスが構ってくれずに心細くなっていることなど、ランスは露知らずだった。なんだかんだで血は繋がっていないものの、似たり寄ったりの兄弟なのだ。
(ランスの鈍感人間めぇ・・・)
言葉には出さないが、やや不機嫌そうな視線をランスに送った後、茜も諦めたように目を閉じ、そして眠りに就いた。
そこは、何もない世界だった。地球には当たり前のようにある大地や空、重力や空気、そう言ったものは一切なく、ともすれば、上も下も曖昧な世界。そんな世界に、男とも女とも見える金髪の人物は、いつも通り立っていた。いや、浮いている、といった方が正しいのかもしれない。そして、金髪の人物の前には、跪き、顔を上げて金髪の人物を凝視しながら、同様に浮いている一人の少年がいた。白く短めの髪をした少年は、跪いているものの、金髪の人物に対する信仰や崇拝といったものは見られず、今にも襲い掛かりそうな程の殺気が立ち上っている。
「随分と勝手なまねをしたんですね」
少年の口から出た言葉は、丁寧な口調にも関わらず、苛立ちと皮肉が混じっている。
「盗み見とは、感心しませんね」
それに対し、金髪の人物は気にした様子もなく言った。少年の苛立ちや皮肉に気づいていても、それを受け流すどころか、無視しているようにすら感じさせる。少年は、ぎりっ、と歯ぎしりをしながら、苛立ちを隠さずに言う。
「そんなことはどうだっていいんです。彼のことは僕に任せてくれるんではなかったのですか?それどころか、彼を仲間に引き込もうとするなんて、あなたは何を考えていらっしゃるのですか?大体から・・・」
「確かに、彼のことはあなたに任せました。しかし、彼の中に在るあれに関しては、あなたに任せると言った覚えはありません」
矢継ぎ早に質問する少年の言葉を遮り、無感情な声色で金髪の人物は続ける。
「あれの存在は私を脅かすものでもありますが、同時に、あれ以上に頼りになるものはありません。私の理想を叶える為にも、そして・・・私の心の安らぎのためにも」
最後の言葉のみ、昔を懐かしむような感情が確かにあった。その感情はあまりにも薄く、誰にも伝わらないものではあったが。
「あなたの手前勝手な理由で、僕の唯一の存在理由を奪うのはやめてください」
苛立ちを通り越し、もはや呆れ果てた声で少年は言った。
「ふふ、存在理由、ですか」
楽しそうに顔を歪ませて金髪の人物は言ったが、それは笑うことを忘れてしまった人間の笑みのように歪で、そしてやはり無感情に見えた。
「ただ作られただけの道具が、存在理由などと口にするとは、可笑しい話ですね」
平然と、なんの臆面もなく、皮肉を言うわけでもなく、罵倒するわけでもなく・・・ただ、平然と、無感情のまま真実を口にした。
「確かに僕は道具ですけどね・・・でも、ただ人に使われるだけの道具にさえ、存在理由はあるんです。それさえ終えてしまえば、僕は何も言いません。あなたの望む世界を作るための道具として、使ってもらっても構いません」
それさえ終えてしまえば、の部分を強調して言った少年の瞳は、無を感じさせるほど空ろな瞳だった。
「ええ、分かっています。私とて、今は戦力を温存したいですからね。あなたに任せますよ、葉月」
「あなたの言葉は信用出来ませんけどね・・・任せてください」
葉月と呼ばれた少年は、かつて月夜の前に現れた葉月と姿形はそっくりだったが、今、この瞬間、狂気を含んだ笑みを浮かべる少年は、月夜たちと一緒にいた頃の心の底から楽しそうな面影は、一つとして、なかった。
「それでは、僕はこれで・・・」
跪いた格好のまま、葉月は空気に溶けるように虚空へと消えた。それを見送った金髪の人物は、何かを探すような瞳で、何も存在しない上空を見上げる。
「私の・・・私たちの理想の世界は、どこにあるんでしょうね・・・兄様」
ぽつりと呟かれたその言葉は、寂しさと哀しさが混じった、泣き声にさえ聞こえてしまいそうなものだった。
月夜の知らないところで、何かが、動き出そうとしている。
・・・あれ? もう二ヶ月の間が・・・_| ̄|○
間を空けた割にはいつもどおりなやり取りが行われております(・ω・)