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食事

作者: 紀希



この時季になると祖母の家では、


年に一度の"恒例行事"がある。



それは、親戚の皆で


『栗ご飯を食べる』


と、言うものだ。



一見。何と変わらない、


普通の出来事の様に聞こえるかも知れないが。


私の家系にとってはとても"大切な"行事、なのだ。



裏山にあるくりのきから落ちたのを、


その日。食べる分だけ、収穫する。


後は一切取らずに、そのまま自然に返す。



勿体無く思うかもしれないが、


自然の恵みを頂くのは、私達だけではない。


動物達も、その仲間なのだ。


だから、その分をとっておく。



基本的に、この日以外では、


栗ご飯は食べない。



食べてはイケナイ訳ではないが。


年一の楽しみという事から、


あまり。食べない様にしている。



それに、正直。


この日以外に食べる栗ご飯は、美味しくない。



収穫が終わると、


裏山にある御先祖のお墓とその周りを掃除し。


収穫したくりを御供えし、皆で手を合わせる。



それが終わると、料理が出来るまで皆で団欒し。


甘い栗の香りがして来たら、皆で席に着く。



口に入れるそのものの命に感謝し。


「ありがとう」



食べられるという事に喜び。


「美味しそう」



御先祖様に向かって再び、手を合わせる。


「、、、、、」



『いただきます』



目の前に置かれたお茶碗に入った栗ご飯を。


皆で無言で一口だけ食べる。



皆が食べ終えると。


テーブルの上には、次々に御馳走が広がる。



この行事が。


本当はいつからあったのか、ってのは知らないし。


そんな事は重要でも何でもない。



きっと。


最初に始めた人達の気持ちは、私には一生分からないけど。


意味なんてのは、皆の中で違っていても良いと思う。



これは、私が小さい頃からずっとある歴史みたいなもの。


こういう古臭いのも、今となっては嫌じゃあ無い。



『今時』



そう、思われるかも知れないが。


こんな時代だからこそ。


こんな世の中だからこそ。


分かち合ったり、話し合ったりして。



今、生きていられる事に対して。


様々な事に感謝をする気持ちを。



私達は、持たなくてはならないのだと思う。



そんな私の家系のちょっとした、


甘くて。美味しくて。暖かい、秋の歴史。
























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