93話
部屋の中央には雰囲気のある、アンティークのイスとテーブル。ドラマ『クイーンズ・ギャンビット』でもインスパイアしたのだろうか。チェスクロックも、昔ながらのアナログ時計。棋譜とペン。なにげにシシーは棋譜を記すのは初めてだ。そこは少し緊張する。公式戦では棋譜は各自で取る。
先にイスに座り、サーシャを待つ。開始時刻の一一時まであと一〇分。少し早く来すぎたか、とシシーは内心で舌打ちをする。持ち時間は一五分のラピッド。あまり指すルールではないが、問題はない。
(早く……来い。早く、早く)
抑えきれない衝動に襲われる。早く指したい。目を瞑り、対局の流れを想定する。
(そう……うん……じゃあここで……こうして……そうくるなら……うん……はい……よし)
いくつにも枝分かれした未来。そのうちのひとつが勝ちに繋がる実際のルート。
すっ、っと目を開ける。世界が色づく。すると、目の前にフードを深く被った少年。
「体調はどう?」
いつの間にかサーシャがいる。前日に命を奪い合ったとは思えないほど、底抜けに明るい声。今回もよく顔は見えない。
「問題ない。始めよう」
シシーは仮面をつける。素性がバレないように。それでも気づく人は気づくかもしれない。できるだけカメラは映さないでほしい。
パンッ、とファティが元気よく手を叩く。
「はい、じゃあ揃ったところで、確認事項。金のポーンを出して。一五分切れ負けのラピッド、音声は録音してないから安心して。賭けの対象はこちら」
そう言いながら、二人に紙に書いた賞品を提示する。
内容を確認したサーシャは、目を丸くして綻んだ。
「一〇万ユーロ。いいね」
事前に知ってはいたが、なにを買おうかな? そんな予想もたてて、楽しくなってきた。その額を実際に目の前にしたことはないので、想像だけで笑えてくる。
対照的に、シシーの表情は曇っている。サーシャの賭けの内容に不満、というより戸惑い。こちらも確認していたが、気になっていた『物』。
「そっちのは……どういうことだ? いいのか、これで」
自身の持ち寄った金額よりも、おそらく高額。お金に困っているなら、これを売ればいいのに。とすら考えるほど。よっぽど勝つ自信があるのか。
「いいよ。言ったでしょ、犯罪者から奪ったものだから。僕のほうが高いかもだけど、元がタダだからね」
奪ったもの。サーシャは、あっけらかんと言う。
審判のファティはなにも聞いてないフリ。少しならオッケーな国だし。これも、感覚で少額という人もいるし。余計なことはしない。あくまで主役は二人。
「なるほど。俺はいらないが……問題ない、やろう。しかし、これを事務局は容認するのか」
視線をファティに向けたシシーが、賭けの内容が書かれた紙をチェス盤の上に放る。




