91話
「◆ポーンg6」
シシーが非情な宣告をする。次の動きはポーンをg6へ。
「……え?」
思っていたのと違う動きをしだして、ララは思考が停止する。ルイ・ロペスのはず。それが、◆ポーンg6? あれ? あれ? なんだっけ、それ?
予想通りの停止で、シシーは「ふふっ」と笑う。
「◆ポーンg6。フィアンケット・ヴァリエーション。なにが来ると思ってた?」
ルイ・ロペスのひとつ、フィアンケット。これも立派なルイ・ロペス。元世界王者スミスロフが好んだオープニングだ。
「……◆ポーンa6」
しょぼくれながら、ララは返事をする。イタズラをされて拗ねている子供のように。
シシーは寄り添い、頭を撫でながら「よしよし」と優しく言葉をかける。大人っぽい彼女が、ふと可愛らしく振る舞う。自然とアクションを起こした。
「モーフィー・ディフェンスだね。メジャーなやつ。ルイ・ロペスにも色々あるから。オープニングもルイ・ロペスだけじゃないし。最初はオープニングとか覚えないで、動かしてて楽しいってところから始めたほうがいいと思うよ」
定跡であるオープニングなどは、どうしても勝てない、勝ちたいという気持ちが湧いてからでいい。最初から難しいことをやろうとすると、やる気自体を奪ってしまう。せっかくだから、楽しくプレーしてほしい、とシシーは願う。
だが、一度ヘソを曲げたララの機嫌は中々直らない。
「……でも、それだとシシーに置いていかれちゃう……」
唇を尖らせ、目線を泳がせる。覚えた、と言ったのが恥ずかしく思えてきていた。シシーが自分以外に興味を持っていることに、胸騒ぎがする。それが人でなかったとしても。
肩をすくめたシシーは、もう一度ララの頭を撫でる。
「俺に? 置いていかないよ。てか、置いていくって、なに」
変なの、と小さく吹き出す。
「ララはそのままでいいよ。むしろ、一緒にいるときはチェスを忘れたいから。趣味で始めるのはいいと思うけど」
だから笑って、とおでこを合わせて目を瞑る。少しだけララのほうが背が高い。背伸びするほどじゃないけど。そして、肩を抱いて、自室に連れ込む。
珍しい展開に、ララも少し焦りを覚えつつも、流れに身を任せる。あぁ、やっぱりこの子じゃなきゃダメなんだ、そう結論づける。体温を感じながら微睡む。だが。
(◇ナイトe4、◆ビショップb7、◇ナイトe5、◆ナイトe6、◇ナイトf6、◆ビショップf6、◇ビショップh7、◆キングf8、◇ルークd1、◆ビショップe5、◇ポーンe5、◆クイーンe7……)
唇を重ねながらもシシーはひとり、脳内でチェスの続きを貪る。




