90話
ボードゲームには、ほとんどのものに『定跡』というものが存在する。長い年月、そのゲームの研究に研究を重ねた結果、それが現時点では勝利に直結しやすい、という実績を勝ち得て、受け継がれていく手筋。それを無視してみたら、そう考える者もいるが、結局はこの『定跡』を知ることが勝ちに繋がることに気づく。
「ねぇ! ルイ・ロペス! 覚えた! 見て!」
まだ完全には回復しきれていないシシーだが、なんとか家に着き、すぐにシャワー。部屋で休もうとすると、その音を聞きつけたララがいきなり、自室のドアを開け、顔を輝かせて詰め寄る。ルイ・ロペス。チェスのオープニングの基本形。
いきなり開いたドアにも驚いたシシーだが、それ以上にララの口からチェスの用語が出てきたことに驚いた。キングとクイーンくらいしか知らなかったはずなのに。
「覚えた? ルイ・ロペスを?」
飛び込んできたララを優しく抱きとめる。どうやら携帯のアプリで勉強していたらしい。それにしてもテンションが高い。
「うん! ジオッコピアノもなんとなく!」
少しずつ、初心者用ではあるがコンピューターにも勝てたりと、なんとなくチェスの動かし方がわかってきたら、ララは相手の裏をかくことが面白い、と感じ始めた。無料であるし、気が楽にできる。暇つぶしにはいいかも、と捉える。
驚きの表情を見せたシシーだが、笑みを浮かべ、部屋に入り、着替えをしながら声をかける。
「……じゃあ、ララが先手で◇ポーンe4ね。こっちが後手。◆ポーンe5」
対局開始。シシーは目隠しだ。脳内にチェス盤があるため、他の作業をしながらでも対局できる。楽しそうなララを見ていたら、少しやってみたくなった。さて、どうかな?
「え? え、ちょっと待って。えーと……e4、e5。◇ナイトf3」
唐突に始まったことで、狼狽するララだが、急いでアプリを立ち上げる。自由に駒を動かせるモード。ルイ・ロペスの初手◇ポーンe4。そして後手は◆ポーンe5。そして、自分の手番では◇ナイトf3。
「◆ナイトc6」
順番通りにいく定跡。無駄のない動き。シシーは服をハンガーから取り、脳内では数手先、数十手先まで読んでみる。必要ないことかもしれないが、癖になっていて、あえて止めるほうが難しい。
ララは悩む。そろそろ他のオープニングが影をチラつかせ始め、わからなくなってくる。◆c6にナイトが移動したのであれば、次は……。
「えーと……たしか……◇ビショップb5!」
なんとか捻り出し、コンピューターではなく、対人でもそれっぽい動きをしだして少し嬉しい。しかし。




