77話
湯気の立ち上るコーヒーを片手に、同じように少女は、横のボラードに腰をかける。本来の使い方ではないが、みな、ちょうどいい高さのイスとして使用する。
「強いヤツ。ここ、ライニッケンドルフ区は、ベルリンの中でも田舎だからね。お姉さんの求める強さかどうかはわからないけど」
事実、ライニッケンドルフ区は、ドイツの首都ベルリンの区ではあるが、四〇〇ヘクタール近い巨大な団地があり、その他にも小さな村が集まったような場所なのである。家賃も高くなく、交通の便も悪すぎるというわけでもないが、それでも高層の住居は空きが多く、人口も急速に減ってきている。
「誰でもいい。知っているなら教えてくれ。そいつとやったら帰る」
あまり期待はできない。そして仕合まで時間がない。これを最後に、次の区へ。シシーは決意した。
「いいよ。ついてきて」
腰を上げ、上機嫌な少女は歩を進める。賑わう街の喧騒から一本、横道に入っただけで、かなり様相が変わる。道幅も広く、駅からもそう遠くないはずなのだが、街灯も少なく、寂れたレンガ造のアパートが連立している。壁にも落書きや、チラシが無造作に貼られており、治安というものがあまり良くないことはすぐにわかる。
少し間を空けて、シシーもその後をついていく。
背後を振り返らず、一定のペースでコツコツとアスファルトを進む少女は、シシーに言葉を投げかける。
「怪しい人についていっちゃいけません、って習わなかった? 後悔するかもよ?」
そして立ち止まる。ちょうど、より薄暗くなる境目の位置。まるで、なにかを暗示しているかのように。
しかし、顔色ひとつ変えないシシーは歩みをやめない。そのまま追い越していく。
「後悔させないでくれ」
そして闇に染まっていく。
一瞬、フードの奥で素の表情を見せた少女だが、唇を舐め、顔を綻ばす。
「いいね。シビれる。いい感じだ」
「そいつはどーも」
感情のない感謝をしつつ、シシーは少女に先を譲る。行き先はわからない。だが、少しずつ楽しくなってくる。あぁ、これだ。ヤバい時ってのはだいたい、少しの緊張と興奮。それが無意識下で増幅していく。よかった、当たりを引けたみたいだ。
「そういえば、名前を聞いてなかった。なんていうの?」
奇妙なほどに静かな区画。少しずつ闇夜に目が慣れ、お互いが認識できるほどになると、少女がシシーの顔を覗き込む。本人の顔は見えない。
少し呆れ気味にシシーがため息をつく。
「まず自分から名乗ったらどう? 探してたんだろ、俺のこと」
となると、順番としては先に声をかけたほう、と少女に促す。言わないなら自分も言わない。




