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72話

 自分が恵まれているという自覚は、もちろんある。知識もあって、容姿もよく、要領もよくて。大抵のことはすぐに、ある程度までできた。他人より一段上の階段にいる、そんな感覚だ。


 でも、そんな自分でももちろん、疲れてしまうことはある。だからこそ、少し地上で休もうと思って降りる。でも、その触れた大地に、まるでそのまま飲み込まれていくような。堕ちていくような。そんな怖さを感じるときがあって——。


「……」


 板張りの床が軋む、そんなとてもボロボロのアパート。部屋の中では、これまた痛みの激しい木製のイスに少年は座り、そしてバランスの悪いテーブル。その上には、プレーしかけのチェス盤。時刻は午前三時。薄い月明かりだけが室内を照らす。


「……なるほど、そうきたか」


 少年は白番、つまり先手。ポーンをb4に指す。エヴァンス・ギャンビット。まだ序盤だ、軽快に駒が動く。


<じゃあビショップでb4のポーンを>


 黒、後手のビショップがポーンをテイク。


 すかさず白のポーンがc3に。


<ビショップをc5に戻すわ>


 このままではビショップはテイクされてしまうので、一旦b4からc5に逃げる。


「いいね、先が読めてる」


 少年が楽しそうに笑う。唯一の娯楽がチェスであるかのように、心の底から。


 その後、手は進み、最後は黒のキングがg8で他の自軍の駒に囲まれて、身動きができないところに、ナイトがチェック。スマザートメイト、将棋では『吊るし桂』と呼ばれる形。


 ひと呼吸、お互いにつく。


<……ふぅ、負けたわ。もう完全にあなたのほうが強いわ>


「そんなことないよ。ブリッツじゃなければそっちのほうが勝率いいし。それ以外にも、先手後手とかその時その時で違うから」


 拗ねてしまいそうな相手を、少年は慌てて宥める。しかし事実だ。短時間の急戦や、攻めと受けのチェスなど、お互いに得意なルールがある。他愛無い会話を交わし、窓に近づいて月を見る。


<早く仕合になればいいのに>


「たしかに。待ちきれない」


 その手には金色のポーンが握られ、コロコロと手遊びをしている。


「早く、会ってみたいね。『毒蜂』か、どっちの毒が早く効くかな?」


 そしてそのポーンを舌で、愛撫するように舐めまわした。

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