65話
「ウルスラッ!」
耳元で大きな声が発せられて、私、ウルスラ・アウアースバルトは、やっとのことで薄目を開けた。見知った天井。引っ越してきたときから付いている、この部屋だけ、高さを調整できるライト。ドイツのアパートは天井まで三メートル以上あるところが多く、賃貸であろうと勝手にDIYしてしまう。前の住人がきっとやったのだろう。
「……いいところだった……気がする」
深くは覚えていない。だが、もう少しで自分に自信が持てる、なにかが手に入る、そんな夢だった。気がする。少し心臓がドキドキしている。きっと、これは母親に大きな声で起こされて、その驚きではない。と思う。
「学校に間に合うかどうかより大事?」
母が問うてくる。布団を被っていて見えないが、きっと呆れた顔なのだろう。
「大事」
反抗的に私は返してしまう。アラームでは無理だったようで、もし母が起こしてくれなかったら、色々と問題はあるのだから、感謝はしたい。でも、もうちょっと私の夢の空気を読んでほしい。
「そう、ならまだ寝てな」
早々に諦めて母は部屋から出て行く。
「そうする」
と、これまた反抗的に私は了承する。してしまう。
バタン、という扉の閉まった音の後、数秒の間、無になる。なにも考えない。でも浮かんでくるのはあの方。不機嫌な私は、また目を瞑り、意識を飛ばす。夢でならまた会えるかもしれない。今度こそ、噛んでもらえるかもしれない。どんな声を自分はあげるのだろうか。でも、母がまた起こしに来てくれたら、今度こそ起きよう。
「……」
待つ。そろそろ起きたいから、来てほしい。
「……」
待つ。
「…………あーもう!」
痺れを切らして自分から起きる。なんだ、やればできるじゃん。いや、世間的にはできてないほうか。
「地味」
洗面台の鏡に映る自分に感想を伝える。クマができて色気のない目元、少しひび割れた唇、消えかかった眉。もっと事細かく説明したいが、時間がないので急いでシャワーを浴びる。湯気で少し曇った鏡に映った自分。
「ちょっとだけ派手」
自分の胸の大きさには自信ある。とはいえちょっとだけ。ちょっとだけ。首から上にモザイクをかけたら、そしたら選ばれる可能性は一パーセントくらい上がるかもしれない。選ばれるってなに?
浴室から出て体を拭くと、また洗面台の鏡の私。改めておはよう、とか言ってる場合ではなく、浴室から出たら三〇秒以内には保湿したい。ドイツの空気は非常に乾燥しているし、水も硬水。しっかりと保湿しないと、すぐにガサガサになる。化粧水、そしてセラム。髪を乾かす。朝はバタバタだ。もっと早めに起きればいいだけなのだけど。
今日は朝食は時間がないのでドリップコーヒーのみ。相変わらずお湯の量は失敗。ダメか。いつものこと。でも、いい夢が見れた気がするから、今日はイーブン。むしろちょっといいかも。いや、最高の気分!
「……あれ?」
学校へ向かう信号待ちのところでふと、制服のポケットに何か入っていることに気づいた。なんだろう。掌サイズの小さな膨らみ。それを取り出す。
「んんー?」
取り出したのは、可愛いシロクマの描かれたエコカイロ。知ってる。お湯で温めると再利用できるやつだ。でもなんでポケットに入ってるかは知らない。
「……ダメだ、ここのところボケてる」
家を出るのも早すぎたようで、現在、相当時間を持て余してしまっている。なんでこんな早く出たんだろう?
それに、先ほども財布の中に五〇〇ユーロ札が三枚、入っていた。もしやと思って、ATMで貯金を確認したら、やっぱり残金ゼロだった。なぜか全部おろしてカバンに詰め込んでいたみたい。ダメダメだ。
「はぁ……あったかい」
お母さんがくれたマフラー。モデル愛用のって言ってたから、調べてみたら、今SNSなどで話題のララ・ロイヴェリク。相当品薄なようで、よく手に入ったと褒めてあげたい。海外だと、クリスマスくらいにならないと手に入らないとか。ベルリンでよかった。
「ふふっ」
今日は夕方からアルバイト。少しずつコツコツとお金を稼いで、お母さんと旅行に行こう。あと、学校の先輩のシシーさんのように、強く綺麗な人になりたい。今の目標。
「頑張ろ」
小さく決意表明。信号が青に変わった。一歩踏み出し、学校への道を歩き出した。
ブックマーク、星などいつもありがとうございます!またぜひ読みに来ていただけると幸いです!




