38話
多目に見てほしい態度ではないが、男は精神を乱さない。なんとかして盤面をぐちゃぐちゃにして、実力の差を埋めようとしているのだろう。そうすればもしかしたらがある、との考えか。終盤に自信があるということなのか。油断はしないが、逆に自身にプラスに働くと読んだ。というのも、多面指しは得意だ。数人から一気に巻き上げる時に、時短になるから。
「面白ぇ。それでいい。さっさとやろう」
お互いに、複雑になる盤面を正確に読み切らなければいけないのは変わらない。一面でやるより当然難しさはハネ上がる。経験がモノをいう。
言ったものの、確実な勝ちがあるわけではない。だが今後、より強いプレッシャーの中で、より強い相手と、より複雑な読み合いに勝たなければならない。そのための試金石に、この男になってもらうとシシーは考えた。
(さて、オレはこの対局で、どこに到達できるのか)
対局が始まる。『二本先取』『ラピッド二〇分』、そして『二面指し』。当たり前だが、表の公式戦ではあり得ないルールだ。
お互いに白盤を持ち、先手を指す。男が先手の盤面(A)、シシーが先手の盤面(B)。男はポーンe4(A)。シシーは……ナイトh3(B)。
「あ?」
まず、男が相手の初手に困惑する。普通なら、ポーンd4かe4が定跡。なにをするにしても、これ以上に有利に働く手はない、と断言できる。それをなにを血迷ったか、一手損のナイトh3。通称、パリオープニング。マイナー中のマイナー手。奥歯をギリっと噛み締める。
「どうした? そっちの手番だぞ?」
何事もないかのように、シシーは自身の黒ポーンc5(A)。いわゆるシシリアンディフェンス。
男の手番の黒が初手から止まる。最初から片面は、俺を翻弄するために存在する盤面ということか、と怒りが込み上げてくる。
「パリオープニングだぁ? てめぇ、なめてんのか?」
一手損をするということが、どれだけ後に響いてくるのか、流石にわからないわけではないだろう。だが、焦らせるのが目的ならば、それに乗っかってはいけない。一度頭をリセットし、男はポーンe5(B)。冷静に。
無茶な手を指してくれれば、余裕を持って自身も指せるのだが、そんな簡単にはいかないようだ、とシシーは内心で舌打ちする。
「そうなるよな、普通。うちは師匠がひねくれてるもんで」
やれやれ、とシシーはポーンをe4(B)へ。ようやく定跡が始まる。
奇をてらった初手に面を喰らったが、男は再度、この対局の中身を確認する。パリオープニングなど、めちゃくちゃなことをやっておいて、練習だと思ってたじゃ話にならない。
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