35話
地図に書かれていたのは、リヒテンベルク区にある、路地裏のバー。四、五階建ての石造りの建物が並ぶその裏通りは、数件に一件の割合で安居酒屋のようなバーが立ち並ぶ。薄暗く、人通りもあまりない午後二一時。他に立ち並ぶ店は、衣料品や雑貨屋などが多く、当然この時間は閉まっているため、より一層バーのネオンライトは目立つ。
「ここか。いかにも、なとこだな。いかにも悪いことやってます、って感じ」
そのうちの一件。しっかりと法の基準に則って営業している店なのだが、シシーの穿った目からは、悪人御用達に見えるらしい。入ってみると、必要最低限の間接照明のみで、店内は薄暗い。醸造所やビアホールのような活気もなく、数人いる他の客も静かに飲んでいるのみ。バーとはそうあるものなのだが、店員のガラもお世辞にもいいとは言えず、挑発的だ。
その店の奥に、ローソファー二つとローテーブルがひとつ。そして、スーツを着崩した三〇前半と思しき男。そしてチェス盤。チェスクロック。
「あんたか?」
ソファーに深く腰掛けた男は、気だるそうに顔だけ、声をかけてきたシシーに向けた。眼光は鋭く、射抜くような眼力。相当な修羅場を経験してきたと思うに容易な、刺さるような圧がある。
「なんだ? 話しかけるな。今なら見逃すから。帰れ帰れ」
こんな時間に、こんな場所にいる子供に用はない。そう言いたげに男は、手で追い払おうとする。精神を統一させようとしているのか、目を瞑る。
しかし、気にせずシシーはドカッとソファーに座り、足を組んだ。邪険に扱われて、少しご立腹の様子。
「そういうわけにもいかないんだよ。あんたが代打ちなんだろ? それともただのチンピラか? だとしたら悪かった」
ゆっくりと目を開き、男はその目でじろりと姿を確認すると、わかりやすく大きなため息をついた。
「……お前が……あれか、マスターの孫かなんかか。ここでなにが行われるのかわかって言ってんのか? わからないなら帰れ」
「知ってるよ。ほら、軍資金も三〇〇〇ユーロ。そんでこの封筒。あんたは中身がなにか知ってんの?」
お金と中身不明の封筒をテーブルに置き、代打ちである証拠をシシーは示す。危険な場所、危険な相手であるが、全く臆さず、軽く笑みさえ浮かべて対峙する。毒まで飲んで一度死にかけている身であることから、恐怖といった感情が抜け落ちているのかもしれない。
この子供が代打ちであることは、この男も確認できた。が、だからといって甘やかすようなことはしない。変わらず鋭い視線でシシーを貫く。
「聞いてる。が、俺にはどうでもいいものだ。それを雇い主に渡して、契約金と出来高さえもらえればいい」
シビアに、手を抜かず仕事をやり切る。それ以外持ち合わせていない。たとえ目の前の子供が初心者であろうと、妊婦が目の前で陣痛を起こそうとも、それは仕事を適当にこなす理由にはならない。終わってから救急車なりを呼んでやる。
少し落胆した様子でシシーは会話を続ける。強い相手と戦いたい、という思想を相手は持ち合わせてはいないようで、そこに期待できないからだ。
「結構ガッツリ取ってくのね。ま、真剣師ってそんなもんか」
「そんなもんだ。だが、チェスに関しては妥協しない。そっちの報酬はなんだ。俺に勝ったら伝えてやる」
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