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326話

「さっきの毒薬なんですけど、あれは嗅覚を阻害する神経毒、なんですよ」


 嗅覚受容器と呼ばれる神経細胞。これを破壊する毒。直接、命に関わるような毒ではないが、有害なガスなどに気づくことができなくなるため、間接的に危険に晒すことになる。


「嗅覚……一時的なものか?」


 嫌な気配をシシーは感じた。いい香りはストレスの低減や心の平穏に繋がる。香水が日常的に使われる国や地域であれば必需品。そんな人も多いはず。


 そしてその嫌な気配は的中する。厳しい表情のグウェンドリンは辿々しい口調になる。


「いえ、これからずっと、です。嗅覚が使えないとなると、つまり——」


「味を感じなくなる、ということか。料理人では致命的だな」


 もし自分がそうなってしまったら。それを考えるだけでシシーは恐ろしい。愛する人の香りも。眠る前の癒しの香りも。一日のスイッチを入れるコーヒーの香りも。どれもとても大事なもの。生きていく上で欠かせない。それが欠けてしまう。


 視覚や聴覚、触覚に比べて味覚や嗅覚は『生きていく上で優先順位が低い』という位置付けにある。見ること、聞くこと、触れることができないと外を歩くにも難しく、味や匂いはなくてもなんとかはなる。


 しかしいわゆる『味』というものは、味覚だけで感じ取っているものではない。辛味であれば痛覚を刺激し、青いものが食欲を減退させると言われるように。高い音が甘さを引き立てるように。食感なども含めた五感全てを使って感じ取るものが『味』となる。


 その中でも嗅覚というものは一番密接に関係しており、人間にとって味覚と識別しにくい。切っても切り離せない程に。食事や香りという、生きていく上での楽しみを奪うことになる。文字通り、無味無臭の人生となりかねないため、人によっては視覚よりも重視される。


「そういうことです。申し訳……ないことをしたような」


 ここはそういう場所だと。わかっていても、毎度この時は辛い。勝ったほうはそのリスクに見合うだけの報酬もあるのだが、それでも。


 なんだか気が抜けてしまった。どうこの状況を処理したらいいのか。だが、シシーからすればそれは覚悟の上だ、と言っていいはず。


「選んだのは彼女だ。そういうことを言うとそれはそれで怒られるんじゃないかな。それに——」


「それに?」


 グウェンドリンは言葉を待つ。


 彼女の棋譜。それも多く見て参考にしてきたシシー。そこから見出せるものがある。


「シュ・シーウェンのチェスは終盤に逆転が多い。心配いらない。その程度で諦めるような人間じゃないと断言できる。ほら、ベートーヴェンも耳が聴こえないのに名曲を生み出し続けただろう? そういうことだ」


 チェスの棋譜には人生が記されているようで。そう読み解くのであれば、彼女はまだ諦めてはいない。予想もつかない手から、力づくで勝利をもぎ取る。きっとそうなると、願うしかできないけど。

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