312話
なんだか話のピントがズレている。苛立ちを隠せないドゥ・ファンの口調が激しくなる。
「答えになっていない。だからそれをどうやって——」
「覚えたんだよ。九六〇通りの配置の最善手を。流石にコンピューターで検討しながら、だけどね」
あまりシシーは好きではないがAIの力。それを駆使して一日、研究をしていた。バードオープニングという、マイナー寄りの手に限定することでさらに流れの幅を狭めていく。それでなら可能、と賭けに出た。これ以外では勝つ方法などなかっただろう。
全ては研究の賜物。相手の運要素の割合を引き上げ、自分の割合を下げる。勝つための確率を少しでも引き上げる。言うは易し、だがその決断にドゥ・ファンは唖然とする。
「……覚えた、だと……? バカな……」
それでもどれだけある? しかも一日で……? 頭の中がグチャグチャになる。相手の言っていることが本当であれば——。
「記憶力には自信があるんでね。一部、応用が効きそうなところは除外したりもしているから、それよりはずっと少ない。今ならフィッシャーランダムで先手を取れれば世界一かもね。相手が最善手を指してくれることが条件だが」
相手が強ければ強いほど発揮するシステム。弱ければ使うまでもないもの。始まる前からシシー有利で始まっていたが、プロフェッサーと呼ばれる者達は問題ないと判断した。むしろ、そんなことができるのであれば見てみたい、と。人間の可能性を広げてみろ、と。
つまり『バードオープニング限定の最善手だけを覚え、どのような配置で、相手がどんな手を指しても返せる状態に記憶しておく』こと。それこそがギフトビーネのなりふり構わない戦略。そしてそれが唯一の勝利条件。
……沈黙。今起きていること。聡明なドゥ・ファンをもってしても理解には時間を要する。「なるほどね」で済ますには、少々博打が過ぎる。だがその、細い針の穴を通すような勝ち筋。全てやられているわけで。それでもまだ、腑に落ちない点がある。
「……なぜバラした? お前の言うことが本当であれば、そのまま続けていれば勝てるはずだろう」
ここで発表をする意味。それがわからない。最後まで、いや、途中で旗色が悪くなれば自分も気づくが、それでも『今』ではないはずだ。もう少し手が進み、引き返せないところまで来てから。それでいいはず。なのに。
問われて不思議そうにシシーは返す。
「なぜ? 決まっているだろう? 俺が。そのほうが『面白い』からだ。それ以外に理由などない」
勝つことよりも、自分の興味を優先する。その上で勝つ。そのためにここにいる。ただただ勝ちたいだけなら、ドイツの酒場で適当に賭け事をやっている。リスクがあるから面白い。工夫を凝らすから面白い。その中で勝つ。それこそが生きている証となる。




