304話
水を差された形にドゥ・ファンは怒りを露わにする。
「対局中に話しかけるのはマナー違反だ。ふざけているのか貴様」
神聖な場所。プレーヤー以外が干渉してはならない。審判だろうと小間使いだろうと、それを許すことはできない。
それには同意するシシーだが、喉が渇いたのも事実。たしかになにか欲しいかもしれない。
「まぁまぁ。こんなメチャクチャなことをやっていて、今更ルールなどないだろう。対局はそもそも会話禁止だ。では俺はモンローマティーニを」
おそらく今現在、全世界で最も罪深いチェスを指している。堕ちるところまで堕ちている。なら体裁を機にする必要などないだろう?
少し頭に血がのぼっていたことをドゥ・ファンは理解した。チェスにおいて最も大事なことは冷静さ。虎視眈々と相手のキングを狙う狡猾さ。
「……それもそうか。同じものを」
前回の対決でも、相手は途中歩き回ったり薬物までやっていた。それに比べたら可愛いものか、と渋々受け入れる。
モンローマティーニ。たしかマティーニに砂糖を入れるだけだったはず。うん、いける、とグウェンドリンは自分を鼓舞する。
「少々お待ちをー」
自分の初めてはこの人達に捧げる。悪くないかも。そうと決まれば練習通りにやってみますか。
相手の手番にこのやり取りの時間を使ってしまっている。ドゥ・ファンにとって多少バツが悪い。しかしマナー違反が許されるのであれば。あの子と同じことをやってみるのもまた一興。
「……」
そうして内側の胸ポケットから取り出した立方体。あまりやったことはないのだが。なんだか目について。持ってきてしまったもの。
カラフルな色合いと形。手を考えつつもシシーは視線を送る。
「……ルービックキューブ」
それの『四×四×四』。通称ルービックリベンジ。約二・三五×十の三八乗個もの配置を持つ、ある意味で宇宙を超えた存在。違う遊びに興じようとしている?
カチャカチャと崩しながらドゥ・ファンはそちらにのめり込む。
「なにをしてもいいんだろ? 考える時に指を動かしたいんでな。禁止とは言うまいな」
言うなれば頭の体操。通常ではないルールのため、少しだけ頭痛がする。それを緩和するために試してみている。本来、チェスの大会では棋譜を書くためのペンくらいしか手元に置いてはいけない。だが今回はなんでもあり。色々と実験に近い。刺激を脳に与えてみる。
だがそれは相手が本気になってくれている、ということに他ならない。楽しめればなんでもいいシシーからすれば、断る理由にはならない。
「もちろん。遊びがより楽しくなるなら大歓迎だ」
かつて女性最強だった人物ではなく、現時点での女性最強。これほど血の沸く相手は見つからないにも関わらず、それがやっと余すことなく自分を見つめ続けていくれている。今すぐに抱きたい衝動を懸命に堪えるのに精一杯。次の手は◇d3。ポーンをひとつ前へ。多少時間を使ってしまったが問題ない。




