290話
対局はすぐに決まった。ドゥ・ファン対ギフトビーネ。全て気まぐれで決まる。やりたい、と主催者が思ったらすぐにできるという点はメリットになるかもしれない。準備ができないデメリットもあるが。
バーで出会った日の夜。正式には日付が変わる時間からなので、次の日にはなるが、二四時間も時間をおかずに対局は始まる。
「決まったの? 勝負するの?」
心配そうに。それでいて誇らしげに。ケティは対局に向かう姉の背中に問いかける。姉のやっていることは知っている。危険で。歪で。でもカッコよくて。それが姉の本当の姿だと思うから止められなくて。
タバコでも買ってくる、とでもいうような軽さでドゥ・ファンはドアに手をかけた。
「あぁ。いつも通り。いつものように勝って。いつものように稼いでくる。それだけだ。ケティはここにいろ」
欲に塗れた自分を見てほしくなくて。この場所に閉じ込める。きっと、あいつならそうする。そんな気がする。真似事でしかない。嫌いだったあいつの行動。それをそっくりそのまま。
なんら変わらない、時々ある日常。姉の強さを疑ったことはない。それでも、ケティはなんだか今日に限って。嫌な予感しかしない。勝つのに。勝つはずなのに。涙が出てきそう。
「強いの? どんな人?」
知りたい。少しでも。そして、話をしたい。できるなら。行かないで。
ギフトビーネという人物。念の為ドゥ・ファンは棋譜は見た。ヤツの生き方と同様、ハイリスクハイリターン。そんな指し方。
「強い……というより獰猛という感じだ。死など恐れていないような。なにもかも手にしているのに、手にできないものが欲しくてしょうがない。そんなヤツだ」
自分も似たようなものか、と吹き出しそうになる。なにを相手にだけ押し付けて。さも自身は健全な身です、とでも? そんなつもりはさらさらない。だが、認めたくない。
今までに何度も女性の、それもグランドマスターとも対局したことはあるが、チェスという『スポーツ』の枠組みだった。だが、あいつは。ギフトビーネ、いや、ここにいるヤツらはみな、殺し合いだと思ってそれを楽しんでいる。自分も。死が身近にあってほしいと願う者。
「どこの国の人? 美人?」
矢継ぎ早にケティは問う。応援したい。でもしたくない。どうかこのまま。行くのをやめてくれますように。そんな言葉が散りばめられている。
なんだか後ろ髪を引かれているようで、ドゥ・ファンは反応に困る。こんなことは今までになかったと思う。
「……質問が多いな。ドイツだ。『ギフトビーネ』。弱い。これ、持っていってもいいか?」
話題を変えよう、とケティが手に持っていた、お守り代わりのルービックリベンジ。それを手に持つ。これがあれば大丈夫。目でそう伝える。
それで無事に帰ってきてくれるのであれば。渡した側のケティとしては安いもの。
「いいよ。もう使ってないし。ていうかあげるよ返さなくていい」
いくらでも持っていって。予備もあるし、プロフェッサーキューブも。全部。懐に入れていって。
メンタルを安定に保つには充分。気合いを入れ直したドゥ・ファンは今度こそ。
「そうか。ありがとう。行ってくる」
迷いなくドアの向こうへ。ここで勝つ。それだけ。それだけでいい。甘さはここに捨てていく。
「……お姉ちゃん?」
その後ろ姿が。まるで。どこかで。ケティには。どこかで見た気がして。




