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286話

「お帰り。先に食べてるよ」


 そんな声が聞こえそうな気がする。あの時よりも部屋は随分と広くなった。あれは寮だったし。今は自分の稼いだお金でマンションに住んでいる。金融テクノロジーの企業ブランドアンバサダーを務めているため、それなりの金額が懐に入る。


 表向きは世界的なチェスプレーヤー。積極的にファンサービスを行ったり、動画配信などもやることはないが、しっかりと生きていけるぶんは稼げている。だが、これがなくても、裏の稼ぎはその何倍もある。一局で数年ぶんになるほど。


 もちろん、バレたら違約金などがとてつもないことになるのだろう。逮捕などもあるかもしれない。別に、少額の賭けチェス程度ならなんら問題はないのだが『毒蜂』はそういうものとは違う、命やそれと同等のもの賭けているのだから。完全に違法。


 それでも。彼女は生き続けている。その国の毒蜂がいなくなると、また次の毒蜂が補充される。最後に争った相手はミュルクリネン・メヒライネンとかいう名前だった。フィンランドの毒蜂はそうなのだそうだ。


 非常に美しい人物だったことは覚えている。だが彼女は。自分に負けたあと、両目を失ったらしい。それは視力という意味なのか、眼球という意味なのか。そこまでは知らない。その後どうなったのかも。生きていればどこかでまた会うのだろうか。


 勝つたびに、相手からは負けた腹いせとして通報でもされるかと思っていたのだが。今のところそういうものはない。記録として残らないようにしているらしい。金持ちの考えることはよくわからない。されたらされたでいい。チェスをやめるだけ。


 潔く負けを認めるより、どうにかあがこうとするヤツもいる。それもそうか、命とか賭かっているのだから。もし自分が。負けたら。それはそれでいい。しっかりと握手をして。目を瞑り。最後の時を待つと決めている。そうすればきっと——。


「お腹空いたね。ご飯買ってきたの?」


 唐突に部屋のライトが点いた。寝巻き姿のケティ。なにやら夜食でも作ろうと思っていたのか、キッチンからリビングに戻ってきた。手にはティーカップ。テーブルの上に置き、そのままソファーにダイブ。


 まさか起きているとは。時間はまだ深夜、と言っていい時間。面食らうドゥ・ファンは眩しさに目を細める。


「珍しいな、いつもなら昼過ぎまで寝てるのに」


 起こしても起きないはずのヤツ。こうやって帰宅を待たれているのは不思議な感覚。


「今日は変な夢見ちゃったから。はい、どうぞ。お姉ちゃん」


 そうティーカップを差し出すケティ。中身はコーヒー。適当に淹れたから味の保証はしないけど、飲める程度ではあると思う。きっと。


 一度だけ。一瞬だけ。瞬きにドゥ・ファンは時間をかけた。その刹那に記憶が巡る。


「……あぁ、ありがとう」


 受け取り、そう感謝を伝えて一緒に並んでソファーに座った。香り。苦い。苦いのは。過去。


 あれ以来、ケティはドゥ・ファンのことを姉だと認識してしまうようになった。もう何年も経っているのに。そこは。なぜか変わらないでいる。

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