285話
昔の自分て明るかったっけ、暗かったっけ? 忘れた。そんなこんなで自分の話ばっかりしつつも、キリのいいところでヴァージニーは締めくくる。
「そんなわけで今日はデートだから。じゃあねー」
その報告のために来ただけだったのに。気づけば数十分。なんだか余計に喋っちゃう。
やっと終わりが見えてきた。感情を無にしてシーウェンは冷静に。
「いちいち来なくていい。さっさと行け」
聞き上手だとでも思われている? それは非常に厄介。今後もそうなるのは避けたいのに。背中を見送りながら「もう来ませんように」と何度祈ったか。
静かになった室内。ベッドの上に異物。
「……タバコ。置いてくなというのに……男ができるとこういうのもやめるのか?」
そういえば胸元にタトゥーを入れた、とも言っていたな。文字は『フェ・ドゥ・ボ・レーヴ』。良い夢を。なんだそれは。恥ずかしい。それも男の趣味か?
なんにせよ、静かなことはいいこと。穏やかなことはいいこと。ここ最近、騒がしかったこともあって、なんだか落ち着く時間が唐突に来た。だからか、寝ようと思っても眠れない。あいつの声が幻聴で残っている。今すぐにドアを破って「別れてきた」とか言いそう。
「……チェス、か」
なんだか頭の中に浮かんできた白い王。馬。黒い女王。あいつが真剣に相談するものだから。余計なものを削ぎ落としたら、白と黒のチェスボードが天井にじわじわと滲んできた。勘弁してくれ。
チェス。チェスとは。相手の王をチェックメイトできたら勝ち。どんな貧富の差があろうと、男女の違いがあろうと、大人と子供だろうと。誰にも平等。それはシャンチーでも言えることだが。施設では遊戯もあまりないから、かなりみんなでやっていたし、一番強かった。
こっちに来てからは全然やっていないけど。理論はわかる。もちろんチェス特有のそう言ったものはあるだろうし、すぐに強くなれるとは思っていない。強くなりたい、とも思っていない。ただ、少し触れてみたい、かもしれない。それだけ。
「……」
だからと言って今からチェスボードと駒を買って、なんてことはしない。もしあいつがここに来た時に見つけてしまったら、すぐに「やるの? 私も久しぶりにやろっかな」なんて言いながら、こっちの都合を無視して始めてしまうのだろう。
そして勝手に手番を決めて、動かして、私が負けたことにされる。するとどうなる? きっとまたご飯を作れ、とか。買い物行こうとか。そういう流れになるのだろう。だから買わない。やるなら携帯のアプリで。今の時代はこれがあればある程度は充分だ。
「……ま、作るなら激辛だな。あいつの悶絶する姿が目に浮かぶ」
フランス人は当然、中国人ですら味わったことのない辛さにしてやろう。そのためには準備が必要だ。少し遠くの専門的なスーパー。そこに行ってみよう。
そんな逆襲を想定していた。その一週間後。悶絶する姿なんて見ることもなく。あいつは。ヴァージニー・ルカヴァリエは死んだ。




