278話
「寝ちゃったけど」
数分後にはララはカウンターに突っ伏して眠っている。とっくに限界を超えていたのはマスターもわかっていたので、チェイサーとしてノンアルコールカクテルなどで対処していたが、どうやら限界が来たらしい。
静かに飲むドゥ・ファンは「だから?」とでも言いたげにジロッと睨む。だが、ふと心に去来すること。
「……そういえば支払いは」
奢ると言っていた本人は夢の中。グラスを持つ手が止まる。グラスの中のオリーブが揺れる。気づかないほうがいいことに気づいてしまった心のように。
相も変わらずの動きの少ない表情のまま、冷静に、冷徹にマスターは事実を公表。
「まだ。ちゃんと払って」
今度払う、は一切ない。お金の貸し借りは信用を揺るがす。なので顔馴染みだろうと、いつも気前よく払ってくれる人だろうと禁止している。
無言で流れをドゥ・ファンは追ってみる。すでに自身もいつもより飲んでいる。だがそれは自分の金ではないから。隣の酔っ払いのような飲み方はしていないが。
「……奢りと言われたぞ」
「でも寝ちゃったし。迎えに来るって言ったらしい人、払ってくれるかもわからないから。とりあえずファン、払っておいて」
寝る前になんとかそこまではたどり着けていたが、それでもマスターからしたら「いったん払ってもらって、お金はその人からいつか受け取って」ということ。譲歩は受け付けない。
はぁ、と何度目かのため息をドゥ・ファンはつく。
「なぜ」
「もう友達でしょ?」
当人のミスは友人が支払うべき。少なくともマスターは二人は友人だと判断した。今日も何事もなく店を終えるために、ルールは必要。
友達? どこをどう見たらそうなる。初対面で一方的に絡まれただけ。反論するドゥ・ファン。
「……違う。どちらかというと敵だろう。私の時間を邪魔する」
ここへはゆったりとした落ち着きを楽しみにきたのに。全くそうはならなかった。いつものように、いつも通りに心を整えに来ただけなのに。とんだ厄介ごとに巻き込まれた。
友。敵。それらは実は必要なものである。また映画の名言がマスターの口をついて出る。
「『友は近くに置いておけ。敵はもっと近くに置いておけ』」
それはドゥ・ファンにとって、指摘されるのもむず痒い事柄。
「……ゴッドファーザー2か」
映画で有名になったこの格言。元々は孫氏の兵法であるが、アル・パチーノ演じるマイケル・コルレオーネが、父親から教わったと語るシーンで使われる。その敵すらも利用すること。マフィアを拡大するにはこういった考えも必要。




