274話
その映画は女性は観たことはない。だがタイトルに噛み付く。
「私は浮気はしませんッ! 下着も新しいの買ったのに……!」
完全に酒で出来上がっている人間の挙動。浮気、と聞いて、自分が疑われているような気がした。酔っていてもそれはキッパリと否定させてもらう。
今日は絶対に静かに飲めない。わかっていたがドゥ・ファンは再認識。来なければよかった。昨日のうちに買って冷やしておけば。
「……それはそれは」
適当に相槌。こういうやつにはなにを言っても聞かない。そういえば、と昔の記憶が蘇る。
もう、何年も昔のこと。あの時は自分の部屋にあいつはやってきて。こんな風に空気なんて読まずに居座り続けて。なんでこんな感傷に浸っているのだろう。夢のせいか。
さらに女性はグイグイと言葉通り近づいてくる。
「映画、好きなんですか? というかアジアの方? 私、最近オルチャンメイクにハマってるんですけどどうですか? 家はこの近く?」
とりあえず喋りたい。これが男の人だったらこんなことはしないはず。女の人だから、少し脇が甘くなっている。どれだけ酔っていてもそこに理性が働いている。
シェイクしながらマスターは、気持ちは理解しつつも見ていられない。
「……ファン、相手してやれ」
「ファンさん、ていうんですか。私、ララ・ロイヴェリク。よろしく!」
さらに身を寄せながら名を名乗るララ。もう友達。離さない。こっちに来て最初の友達。つまり今日は飲む日ってことで。モンローマティーニ。まだかな?
グラスに注ぎながらマスターは冷静に状況を理解。これ以上飲ませるのはやめたほうがいいか。そんな気がしてきた。
「……一気に馴れ馴れしくなったな……」
多分、友人とか多いのだろう、この性格は。ファンとは正反対だ、少なくともこういう日に来るこいつは静かに飲みたいだけのはず。なんかすまん。
気にせず持論を展開し、話の主導権をララは握る。酒の影響で頭がポーッとする。いつもより陽気で喋っている。もっと自分は落ち着いてるはずなのに。でもいいや。どうにでもなれ。
「どんな仕事もね。自分とやるメリットを伝えるより、まずは親しくなっちゃえば円滑に進むし、その先の仕事にも繋がるから。ほんとそれ。で、ファンさんて本名? 私は本名」
考えるより先に口が動く。いつもこんなに飲まないから、飲んだらこうなるんだという発見。次回は気をつけます、次回は。
差し出されたモンローマティーニ。口をつけてドゥ・ファンは静かに喋り出す。
「……違う。ファンは中国語で『蜂』。あだ名のようなものだ」
無視すればいいのに。だが、なぜだか喋ってしまった。彼女が美人だから、とかもあるかもしれないが、そうじゃない。なんだか、こうやって壁を作らずに会話をできる人がほとんどいないから。色々な要素が集まって会話に参加してしまっている。不思議。そう、不思議だ。




