260話
同時期。ドイツはノルトライン=ヴェストファーレン州、レヴァークーゼン。『工場の街』として有名ではあるが、それはドイツ国内での話。サッカーチームがあるため、ファンであれば名前くらいは聞いたことがあるかもしれないが、そうでなければ世界的には知らない人も多い。そんな小さな都市。
世界的な製薬会社の工場などがあるため、工業化した街並み、ではなく、閑静な住宅街が広がる。大きな建物もあまりないため、大都市と比べても自然が多く、空が広い印象。駅周辺にはスーパーマーケット、ショッピングモール、映画館、カフェ。その他生きていくならなんら問題はない充実した機能。
サッカーチームには航空会社や銀行、スポーツメーカーや保険会社などがスポンサーとなっていることも多いが、モール内のスーパーが地元チームのそれを担っていた時期もあったりと、地域に根付いた活動をしている密着感。地元愛の強さは折り紙つき。
そんな静かな街に無数にあるトンガリ屋根の住宅。そのうちのひとつ。小さな室内には観葉植物やソファー。窓際には机が配置してあり、そこに寄りかかる男が問いかける。
「『時間から逃れることはできるか?』。これについて論じて」
その問いはフランスのバカロレア試験の哲学問題。二〇一九年に出されたこの設問。試験では、まず自分の考えを述べることは大前提であるとして、それに対する反論も想定しなければいけない。さらにその反論を打ち負かす、よりも二つの主張を混ぜ合わせ、互いに納得できるような答えが求められる。
そして問われたのは幼い少女。艶のある黒髪。床でパズルを遊んでいる。ドイツの玩具メーカー、エスケープヴェルトの『クエストパズル』。遊び方は、四〇個ある木製のピースを枠に当てはめていくシンプルなもの。だが、ひとつひとつ違う珊瑚のような形。もちろん絵柄もない。
無言で何度も完成しては崩してを繰り返していたわけだが、無表情でその手を止めずに質問にも答える。
「不可能だ。まず『時間』というものの定義から話そう」
そして数十秒後には完成。また崩す。枠の向きを変えたりしながら何度も。
「そして『逃れる』の定義だが——」
他の哲学者の言葉を引用したりしながら問題も提起。本で読んだ知識をフルに活用する。
「こんなものでいいか?」
序論・本論・結論としっかりと構築された論述。バカロレアでは、白紙に数時間かけて記す内容。もちろん少女は事前に知らされていたわけではない。だが、考える時間をほぼ与えられることもなく、趣味であるパズルを解きながら。
しばしの沈黙。年齢不相応ともいえる内容だが、男は冷たい視線のまま。そして。
「ダメだ。美しさが足りない」
やり直しだ、と再度答えを要求する。
その仕打ちに対しても少女は「そうか」とだけ返す。オレは果たしてどこにたどり着く? そんなことを頭の片隅にしまい込んで。




