256話
「……」
そうくることがわかっていたかのようにケティはナイトをf3へ。そしてまた考える。
「……ナイト? ここでナイト動かす?」
そう父親が声を上げるのも無理はない。これはたしかに定跡ではある。一番使われる、と言ってもいいルイ・ロペス。少し齧れば、ネットなどからたどり着くであろう解ではある。
が、ケティは初めて触ったはず。ルールも覚えたて。普通なら、他のポーンを全部前に出して壁を作ってみたり。もしくは強いクイーンを動かしてみたり。単純な作戦を立てそうなものを。
その、少しザラついた異常な雰囲気をヴァージニーも悟った。始めたて『らしからぬ』動き。自分はたしか……端からポーンを一列ずつ上げてった気がする。サッカーでラインを押し上げるみたいに。ローラーで轢いていくみたいに。「挽き肉にしてやる」くらいなことも言っていたかもしれない。
「……」
勝ちを譲ろうかと思っていたが、なんだか嫌な気がする。完膚なきまでに叩きのめす。そのほうがいい気がしてきた。ルイ・ロペス。この先ってどうなってたっけ。
手にはなにも持っていないはずなのに。自然とケティの指が動く。四角い立方体。ガチャガチャと。回転させ。合わせ。揃え。
「なんかこっちのほうがいいかも」
ビショップをb5へ。俯瞰で見える。この先、どうなっていくのかが大体。たぶんこうなって、こうなって。ルービックキューブがどんどん組み上がっていく感覚に似ている。それをなぞるだけ。
「……?」
本当に初めて……? 美しいルイ・ロペスの定跡。たぶんその名前すら知らないだろう。筋がいい、では済まないような。どんどんとヴァージニーの表情から余裕が消えていく。というか頭が真っ白になってきた。
そして手が進んでいく。盤面を深く覗き込むケティ。相手を観察するヴァージニー。対照的な二人。
「それ」
「?」
唐突に姉がナイトをh4に移動させたところで、恐る恐るケティは指摘する。
「いいの? あと九手で終わっちゃうけど」
指で確認をすると、うん、やっぱり九と自信を持って首を前後。この楽しい時間が終わってしまうのが少し寂しい。
「はぁ?」
まだ混戦模様、と考えていたヴァージニーは眉を顰めて応戦。九? そっちの勝ちってこと? そんなバカな。むしろ、自分のほうが攻めている手応えさえあるのに。可愛いやつめ。
なんとなくニコチンが不足してきた姉と、真剣にミスがないように、見落としがないように局面を煮詰める妹。そして——
「……ピッタリ九手……」
盤面を覗き込む父親は声を失う。




