240話
女性は身を起こし立ち上がると、フラフラと窓に向かう。カーテンを開けると、ほんの少しだけ外の灯りが入ってくる。
「キミとのキスはまるでキシリトールでも入っているかのように後味スッキリなんだ。でも私が望んでいるのはさ。ドロドロに甘い、胃にガツンとくるものなんだよね。あ、一本もらうね」
壁際のテーブルに置かれたタバコ。許可はまだ出ていないが勝手に取り出して咥えた。慣れた手つきでジッポで火をつけ吸う。
吐き出された煙が天井に向かって消えていく。それを射殺すような視線で見つめながらドゥ・ファンは述べる。
「私じゃ不満だと?」
別にかまわないが、なんだろう、腹が立つ。シンプルに。かまわないが。
ヤキモチ? クールな彼女のそういうところがたまらなく好き。愛している。女性はガバッと勢いよく乗っかった。
「そうは言ってない。要は時と場合だね。魚を食べる時は白ワインのほうがいいでしょ?」
本当はもっとジャンクなフードのほうが好きなんだけど。ハンバーガーとコーラ。フィッシュアンドチップスとビール。そっちのほうが例えるならよかったか、と今更ながら。
こいつに食に関してなにか言われたくないドゥ・ファンだが、脳裏をひとりの女が占める。
「あいつは私の獲物だろう。手を出すな」
せっかくのご馳走。誰かに奪われるなどもってのほか。
行為の最中に違う女のことを考えている。なので女性は非常にご立腹。タバコを吸い、ゆっくりと吐き出す。
「出すなと言われると出したくなる。相変わらず素敵だ。私も同じの彫ろうかな」
そうして撫でた部分。ドゥ・ファンの胸元に縦に二文字『好梦』のタトゥー。舌を這わせてみる。味はしないはずだが、まるで蜂蜜のように甘い。そんな気がする。
立ち上る煙をぼんやりと見つめながら、されるがままのドゥ・ファンはその二文字を噛み締める。
「ハオモン。私の国では挨拶にすぎない。お前が彫ってどうする」
意味は『おやすみ』『良い夢を』。その胸に抱かれた最後に見る光景はそれなのかもしれない。初めて刻んだタトゥー。一体何人が良い夢を見れたのか、など知ったことではないが。
柔く、絹のように滑らかな肌。吸い付けば淫靡な音がする。何度も何度も女性はキャンディーであるかのように『好梦』を味わう。
「ごめんごめん。漢字っていうんだっけ。いいなぁ」
「よこせ」
そうして左手でタバコを奪ったドゥ・ファンは深く一服。肺が幸せで満たされる。しかしそれは吐き出すとすぐに消えてしまう幸せ。チェーンスモーカーだという認識はあるため、口が寂しい時は際限なく吸ってしまう。フランスでは屋内で吸うことは基本禁止なため、肩身が狭い。




