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236話

 サン=ブノワ通りを歩いてきた女性が、テントの下に入り、満足そうにコーヒーの湯気を燻らせるグウェンドリンに声をかける。自身に課した規律の厳しさを表現しているかのように、目つきや口調に遊びがない。服装もパンツタイプのスーツとコート。アジア系の顔立ち。


「……あいつの相手は私だろう。私」


 肺いっぱいにブラジル産の豆の香りを吸い込んで。にこやかにグウェンドリンは宥める。おかわりなので追加で支払わねば。


「そこは顧客のニーズに応えるのも私の役目。こんな観客のいないとこでやるのはもったいないからね。それに彼女は表世界のグランドマスター達も目をつけてる。あのスタニスラフ・クドリャショフとか」


 顧客。その頭脳戦を。命をかけた頭脳戦を。観客として楽しみたいという金持ち達。


 そして世界最強。その名を聞いても女性は眉ひとつ動かさない。それとは違う世界線のチェス。


「お前はいつも嘘をつく。本気でチェスを指そうとしない。指導対局のような。あいつにもそうだったんだろう」


 あいつ。ギフトビーネ。すれ違っただけでもわかる。『こっち側』の人間。日常から狂気が漏れ出しているヤツは、常に飢えているような。そんな尖ったものを感じた。


 今にも噴火しそうな女性を静めるべく、調停すべくグウェンドリンは提案。


「ドゥ・ファン。舞台は私が整える。リスクも報奨金も、出来るだけ希望に沿うよ」


 それだけ価値のある二人の対局。チェスであってチェスでない。それを見たいのは自分も一緒。


 こうやって会話をしているが。ドゥ・ファンと呼ばれた女性は目の前の女のことも信用していない。


「あいつは同類だ。金が問題じゃない。よりスリルと死。それだけだ」


 機会があれば。いや、機会は作ろう。なんとしてでも。他に掠め取られる前に。


 今にも噴火、というかすでに少しずつ流れ出ていたか。なんにせよ長くはもう保たない。グウェンドリンは呆れつつも、こんなヤツばっかりという事実に辟易しつつも。やっぱり血が沸る。


「アベイユ・ヴニムーズも同じようなことを言っていた。あんた達、似た者同士だよ」


 きっと他の『毒蜂』達もこうなのだろう。チェスという悪魔に魅入られ、そして自身もその視線に気づき着飾る者達。


「だがまだ私が楽しむまでの腕はあいつにはない。足りない」


 ドゥ・ファンは冷静に獲物が熟成するまで待つ、という気の長さもあるが、今の青いままでもそれはそれで……と板挟みになる。さて。どうしようか。

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