235話
やる気を出してくれたようでなにより。グウェンドリンとしても冥利に尽きる。
「まぁ……そういうことです。私も一応は真剣師の端くれですので、あなたと戦ってみたかった。完敗でしたけど」
チェスというものは先手後手のわずかな運程度しか、介入する余地のない究極の頭脳戦。つまりは千回やっても勝てるかどうかわからない。実力の差を認める他ない。
その時すでにシシーの関心は、この国に存在するらしい、自分と同じ狂人。
「アベイユ・ヴニムーズ……キミは知っているのか? 誰なのか。この国の。毒蜂が」
見開かれた目で追い詰める。獲物の情報。少しでも。この国にいるうちに。
斜め上を見て記憶を思い返すグウェンドリン。まぁ、そう聞かれるよね。だが思い当たる節はない。
「そこまでは。ですが私の予想ですが、あなたがパリにいると知れれば。彼女のほうから接触してくるはず。かなり好戦的だと聞いていますから」
「彼女? 女性、ということか」
だがなんとなく、その予想はできていたシシー。なぜだろう、自身でも理由は説明できない。女の勘。
その存在理由。又聞きの又聞き程度。グウェンドリンの知る情報も少ない。
「元々は、ボードゲームは男性有利と言われてきました。ですがその反骨精神から生まれた、女性のための暗号だと。そこまでしかわかりません」
それも違うのかもしれない。少しずつ伝言ゲームが形を変えるように。違う理由なのかもしれない。だが、それしか知らないのだから仕方ない。
とはいえ、テストしたり自身に近づいたりというところから、それなりの立場にいるということもシシーは勘づいている。そうでなければ意味のない行動だ。
「その彼女に俺の存在を知らせることはできる、ということでいいかな? そういう掲示板でもあるのかね」
まだまだチェスの歴史から見たらヒヨッコにすら届かない。それらを取り巻く世界のこともわかっていないことだらけ。
この人にミステリーものでも読ませても、すぐに犯人がわかってつまらないだろうな。そんな予想を立てつつグウェンドリンは首肯する。
「その通りです。あなたがこちらにいるということはすでに流れています。そこから先は彼女、アベイユ・ヴニムーズ次第です」
例えばプロのチェスプレーヤー同士。その一局の勝敗で人生が変わることもある。スポンサー契約や優勝賞金。たった駒ひとつ間違うだけで、それらはするりと指の間からすり抜けていく。「チェスより怖いものはない」というプロもいるほど。
それならば毒蜂同士が出会えば。勝てばなにを得、なにを失うのだろうか。スリル。興奮。様々な感情が入り混じったシシーは、それらをぎゅっと内側に押し込み、席を立つ。あぁ、こちらの女性と一夜を過ごしてみようか。
「誰でもいい。強ければ。キミを通じて出向くから。仲介はよろしく」
そう言って「隣の席の彼女のも」と店員に支払う。賭けの百ユーロは仲介料ということでグウェンドリンの胸ポケットに。
「ギフトビーネは相当に飢えている、とでも付け加えておいてくれ」
不敵な笑みを残しつつ、ドイツの毒蜂は少し雨がパラつき始めたパリの街に消えていった。




