217話
性格を把握すると、こいつの場合は教えないほうが真面目にやるな、という判断は、シシーもなんとなくわかる。
「お前の代理人がそうしたのだろう。本気になれるように。よく扱い方を心得ている」
「たしかに優等生だって言ってたからね。こっちの優等生ほど捻くれてないけど。ま、なるようにしかならないか」
じゃ、いってくるよ、と手を振り席に向かうサーシャ。少々ではあるが、歓声もあがる。子供、というのもまた面白くする一因となる。
運営するスタッフが忙しく歩き回る。普通ではない対局。より深く盤面に潜り込むための条件としては最悪だが、それはお互い様。多少のミスは仕方がないと割り切るリベレは、相手の背後に立つ女性に目を向けた。
「彼女がギフトビーネか。なるほど、本当に一緒なのだな。仲のいいことだ。本来ならまとめて対局してもいいのだが——」
「ならないよ。蜻蛉は蜂の天敵だ。キミはここで終わらせる」
黒と白のポーンをひとつずつ掴み、サーシャは目の前に掲げる。先攻後攻を決めるギャンブル。世界共通のルール。
悩んでも仕方のないこと。リベレは自分から見て右の手を指差すと、そこには白のポーン。先攻。有利。
「終わったな。だが先手は譲ってもいい。どうする?」
完全勝利ならばここであえて黒、後手を選んでもいい。好きなように泳がせて、そこを釣り上げる。それもまたアリ。より『魅せる』勝利。それを狙うのもまた一興。
一瞬、真顔でその言葉を受け止めたサーシャだが、不可解、とでもいうように舌を出す。
「いらないよ。決められたルールで勝つから勝ちなんだ。施しはいらない。それにさ」
「なんだ?」
よく喋る。緊張しているのだろう、大人の対応をせねば。リベレは襟を正す。しかし。
「今も余計なことを考えている。キミが僕に勝てない要因その二だ。勉強して帰ってよ、先生」
油断していたから負けたとかはなしね、とサーシャはテーブルに頬杖。金のポーンを盤の横に置く。
言われて少し反省を見せるリベレは、同様に金のポーンを対面に置く。たしかに他のことを考えながら勝てる相手ではない、というのは事実かもしれない。おそらくこの世代では最強に近いであろう指し手。足元を掬われる可能性もないこともない。
「……それは失礼した。それでは始めよう」
握手。お互いに固く。
「あ、やっぱ先手もらお」
直前でサーシャが揺さぶりにかかる。公式ではありえない挙動だが、なんでもアリの大会。こういった盤外戦術も。
「……」
無言でリベレは盤を逆にする。自身で譲ると言ったこと。少し精神を掻き乱されたが、問題はない。
ポーンを握るサーシャ。棋譜を書く準備も。
「ほら、楽しもう」
フランスでの初めてのチェス。幕を開ける。
そして。保護者兼ライバル認定されているシシーは、中二階のソファー席からモニターで観戦。お互いに追加のルールはなし。ブリッツ。観客も楽しませるために、中弛みのないように急戦で時間をかけないように。
(本来であればフランス仕込みのチェスを見たかったんだがな)
なぜかこの地で同じくドイツ人と。別に問題はないが、少し落胆しているのは認めざるを得ない。
序盤ということもあり、テンポよく進む。◇ポーンe4。◆ポーンe5。◇ナイトf3。◆ナイトc6。◇ビショップe5。
「ルイ・ロペスか。あいつにしては大人しい。しかし、そう考えるとあいつは俺の替え玉で、あんな曲芸を使うとは……」
頼んだのは自分なので責めはしない。責めはしないが、よりにもよってあんな目立つ勝ち方を。見たことのない棋譜は勉強にはなる。勉強にはなるが参考にはならない。
◆ナイトf6。つまりルイ・ロペスに対してのベルリンディフェンス。ここにいる観客も、ギャンブル中毒ゆえに多少なりともチェスは知識のある者達。若干のどよめきが起こるところからも、対局のポイントは理解している。
「さて……ここからどうなるか」
シシーは足を組んで戦況を見守るしかできない。さぁ。せめて面白い仕合をしてくれよ。




