212話
喋っている言葉がドイツ語。ということは観光客? ドイツ人を見つけて声をかけた? ちょっとだけサーシャにも興味がでてきた。
「どこの人? 訛りからしてバイエルンかな、旅行?」
言葉から様々に探りを入れてみるサーシャだが、男性はそれには答えず、喋りたいことを喋るのみ。だが、少しずつ不穏な空気を漂わせる。
「ここに来ることはわかっていた。カジノではあるが、金次第で誰でも入る事ができる。そして強いチェスプレーヤーが集まるのはここ。ならば張っていれば会えると」
罠にかかった、とでも言うかのように。下層に溢れる人ごみを男は見下ろす。
ほんの少しだけ胸がザワつく。緊張とも不安とも違う、楽しさに似た心境。サーシャは足を組み直した。
「……へぇ、僕達のことを知ってるの? チェスも。ってことはトーナメントの参加者?」
こんなところで会ってはいるけど。
「そうだ。お前達は今、注目されている。悪い意味でな」
前代未聞のことをやってのけて、そしてそれを通したこと。ルールさえも変えさせた、いわば台風の目。というよりも、誰もが考えたが誰もやらなかった反則。だが、不思議と男には不快の感情はない。書いてなかったルールのほうが悪い。
わざとらしく首を傾げて、思い当たる節がない、とサーシャはとぼける。
「記憶にないね」
いや、自分は頼まれたからやっただけだし。恨まれるのは筋違い。恨むのは頼んできた人。
「だが、悪名は無名に勝る。利用させてもらう。やはり私は運がいい」
注目が集まるのはありがたい。ある意味で、勝つことよりも男には大事なことだから。若さと無鉄砲さは人を惹きつける。そこに便乗させてもらう。
サーシャも目線を下層へ。そこには群衆の中でも一際、変装をしていてもオーラが違う人間がいる。愛しのキミ。ソファーに深く沈み込む。
「まぁ、いいんじゃない? 退屈してたみたいだし。ただ、今の彼女は——」
「私の標的はキミだ、ティック・タック・トゥー。私はリベレ。すでに運営側からの許可はもらっている」
残っていたスレッジハンマーを一気に飲み干すリベレ。ショートカクテルは五分以内に。ルールを守る。
リベレとは『蜻蛉』を意味する。肉食で獰猛、昆虫では最速の時速百キロに達する種類もいる空の覇者。急加速、急停止、急旋回、ホバリングなどを可能とする唯一の種族。鳥ですらできない飛行能力。様々な戦法を駆使する自身に合う名前だ、と決めた。
「……僕、負けてるんだけど」
トーナメント表の見方を知らないの? と呆れ気味にサーシャは氷をもうひとつ頬張る。自分は初戦敗退。残念ながら終わった身。




