211話
不測の事態にもシシーは通常の反応。
「いらん。お前から渡されるものは、なにを入れられるかわかったものじゃない。話を聞いてくるから大人しくしてろ」
ここのスタッフにとりあえず聞いてみるしかない。ここはギャンブルをする場所。となると、チェスはいささか当てはまらない気もするが、考えられることはひとつ。
その姿を中二階のソファー席に移動し、オランジーナを飲みながら観察するサーシャ。子供扱い、いや、子供だけど。
「あーあ、ガセネタだったかな」
だとしたら悪いことをした、と言いたいが、そもそも体を張って見つけてきたのは自分なワケで、責められる言われはない。行儀悪く音を立てて飲みきり、氷も口の中で転がす。
「……」
ひとりになり、少し落ち着く。思えば色んなことがあった、としみじみ。チェスの大会に参加させてもらったのはいいが、負けて。でもその相手とは仲良く? なれて。気づいたらパリまで奢りで来てしまった上に、勉強まで。
「人生って楽勝だねー……」
と言っていいかわからないが、人といい出会いはできていると思っている。助けてくれる人、稼ぎ方を教えてくれる人、導いてくれる人、遊んでくれる人。ただ生きたいように生きているだけで、知り合うことができた。
今が楽しい、そんな刹那的な生き方は敬遠されがちだが、未来のために今を犠牲にしたくもない。もしかしたら隕石が落ちてきて、地球が終わるかもしれないのに、先のことなど考えていられるか。
今のところ、やりたいようにやって、やりたいように事が進んで。シシーについていけばもっと面白くなる。つまり。
「僕は運がい——」
「私は運がいい」
ソファーの後ろから声。感情を一切排除したような、機械の冷たさ。
ワンテンポ遅れてサーシャはその方向を一瞥する。
「……おじさん誰? ギャンブラー? 悪いけど他当たって。僕はやらないから」
ルールも知らないし。勝手にやったらシシーに怒られるし。ポーカー、やってみたいけど。
だが、そんな断りを気にせず、その男は少し間を置いて横に座る。上下セットアップのスーツ。本来のカジノの正装。
「まさか初日に会えるとは」
笑みを浮かべてグラスの酒を煽る。スレッジハンマー。ウォッカが強く、ガツンとくる口当たりから『ハンマーで殴られた』ような刺激を受ける強いカクテル。
それをヤケ酒と捉えたサーシャ。あーあ、と同情してみる。
「誰? 負けたの?」
「あと五分で帰るところだった。やはり私は運がいい」
全く会話が噛み合わないが、酔っているというわけではない。男性はドイツ人。強い酒だが、酒に強い国民性。




