196話
手を離し、フェリシタスはそのまま倒れてベッドに仰向け。フラッシュバックする、体内に入り込んだ玩具の数々。もちろん、この子も体験してるんだよな、なんだったらもっと凄惨なものも。そう考えると、弱気にはなれない。
「余裕。余裕だよ。なんだったら——」
そこで一旦、声が途切れる。なんだったら。なんだったら? なんだったら——。
静かな空間。コーヒーの香りだけが膨張し、部屋の隅まで薄まりながら広がる。それに鼻腔を刺激され、そこで堰を切ったようにフェリシタスの感情が溢れ出す。
「……ごめん。私には……無理だ……ごめん、ごめん……!」
口元を覆い、目には涙が浮かぶ。買う側ではなく、売る側。やっていること自体に大差はないかもしれない。だが、そこには大きな隔たりがあって。体と精神を蝕んで、侵食してくる。自分がやっていたことはこんなことだったのか、と自責の念に駆られる。
まるで小さな子供のように。泣き出し、ずっと謝罪をし続ける彼女に対しできること。サーシャが見つけた心の『隙間』。そこへの潜り方。それは隣で一緒に眠ること。
「不思議だよね」
「……?」
少し落ち着いてきたフェリシタスが、目を擦りながら横に流す。
天井を見つめながら。右手を伸ばすサーシャ。
「図書館で読んだんだ。『誰かのために生きることにのみ、生きる価値がある』。アインシュタインの言葉」
口に出して思う。この言葉が好きだ。
時々、この子は人生を悟ったような、子供とは思えないような発言をする。きっと自分よりも遥かに潜在的な頭の良さを持っているのだろう、とフェリシタスはなぜか誇らしい。そんな状況じゃあないんだけど。
「……で? 誰かって? んで、不思議って?」
聞くまでもないと思うけど。不思議なのはこの子の頭の中。
目を瞑り、突き上げた右手の指の間からすり抜けた言葉の、そのシャワーを浴びるように。サーシャは全身で受け止める。
「リディアのために生きる。僕はそれでいい。僕だけでいい。フェリシタスは真っ当に——」
「却下」
ワケのわからないことを並べられて、目の赤らんだフェリシタスはすっかり落ち着いた。同じように天井見つめる。この先には星空があるのか。ベルリンでは見えないか。そんなことを考える始末。
切り口鋭く断絶され、ムスッと唇を尖らせるサーシャ。
「……僕なら別に——」
「リディアの顔、覚えてる? どんな顔? パッと思いつくの」
まるでこの部屋と一体化したような、そんな宙に浮いているような接地感のなさ。フワフワと揺られる心とシンクロした意識。フェリシタスは割り込むように記憶を辿る。




