189話
ドイツでは、自殺幇助というものが合法か違法か。非常に繊細な問題として取り上げられている。もしそれを行えば、行った者は依頼が明確であったとしても、罪を犯したとみなされる可能性が高い。
その点、スイスでは国外の者であっても禁止していない。そのため、主にイギリスやドイツなどからそういった旅行者が増えてしまった、という報告がある。医師などにも止める権利はない。
「……よく生きたほうよ。本当なら、もっと幼い頃に亡くなることのほうが多いらしいし。あんたでよかった。ありがとう」
無理やり笑みを作ってフェリシタスは右手を差し出した。他の誰でもない、サーシャだったから。最後は笑って終えられた、んだと思う。ささやかな幸せがほんの少しだけ舞い降りた。
その手を、やつれた顔で、目で見つめるサーシャ。そしてうなだれる。奥歯を噛み締めた際に、口の中を切ってしまったようで、口の端から血が滴った。
「サーシャ……」
気持ちはフェリシタスも当然わかる。自身の妹。だが、境遇が違うサーシャには、また違った辛さがあるのだろう、と予想できる。
震えながらサーシャは、それはリディアの意志なのか、問う。
少し溜め、自分の考えも含ませつつ、フェリシタスは口を開いた。
「……それはそう、だと思う。少なくとも以前までは。でも、最近は聞いてない。聞かないようにしてた。でも、本人も自分がいなくなったあとのこととか、話しだしてたし」
九割九分そう。尊重したいような、引き止めたいような。ただ、引き止めたところでなにもできない。朽ちていく姿を見せたくない、という想いもあるはず。妹のことだからわかる。
ただただ死を待つだけ。もちろん、突然治ることや、突然治療法が見つかる、なんてことも数億分の一程度にはあるかもしれない。可能性はないわけではない。
だが、経済的・身体的に家族に負担をかけないよう、安楽死を望む者がドイツには数多くいて。結局、本人以外にはなにもわからないまま、言葉を信じるしかなくて。
「……わかるでしょ」
「わからない」
閉じていた瞳をサーシャは開いた。
まだ出したままのフェリシタスの右手。宙ぶらりんのまま。左手でサーシャの右手を掴み、無理やり握手しようとする。これでもう会わないようにする。今日が最後。だが抵抗される。
「彼女はいくらチェックメイトされても、諦めるようなことはしなかった。もう指せる手なんてないのに。なんだったら数手前まで戻そうとしたり。負けなんだけどね、それやると」
顔を伏せたまま、思い出を邂逅するサーシャ。カフェで。公園で。コーヒーを飲みながら。カフェオレと交換しながら。ただ、相手のキングだけを目指して。




