表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
168/335

168話

「……リザインです、負けました」


 天井を向き、楽な姿勢でシシーは目を閉じた。ブラインドチェス。想像以上に脳を疲弊させる。すごい世界だ。それをずっと続けてきた、いや、彼女にとってはそれが普通。改めて、その凄さを実感した。


 老体に激戦は堪える。マクシミリアンも焼き切れそうな脳に糖分を与えつつ、対局後の会話に踏み切った。


「……あんた、マティアスの弟子なんだろ? 面倒なのを育てちまいやがって……」


 ブツブツと文句。そして糖分。甘いシュネーバルをひと口で頬張り、ガリガリと噛み砕く。ちなみにシュネーバルは『雪玉』のこと。その名の通り、丸っこいクッキーのようなお菓子。優しく染み渡る。


「マティアス?」


 ひとつシュネーバルをもらい、シシーも口に運ぶ。しかし少量ずつ齧りながら。初めて食べたが、美味いかもしれない。


「カフェのオーナーやってる。あんたに教えてるって聞いたけど」


 名前を出してヒートアップしたのか、一気にマクシミリアンは二個食す。リスのように頬を膨らませながらも豪快に。老体だというのに歯はどうやら相当に強いようだ。


 あぁ、そういう名前だったのかマスターは、と今まで調べてこなかったシシーはひとつ知識を得た。元、チェスの国内王者でマティアス。ネットの発達した今ならすぐにわかることだが、どうでもよくてやってこなかった。


 コーヒーで流し込み、マクシミリアンはひと呼吸おく。


「……昨日、あたしのとこに連絡があったよ。たぶん近いうちに行くだろうって。明日にでも、って本当に来るとはね」


 また文句を言い始めた。お互いに実力は認めつつも、敵対心があるのだろう。どこか嬉しそうな気がしないでもない。


 その内容に、一瞬止まったシシーだが、薄く笑みを浮かべた。


「……明日、つまり今日ですか。なんでもお見通しですね」


 今日の二回戦のことは当然、彼も知っているはず。だが、それも先読みされたということか。じゃじゃ馬の扱いに慣れているマスターには、色々な意味で敵いそうにない。


 早くも雪玉を飲み込んだマクシミリアンは、小言が止まらない。若かりし頃の対局でよっぽど嫌な思い出でもあるのだろうか。


「昔からそういうやつだよ。全く、なんでもかんでも思い通りに動かされているような」


 文句から過去の愚痴に。育てている弟子までひねくれている。


 そうこうしているうちに、もういい時間だ。勝っていればサーシャがまもなくこちらに来る頃だろう。


「今日はありがとうございました。またぜひ。それと、大変失礼なのは承知ですが、全盛期のあなたと対局してみたかった」


 と、支払いを済ませてシシーは席を立つ。最後まで凛として。最初からいなかったかのように、静寂を置き去りにする。


「……」


 残されたマクシミリアンは、ウェイトレスを呼び、追加の注文。


「シュネーバル。大盛り。じゃんじゃん持ってきて。コーヒーも」


 飲み食いしなければ、腹の虫が治らない。先ほどまでいた、一七、八程度の小娘。マティアスの弟子。シシー・リーフェンシュタール。


「……」


 待っている間も落ち着かない。それもそのはず。


『ブラインドで、しかも同時に三面指し』


 それを提案された。盤面が複雑になればなるほど、当然記憶など怪しくなる。


「……師匠にそっくりだよ、全く……!」


 結果、まさかのシシーの二勝。三局目だけはなんとか盛り返せたが、負け越した。一勝二敗。


 《一敗でもしたら、俺が支払いますよ》


 生意気にもそう垂れたが、見合う実力はあった。たしかに自身に年齢による衰えやブランクはあるが、それでも慣れ親しんだ世界。そう簡単に負けるものではない。


 シュネーバルが届く。ここからは実費ではあるが、お金に糸目はつけず、店の小麦粉が切れるまで平らげてやろうか、と息を巻く。


「あんたはとんでもないのを育ててるよ、マティアス」


 いつか世界に届くであろう毒の針。もし世界を征するなんてことになったら。そんな甘い世界ではないが、生きているうちにもう一局。そんで勝ち逃げしてやる。未来の世界王者に勝ったまま死ぬ。そうすれば、あたしが一番強い。マクシミリアンはそう企てつつ、コーヒーを一気に飲み込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ