167話
「……」
◆ポーンf4。相手のビショップを封じるポーンプッシュ。動かせる駒はこれくらいしかない。押し黙り、コンラートは最後の時を待つ。
そしてひと思いに。サーシャは◇クイーンe6。チェックメイト。
……ふぅ、とお互いに息を吐いた。
「まずは受け入れてくれてありがとう。キミがいなければ、この棋譜は存在していない」
二回戦はギフトビーネの圧勝、と言っていいのか不明だが、ともかく相手が替え玉を許したこともあり、勝ちは勝ち。サーシャは安堵する。
そしてコンラートは負け。同じくらいの年代で、まだ隠れた実力者はいる。認めるしかない。相手が強かった。強すぎた。せっかくの場だ。あれをやってみよう。イスから立ち上がる。
「……?」
本来であれば握手して終わり。だが、なぜか相手が立ち上がったことで、サーシャは戸惑う。なにごと?
立ち上がったコンラートはひとつ、深呼吸。そして、おもむろに拍手をしだす。スパスキーがボビーに完敗した時の、負けの認め方。とてもカッコよかった。そうせざるをえないほどに、清々しく負けた。
「負けました。完敗です」
目を丸くしたサーシャではあるが、気分は悪くない。こんなのもあるのか、と勉強になる。
「こっちも、楽しませてもらった。二度通じるとは思っていないからね、もしまたやる時は、新しい手を考えておくよ」
そして握手。コンラートは高級なチェスボードを賭けていたが、別に必要のないサーシャは受け取りを拒否。「それで勉強して、またやろう」とだけ残し、早々に帰宅した。
結果的に見ればお互いに勝敗がきっちりつき、後腐れなく、滞りなく終わったはずだが、当然といえば当然か、以降は替え玉は禁止となった。相手が認めたとしても、そうなると大会としての体裁を守れない。今回はお咎めはないが、ギフトビーネ側には後日注意が入ることになる。
「ま、とりあえずは結果オーライかな。勝てたし楽しかったし。さてさて——」
仮面を外し、ベルリンの街を歩き、コーヒーを買い、犬と戯れるサーシャ。依頼は完了した。さて、ご褒美を貰いに行こうか。
「急ぐか。もう終わっちゃってるかもしれないし」
カップをゴミ箱に捨て、軽く屈伸。駅までの道を検索し、最短ルート。胸が高鳴る。早く、彼女に会いに行こう。勝利を引っ提げて。




