165話
◇ポーンd5、◆ポーンf6、◇ポーンf4、◆ポーンg5、◇ポーンg5、◆ポーンe5、◇ポーンa4、◆ポーンa4。
お互いにポーンを動かし、先端で火花を散らす。が、まだ本格的に開戦はしていない。口火を切るのを躊躇うコンラート、戦略を読ませないサーシャ。だが、ほぼポーンだけだったはずの鍔迫り合いだが、少しずつ天秤が傾く。
「今の◆ポーンa4、テイクしなければ、こっちの◇a1ルークの効きがよくなるから、当然そうなる。が、aファイルに動いたことで、cファイルがガラ空きだ」
ファイルとは、簡単にいえば一直線の縦の道。防御や大駒の展開のためのポーンが、いつの間にかコンラートは随分と手薄になっている。それも全て、サーシャののらりくらりとしたポーンの立ち回りに気を取られすぎていたがゆえ。
「……!」
盤面で、自軍のポーンが孤立してしまっていることに、コンラートはここで気づく。単品、もしくはポーン二枚でどうにかなるものではない。相手の砲弾が構える砦に、槍一本でどうにかなるわけがない。だが、こうしなければ、展開を簡単に握られていた。仕方ないといえば、仕方のない駒の動かし方。
本来、ポーンは大駒のサポート役、となることが多い。というのも、ポーンは真っすぐ前にしか動かせないにも関わらず、前にある相手の駒はテイクできない。斜め前にある時だけ、動いてテイクできるという、ある意味で特殊な駒。将棋の『歩』とは違う。
大駒がテイクされても、斜め後ろからサポートし、テイクし返す。そういった使い方が基本となる。だが、今のコンラートの駒配置では、大駒が攻めても、サポートしづらい。逆にサーシャはうまくサポートできる位置。お互いに大駒はほとんど動いていないが、ポーンだけで見れば圧倒的だ。
(……どこだ……? いつ、いつからこうなることを読まれていた……?)
蛇は目よりも、ピット器官を使い、熱で相手を読む。サーシャは、相手の心の揺らぎを見極め、徐々に本性を出していく。◇ポーンc4。これで中央は固いポーン配置。準備は整った。
「ダメだよ。反省は家に帰って熱いシャワーを浴びて、ゆったりとクラシックでも聴きながらやらないと。今じゃない」
真っ直ぐなチェスは、チェス盤しか見ていない。相手を騙し、与え、驕らせ、隙を作り、評価値など気にせず、ズルく勝つ。
そうだ、『完全なるチェックメイト』でも、スパスキーはあれだけ実力があるにも関わらず、ボビー・フィッシャーが音で気を散らしているのに気づいた時、わざと歩き回った。使える手は全て使う。コンラートは歯を食いしばる。
「……ありがとうございます。おかげで、またひとつ強くなれる……!」
逆境は自分の力のなさゆえ。認めるしかない、が、まだ終わっていない。相手が手を間違えるとは思わないが、最後まで。そう、間違える、のではない。『間違わせる』のだ。所詮、人と人。今、学んだことだ。◆ナイトe7。




