158話
集中していると、ガチャっという音がした。来た、毒蜂。その針も堅牢な砦の前には、刺さることはない。じっくりと、じっくりとだ。相手の攻めをいなして——。
「遅くなってごめんごめん。こっちのほうってさ、来ることないから道わかんなくて。早めに出てよかったよ」
そう安堵しつつ、その人物は近寄り、手を差し出した。握手に始まり握手に終わる。公式なチェスのマナー。
棋譜を脳内で並べていたコンラートも、手の影が見えて顔を上げる。
「あ、はい。よろしくおね——」
……まず、違和感を感じた。映像から見た毒蜂は、おそらく自分よりも二、三歳ほど年上の女性だと感じた。冷静沈着、駒に熱を込め、慎重かつ大胆な戦略。仮面でわからないが、クールビューティー、とはこういうというものだろうか。そんな印象。
「あー、白番黒番どっちがいい? 遅れて来ちゃったし、いいよ。選んで。好きなほう」
手番を譲ってくれた人物は少なくとも、クールという印象はない。明るい、というよりも雑。なにもかも雑。棋譜を書くためのペンの持ち方も。イスの座り方も。仮面は一緒だが、自身の思っていた像とはかけ離れ過ぎている。とりあえず黒、後手を選択。
「……いや、それよりもひとつ、聞いていいですか……?」
あまりにも毅然とし過ぎていて、自身の勘違いなのではという答えに行き着くが、いや、やっぱりおかしい、とコンラートは提言してみることにした。
「なに? いいよ、なんでも聞いて」
駒をジャラジャラと並べながら、毒蜂らしき人物は許可した。話すことは好き。対局中でもなんでも。
肺いっぱいに空気を取り込み、コンラートは意を決する。
「……ギフトビーネさん、本人です、か……?」
絶対違う。わかりきっているが、聞く以外なにもできない。あまりにも予想外すぎて、この先の展開は考えていない。どうする、どうしたらいい?
大方の予想通り、あっさりとその人物は認めた。
「違うよ。代理。彼女と取引してね。今は違うところに行ってる」
隠す気もなかった模様。仮面はとりあえず借りてみただけ。視界も悪いし、よくこれでできたね、とシシーを褒めたい。
その様子に、薄々勘づいていたアービターも駆け寄る。
「えーと……本人ではない……ということでよろしいですかね……? えぇ……どうしよ、ダメ……だよね……?」
非公式とはいえ、れっきとした昔から存在する大会。替え玉が許されていい、なんてものがそもそもあるのかすら微妙。どう考えてもダメ。本部に問い合わせるまでもなく、場を取り仕切る。
「いや……まぁ……ダメ、だと思いますので、本人は今どちらに——」




