151話
「まさか断らないよね」
テーブルに体重をかけて手をつき、目の前の老婆にサーシャは語気強く迫った。昨日から溜まった鬱憤を晴らす時が来た。それだけだ。
「まさか」
穏やかにコーヒーを楽しむマクシミリアンは、優雅に着席を促す。待っていた、しかし、来なかったら来なかったでまったりとした時間を楽しむだけ。どっちの目が出ても自分にはメリットしかない。
いつもこの辺にいる、という曖昧な受け答えにより、周辺のカフェやビアホールなどを走り回ったサーシャだったが、結局昨日と同じカフェ。しかも自分とシシーが座っていたテラス席。そこに老婆はいた。
昨日と変わらず派手な色合い。元々トレンチコートはイギリスの上級貴族がスポーツを嗜む時に着ていた上着だというが、マクシミリアンはファッションを楽しむために着る。気分が乗らなければ、チェスだって本気が出せない。
「本来ならお金を取ってもいいんだけどね」
なんてったって元世界一。ニューヨークなどには、指導対局や練習問題を作成したりしてお金を稼いでいる人もそれなりにいる。自身にもその資格はあるだろう。取る気はないけど。
だが、まだ腹の底に不満が溜まっているサーシャは、デカい態度にご立腹。
「はぁ? むしろ探し回って消費したカロリーぶん、なにか奢ってもらいたいくらいなんだけど?」
勝手に追いかけ回しておいて、無茶苦茶な理論でたかろうとする。なんてったって成長期。たくさん食べて飲んでが許される時期。
この自由さに共通点をマクシミリアンは見出していた。相手のことなど考えず。流れに逆らい。時に流れに乗り。やりたいように振る舞う。
「んじゃ、やるかい。白と黒、どっちがいい? 選ばせてあげるよ」
どちらでも違った味わいがある。そして手番を変えて行う二戦目以降がまた濃厚。チェスは八〇までやってもまだまだ味わい尽くせていない。
とりあえず喉が渇いたのでサーシャはシュペッツィをオーダーする。炭酸が脳を活性化させる。そんな気がしていた。
「ふーん、じゃあ白。白のほうが得意なんだよね。勝ったらここの代金奢ってよ」
さらに追加でビーネンシュティッヒ。『蜂のひと刺し』を意味するスイーツ。スライスアーモンドとキャラメルで表面を焼いたスポンジで、クリームをサンドした激甘のお菓子だ。この勝負、糖分が大事になってくる。そういえば毒蜂は今日いない。
「孫だったら、勝っても払ってあげるんだけどね」
黒番を取りながら、マクシミリアンは余裕を見せる。今、目の前にいるのはそんな可愛いものじゃない。傷口には迷わず塩を塗りこんでくるような、容赦のない獣。実際の対局を見た事はないが、そんな印象。そして自分の勘は当たる。
「じゃ、よろしく。◇ポーンe4」
盲人相手の時は、動かした駒を伝えるのはマナー。あまりないことだが、チェスは全人類に平等なゲーム。しっかりとサーシャも伝えるが、昨日のこともある。伝えなくても駒の動きを感じとっている、と言われても驚きはしない。




