145話
先の対局を振り返るシシー。たしかに、薄氷の勝利であることは認める。それだけギリギリのせめぎ合い。だが、もう勝負のスイッチは切ってしまった。
「ない。あの人の言う通りに事は運んだ。どう転んでも俺の勝ち。途中に予想外のことが起きたらやり直し、と最初に提示しておくべきだったな」
まぁ、イレギュラー中のイレギュラーだが。
「普通は考えられないでしょ。あんな強いおばあさんが乱入してくるなんて」
気に入らないが、その実力はたしかなもの、とサーシャも感じていた。なにか、チェスに積年の恨みがある妖怪の類? 化けて出た?
いつまでも帰らないサーシャを諦め、自分から帰ることをシシーは決意。ため息を吐きながら立ち上がる。
「じゃあな。待ち伏せとかするなよ、約束だからな。ま、次の仕合までの感覚を研ぎ澄ませるのには役に立った」
「……ケチ」
サーシャにとってはフラストレーションの溜まる一日。不完全燃焼のまま、その場には誰もいなくなる。
「あーあーあーあー」
イスに座ったまま手足をバタつかせ、悔しさを体で表現。テーブルの上のチェス盤を見る。まだ決まったわけではない。だが、自分のほうは駒損の状態。手が進めば、勝敗は一目瞭然。
「これで〇勝二敗一分け……」
公式戦含め、戦績はそうなる。一分けも、あのまま進めばどうなるかはわからなかった。いや、きっと勝っていたと言い切る。
《こういうこともあるわよ》
自分の中の妹、リディアが慰めてくる。重病で入院中。だが、確実に自分と対話している。
「……実力にほとんど差はないはずなんだけどね。ほんの少しだけ、向こうが鋭い。気づいたら銃口がこちらに向いている。僕も銃を抜こうとすると、先に引き金を引かれる。うーん……」
頭を掻きむしり、物事が行き詰まる。守りは相変わらず堅いが、それ以上に攻めに入った瞬間の集中力。見切られている。
《相性もあるわよ。それに、私も悔しい。あのおばあさんにも》
なんか一度に二敗したようで、よりダメージは深刻。だが、負ったダメージは、本人に返さなければカサブタにすらならない。
「このへんにいつもいる、って言ってたよね」
舌なめずりをし、サーシャは獲物をロックオンする。勝負は勝てれば、不戦勝でもなんでもいいと今までは思ってきたが、最近は勝ち方にもこだわりが出てきた。強い相手と。ギリギリのところで。手に汗を握りながら。そして勝つ。
《えぇ、目にものを見せてやりましょう》
普段は抑えにまわるリディアも、いつになくやる気。サーシャのやる気に相乗する。本気になったサーシャより強い人物なんて、この世にいないんだから。




