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135話

 熱を持った耳に、シシーのしなやかでひんやりとした指が心地いい。アリカはそんな快感とほんの少しの恐怖。だが、その恐怖も徐々に浮き立つ思いに変化する。


「……で、なに? アリカを捕まえるの……? いいよ、別に。だったらあんたも一緒に——」


「オレは独占欲が強くてね。こんな素晴らしいものを他に渡したくないんだ。とは言っても、売るなとか、新しいものを生み出すなとか、そういうのじゃない。いつかオレを殺させてあげるから、他の人は殺すな。いいね?」


 これは命令。殺人の処女を他のヤツで散らしてほしくない。反応から見るに、まだ殺せるほどの量を販売したことはないのだろう。そう判断したシシーは、彼女を目の届く範囲内に留めておく。


「……ふ、ふふ……!」


 少し壊れてしまったように見えるアリカだが、上手く言葉にできないだけ。我慢して我慢して、最後にこの女性をいつか自分だけのものにできる。この、恐ろしくも美しい女性を。


 もうひと押しかな、とさらにシシーは交渉を持ちかける。


「とは言っても、キミにも欲はあるだろう。それはオレが受け止める。どう?」


 奪うなら与えなきゃ。バランスの取れた提案でアリカを手なづけにかかった。


 いつもよりも三割ほどしか働かなくなった脳を無理やり動かし、アリカは沼に踏み込んでいく。

  

「……欲……? 欲って、欲って、どんな——」


「わかってるくせに」


 そう言って、シシーは柔らかな唇をアリカのおでこに当てた。今日はここまで、続きはまた今度。


 たしかな温もりと優しさが触れた箇所を、目をとろんとさせたアリカは手で触れ、自らの唇に押し当てる。


「……は……!」


 興奮が駆け上がる。きっとこの先、もっと熱くて、滑らかで、淫らなことを。あの方と。


「じゃ、彼女のこと頼むね。この勝負のことも、どれだけ覚えているのかな」


 彼女、とはジルフィアのこと。当然起きる様子もないので、任せてシシーはこの場を去る。自身も万全ではないのだが、なんとか帰れはする。歩いていれば、そのうちよくなるだろう、ダメなら医者に。あまり行きたくはないが。


 特にこの廃墟バーに扉というものはない。そのままネオンの灯りから、夜の闇へと消えていくシシーの後ろ姿を見送り、アリカはイスに座った。


「……」


 ジルフィア・オーバードルフ。名前だけしか知らない。あとは一個上の学年ということくらいか。彼女に踊らされ、自ら踊り、そして変なところにたどり着いてしまった。解毒剤を飲んだとはいえ、かなり遅れた。なにか後遺症があってもおかしくない。


「……ごめん……いや、謝るのもおかしいけど、ごめん」


 なぜだか謝罪の気持ちが湧いてくる。自分が毒なんて作らなければ。あの時、チャイムを無視すれば。彼女はこうはならなかったはず。向こうから持ちかけてきた話だが、それでも、結果として様々なものを失ったのだろう。だから、ごめん。


「ドウモイ酸は記憶に障害が残る。なにを覚えて、なにを忘れているのか。それもわからない。ごめん」


 先ほどまで、シシーとの情事を想像して、ジルフィアのことを一瞬忘れてしまった。それも。


「ごめん」


 初めての友達、だったのかもしれない。友達、ではないかもしれない。でも。


「ごめん……」


 今日だけは最後まで一緒にいる。あんたはヤバいヤツだったけど。忘れてもいい。忘れないから。


「記憶か……」


 本腰を入れて研究してみようか。両キングのいない駒とチェス盤が広がるテーブルの上。ふと、ひとつ手にする。


「クイーン、一番強いんだっけ」


 チェスのことなど知らない。ただ、クイーンは機動力もあって最強というのは知っている。クイーン。シシー・リーフェンシュタール。


「……やるか」


 吹っ切れた。いや、吹っ切った。自分は友達もいないけど、だからって悲観的にはならない。この世には自分より化け物なんていくらでもいる。まだ常人。毒の実験では、絶対に人を傷つけるものはやらない。後遺症とか、残さない。約束。でも残っちゃったらごめん。


「ミス・マープル。もし起きたときに覚えてたら。その時はもう一度。アリカとさ、最初から——」


 とりあえず脈はある。その手を握って、その日は翌朝の閉店までアリカは留まり続けた。

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