120話
ベルリンはミッテ区。『中央』を意味するこの区は、ベルリン大聖堂やブランデンブルク門など、観光地として人気のある区である。比較的物価も高い場所ではあるが、当然住宅街もあれば公園もあるし学校もある。そして、暗く風通しの悪い裏通りに、廃墟のようなクナイペも。
「来てくれてありがとう」
手を振ってジルフィアは出迎えた。先に一杯ひっかけている。
廃墟というのは比喩ではなく、実際にそうだったから。ハンガリーなどでは流行した廃墟バー。それをベルリンでも取り入れた結果、コアな人気を博して知る人ぞ知る名店。壁には落書きだらけ、イスもテーブルもサイズや種類がまちまち。だが、そのラフさが人気の秘密でもある。
店内だというのにネオン煌めく空間。壁には様々な破れかけた広告やステッカーなどが貼られ、治安の悪さをイメージさせる。壁側のベンチ、ラウンドテーブル、木製のイスという、ちぐはぐな席を確保している。
ベンチに座ったジルフィアの前に立ち、私服に身を包んだシシーは携帯の画面を見せた。
「ジルフィア・オーバードルフさんだね。このメールはどういうこと?」
そこには《チェスでもどう?》という一文と、この場所の地図。だが雰囲気から察するに、ただ遊ぼう、というのとはかけ離れた空間。
ふふ、っと笑ってジルフィアは着席を促す。
「そのままの意味です。賭けチェスなんて、シシーさんからは想像できなくて。でも安心して。誰にも言うつもりもないし、言うなんて勿体無い」
いきなり秘密を暴露する。どうせ誰も聞いてないし、酔ったヤツらだらけ。だからこの場所を選んだ。お気に入りなんだけど、あなたにも教えてあげるよ。
「勿体無い?」
目を細めたシシーは訝しむ。数回話したことがある程度の人物にしては、距離感の近さが気になる。なにを考えている?
ビールを含んだジルフィアの口元。そのまま飲み干すと饒舌に語る。
「そうでしょう? だって、みんな知らないことを知っている優越感。それを言いふらすなんて。自分の楽しみを奪うようなもの。できるわけないよね?」
同意を求めるが、温度差がある。今から秘密のパーティーでも始めるかという、元気なジルフィアに対して、シシーはスポーツクラブの帰りかのように疲弊している。気疲れ。
いつまでも立っているのも目立つ。座るシシーの目の炎は、揺らいで消えかけている。
「別に。言うなら言うでいいさ。いつかはバレると思っていたし、それならそれで。それに——」
「それに?」
今日初めて長い一文を喋るシシーに、ジルフィアは興味津々と相槌を打つ。そんな顔もいいね。緑、紫、オレンジなどの粗悪な灯りでさえ、高級な間接照明に思えてきた。




