118話
ジルフィア・オーバードルフという人物は、非常に臆病な性格であると、自己分析した。もし自分を動物に例えるなら、蛇だと考えているほど。蛇は獰猛な印象を受けるが、身を守るために威嚇し、最終手段として噛みついてくるだけ。
しかし、蛇と違う部分ももちろんある。彼女は自分から積極的に攻め、相手を調べ尽くし、先手で仕掛けるほうが合っている。ならば蛇とは全く真逆では? という問いに対しては「だって蛇ってセクシーなんだもの」と返ってくる。
その蛇の眼が捉えた獲物は、ケーニギンクローネ女学院での有名人、シシー・リーフェンシュタール。才色兼備で信頼も厚く、物事の中心にいる女性。だが、その表の顔よりも、仮面をつけた裏の顔に大いに惹かれる。
「デッドライン。その淵、ギリギリにいる時こそが本当のあなた。隠さなくていいのに」
より美しく、より煌びやかで、より雅で、より淫らで、より眩く。ギリギリのギリギリで踏みとどまるあなた。そんな時、彼女はどんな表情をしているのだろうか? 恐怖? 諦め? それとも怒りか嘲笑?
そして、そんなたわわに実ったトマトに包丁を入れるように。そこからこぼれ落ちる赤い液体は、きっとこの世のなによりも甘美。二〇一〇年にバルト海の難波船から発掘されたシャンパン、『ヴーヴ・クリコ』よりもきっと。あんまり美味しくないらしいけど。
だとすると、どうやったら彼女をそんな風に陥らせることができるのか。彼女はチェスで遊んでいることが多い。他にも何種類かやっているところを見かけたことはあるが、一番しっくりきたのがそれなのだろう。ならば、簡単にまとめるとこう。
《負けたら死ぬチェス》
これだ。一手一手、死の足音が近づく。私がチェックメイトをかけたとき、きっと最高の顔をしてくれるはず。とはいえ、チェス初心者の私が、簡単に勝てるだなんて思っていない。いや、むしろ難しいからこそ意味がある。勝つ秘策はあるが、確実なんてものはない。だからいい。だからこそいい。
「おそらく、最低で最悪のチェスになる。代わりに、終わったら私は今後二度とチェスには触れない。それでおあいこ」
おあいこかはわからないが、それが最後のチェスになる。心してかかろう。その前にルールを覚えないと。反則負けだけは避けたい。膨大な数のオープニングもディフェンスも覚えて対応するのは無理だ。これは経験がものを言う。
「本当に勝てるの? そこまではアリカは手を貸せないよ」
アリカの家でソファーに座りながら、一緒にテレビを観る。今日はちゃんと服を着ている。なにを思ったか、アリカが家の大掃除なんかしようと言い出したので、研究室以外はわりかし綺麗になった。色々なものを捨てたが、まだ食べられそうなものまで捨てていた。スープにすればいいのに。




