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103話

「タタタンタタンターンタン、タタタンタタンターンタン——」


 鼻歌を口ずさみながら、パソコンの画面の前に男はかじりつく。歌っている曲はジョプリンの『メイプルリーフ・ラグ』。明るく楽しいクラシック曲だ。曲調からもわかるが、その表情も実に綻んでいる。


 左・右・正面と三面あるモニター。部屋の電気が点いておらず、モニターからの明かりのみだが、狭い室内はかなり物で溢れている。モニターのあるテーブルの上、イスの下、もはや身動きが取れないほどに『紙』で埋め尽くされている。


 観ているものは、非公式のドイツのチェス大会。それらを画面にいくつも表示し、同時に対局を流している。三面×四局で、一度に一二仕合ぶん。目はキョロキョロと絶え間なく動き、全て隈なく彼の思考の対象になる。


「タンタターンタ、タンタターンタ」


 口ずさみながらも、それぞれオープニング、ディフェンス、トラップ、エンドゲームなどを素早く捌く。そしてどっちが勝つか、自分ならどうするか、今のは巧手・悪手、感想を内心でひとりごちる。


「ターンタン、タタ、ターンタ——ん?」


 曲が転調しノリに乗ってきた頃、一転して演奏を中止。一局、自分の予想通りになっていない対局がある。


 序盤、スミスモラギャンビットからのシシリアンディフェンス、そしてシベリアントラップ、というところまでは観た。おそらく、後手番の真の狙いは、シベリアントラップではなく、フィッシングポールトラップだろう、と予想。先手番は気づいていない。そのまま後手番の勝ちだな、と。


 しかし、先手番が長考したかと思うと、一気に戦況が動く。オープンファイルルークからのトリッキーなクイーンの動き、そしてそれすら囮にしたナイト。これは予想していなかった。


「はは、なんだそれ」


 他の仕合は消去し、それだけを正面のモニターに映す。そして巻き戻し、再度早送りしながら検討。棋譜も書いてない。うん、と男は頷く。


「面白い、それは避けられないだろ」


 そのまま後手番はリザイン。握手を交わす。


「しかし、気になるね」


 その手に違和感。指している時から感じていたが、お互いに小さく、白く、細い。まるで子供のような、女性のような。可愛らしく美しく。男は、左のモニターを後手番の、右のモニターを先手番の顔を映すカメラに変える。後手番のたぶん、少年? 顔はよく見えないが、幼さが残る印象。負けたとはいえ、二重の罠には感服する。相当な手練だろう。


 そして先手番、ヴェネチアンマスクをつけていて正体はわからないが、女性。こちらも若い。マスク越しでもわかる美しさ。そして、少年を超える三重の罠。素晴らしい。まるでミハイル・タリの棋譜をなぞっているかのような、流麗さと爆発力。モニターに出る名前を確認する。

 

「ギフトビーネ。えーと……ドイツ語で『毒蜂』。なるほど」


 彼はドイツ人ではない。チェスの本場ロシア人。だがコサックダンスもしないし、ウォッカもほとんど飲まない。全てをチェスに捧げてきた。ネットの翻訳で意味を知る。


 またモニターを変更する。正面には対局のチェス盤、左には対局前のギフトビーネ、そして右には最終盤の彼女。じっとそれぞれ凝視する。


「うん、はいはい、なるほどなるほど」


 右のモニターの彼女に囁く。


「キミ、誰?」


 そして、身動きの取れない部屋で、男は立ち上がった。

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