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「先に言っておくが、『事例』と言っても、あくまで『文献』だけで分かったものだ。数が少ないし、情報も少ない。」
(それでもいい。ちょっと気になることがあったから。)
「そうか。じゃあ後でお前のその『気になること』を聞く。」
(いいよ。)
「ふん。『事例』が二件あるんだ。まず、この『バイアス王国』を建国した王様がその一つ。
記述では、概ねは『王様が突然別人のようになって、賢明な君主になった』ということ。
その『別人』は、国王様が今までの挙動、行動、考え方など、すべてが違うらしい。しかし、時々昔の王様に戻った時もあったということ……俺が分かるのはここまでだ。
もっと知りたいなら、歴史分野の学者に聞け。未だに研究しているらしい。」
(なるほど……ちなみに、建国の日と今の月日って、どのぐらいの年月が経ったの?)
「……時間も分からないのか?」
(ええ。分からない。)
「たしか100年以上経っただろう。今『共通歴』692年4月だ。『バイアス歴』で言うと、102年4月だ。」
暦法が二つ。類似で考えたら、「共通歴」は「西暦」みたいな感じかな?そして、「バイアス歴」は日本の「年号」みたいな感じかな?
……だが、家具が結構近代な感じだから、歴史感覚で考えてはいけないかも。歴史の授業で習ったのは、たしか西暦692年、外国史だと東ローマ帝国とか、日本史だと飛鳥時代とか……
うん、雰囲気が全然違う。やめておこう。
(……時間教えてくれてありがとう。)
「ふん。それで、二つ目は割と最近のことだったが……あくまで風の噂だ。聞けるものも制限されている。
二年前、とある侯爵のある次女が事故に遭ったらしい。
その事故にあってから、次女の行動が貴族らしくなかった。昔は淑やかで、誰にでも親切なお嬢様らしいが、今は誰も分からなくて、暴力傾向があったようだ。」
事例が説明し終わったようだ。
ロードルフ子爵は私の反応を待っている。
(なるほど。では、一つ聞きたいだが、何で名前と事情が曖昧なまま?)
「この国の出来事じゃないからだ。たとえ次女でも、侯爵の人間だ。情報が管理されている。他の国に流される情報ならなおさらだ。」
他の国……
(ちなみに、この「バイアス王国」の外交の状況は?)
「これ以上聞きたいなら、まず俺に質問させろ。」
(……確かに、ずっと私が質問している気がする。)
「ふん。お前がさっき『気になること』と言ったか。その『気になること』は何なのか、教えろ。」
(絶対教えなきゃいけないの?)
「……さっさと言え!」
(教えてもいいが、まず聞かなきゃいけないことがある。この言葉の概念が分かるかどうか、私が言えることも大きな違いがある。)
「その言葉はなんだ。」
(ロードルフ子爵はこの言葉が知っているか?「多重人格」って。)
「……」ロードルフ子爵は口を閉じた。
(今沈黙は「黙認」ということで、つまり「知っている」とみなされてもいい?)
ここははっきりした方がいい。曖昧なままでは少しまずい。
「チッ。知らなかったよ。だが、字面のままで読み取ってもらって結構だろう。」
知らなかった、か。これは「大事な情報」だ。
(なるほど。ロードルフ子爵は頭がいいね。)とりあえず、適当に返答しよう。
「不快だ。お前に褒められたいと言ったことじゃない!」
お?これは……
(私、皮肉のつもりだが?)
「ぐっ……もういい!何が言いたいか早く言え!」
珍しくロードルフ子爵から「恥ずかしい」感情を感じた。「感情的」になった。
今なら、「誤魔化せる」かもしれない。
(そうか。「多重人格」、もっと正しく言えば「解離性同一症」ということ。これはあくまで私が学校の図書館で見たもので、詳細は……)
「どうでもいいことだ。要点を伝えろ!」
(……意味は概ね、複数の人格が同一人物の中にコントロールされた状態ということ……今、私たちの状態と似ていると思わないか?)
「……」ロードルフ子爵は黙っているまま。何も反応しなかった。
実は、もっと大事なことがある。その本にはこう書いてあった。
“解離症は通常、圧倒的なストレスやトラウマが引き金となって発症する。例によっては、虐待、事故、災害……
あるいは、耐えがたい心理的な葛藤、受け入れがたい情報や感情など、意識的に思考から切り離さざるを得なくなる状況があるだと……”
もちろん、私は「お節介」したくないから、言わなかった。
あえて「誤魔化した」。
「それだけ?話の見当がつかないな。自分の知識をアピールしたいだけなのか?」
気付いているか?
(違う、私はただ自分の「推測」を考えているだけだ。その「気になること」を聞きたいのはロードルフ子爵の方だろう?)
「だが、『情報』釣り合わない!お前の言い方だと、もっとあったはずだ!」
「誤魔化せ」ないのか……いや、ここは――
(私が言ったのは――)でも、これを言ったら、本当にいいのか?
もし、“私が言ったのはちょっと気になることがあったからって、別に深い意味があるわけじゃないだろう。勝手にもっと何かあると思ったのはあなただけだろう。”と言ったら、せっかく解いた警戒心と少しの信頼がなくなってしまうだろう……
もっと良い言い方がある。
「言ったのは?」
(……ロードルフ子爵に少し思い出してほしい。私はさっきそう言ったよ。“言葉の概念が分かるかどうか、私が言えることも大きな違いがある”と。)
「それがどうした?」
(つまり、“わからなかったら、言えることもここまで”ということ。)
「ふん!理屈が通っているが、納得できないな。」
(それは申し訳ない。でも、意志を変えるつもりはない。)
「……いいだろう。お前の気持ちと意志に免じて、“さっきのこと”を許そう。でも、これでわかるだろうな。俺はそこまでアホではない。」
やはり気づいたか。
(ありがとう。)
「礼はいい。お前のためではない。ただお前の『推測』とかもう興味がないだけだ。」
(そうか。)
「代わりに『バイアス王国』の外交状況を教えてあげてもいい。」
(え、いいの?)
「ああ、だが教えた代わりに、お前にやらせたいことが二つあるからな。その間、身体を貸してあげてもいい……いいや、もし二つもこなせるなら、お前の意志次第で、好きな時に身体を貸してあげてもいい。」