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(身体を……ですか?)
「貴様、不満か。珍しく敬語を使ったが。」
(いいえ、不満ではないが……ただ、少々気が向かない。)
「ああ?ああ、あれか。お前の『自由意志』とか、そのことか?でも、対価が必要だろう。何もしなくて、タダで身体をやるつもりはない。」
(違う!手伝うのはいい。やらせても全然大丈夫。)
「はあ、じゃあ何なんだ。」
(それは、もっと心理的な原因なんだ。)
「心理的な原因?」
(この二週間の間、なるべく意識しないようにしたが、やはり見えるものは見えるし、避けられない。)
「はあ?何が言いたい!」
ここまで言っても分からなかったのは、わざとだろうか?でも、勘違いさせても良くないから……言おう。
そもそも、伝えるべきことだった。
(私は女だよ。)
ロードルフ子爵はしばらく沈黙したが、少し「複雑な気持ち」が伝わってきた。
「それがどうした。」
(どうしたって……)
「貴様、まさかこんな『くだらない』ことで拒否するつもりじゃないだろうな!」
くだらない……?
(全然くだらなくないよ!まだ仲間が欲しい「気持ち」がわからないの?突然男の身体にいて、知らない場所で、わかる人もいなくて、私が怖かったんだ!)
私の話を聞いて、身体中に怒りが湧いてきた。これは私の怒りではない。ロードルフ子爵のだ。
「はあ?それがどうした!俺様と『関係ない』ことだろうか!」
その「感情」に影響されているからか、それとも「自分の感情」なのか、私の中に、何かの「全て」が爆発した。
(関係ないこと?「お前」の身体の中にいるのは私よ。関係ないじゃないだろう!そもそも、「お前」のその「上から目線」の態度が嫌いなんだよ!)
「貴様!今まで敬語を使わないことに対してずっと見過ごしたが、その侮辱な態度は許さん!」
(は!反論できないから、「態度」のことを言う?あなたの方こそ、ずっと態度が悪いだろう!)
「反論できないだと?貴様と子供の『口喧嘩』がしたくないだけだ!それと、先に『態度』を口に出したのは貴様だ!」
(人の「気持ち」を「尊重」してって言ってんの!そんなことも分からないの?せっかくわからせてあげたのに!)
「貴様の『気持ち』なんか意味ないだろう!俺様の言うことを聞けば、好意で接するつもりだったが、この俺様をなめている態度は許さん!」
ロードルフ子爵は机に向かって、拳を振った。その力が強くて、机の書類が全てが散った。そして、引き出しも振動によって、引き出された。
もちろん、手の痛みもちゃんと伝わってくる。
痛い。でも、所詮、私の身体ではない。
(なめるなと言って、すぐ暴力を振る舞う。まるでわがままな子供だ。こんなじゃ、なめられないわけがないだろう。人の「気持ち」も知らずに。)
ロードルフ子爵はすぐ鏡の前へ向かって、両手が鏡の額縁に掴まって、自分の顔に近づき、怒り満ちた目がまっすぐ「私」を睨むように態勢を取っていた。
「もう一度言う。貴様、その侮辱な態度を、今すぐ、収めろ。じゃないと……」
全身が熱い。怒りに満ちすぎて身体が震えている。その「気持ち」に影響されて、私も抑えきれない。
(じゃないとなんだ?所詮、この身体は「お前」のだろう。もし自傷したいなら早くして。私、阻止しないから。)
そして、ドン、ドン――元々ひびが入った鏡が割れた。
割れた鏡の欠片が手を傷つく。ロードルフ子爵は構わず拳を振ってきた。「私」を傷つくために。
パリン、パリン……鏡の欠片が地に落ちた。鏡がボロボロに。その後ろに隠れた木製の板が見えてきた。もう壊れかけた。
でも、ロードルフ子爵は構わず拳を振ってきた。容赦しない。たとえ自分の身体でも。「私」を傷つけるために。
阻止するつもりはない。どうせ私の身体じゃないし。
それに、もしこの男が死んだら、「私」は自分の身体に戻れるかもしれない。
何でこんな目に遭うかはわからない。でも、真相を探しても意味がない。「私」はただ帰りたいだけ。自分の身体に戻りたいだけ。
今まで、本当に意味がわからなかった。
文字が線だし、人が怖いし……現代じゃないし、わかる人もいないし……何もかもわからない。
だから――交渉するのはもうやめよ。どうせ何もわからない。どうせ意味がない。
こんな自分らしくない考え、絶対彼に影響されている。彼のせいだ。
そして、ロードルフ子爵は自傷している最中、突然、コンコン!と音が重複した。この音はドアーからだ。
「ご、ご主人様!一体何か起きたんでしょうか!その音は何でしょうか!」
ロードルフ子爵は気にせず、「私」を傷つけるつもりのようだ。
(……お前はずっと「私のために」やりたいの?「私のために」全てを尽くしたくないって言ってなかった?)
「黙れ!」この声とともに、「両方」の音も止んだ。ロードルフ子爵は手を止めた。
手を止めたが、私に何が言いたかったようで、手を空中に上げたまま、ぼたぼたと血が滴る。
「ですが、子爵様……一体――」扉の外の声が耳に入らなかった。
「私」に対しての怒りで、何もわからなかった。
「貴様を、許す、つもりは――」
(「私」の「気持ち」なんか君と関係ないだろう。なら、早くあの人たちと説明したら?どうせ私のことなんか「気にしてない」だろう。)
怒り狂ってプルプル震えている。
全部破壊したい衝動。私まで影響される。
イライラする。
本当に「感情的」になりやすい人間。
嫌い。
少しだが、ロードルフ子爵は一歩ずつ、扉のほうへ行った。
「子爵様……どうか、中の状況を――」
ガチャ――扉を開けて、そこにいたのは、最初の時見たメイドの子がいた。そして、隣に執事みたいな人もいた。
すぐロードルフ子爵の手の様子を気付いたようで、二人とも真っ青な顔になった。
「どう、どうして、ご主人様、その、手は、いったい……」
「子爵様、一体何が起きたでしょうか!」
二人を見て、少しだけ心が落ち着いたようだ。
「貴様ら、の関係、ない、ことだ。構うな!」話がし終わったら、子爵が視線を下に向いた。二人の顔を見たくないようだ。
「ですが――」
「『貴様』……」この言葉……
「え?」
「『気持ち』って言ったか。」私に対しての言葉。
「子爵様、一体何を……」
「『気にしてない』と言ったか。」
呆然とした二人。そして、イライラする私。
(……それがなんだ。)
「見せてやるよ。俺様が『気にしてる』かどうか……」
(は――)
「はあ、何が言いたい――」
突然、「現実」が鮮明になった。
窓からの光、執事とメイド子からの匂い、ずっと跳ね上がる心臓、皮膚に伝わってきた服の質料……
今まで注意したくなかった、まだ少し夢のような世界が、「本物」になった。
あまりにも突然のことで、「私」は放心状態になった。
幻想的な風景、何もかも現実性を感じられないところ、何が起きたとわかった途端、私は怖くなってきた。最初の時と同じ。
未知への恐怖……すべてが鮮明になった途端、心が崩れた。
「私」は床に跪いて、体が震えている。頭を上げて、目の前のメイドと執事を見て、疑問を感じた。
「君たちは誰?誰なんだよ。ここは一体どこなんだよ!」「私」ではない声が「自分」の口から出てきた。
「ご主人様、何を……」
「子爵様、一体……」
「私」は両手で自分の身体を抱き着く。涙も目から溢れ出す。
体が震えている。この身体が今「私」だ。だから、この震えは「恐怖」の震え。
(ふん。ずっと中にいる貴様はこんな「気持ち」ね。だからあんなこと言えるんだ!)突然、自分じゃない考えが浮かび上がった。
脳が勝手に考えている。「怖い」。
(「貴様」、わからせてほしいじゃなかったか?「貴様」の「気持ち」!)頭痛。
いたい。
無理。
「私」ではない考えが浮かび上がった途端、頭が痛くなる。
こんな時で、何で私はあの「多重人格」の本のことを思い出したんだろう。
(へえ、「多重人格」の原因はこんな感じか。余計なことを考えているようだな。くだらん!)
「うっ……!痛い。」思考が読まれてる。痛い。
「と、とにかく、私今すぐ医者様を呼びに行きます!」
「ああ、早く!」
(それで、「推測」?なんだ、「もしかしたら、自分を守るために、『私』を生み出した」?貴様、自分のことも疑っているのか?呆れた!)痛い。
「やめて……」
(で、こっちは今までの人生経験……ほん、ほん、つまんね。)痛い。
「やめて!」
(はあ、すぐ怒っているんだ。案外「感情的」だなぁ。なんだ、貴様。わからせてほしいじゃなかったか?貴様の「気持ち」。)痛い。
「……もっと、もっといい方法があるんだろう!」
(その「いい方法」が今貴様の「気持ち」でつぶれているんだよ!)痛い。
「違う!こんなのは『気持ち』じゃない!ただの『感情』だ!」
(貴様、「感情」と「気持ち」が同じだろうか――)痛い。
「こんなことを言ったから、あなたは『気持ち』が分からなかったの!」
(はあ?貴様――)痛い。
「『貴様』じゃない!『私』は黒井さな子!女だ!」
(……)
「言いたくなかった。でも、これははっきり言った方がいいと今分かった。私はあなたみたいな人と会ったことがなかった。
身勝手で自己中心で、態度が悪くて、何もかもが命令口調で、暴力も振るう、かっといって変な部分で律儀で、責任感もあって、話も分からなくもないし、優しさの部分もあるとわかっている……
だけど、ここまで人間の『気持ち』がわからない人に会ったことがなかった。」
(……どういうことだ?)
震える身体が止まらない。耐え難い恐怖、どうにもならない。
「……戻って。」
(あ?)
「あなたが早く戻ってって言ってるの!これは『あなたの身体』だ!」
(……)
そして、まだ少し夢のような感じになった。安心……でもなかった。
だが、やっと「恐怖」の「感情」が少し静まった。
「説明しr……早く、説明。」
今更、口調なんてどうでもいいし。こいつ、本当に人の「気持ち」が分からないの?
(……私は、一言も言ってないよね。「身体を貸してほしい」と。)
「じゃあ、なぜ最初からそう言わなかった!」
(それは、あなたにとって、ただの「くだらない」ことだろう!「関係ない」ことだろう!)
「屁理屈だ!もし最初からそう言ってくれたら――」
(違わないだろう!あなたも少し「複雑な気持ち」があったんだ。私は触れるつもりはなかった。だってあなたの「気持ち」を「尊重」したいから!
でも、あなたは無視した!私の「気持ち」も、そして、自分の「気持ち」まで!)
「どういう……ことだよ。」
(あなた、本当にわからないの?)
「……説明を。」
(……ロードルフ子爵、あなたにとって、「気持ち」は何だ?)
後2話、第一章が終わります。