金木犀の雨の絨毯
五十歳の先生があの良い香りのする金木犀を見に行こうといって園児たちをつれだし、つごう二十一名は二列になって昼下がりの散歩なのであったが、はたして金木犀の並木に着いてみると、その道は黄金いろに華やぐひとすじの絨毯であった。
それは十月も終わりしな、雨のやんだ直後のことで、時期を逃さなければ青々した葉のあいだにつつましく、日の光のために砂金のようにきらめくあのぼってりした花弁がいっぱいであったに違いないが、もうあらかた散ってしまった後なのである。が、そのために金木犀は、公園のせまいプロムナードに敷きつまって、一枚のふかふかした姿にかわっている。
園児たちはその五メートルを無意味に踏んでゆくのを憚った。かれらの幼心には、自然の編み上げてくれた豪奢な調度品をいつまでも立派なまま大切においておきたいという気持ちが芽生えているのである。
ところがこのはつらつとした先生は、
「散っちゃってたなあ。ざんねんざんねん。ほらいくよ」
と先立って歩いた。かれのスニーカーの靴底は進んでゆくたびに絨毯の繊維をほどく。子供らを顧みるときにはいっそう大きなほころびをつくる。
園児はついてゆくことしかできない。花びらの下に薄く雨水が張っていて、踏みにじられた金木犀は湿りを帯びてあたかも生々しい朱殷いろである。花からわかたれた花柄がユーグレナのようにただよう。だからみんな用心して、先生の踏んだあとをいった。
しばらくして先生は「また降りそうだ」と雲をみた。そして引き返すことになってまた金木犀の道に帰ってくると、雨粒がぽたぽたした。先生が新しい穴をあけながらもうなかほどまでいっている。園児たちは慎重な足取りで穴のあいたところだけを踏んでゆく。はじめと帰りで二通りあるから園児はめいめい広がってさっきよりも早く追ってゆける。突然、雨脚が強くなった。園児はたちまちびっしょりになる。誰ともなく「わー」といって、みんな急ぎ足になった。先生はもっと向こうで手招きしているが、その手の動きがあまりにも性急だから、園児はもう足元を見ないで一目散になった。後ろの園児も前の頭を追って走った。
園に帰ってくると、みんなは大いに濡れていて、雨のことばかりガヤガヤ言いあっている。先生はたくさんのタオルを湿らせながら大いそがししている。公園の金木犀もきっとぐっしょりに違いないが、あのボロボロの絨毯は、強い雨水に拉し去られて消えただろう。雨のおかげで消えただろう。