新人魔術師の調達業務
ロック・ウィドウは今年魔術学院を卒業したばかりの青年である。
成績は主席卒業。
通常魔法はさることながら、取得難易度高レベルな浮遊魔法や各種禁術を扱うことができる。
将来は宮廷魔術師か魔術師ギルドの長か、などと噂されていた。
彼にはもう1つの呼び名がある。
精霊憑き。
精霊自体は珍しくもなんともない。
良き隣人と呼ばれる程度には。
しかし、上位精霊となれば話は違う。
彼女たちは滅多に人の前に現れはしない。
にもかかわらず、世にも珍しい上位精霊が彼を守り、力となり、支えているのだ。
彼には夢があった。
宮廷魔術師も魔術師ギルドの長にも興味はない。
この類まれなる魔法の力を使い、魔術道具の設計開発をすることが彼の夢なのだ。
だからロックは魔術学校を卒業と同時に、魔術道具の製造販売を行う商業組合へと就職した。
夢と希望に溢れた順風満帆な生活が始まる。
――はずだった。
ここはラドリー商業組合。
首都に本拠点を構える商業組合の中でも大手に入る商業組合だ。
そして、ラドリー商業組合の組合所の1室で、ロックは言葉を失っていた。
彼の目の前には1枚の紙。
そこには大きく『配属先通知書』と書かれていた。
ロックは配属先通知書を食い入らんばかりに凝視する。
掴んだ手が小刻みに震えていた。
「あのぅ、すみません」
たまらずロックは、この紙を持って来たラドリー商業組合の社員に声を掛けた。
黒く長い髪が印象的で、整った顔立ちの女の人だ。
「どうかしましたか?」
「これ……誰か別の人のと間違っていませんか?」
配属先通知書の中央部、そこには達筆な字で『魔術道具開発課』と書かれて――いなかった。
女性社員は柔和なスマイルを浮かべて言う。
「間違っていません。だってウチが採用したのは貴方だけなんですよ」
「いえ、ですが……ここに調達課って書いているんですけど」
「そうですね。調達課です。貴方の配属先は調達課です」
「開発希望だったんですけど」
「そうですね。でも、あくまで希望ですからね」
「…………」
ロックは絶句した。
信じたくなかった。
たった紙1枚で自分の夢が終わりを迎えるなんて。
これは夢か幻覚かそれとも――
呆然とするロックを後目に、女性社員は対面の椅子に座った。
「キミ、浮遊魔術使えるでしょ?」
唐突に訊かれ、ロックは反応が遅れた。
「え……あ、はい……」
「荷下ろしとか荷積みとかに最適じゃないですか!」
「荷下ろしと荷積み!?」
たしかに浮遊魔術を使えば人力のそれよりはよっぽど早いだろう。
しかし、浮遊魔術を荷馬車からの荷下ろしや積み込みに使うなんて、高等魔術の無駄遣いでは?
そう思わずにはいられないロックである。
「いやねぇ、うちにも使える人は1人いるんだけど、正直オーバーワークとゆーか。結構大変なんだよね、荷下ろしって。人員と時間がかかっちゃってさー」
「は、はぁ……」
何と返していいのか分からず、ロックはただ困惑するばかりだ。
その時だった
『くくくっ。就職なんてそんなものじゃ』
ロックの頭上に、やけに尊大そうな声と共にふわりと小さな光が舞い降りた。
光は徐々に弱まっていき、次第に人の形を作る。
現れたのは目麗しい少女だ。
ただし、大きさにして30センチメートル弱、決して人間ではない。
金細工のような髪が部屋を通る微風に揺れる。
彼女の美しさを表現するならば、神が「美とは何か?」を追及して創造した――そう答えるのが最も適切だろう。
『じゃから余は助言したじゃろ。役所勤めか魔術師ギルド傘下のベンチャー系にしておけと』
神々しい雰囲気を纏いながら浮かべるのは、人の不幸を楽しまんとする邪悪な笑みだ。
彼女はロックに憑いている上位精霊であり、名をナナという。
「あら、こちらが精霊さん?」
途端に女性社員が目を輝かせた。
精霊はどこにでもいる。それこそ井戸やトイレや貴方の背後にも。
しかし、上位精霊となれば話は別で、めったにお目にかかれるものではない。
『うむ。おぬしらが上位精霊と呼んでいるモノじゃ。名をナナという』
ナナはロックの頭の上で、まるで我が家であるかのように寝転んでいる。
くつろぎ過ぎだとロックが小声で注意をするが、知らんぷりだ。
『して、こやつが配属された調達課とはどういうところじゃ?』
――興味はないが、知識として知っておこう。
そんなナナの考えが透けて見える。
「じゃあ簡単に説明しますね。貴方が配属された調達課というのは、魔術道具の生産に必要な部品や素材を調達し、生産現場へ供給することが仕事です」
ロックは「部品」「調達」「供給」と小声で繰り返して言う。
魔術ならまだしも、それ以外となると頭が追い付かない。
ただでさえ混乱気味だと言うのに。
「まぁピンとこないかもね。要するに外注業者に加工依頼や素材を発注して、ウチに納入させるのが仕事よ」
ロックの表情が曇る。
「外注業者……?」
女性社員は頷き、
「ウチと契約している冒険者パーティーや鍛冶屋、魔術師ギルドのことよ。魔術道具に必要なモンスターの素材を回収したり、金属形成や熱処理をしてもらったりするの」
ロックの表情がますます曇る。
「で、その手配依頼をするのが私たち調達課。オッケー?」
なぜならば、その仕事に自分の魔術が生かされるとは到底思えないからだ。
ロックは言葉を失い女性社員を見るばかり。
その視界に、急にナナが割り込んできた。
『ぬしよ。ぼーっとしてないで返事の1つでもしたらどうかや?』
「あ、うん……オ、オッケー」
『カカッ!さすがぬしじゃな』
ロックの狼狽っぷりを見て、実に楽しそうだ。
守護精霊らしかぬ言動だ。
女性社員はそんなロックとナナのやり取りに小さく息を漏らすと、
「というわけでよろしくね。新人さん」
こうして、ロックの調達業務が始まったのであった。
「ラドリー商業組合調達課のロックです。いつもお世話になっております」
ラドリー商業組合の広い事務所は、喧騒で凄まじいことになっている。
そんなパンデモニウムの中、ロックは負けじと声を張る。
「はい。はい。ええ、明日の工場訪問についての確認で……はい。いえそんな監査なんて大仰な事じゃないですって。あくまで確認で……ありがとうございます。ではまた明日、よろしくお願いいたします。では――」
見えない相手にお辞儀しつつ、ロックは通話の終わったPHSを下ろした。
ふわりと降りてきたナナがPHSの隣に座った。
『なんか……消耗しておるの』
「そう見える?」
『うむ。他の者の通話終わりとは大きく違うのぅ』
このPHSと呼ばれる精霊の力を借りて声を遠くへ飛ばす魔術道具は、便利なのだが小回りが利かない。
契約精霊がへばったり機嫌を損ねたりしてしまうと、途端に出力が安定しなくなる。
要するに声が聞こえにくくなるのだ。
その点ロックは上位精霊であるナナのおかげで、他者より安定して通話ができる。
外注業者からもすこぶる評判が良い。
「だからだよ。いらない話まで聞かされる。話し好きが多いんだよ、うちの外注は。あんまり得意じゃないんだけど、無下にもできないし」
『社畜めいているのぅ』
ロックは黙って肩をすくめた。
若干ぎこちない動作だったので、自覚はあるのだろう。
『で、今のは何の連絡じゃ?』
「明日、下請けの所に行くから、前日に挨拶しておこうかと」
調達課に配属となったロックは、数多くの下請けや魔術師ギルド所属の魔術師たちを使い、モンスターの素材の加工、金属加工、熱処理や付与魔術などを担当している。
いわゆる二次加工である。
ロックが出張に行く業者も、そんな数ある下請けの1つである。
『工場見学かや?』
「兼ねてるよ。メインはちょっと前に下請けが不適合を出したから、それの対策の確認」
ナナは確認と聞いて目を丸くした。
『それも……調達の仕事なのかや?』
「らしいね」
ロックは同僚に聞こえないよう声を潜めて、
「くっそめんどいけど」
肺の奥底から出てきたような重いため息をついた。
ロックのデスクの上には、行き先のみが書かれた報告書が置かれていた。
ナナはそれを覗き込み、出張先の街の名前を見て「うげー」と呻く。
『ルベッタの街じゃと、馬で往復1日かからない程度の距離じゃな。面倒じゃの』
ルベッタは首都の南にある街である。
家族経営の鍛冶屋がたくさんあり、良い腕の職人が揃っている。
「グリフォンお急ぎ便みたいに、グリフォンに乗れたらもっと早いだろうけどね。おかげで今日は泊まりだ」
『ほんと馬に乗れてよかったの。童の頃にした余の助言のおかげじゃな』
「ええ。今となっては大変ありがたく存じます。いやほんと」
ガランゴロンと休憩時間を知らせる鐘の音が鳴った。
おもむろに周囲の社員が立ち上がったり、伸びをしたりし始める。
緊張感が和らいだのが伝わって来る。
ロックも「よっこらせ」と爺臭いことを言いながら、周りと同じように立ち上がった。
しかし、なぜか紙束とペンを持っている。
周りとは明らかに違う行動にナナは眉根を寄せた。
『休憩は?』
「そろそろルベッタから納品の荷馬車が帰って来るから、そのチェックが終わってからかな」
二次加工を担当していると、初工程に納期を食われ、工程がやってくる頃には納期まで待ったなしと言った状況が多々起こる。
その度に管理部などから特急の依頼などが、こちらの都合はお構いなしにやって来る。
納期遅れをしようものなら、吊し上げられかねない。コワイ。
そして、今日納品の部品も早めの流動を依頼されているものの1つだ。
明日の朝一の生産に使うとのこと。
なら、もっと納期を余裕見て設定しろ! と思うが、思うだけで口には出さない。
言ったところでどうにもならないし、余計な軋轢を生むだけだ。
自分で、どうにかするしかないのだ。
だって仕事なのだから。
「さて、さっさと行くか。後でおやつあげるから、ナナも来てくれ」
立ち上がったロックは若干背筋が丸まっている。
入社当時の勢いは感じられない。
そんなロックの背を見ながらナナはぽつりとつぶやく。
『むぅ。余裕がなくなっておるのぅ』
荷受け場所には2頭立ての馬車が3台も止まっていた。
これらはルベッタと組合所を行き来する定期便である。
週に3度ほど決められたルートを通り、ルベッタの下請けから納品物を乗せて帰って来るのだ。
逆もまたしかりで、ロックが作成した注文書を各下請けへと配送する。
「こんにちは」
ロックは荷下ろしを始めている御者に声を掛けた。
入社してから結構な日数が立っているので、御者とも見知った仲である。
「あ、どうも」
ただ、上位精霊にはまだ慣れていないらしく、毎度ナナを見るたびにちょっとびっくりした顔をしている。
今日も若干驚いていた。
ロックはこれ見よがしにチェックリストを見せながら、荷馬車に近寄る。
「ちょっと急ぎの部品があるんで、いったん僕が下ろします。いいっすか?」
「いいよ」
納品物は大小さまざまで、樽や木箱に収まっているものもあれば、むき出しの状態で置かれているのもある。
鎧や盾は荷台にそのまま置かれ、金属加工品や剣などは木箱で納品される。
本当なら人力で荷下ろしする重労働だが、ロックは浮遊魔法を唱えると手早く下ろしていく。
御者が口笛を吹いた。
「さすが浮遊魔術、俺らが下ろすよりめっちゃ早い」
「効率がいいのは重量物だけですよ。小さい物は手の方が早いですし」
謙遜はもちろん忘れない。
浮遊魔術は高等魔術に属するので、連続で唱えることができない。
しかし、チャージしている間は何もしないのかと言えばそうではない。
ロックは下ろした荷物と手元のチェックリストとで、さっさと照合を済ませていく。
ナナも荷物の数量を数えたり、納品書をまとめたりするお手伝いをする。
そして全ての荷馬車から荷物を下ろし終えた頃だった。
「あれ?」
ロックのチェックリストを捲る手が止まった。
1つだけ、未チェックのものがあった。
荷馬車をもう一度見直す。
荷車に物は残っていない。
下した荷物を確認する。
該当する荷物は見当たらない。
検査ヤードに運ばれていないか確認する。
搬送係はまだ来ていない。
「ああ……あ……ああ……」
ロックの背筋を、悪寒めいた感覚が駆け抜けた。
手汗でチェックリストが湿り気を帯びる。
ロックはリストに打ったチェックの数を数える。
目が滑って何度も数え直した。
そして、荷物の数を数えた。
瞬間、世界に静寂が訪れた。
鳥のさえずり、虫の声、ナナの呼びかけも全く耳に入らなくなった。
数は一緒。
つまり。
「未納入……」
しかも、明日の朝一から使用すると言われていた部品が納入されていないのだ。
「おい、魔術師の旦那、どうしたんだ?顔色が悪いぞ」
「あ、いえ。なんでも……ご苦労様でした」
時刻は昼前。
一先ず荷馬車を帰すと、ロックはダッシュで事務所へと戻った。
奪い取るようにPHSをつかみ呼び出しコール。
――早く繋がれ!
そう思う反面、掛からないでくれ!と思う相反する自分がいる。
数回のコールの後、
『はい、ぶりき屋ですー』
ロックの心拍数が跳ね上がった。
「いつもお世話になっております。ラドリー商業組合のロックです」
『おぉ、ロック君かいな。PHSなんて珍しいやんか、どうしたんや?』
金属加工ならびに非金属加工も手掛ける鍛冶屋、ぶりき屋の社長である。
ちなみにドワーフであり、ラドリー商業組合へは貴金属の加工品を請け負っている。
「今日の納品のことで少しお話が……」
『ん?』
「先程荷馬車が来たんですが、一点だけ部品が見当たらないものがありまして。ミスリルのリングなんですけど……注番言いましょうか?」
『いや、言わんでもわかるからええけど……。ロック君、ちゃんと確認したんかいな? それ、定期便が来る1日前には完成して、ちゃんと乗せたで』
「ええ! そうなんですか!」
ロックは大仰に驚いてみせた。彼の横にいればわざとらしいと思うだろうが、相手がPHS越しならば、これくらいやらないと伝わらない。
「容器はどんなのですか?」
『よくある木製の、蓋つきで、ぶりき屋の印字しとるで』
「承知しました。もう一度確認してきますが……念のため社長も確認して頂けますか? 社長の確認後にもう一度行きますんで」
『うちは長い間はPHS繋げられんしな。わかったわ。少し待っといてや』
PHS端末越しに足音が遠ざかっていく音が聞こえる。
あいにく、鼓動の音は一向に遠ざかる気配がない。
「頼むぞ……頼むぞ……」
ロックはじっと身じろぎ一つせず、PHS端末を見つめる。
ほどなくして精霊が通話を再開させた。
『ごめん。積み忘れやわ。出荷品置き場に1つ残ってたわ』
「jsbfkhsdgbf化すhfくじゃhgkjwbvmンwbds al!」
さすがに言語化できない言葉は、精霊も伝えることができない。
『おーい』
「あ、失礼しました。社長、マジで積み忘れですか!?」
『いやーごめんごめん。完全に忘れてたわ!』
忘れてたじゃねえええええ!
ロックは喉元まで上がった言葉を、あわや漏らす寸前で飲み込む。
『明日の納品でいい? 今から便立てしたら、明日の午前中には納品できるから。半日くらいかまへんやろ』
何が「かまへんやろ」じゃいっ!
もう仕事を出さねえええ! と、力の限り叫びたいロックであったが、それはできない話だ。
ラドリー商業組合と比べればぶりき屋など零細企業である。
切ることは簡単だと言う人もいるだろう。
だが、ラドリー商業組合の製品の中には、他社では加工できず、ぶりき屋でしか加工できない逸品を使用したものもある。
ぶりき屋を切るということは、その製品の売り上げを失うということだ。
切れるわけがない。
「あのぅ。その部品、明日の朝一から使う予定なんですけど……」
そして、哀しいかな。
へそを曲げられて他の注文も納期遅延されたら、自分の成果にも影響が出る。
立場や規模はこちらが上だが、調達担当はそうそう下請けには強く出られないのである。
『え、そうなん? どうするかなぁ……』
PHS端末が静かになった。
たった1日。
されど、1日。
ルベッタの街へ行って帰ってとなると、荷馬車で往復1日。
時刻は昼過ぎ。
どう考えても間に合うわけがない。
グリフォンお急ぎ便を使ったなら、朝一に納入に間に合うだろう。
しかし、ぶりき屋は業者と未契約である!
しかも値段が高いから、ラドリー商業組合からも緊急時以外は依頼を出せないッ!
絶望に打ちひしがれるロックが、自棄になってPHSを乱暴に切ろうとした――その時だった。
『くくくっ。ぬしよ、案ずるでない』
ナナがロックの目前に降り立った。
それはさながら弱き者に手を差し伸べる天使のよう。
『まずは折り返し連絡を入れると言って、切るがよい』
あるいは代価と引き換えに悪しき知を授けんとする悪魔か。
「あ、ああ……」
ロックは言われた通りに従い、ぶりき屋との通話を切った。
『ぬしよ、感情的になるでないぞ』
「わ、わかっている!」
『次に管理課に伝えるがよい。納品が明日になると』
馬鹿正直に言えと!?
さすがにロックは瞠目した。
「絶対に怒られる奴じゃん」
ナナはそっと顔を寄せると、ロックにしか聞こえないよう声のボリュームを落とした。
『怒られても構わん。じゃが自分が悪いのではなく、あくまで外注のミスを強調するんじゃ。よいな?』
「う、うん」
『さらに今から別便をたてると、明日の昼一の納入になると付け加えるんじゃ』
「え、午前中の納品じゃ……」
『たわけ。正直に言うやつがおるか。そう言っておけば、外注が頑張って早めに納入してきた感を演出させるじゃろ? それに道が混んで遅れてしまっても、言い訳ができる』
「たしかに」
『それを言ったのち、すかさずグリフォンお急ぎ便を使うかどうかも聞け』
「グリフォンお急ぎ便は高いぞ……赤が出るかもしれない」
『たわけ。使う気などない。形だけでも管理課に選択肢を与えるためじゃ』
どうせ断って来るからの――と最後までは言わない。
なぜならそれは調達課勤めをする上で、ロックが自分で気づかなければならないことだからだ。
『いくら朝一必要とはいえ、おそらく急ぎの注文ではないじゃろ。たまたま計画が朝一だったにすぎんはず。加工タイミングをずらせる余地は十分あるはずじゃ』
「もし全ての案が却下されたらどうするんだよ」
『却下された場合はな――』
「却下された場合は?」
不安げなロックを前に、ナナはカカッと軽快に笑った。
そして、お世辞にもお行儀が良いとは言えないが、足先で1枚の紙を差した。
それは書きかけの出張報告書。
行き先は――ルベッタの街。
『おぬし、これからルベッタの街へ出張じゃろ。見学を早めに切り上げて、明日の帰社時に部品を持って帰って来るがよい。荷車を引かない分、荷馬車よりは速いはずじゃ』
ロックはポカンと口を開けたまま静止すること10秒。
「……ああっ!」
事務所内に、素っ頓狂な声が響き渡った。
こうしてロックは突然訪れた難局を乗り切った。
しかし、この程度の外注のミスなど、これからの調達業務においてまだ序の口にしか過ぎない。
なぜなら、納期遅延だけでなく品質不良に短納期対応。
そして――
発注漏れがロックを待ち構えているからだ。
納期との戦いはまだまだ続く。