9 答えは向こうからやって来ました
「どうすれば良いのかしら」
タジーク様との関係は一向に回復しない。
というか、会う事すら出来ないのだから、回復のしようがない。
何とか気丈に振る舞おうと頑張っているけれど、月日を重ねるごとに憂鬱になってくる。
「お嬢様、朝食が冷めてしまいます。さっさと召し上がって下さい」
こんな気分の重い日でも、私の侍女は容赦ない。
ツンツンとフォークで突いているだけで全く減っていなかった食事を、エネルギーを付ける為にと思って頑張って口に運ぶ。
私のその様子に満足したのか、ミモリーは一度小さく頷いた後、私の世話を焼いたり、お皿を洗ったりとテキパキと仕事を熟していく。
「何かいい方法はないかしら」
正直八方塞がりの状態だ。
必死で頭を回転させても、既に思いつく限りの事はし終えてしまっているしこれ以上の案が出てこない。
昨日はミモリーにも何かいい案がないかと尋ねたけれど、一言「ない」と答えられてしまい、その後の会話は広がらなかった。
「また、お兄様の所にでも行ってこようかしら」
お兄様に相談したところで、何か良い案を持っている可能性は低い。
期待できるとしたら、私の知らないタジーク様情報をお兄様が持っている可能性がある事くらいだろう。
けれど、最近上手くいかない事が多過ぎて、少々行き詰まってきているのは確かだ。
それなら、気分転換にお兄様の所に行ってくるのは良いかもしれない。
何より、こんな時に私が躊躇わずに甘えられるのは、今の王都ではお兄様かミモリーくらいなのだ。
「ねぇ、ミモリー?」
「またですか?」
呼び掛けただけで、私が何を頼みたいのかすぐに察してくれたらしい。
物凄く面倒くさそうな顔をしているけれど、最近の私の落ち込み具合を知っている彼女は、渋々ながらも引き受けてくれた。
「お兄様にも迷惑掛けっぱなしね」
相変わらず家になかなか帰ってこれない様子のお兄様。
職場に行くのは気が引けはするけれど、こうも会えない日が続くとある程度は仕方のない事のように思う。
「ついでに着替えも持って行けば、きっと迷惑どころか感謝されますよ」
そう言って、洗濯し畳み終えたばかりらしいお兄様の着替えの山をミモリーが指差す。
どうやら、また私が寝ている間に慌ただしく洗濯物を置いて着替えを持っていったようだ。
王都の騎士様のお仕事というのはこうも忙しないものなのか。
今はミモリーがいて洗濯等も全てやってくれているからいいけれど、いなかった頃は一体どんな生活を送っていたのだろうか?
ちょっと想像するのが怖い。
「そう。なら折角だし着替え以外にも必要そうな物を差し入れしましょう」
お兄様は今日は昼間の勤務らしいから、お昼休みもあまり長くは取れないだろう。
お昼を一緒に食べる事は出来ないかもしれないけれど、色々と差し入れをして少しでも嬉しそうな顔を見る事が出来れば、私の気分も少しは向上する気がする。
「そうと決まれば、さっさとお弁当を用意して、少し町をブラブラして差し入れになりそうな物を買いながら王宮に向かいましょう」
そうなると午前中はタジーク様の所には伺えないけれど、午後様子を見に伺えば良い。
どうせ彼は一日中部屋に引きこもっていて出てこないのだ。
伺う時間を気にする必要もあまりない。
だって、彼の場合気にする予定自体がほぼ皆無なのだから。
「……はぁ。こういうのも現実逃避というのかしら?」
小さく溜息を吐いて窓から見える青空を見つめる。
目の前の解決しない問題に心が元気をなくして違う事を考えたり気分転換を求めたりしてしまっているのだという自覚はある。
あるけれど、このままだとただ気分が暗くなってしまうだけなのだから、それも悪くないのではないかと思う。
「まぁ、こうなったらもうなるようにしかならないだろうしね」
もちろん、ギリギリ限界まで頑張るつもりではあるけれど、縁談も恋愛も相手がある事だ。
私だけの一方的な頑張りでは限界が来る事だってわかっている。
そこまでいったらもう……。
「あ~もう! 止め止め! 暗い考え禁止!!」
頭の中でどんどんと湧き出て来る暗い考えを打ち消すように首を振る。
「禁止と言いましても今暗い考えをなさっているのはお嬢様だけですよ」
急に叫び首を振り始めた私に、ミモリーが呆れ顔を浮かべる。
「もう。わかっているわよ」
不貞腐れつつ、さっさと食事を終えお兄様の所へ行く準備をミモリーと一緒に始めた。
***
「お兄様、喜んでくれて良かったわね」
「そうですね」
お兄様に着替えと差し入れを無事に渡し終えた私達は、騎士様用の建物を後にし、王宮の出口へと向かっていく。
お兄様は予想していた通り、今日は忙しくて一緒に昼食を食べる事は出来なかったし、相談事をしている暇もなかったけれど、久しぶりにしっかりと顔を見れて良かった。
私の顔を見て開口一番に「元気がないけど、どうしたの?」と言われた事には驚いたけれど、「さすが家族だなぁ」と思ったら何だか擽ったいような温かいようなそんな気持ちになった。
「問題は何も解決していないけれど、お兄様の顔を見たら元気が湧いてきてもう少し頑張れそうな気がしてきたわ」
この後、何処かでミモリーと食事をしてまたタジーク様のお宅に伺うつもりだ。
きっとまた無視をされるのだろうけれど、今日は何だか頑張れそうな気がする。
「あら? 貴方……」
ここ最近にしては珍しく良い気持ちで歩いていたら、不意に背後から声を掛けられた。
ちょっと待って。この声ってもしかして……。
恐る恐る振り返ると、そこには少し驚いた様子で目を開いたかカルミア様が立っていた。
正直に言おう。
この時私は心の中で、お化けにでも出くわしたような気分で「出たぁぁぁ!!」と叫んでいた。
もちろん、貴族が行きかう王宮で、淑女がそんな醜態を晒すわけにはいかないから、必死で笑顔を顔に張り付けて耐えたけれど。
「まぁ、偶然ね。確か……コリンナ様だったかしら?」
「えぇ、そうです。先日は素敵なお話を有難うございました、カルミア様」
今まで隣に立って、私の話し相手をしてくれていたミモリーが一歩下がり、侍女の立ち位置に戻る。
こうなってしまっては、ただの使用人でしかないミモリーに助けを求める事は出来ない。
これはあくまで貴族同士の会話という事になるのだから。
心なしか緊張しつつも、何とか頬を引き攣らせないように心掛けて笑みを浮かべる。
「いえ、こちらこそタジーク様の最近の様子をお聞き出来て良かったわ」
少し切なそうな笑みを浮かべるカルミア様。
この彼女の様子からだと、タジーク様と彼女の間で何があったのか、全く予想が付かない。
だって、今の彼女を見ただけだと、タジーク様との行き違いで仲違いしてしまった事を悲しんでいるようにしか見えないのだから。
……どうしよう。
私と彼女が話していた所を見たというだけで、あれだけ激怒していたタジーク様の事を考えるのならば、少しでも早く彼女から離れるべきだろう。
でも、ある意味これは今の膠着状態を打開する手掛かりを得られるかもしれないチャンスでもあるのだ。
どうするのが正解なのか……。
「……ねぇ、コリンナ様、タジーク様と何かありましたの?」
「え?」
どう対応すべきが頭の中でグルグルと考えて込んでいると、まるで先制攻撃でもするかのようにカルミア様の方から尋ねられてしまった。
「いえ、その……ちょっと……」
何と答えて良いのかわからず、言葉を濁すと、カルミア様が心配そうな顔をされる。
「前にお会いした時よりも表情が暗くて硬いわ。……もしかして、私と会っていた事、タジーク様に知られて何か言われた……とか?」
「っ!」
思わず息を飲んでしまう。
それが彼女にはもう答えとなっていた。
あぁ、やってしまった。何故彼女はこんなに勘が良いのだろうか?
いや、以前タジーク様にも私は思っている事が顔にそんそまま出ていると言われた事がある。
そう考えると、彼女の勘が良いのではなくて、私がわかりやす過ぎるという事なのかもしれない。
「……やっぱりそうだったのね」
どう返答して良いかわからず視線を泳がせている私を見て、カルミア様が真剣な顔つきで思案する。
「あ、あの、カルミア様?」
急に無言になり考え込んでしまった彼女を放って帰る訳にもいかず、恐る恐る声を掛けると、彼女は意を決したように小さく頷き私を見据えた。
「大体の事情はわかりましたわ。ねぇ、コリンナ様。この後少しお時間を頂けません? ……ここでは少々話し難い事なのですけれど、コリンナ様には知っていて頂いた方が良いと思う話がありますの」
そっと両手で手を握られる。
ギュッと握られた手と、その真剣な表情に、これは断れないやつだと理解した。
それに、本音を言えば私もタジーク様とカルミア様の間で何があったのか知りたい。
そうすれば、私にもトラウマの中で苦しんでいるタジーク様の力になれる事が見付けられるかもしれない。
もちろん、彼女と話した事を知った時のタジーク様の様子を見れば、彼女から話を聞く事に不安を感じざるを得ないけれど……でもこのままの状態では、ずっと何も変わらずに停滞の状態が続くだけだ。
それならイチかバチかで打って出るのも手なのかもしれない。
でも……
「ねぇ、ミモリー。タジーク様に私がカルミア様とお話をしに行った事を伝えてくれる?」
私の斜め後ろで「止めた方が良い」と小さく首を振るミモリーにお使いを頼む。
カルミア様とお話をする事で、タジーク様を余計に怒らせてしまうかもしれないけれど、だからと言ってそれを黙ったままにしておくのは、きっと彼にとって裏切り行為そのものとなるのだろう。
ならば、怒られるの覚悟で正直に話をしに行った事を伝えた方がいい。
それこそ、他の誰かから伝えられたりする前に私自らが事前に伝えておいた方が。
「……しかし、コリンナお嬢様」
先日のタジーク様の剣幕を知っているミモリーは不安そうな様子で、私に考え直すように訴えて来る。
「大丈夫よ。それで怒らせてしまったら……覚悟を決めるわ」
いつまでのように何も知らないままタジーク様に縋り続ている状態が良いとは思えない。
折角、カルミア様が話を聞かせて下さるというのならば、きっとここが賭けに出るべきところなのだろう。
「わかりました。お嬢様がそれ程お心を固めているのならもうお止めはしません。けれど、それならば私も一緒にお連れ下さい。……お嬢様をお一人で行かせるわけにはいきません」
キュッと唇を引き結んで私を見てくるミモリー。
まるでここは譲れないとでもいうかのような強い視線だけど……それではタジーク様に言付けを頼める相手がいなくて困ってしまう。
「ごめんね、ミモリー。やっぱり先にタジーク様の所に行って伝えておいて欲しいの。カルミア様のお話は聞くって覚悟を決めたけれど、それでもやっぱり前回の時のように後から話していた事がバレるような事は避けたいから」
「し、しかし!」
「お願いよ、ミモリー。伝言をし終えたらすぐにこちらに来てくれれば良いから」
カルミア様に了承を取るように視線を向けると、彼女は朗らかな笑みを浮かべてすぐに頷き、少し離れた場所に待機していた使用人を呼び寄せ、手早くご自分の住所をメモした紙を渡して下さった。
「ここからだと少し遠いかもしれないけれど、終わったらいらっしゃったら良いわ。あぁ、そうだわ……」
何かを思い出したかのような仕草を見せると、彼女は手にした小さな貴婦人用のバックから一通の手紙を取り出した。
「これはいつかチャンスがあったらタジーク様にお渡ししようと思い書いたきり、ずっと渡せずに持ち続けていた手紙なの。もし良かったら、コリンナ様の伝言と一緒にこれもタジーク様に渡して頂けないかしら?」
しっかりと封蝋がしてある手紙をミモリーに差し出す。
まだ納得していない様子のミモリーだけれど、私が譲る気がない事に気付くと素早く手紙と住所が書いてある紙を手に取り、「すぐに追いかけます」と言い残して立ち去って行った。
「さぁ、私達も行きましょう」
ニッコリと微笑むカルミア様。
「えぇ、よろしくお願い致します」
そうして彼女が用意した馬車に一緒に乗り込み、彼女の屋敷へと向かう。
さて、この行動が吉と出るか凶と出るか……。
タジーク様が私が話を聞きに行った事をどのように捉えて下さるか……。
不安要素は山積みだけれど、それでもこれで何かが変わってくれる事を祈ってカルミア様の話をしっかりと受け止めよう。
そんな事を考えながら馬車の窓から外を見ていた私は、背後から不意にハンカチを口元に押し付けられた。
それと同時に甘ったるいようでいてツンと鼻を刺激する匂いも含んだ、薬特有の香りが鼻を衝く。
「っ!?」
驚いて振り返ろうとすると、視界の端にカルミア様のニッコリと笑った顔が見える。
「フフフ……。やっぱり田舎貴族は警戒心が薄くて楽でいいわね」
そんな囁きを最後に、私の意識は薄れ闇へと落ちて行った。
***
「うぅ……」
ツキンッと突き抜けるような頭の痛みと共に意識を覚醒させた私が最初に見た物は、ワインレットの綺麗に磨き上げられてハイヒールだった。
「あぁ、やっとお目覚めになったのね。お先にお茶を頂いているわよ」
まるで歌うような軽やかな口調で話し掛けられ、一瞬自分の状況がわからなくなる。
えっと、確かお兄様に差し入れを持って行って、その後カルミア様と偶然お会いして……
「っ!!」
ゆっくりと記憶を辿り、最後に何かカルミア様に薬を嗅がされて意識を失った事を思い出した瞬間、慌てて起き上がろうとする。
けれど、口に布を噛まされた上に、手足を縛られ床に転がされているようで、起き上がる事は出来なかった。
「あら、それじゃあお話し出来ないわね。折角私と話をする為に来て下さったのに、それじゃあ申し訳ないわ。……アルク、口の布だけとって差し上げて」
何とか体をモゾモゾと動かして彼女の顔が見える体勢になった所で、彼女は彼女の背後に立っていたタジーク様と同じ年頃の侍従にそう命じた。
命じられたその侍従は表情一つ動かさず、私に近付くと手早く私の口の布を外し元の位置……カルミア様の後ろへと戻って行った。
「カルミア様、これは一体どういうことですか?」
床に転がされたままでは迫力も何もないと思いつつ、キッと彼女を睨みながら尋ねる。
この状況は明らかに異常事態だ。
これでただ話をする為に屋敷に招いたと言っても誰も信じはしない。
「フフフ……。私は貴女がタジーク様の事を知りたいと仰ったからお話しして差し上げようと思って連れて来ただけよ。まぁ、そのお礼として貴方にはタジーク様の人質になってもらおうと思っているけれど」
ニコニコと貴婦人らしい穏やかな笑みを浮かべたままとんでもない事を言い始める彼女の姿に、背筋に冷たいものが流れた。
「こ、こんな事をしてただで済むと思うの?」
ミモリーはタジーク様に私に何があったかを話に行っている。
ついでにカルミア様の書いた手紙も渡したはずだ。
事態を知ればタジーク様は……。
そこまで考えた所でふと思考が止まる。
そうだ。事態を知った所できっとタジーク様は私を助けになんて来てはくれない。
少し前ならともかく、最近では顔を見せてもくれないし、扉越しに話し掛けても返事もしてくれない。
そんな相手の為に、危険を冒して助けに来るなんてありえない。
もしかしたら、正義感からそういう事件担当の騎士様に話だけはしに行ってくれるかもしれないけれど、きっとやってくれるのはそこまでだ。
あ、ミモリーなら私の事を心配して色々やってくれるかもしれないけれど……どっちにしても、やっぱりタジーク様は動いてはくれなそうだよね。
「もちろん、ただで済むわ。だって、きっとタジーク様は今回の件を表には出せないもの」
「え? どういう事?」
自信満々に告げられた言葉に動揺する。
表に出せないという事は、通報もしてもらえないという事。
タジーク様自身の助けも期待できず、通報も期待できないとなれば……私はどうなる?
嫌な予感に背筋が凍る。
「あぁ、そうね。タジーク様は貴方にはまだ何も話してないのね。あの引きこもりのタジーク様が珍しく女性をデートに連れてったって聞いて、そんな特別な人なら、いい人質になるかと思って連れて来たけれど、これはあてが外れたかしら?」
頬に手をあてて「困ったわ」と首を傾げるカルミア様。
けれど、彼女の言っている事の意味がわからない私は更に混乱する。
「ちょっと、待って。意味がわからないわ。どういう事なの? カルミア様はタジーク様の乳母だったんじゃ?」
タジーク様はカルミア様の事を確かに知っていた。
だからあんなに彼女の存在に気を尖らせていたのだ。
でも、彼女の行動は明らかにただの乳母がやるような行動ではない。
例え、仲違いしたタジーク様に乳母として会いたいから呼び出す口実に私を利用したとかそういう理由があったとしても、ここまでくれは明らかに犯罪の領域に入る。
「えぇ、私は間違いなくタジーク様の乳母だったわよ。タジーク様が十二歳の時に屋敷を追い出されるまでは彼に仕えていたわ。彼もとても私に懐いてくれていて、信頼してくれていたのよ」
「……追い……出された?」
そういえば、彼女は行き違いで仲違いしたと言っていた。
でも、今の彼女のやっている事から考えるとそれは本当に『行き違い』によって生じたものなのだろうか?
それとも……。
「……一体タジーク様に何をしたの?」
「別に彼には何もしてないわ」
「じゃあ、一体……」
しれっと否定された言葉に何か含みのようなものを感じて更に問い詰めると、彼女はニタリッと今まで見せた物とは異なるとても醜悪な笑みを浮かべた。
「私がしたのはちょっとした事よ。旦那様と奥様……あぁ、タジーク様のご両親の事ね。そのお二人の寝る前に飲まれる紅茶にうっかりよく眠れる薬を入れてしまったのと、うっかり隠し通路の入口の場所を知り合いに話してしまった事、そして、その通路の鍵をうっかり開けっ放しにしてしまった事くらいね」
「なっ! そ、それってまさか……」
血の気が引いた。
彼女はまるで大した事ではないように話しているけれど、それはつまり誰かを屋敷に引き入れたという事。
そして、今までずっと気になりつつも聞けずにいた、一切話題に出る事のないタジーク様のご両親の話。
もし、タジーク様の両親がもう亡くなっているのだとすれば、それは……。
「も、もしかして、タジーク様のご両親は……」
恐ろしい予想に声が震える。
外れていて欲しいと思いつつも、私の中ではもうその事はまるで事実であるかのように根付いている。
「あれはね、不幸な事故だったのよ? 本当は旦那様の持っていらっしゃる書類さえ手に入ればそれだけで良かったの。それなのに、薬でろくに動けない状態だったくせに抵抗するからうっかりね。あ、やったのは私じゃないわよ? 犯人は捕まる直前に自害してしまったからもうこの世にいないの」
ゆっくりと紅茶を啜りながら楽し気に話すカルミア様は、仕草はとても綺麗で淑女そのものなのに、私にはまるで化け物のように思えた。
怖い。
怖い。
怖い。
でも、それ以上に腹が立つ。
タジーク様から大切な人を奪う手助けをしたというだけで許しがたいのに、それを楽し気に語るのが更に許せない。
彼女の話が本当なら、タジーク様はご自分の乳母だったこの女性の事も大切に思い信頼していたのだろう。
その信頼をまるでゴミか何かのように簡単に捨て去り、裏切り、彼に一生消えない傷を残した事が許せない。
腹が立つ。
腹が立つ。
腹が立つ。
それなのに、身動き一つ取れなくて何もすることが出来ない自分が悔しくてたまらなかった。
悔しくて、悔しくて自然と涙が出て来た。
「何故……何故……? 何で貴方のような人がこんな風にのうのうと暮らしているの?」
彼女は人殺しの片棒を担いている。
そんな人が何故何のお咎めもなく、今もこうして自由にしていられるのだろうか?
そんな事が許されて良いのだろうか?
悔しさの為、ギュッと唇を噛みしめると薄っすらと血の味がした。
「何故って簡単よ。だって、私が手引きしたなんて証拠、一つも出てこなかったんだもの。タジーク様やジヤルト様、バーニヤ様は私の事を疑っていたようだけれど、証拠がなければ罪に問う事なんて出来ないでしょう?」
「そ、そんな……」
証拠がないなら捕まえられない。
理屈はわかるけれど、納得は出来ない。
そんな理由でタジーク様の両親を死に追いやったと楽し気に語るこの女が許されたなんて、あまりにも不条理すぎる。
「それに、当時はタジーク様もまだ十二歳だったからね。急にご両親を失いガーディナー家の跡を継ぐ事になったけれど、まだ上手く権力や人を使いこなす事なんて出来なかったのよ。さすがに怪しい所が有り過ぎて、当主の権限で何とでもなる乳母の仕事はクビになったけれど、それ以上の事なんて、まだ幼い当主のタジーク様には何も出来なかったのよ。……お気の毒に」
クスクスと笑った後に憐れむような顔を作るカルミア様に激しい嫌悪感を抱く。
当時のタジーク様はどれ程悔しかっただろう?
目の前に自分の両親を死に追いやった裏切り者がいるのに、それを捕まえる事すら出来ず、屋敷から放逐するのが精一杯。
しかも相手にはちゃんと別に帰る場所もあるから困る事すらない。
きっと悔しかっただろう。
悲しかっただろう。
腹が立っただろう。
辛かっただろう。
不意に、タジーク様は私とカルミア様との繋がりを疑い攻め立てた時の激しい怒りや辛そうな表情が頭に浮かんだ。
タジーク様にとって、カルミア様はトラウマ、まさにそのもの。
ううん。きっと今も終わる事なく続いている悪夢そのものなのだろう。
あぁ、彼が私に向けた言葉の意味がやっと理解出来た。
彼にとって裏切りの象徴である彼女との繋がりは、それ自体が裏切りを疑わせる程の許しがたい事だったのだろう。
彼はきっと私とカルミア様が繋がっていると思った瞬間、言い様のない恐怖に襲われたに違いない。
また両親を失った時のような悪夢がやってくるのかと。
そして……それは実際に起きてしまった。
ただ救いだったのは、今回彼から奪われる役目になったのは、私という彼にとって疑惑の存在だ。
彼が大切に思っている人達ではない。
それだけが唯一救いと言えるのかもしれない。
「どうして、今更また彼を苦しめようとするんですか?」
もうきっと彼は十分苦しんだ。
本来なら彼には一つの罪もないのにいっぱいいっぱい苦しんだのだ。
それなのに、何故また彼を苦しめようとするのだろう?
それが私にはわからなかった。
「別にタジーク様を苦しめたいわけじゃないのよ? 私はただ例の書類が欲しいだけ」
「で、でも、それはもう彼等から奪い取ったんじゃ……」
「奪えなかったのよ!」
カルミア様が急に苛立たし気に声を荒げ、綺麗に整えられた爪を噛む。
その瞳からは、ついさっきまで見られた余裕がなくなっていた。
「失敗したのよ。偶然とはいえ旦那様が持っていると知ったあの日から欲しくて欲しくてたまらなかったあの書類。使い方によっては王家すら脅して好きなように動かせる効力を持ったとっても素敵な書類。売れば大金が手に入るし、交渉する時にはこちらが絶対的な優位に立てるだけの力があるそれを、あの時奪う事が出来なかったの」
悔しそうに話す彼女の話によれば、当時タジーク様の乳母として絶対的な信頼を勝ち取っていた彼女は、偶然とはいえ、タジーク様のお父上が隠して保管していたという王家の秘密が記された書類がある事を知ったようだ。
それさえあれば、王家を脅して自分の希望を叶えさせる事も、王家と対立している貴族家に高額で売りつける事も出来ると考えた彼女は、密かに仲間を集めたり、その書類の在りかを探ったりして盗む為の準備に時間を掛けてしていたらしい。
そして計画を決行する事になったその日。
彼女の計画は途中までは上手くいっていた。
けれど、最後の最後でタジーク様の父君である前当主が立ちはだかった。
彼女の事を信頼していたタジーク様のご両親は、疑う事なく薬入りの紅茶に口を付けていたが、味に違和感を感じた前当主は途中で飲むのを止めた。
ギリギリのところで、何とか動ける程度の服薬で済んでいた上手く動かない体で、盗みに入った族と対峙。
自分の命を引き換えに、警備の人間が駆けつけるまで持ち堪えて何とかその書類を守り切ったらしい。
その後は、状況的に明らかに怪しかったカルミア様はガーディナー家から追放。
一度狙われ、当主夫妻が殺された事もあり、屋敷の警備が厳重になり中の様子を探る事すら出来なくなったらしい。
「私はずっとずっと、チャンスを狙っていたのよ? けれど、あの事件が余程ショックだったのか、あれ以降タジーク様が人間不信の引きこもりになってしまった事で、タジーク様と顔見知りの人間以外屋敷には滅多に入れなくなったの。それに彼がずっと屋敷にいるせいで、警備も屋敷に集中する事になって、隙がなくなってしまったの。折角の素敵な宝物がそこにあるとわかっているのに手に入らないなんて地獄だと思わない?」
大仰に嘆くカルミア様を睨み付ける。
本当の地獄はそれだけの辛い状況に耐えてきたタジーク様の方だ。
彼女の言う地獄なんて地獄とは言えない。ただ欲しいものが手に入らないと我儘を言っているだけに過ぎない。
「そんな中、現れたのが貴方という存在なの。あの人嫌いなタジーク様が貴方だけは屋敷に招き入れて、その上庭を散歩したり、遂にはデートまで一緒に行った。これはもうお気に入りと言っても過言ではないでしょう?」
いいえ、思いっきり過言だと思います。
大体、私はタジーク様に屋敷に招き入れてもらった事はない。
自分で突撃していっただけだ。
庭を散歩したり、デートしたりもしたけれど、それらは全部私の我儘をタジーク様が受け入れてくれただけ。
彼が望んだ事ではない。
要するに、カルミア様が思っているよりずっとずっとわたしという存在はタジーク様の中で軽いはずだ。
助けに来てくれたら嬉しいけれど……期待は出来ないだろう。
カルミア様は先程、タジーク様は今回の件を表には出さないだろうと言っていたけれど、きっとそれもその通りになるだろう。
だって、今回の事件の発端であり要求されている物は、どうやら表に出してはいけない王家の秘密に関する書類だ。
何故そんなものがガーディナー家にあるのかはわからないけれど、下手に騒ぎ立ててその存在を表立ててしまったら、他の人に狙われたり王家を敵に回す可能性が高くなる。
それに、仮にその危険を冒してミモリーやタジーク様が私の捜索を騎士に依頼したとしても、王家が圧力を掛けてその依頼を差し止めてしまう可能性すらある。
何処に転がっても、良い事は一つもない。
思い切ってやった所で誰も得せず無駄に場を掻きまわしてリスクを高めるだけの事を誰がすると言うのだろうか。
少なくとも、私だったらやらない。
そうなると、やはり唯一の希望はタジーク様自身という事になるんだけど、昨日までの彼の態度から考えてそちらもあまり期待できない。
ただ、そうなるとやっぱり私がここから生きて助け出される可能性は限りなく低いという事になってしまう。
多分、カルミア様もそう思っているから、本来なら知られたら不味い話も躊躇わずに、寧ろ楽しそうにペラペラと話しているのだと思う。
「タジーク様、来て下さると良いですね」
あまりの望みの薄さに、思わず声まで平坦になってしまう。
「コリンナ様、そこは素直に愛しのタジーク様に助けを求めたら如何? そういった態度は女性として可愛くありませんわよ?」
「ご忠告有難うございます。けれど、タジーク様への思いは私の一方通行なので、きっと助けを求めても来て下さらないし、可愛いと思ってももらえないと思うので」
これを告げる事で私の死へと一歩近付く事はわかっている。
けれど、私は勇気を振り絞り、全力の強がりでニッコリと笑顔を浮かべた。
だって、どうせ助かる望みが薄いのなら、私の大切な人を苦しませた女になんて負けずに笑顔で逝きたい。
この女に……タジーク様から大切な人を奪ったこんな女に命乞いなんて絶対にしたくない。
怯えている所なんて見せてやるものか。
「……コリンナ様、正直なだけでは世の中生き残れませんのよ?」
「貴女みたいな醜く最低な人間として生き残るくらいなら、潔く逝きますわ」
私がキッパリと言い切ると、カルミア様は明らかに気分を害したように表情を険しくした。
本当はせめて一矢報いたいところだけれど、元々体力も筋力もあまりなく、戦闘能力なんて皆無な上に縛られている今の状況では何一つ出来ない。
非常に悔しいけれど、この程度の強がりが私の限界なのだ。
本当はさっきから震えが止まらないし、涙だって溢れ出しそうだ。いや、既にもう溢れている。
でも、最期のその一瞬まで、私は彼女を睨むのを止めない。
そう決めたのだ。
「どうやら、本当に貴女は人質としての価値がなさそうね。非常に残念だけど、使えないなら仕方がないわ。処分する事にしましょう」
カルミア様が後ろに立つ従僕に視線を向けると、彼は一度お辞儀をした後、彼の背後の壁に飾られていた剣を手に取り、鞘から引き抜きながら私の方へと歩いて来る。
ついつい恐怖で私に近付くその侍従に視線を向けそうになるのを意志の力で押し止め、ひたすらカルミア様を睨み続ける。
「これでまた新しく計画を練り直さないといけないわ。まぁ、今回は人質が人質として機能しないなんていう根本的な問題が生じていたのだから、計画ミスというやつね。次はもう少し使える女性が現れると良いのだけど……」
笑みを浮かべながら私を見つめるカルミア様を睨み続ける視線の端で、侍従の持つ剣が振り上げられたのが見えた。
あぁ、本当にもう終わりなんだ。
そんな事を思いながら、キュッと覚悟を決めるように唇を引き結んだ。
その時……ガッシャーン!!
大きな音と共に、部屋にあった大きな窓が派手に割れて何か大きな物が室内へと飛び込んできた。
「きゃぁぁ!!」
カルミア様の悲鳴がガラスの割れる音の向こうに微かに聞こえる。
私も反射的に小さな悲鳴を上げながら、反射的に降り注ぐガラスの破片から顔を守るようにカルミア様に向けていた視線を切って顔を床側に向け蹲った。
それは一瞬の事で、顔を床側に向けて蹲っていた私には何が起こったのかわからなかった。
ただ割れたガラスが床に落ちる音の合間に、キンッ! という金属同士がぶつかり合ったような高い音と、ガッ! という砂袋を殴った時のような音が僅かに聞こえた。
一通りガラスが全て床に落ちたのを音で判断した後、恐る恐る顔を上げる。
初めに見えたのは、お兄様が良く来ている騎士服によく似た、けれど色がお兄様のとは異なる濃い紫色をした騎士服に包まれた背中。
そして、すっかり見慣れてしまった、けれどここ暫くいくら恋しくても見る事の出来なかったプラチナブロンドの艶やかな髪。
後ろ姿ではあっても見間違えるわけない。
私が恋して求めて……来てくれないだろうと諦めていた愛しい人だもの。
「……タジーク様」
……来てくれた。
絶対に無理だと思っていたのに来てくれた。
そう思った瞬間に、もう駄目だった。
今まで押しつぶされそうな程感じてた恐怖と不安、それと何よりも大好きな人が私を助けに来てくれたという喜び。
それによって私の目からは一気に涙が溢れ出していた。