表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

7 結果報告は大切です

「さぁ、ミモリー! 今日はお兄様の所に行くわよ!!」

 朝起きてすぐに私はそう宣言した。

 私を起こし、朝の支度を手伝う為に来ていたミモリーは、カーテンを開けながらまるで「何を言ってるんだこいつ」とでも言いたげな視線を私に向けて来た。

 ……最近のミモリーは、主人に対する扱いが少し適当過ぎる気がする。

 文句を言ったところで、言い負かされるのは目に見えているから何も言う気はないけど。

「お嬢様、一先ずお支度をして下さい。その件につきましては、お食事をしながら話しましょう」

 そう言って、顔を洗う為に持って来てくれた温めのお湯の入った器を差し出される。

 ここで話を聞いて欲しいとごねても、ただ時間を無駄に消費するだけなのは長年の経験上わかっている。

 だから、仕方なくミモリーの指示に従った。

 決して、使用人の尻に敷かれているわけではない……と思いたい。

 洗顔を済ませ、服を着替えた後、リビングに行くと後は最後の仕上げをするだけという状態の朝食が準備されていた。

 もちろん、準備してくれたのは私の侍女であるミモリーだ。

「それでは、今日の予定はフールビン様の所にお弁当を差し入れに行かれるという事でよろしいですか?」

 テキパキとミルクをコップに注いだり、パン等の温めた方が美味しい物の準備をしたり、私の世話を焼きながらミモリーが確認してくる。

 私はミモリーが用意してくれたミルクを一口コクリッと飲み込んでから頷く。

「最近お兄様、泊まり込みの仕事が続いていて、家に帰って来ていないじゃない? タジーク様との関係も少しずつ良くなってきたし、ずっと心配して下さっていたお兄様に、紹介して下さったお礼と現状報告に行こうと思って」

 ここ最近、お兄様は家に帰って来ていない。

 お兄様の話によると、王宮には騎士用の泊まれる部屋が何部屋かあって、割り振られた仕事の内容によっては、休みの日でもいつでも呼び出しに応じられるように何日か泊まり込みで仕事をする事があるらしい。

 それは決して少ない事ではなく、私が王都に来てからの暫くは、私との時間を作る為に意図的に泊まり込み勤務をしないで良いようにお兄様の方で調整をしてくれていたようだ。

 しかし、私の王都にいる期間が長くなってきて、そうも言っていられなくなってきた為、最近では頻繁に泊まり込みの勤務をしている。

 どうやら、私が王都に慣れて来たからという安心感から仕事を引き受けるようになっただけでなく、今まで代わってもらっていた泊まり込む勤務の分のツケも返していかないといけないみたいで、いつもより泊まり込みの頻度が高くなっているらしい。

 私としては、結局泊まり込み勤務を避けていた頃に、私にタジーク様のとの縁談について尋ねられないように、無駄に朝早く夜遅くまで仕事をしてきて私と顔を合わせない生活を送ってたのだから、その交代は無駄だったんじゃないかという気もするけど、それはあくまでもう終わった事だから今更言っても仕方ないだろう。

 とにかく、そんなこんなでお兄様とはここ何日か、全く顔を合わせていない。

 その為、タジーク様とデートした事も、最近ちょっと良い感じになってきている(私基準)事もまだ報告出来ていない。

 と、いう訳で、ずっと私とタジーク様の事を心配してくれていたお兄様に、今日は差し入れを持っていきつつご報告をしに行く事にしたのだ。

「それで本当の所は?」

 私の話を聞いたミモリーが、本心を吐けとでも言うように首を傾げて尋ねてくる。

「いやね。今回は本当にこれが理由よ。まぁ、少し惚気というかタジーク様との距離が縮まってきて嬉しい気持ちを聞いて欲しいという思いもあるけれど。後は……単純に、お兄様に会えていなくて、寂しいし少し心配なのよ」

 いい年して、兄に会えなくて寂しいとか恥ずかしいけれど、それも私の気持ちだから、ここは素直に話しておく事にした。

 どうせ私が話さなかったとしても、ミモリーなら既に感づいているだろうしね。

 強がっても、これが私だもの。

「なるほど。でしたら、お嬢様分の昼食用のお弁当も用意しなくていけませんね」

 ミモリーがフッと口元を緩めて、そう告げる。

「今日は、王宮内にはいないといけないようですが、丁度昼間は仕事が入っていないようですから、フールビン様も少しはお時間が取れますでしょう。ご一緒にお食事をなさったらよろしいかと」

「え? ミモリー、何でお兄様のお仕事の都合なんて知っているの?」

 私も一応お兄様から何時が何勤務の日かというのは聞いているけれど、泊まりの仕事の時のタイムテーブルのような細かな情報は教えてもらってない。

 それなのに、何故ミモリーは知っているのだろうか?

「王都にいる間、私はお嬢様の世話だけでなく、出来る範囲ではありますがフールビン様のお世話もさせて頂いております。早朝に着替えを取りに戻られた時等に着替えの用意をしたり、洗濯物をするのも私です。その際に簡単な食べ物を用意したりする事もありますので、お嬢様よりは詳しい情報を教えて頂いております」

 なるほど。いつ帰ってくるかわからないお兄様の為に着替えや軽食を用意しておくのは難しい。

 それに今の話を聞くと、どうやら私が知らない間にお兄様は短時間であっても家に帰って来ていたようだ。

「ミモリーばっかりお兄様に会ってズルい」

 思わず唇を尖らせてジトッとした目でミモリーを見る。

 その視線を受けて、彼女は「やれやれ」と苦笑した。

「帰っていらっしゃるお時間が、勤務のタイムテーブルの都合なのか、いつも夜明け前の早朝だったり、深夜ばかりなのですよ。本当に短時間しか家にはいられず、眠っておられるお嬢様を起こしても、一言二言交わす程度の時間しかありません。ですから、フールビン様が気遣い、起こさないようにとお命じになられたのです」

「でも……」

 ミモリーの言い分も、お兄様の優しい気遣いもよくわかるし、頭では納得しているけれど、やはり寂しいものは寂しい。

 自分が知らない間に二人が会っていたという事で、何となく蚊帳の外にされたようなそんな疎外感を感じる。

 もちろん、そんな意図はなく単純な優しさからくるものだと頭ではわかっているんだけれど……やっぱりちょっと不満。

「全く、こんな事で不貞腐れるなんて、お嬢様はいつまで経ってもお子様ですね」

「不貞腐れてなんかいないもの」

 ついつい顔をプイッと背ける。

 けれど、こんな行動こそまさに子供じみているのだという事は自分でも理解している。

 ついつい昔から私の面倒を見てくれていたフールビンお兄様含む家族や、ミモリー含む我が家に私が小さい頃から仕えてくれている使用人達にはこんな風に童心に帰って怒ったり甘えたりしてしまうのだ。

 もちろん、他所ではやらない。

 ……ちょっと最近、ガーディナー家には通いつめ過ぎて馴染んでしまい、少しやってしまいがちだけど、そこまでは……やって……ない……はず?

「はいはい。いくつになってもお嬢様は可愛いですね」

 少し馬鹿にしているようなニュアンスが感じられるけれど、その一方で優しい声音も混ざっているから何も言えなくなって口を閉ざす。

「フールビン様もお嬢様には会いたがっていたので、きっと会いに行かれたら喜ばれますよ」

「本当?」

 職場に行くのは迷惑かな? と思い、前回突撃した後はいくらお兄様に会いたくても我慢していた。

 前回は切羽詰まった理由があったし、お兄様も意図的に私を避けていたから「やってしまえ!」という踏ん切りがつきやすかったけれど、今回は実は少し躊躇っている部分があった。

 報告をしたいと言っても、そんな急ぎの事ではないし、大人しく待ってさえいればそう遠くない日に帰って来るのだから、それまで我慢していれば良いだけの話だ。

 早くお兄様に話したい、お兄様に会いたい、お兄様の元気な様子を確認したいというのは、ただの我儘

だというのも十分理解している。

 ただ、今日はタジーク様も用事があって屋敷には来ないようにと言われてしまった為、余計に寂しさが増してお兄様の顔が見たくなってしまったのだ。

「えぇ、本当です。先日戻られた時にも、またお嬢様がお作りになったお弁当を食べたいと仰っていたんですよ」

 ニッコリと微笑むミモリーに、やっとそれが事実である事を理解して自然と頬が緩む。

 そうか。お兄様も私に会いたかったし、私の作った(お手伝いした)お弁当も喜んでくれていたんだ。

「それに、お嬢様が思っていらっしゃるよりも、騎士団には頻繁に面会に来る方が多くハードルは低いらしいですよ。妻に子供、婚約者に恋人、父母、場合によってはファンを名乗るご令嬢までいらっしゃる事があるらしいですよ」

「ファン!?」

 それはちょっと驚いた。

 確かに騎士様は格好良いなとは思うけれど、それでファンになって押し掛けるのは少々勇気がいる。

 って、ほぼ毎日タジーク様の家に押し掛けている私が言えた事ではなないか。

「あ、フールビン様のファンを名乗る方はまだ現れた事はないそうですよ? むしろご家族も領地の方にお住まいですので、フールビン様に関しては先日お嬢様が差し入れをするまで面会者が訪れた事がなくて、反対に肩身が狭かったらしいです」

 ミモリーが両掌を上に向けて肩を竦める。

 お兄様に対して「差し入れをする恋人の一人もいないなんて寂しいですよね」とか言っているけれど、ミモリーだって恋人いない歴と年齢が一緒だったはずだ。

 ちなみに、ファンについては身元がしっかりしていれば、取り次ぎ担当の騎士が名前と事情を話して面会を求められた騎士自身にどうするか判断を委ねるそうだ。

 もちろん、身元がしっかりとしていなかった場合は……取り調べをして、怪しければ徹底的に調べられしかるべき対処をされるらしい。

 お兄様に会いに行った時、不審者に勘違いされなくて本当に良かった。

「まぁ、それでもお嬢様が気が引けるというのなら、事前に先触れの手紙でもお出しになっておけばよろしいのでは?」

「なるほど」

 本来、先触れの手紙を出すならもっと早くに出しておいた方が良いんだろうけど、今からでも出さないよりは出した方が良いだろう。

 事前に昼頃行く事を伝えておけば、予定を合わせやすくなるし、無理なら無理という返事も貰えるはずだ。

 それにミモリーの言うように、お兄様が今日はお仕事がないようなら、騎士団の入口まで迎えに来てくれるかもしれない。

 そうすれば、他の騎士様にご面倒を掛けるのも減る。

「それじゃあ、お手紙を書くから届けてくれる? その後に一緒に料理を……って、それじゃあ、ミモリーが大変ね。というか、ミモリーの時間がなくてお弁当が作れないかもしれないわ」

 私が領地から連れてきている使用人はミモリーのみ。

 お兄様のお部屋には使用人が誰もいない。

 つまり、先触れの手紙を届けに行けるのは私かミモリーしかいないのだけれど、私が出しに行ったら本末転倒だ。

 だって、会いに行きたいと言っている相手が既に手紙を届けに会いに来てしまっている状態なのだから。

「御心配には及びません。王都には使用人を連れていない貴族令息も大勢おりますので、そういった事を引き受けて下さる専門のお店がございます。お嬢様がお手紙をお書きになられたら、私が依頼して参りましょう」

「有難う! ミモリー」

 王城まで行って帰って来るのは時間が掛かるけれど、そのお手紙を届けて下さるお店であったら、すぐご近所にあって簡単に行って帰ってこれるらしい。

 それなら、ミモリーと一緒にお弁当作りをする時間もあるだろう。

「フフ……。今日は楽しい日になりそうね!!」

 タジーク様に会えないのは寂しいけれど、お兄様に会えるのは嬉しい。

 領地にいた頃は一年に一度会えればいい方という感じだったし、他の家族もいたからそこまで寂しさはなかったけれど、目と鼻の先にいて会えないのはやっぱり寂しいのだ。

「お兄様にはいっぱいタジーク様の話を聞いてもらわなくちゃ!!」

 私は張り切って朝食を食べた後、手紙をお兄様に送るのだった。


***


「いらっしゃい、コリンナ」

「フールビンお兄様!!」

 私の予想通り、騎士団の入口で私達の訪れを待っていてくれたお兄様が軽く手を上げ合図して下さる。

 それを見た瞬間、嬉しくなって小走りに駆け寄ってお兄様に抱き付く。

 近くを通り掛かった他の騎士様が私をお兄様の恋人と勘違いしたのか、囃し立てるように指笛を吹くのを聞いて、私を抱き返しつつお兄様が「妹だよ」と訂正している。

 ……お兄様、それはそれでちょっと寂しい感じがしますよ?

「お兄様、またお弁当を作って参りました。ミモリーに聞いたら今日はお時間があるとの事。一緒に食べて下さいますか?」

 小首を傾げて上目遣いにおねだりすると、フールビンお兄様は困ったような照れくさそうなそんな笑みを浮かべて「もちろんさ」と答えて下さる。

 お兄様はそのまま騎士団の建物には入らず、王宮の中にある一般の貴族にも解放されている庭園へと連れて行ってくれた。

 庭園には多くの貴族が来ており、花々を楽しんでいたり、食事をしていたりのんびり過ごしていた。

 先日タジール様と行った自然公園と似ていて、カップルや家族連れ等が多くゆったりとした空気が流れているけれど、広さはこちらの方が狭く、視界に入る人の人数はこちらの方が遥かに多い。

 暫く散策した私達は、丁度カップル達が食事を終えて席を立つのを見付けて、空いた席に腰を掛けて昼食の準備を始めた。

 お兄様曰く、ここは王宮の中で数少ない一般貴族に開放されているスペースであり、貴族向けの観光スポットとしても人気が高いらしい。

 中にいる人数が多くなり過ぎないように人数調整は入口でしているらしいけれど、それでもやはりいつも混んでいて、食事の席を見付けるのも一苦労のようだ。

「いつもはもう少し探したりするんだけど、今日はタイミングが良かった。ラッキーだったね」

 そう言って笑ったお兄様に私も笑みを返す。

 偶然とはいえ、私達が座る事の出来た席は、庭園全体を見渡せるのに、混んでいる場所からは少し離れていて落ち着いて過ごせるようなそんな良い席だった。

 ミモリーは他の貴族の目もある為、一緒には食べず給仕に従事し、後で一人で食べると言うのでお言葉に甘えてお兄様と二人の食事を始める。

「お兄様、最近、お仕事の方はどうです? やはり忙しいのでしょうか?」

 いつも通りの笑顔は浮かべているけれど、少しだけ疲れているような気がして尋ねる。

 お兄様はそれに対して、少し考えた後首を振った。

「まぁ、仕事だからね。それなりに忙しいけれど、普段と変わらないよ。まぁ、強いて言えば、折角王都に来ている可愛い妹に会えないのは寂しいかな?」

「まぁ、お兄様ったら」

 少しふざけた様子で私にウインクをしていくるお兄様に、ついつい口元に手をあてて笑ってしまう。

 けれど、お兄様の言葉を聞いて、寂しいのは私だけではない事に少しだけホッとした。

「お前の方は……どうだ?」

 お兄さんは何について尋ねているのかを、明確な言葉にしなかったけれどすぐにわかった。タジーク様との事だ。

 だって、その心配そうな顔が物語っている。

「別に本当に無理はしなくて良いんだぞ? お前の方から言い難ければ、俺の方から団長を通して言ってもらうし……」

 お兄様が私が作った鶏肉を油で揚げた料理を口にしながら、気まずそうにボソボソと呟く。

 お兄様も気になって聞きたかっただろうし、私もお兄様に話したかった。

 ここはしっかりと成果を報告しなくては。

「私、先日遂にタジーク様とデートをしましたわ!」

「そうか。やっぱり駄目だったか。それでデートを……デート? デートッ!?」

 しんみりとした口調で喋っていたお兄様が、口にした鶏肉の油揚げを吹き出しそうな勢いで素っ頓狂な声を上げ私の方を振り返る。

 私は満面の笑みでお兄様にVサインをした。

「ちょっと待て。デートってあの、男女が二人で出掛けるあれか? 向こうはちゃんとデートだと認識しているのか? というか、彼は仕事以外で家から出たのか!?」

 私の肩を掴み前後に揺さぶるお兄様。

「ちょっと、やめ……」

 いけないわ。私は淑女だからそんな激しい動きには慣れてないの。

 お腹の中に入れたばかりの鳥の油揚げが出てきちゃうじゃない。

「フールビン様、その位になさらないと、お嬢様が淑女にあるまじき状態になってしまいます」

 慌てて口元を手で押さえながらお兄様を制止しようと四苦八苦していると、私の状態を察したミモリーが、お兄様を止めに入ってくれる。

 その声と威圧にハッとしたお兄様が慌てて私の肩から手を放し、「ごめん」と詫びる。

「それで、彼とデートをしたというのは本当かい?」

「えぇ、もちろんですわ」

 お兄様が手を止めてくれた事にホッと息を吐いて、胃が落ち着いた所で胸を張って自慢げに話すと、お兄様は信じられないものを見るような目を私に向けて来た。

「彼って言うのは、タジーク・ガーディナー第六騎士団長だよな?」

「えぇ、もちろんそのタジーク様とです」

「あの引きこもり騎士で有名なタジーク・ガーディナー殿だよ?」

「そうですわ! 家から引っ張り出すのに苦労しましたが、団長様のお手紙の手助けもあって何とか初デートをしましたわ」

 何度も何度も念を押して確認してくるお兄様に、私はニコニコと頷く。

 結局お兄様は私の言葉だけでは信じられなかったのか、最終的に傍に控えていたミモリーに視線を向けて確認していた。

 ……お兄様、私が何度も真実だと言っても信じなかったのに、何故ミモリーが一度小さく頷いただけで信じるのですか? 解せません。

「あぁ、疑って悪かった。だが、彼は社交界でも有名な人嫌いの引きこもりでね。滅多に人の集まる所に出てこないし、出てきてもほとんど会話をしないんだ。特に女性に対してはその傾向が顕著でね」

 ミモリーから私に視線を戻して、私が頬を膨らませている事に気付いて慌てたようにフォローに入る。

 私もタジーク様と過ごす時間が増えたり、貴族の集まる場所に行ったりしている内に、少しずつ彼の周囲からの評価や噂話なんかも耳にするようになったから、その事は知っている。

 まぁ、私の場合、団長様の判断で何の前情報も与えられないまま、彼と出会い彼と関わるようになったせいで、幸い噂に流されずありのままの彼を見る事が出来ている。

 だから、噂を聞いてもそれはそれ。

 それを聞いて彼のイメージを変えるような事はない。

 この辺は本当に団長様に感謝しないといけないと思う。

「確かにタジーク様は引きこもりですし、人と関わる事を厭う傾向があります。私も何度無視されたり追い返された事が……」

「なっ!?」

 私の言葉にお兄様が目を見開く。

 これでも妹として可愛がってもらっている自覚はある。

 今の話でお兄様が私を傷つけられたと苛立ちを覚えた事も手に取るようにわかった。

「しかし、タジーク様は本当はお優しいんです。追い返そうとはなさいますが、私が本当にショックを受けたり傷ついている時にはすぐにフォローに入って下さいます。状況によっては、自分の意思を曲げてでも私の事を気遣って下さいます」

「あのタジーク殿が?」

 訝しむように私を見るお兄様。

 私が冷たくあしらわれた事に驚き、優しくされた事に対しても驚いているようだけれど、それならばどんな態度だったら納得するのだろうか?

「そうです。あのタジーク様がです。めげずに何度もお宅訪問している内に、徐々に相手をして下さる事が増え、ついには先日デートまでして下さるようになったのです!!」

「……要するにお嬢様の底なしの根性に根負けしたという事です」

「ミモリー煩い」

 私が私とタジーク様の愛の軌跡について切々と語っていると、信じられないというように目を見開いて固まっているお兄様に、ミモリーがまるで捕捉とばかりに余計な解釈を呟く。

「あぁ、なるほど。そういう事か。さすがの鉄壁のタジーク殿もコリンナの猛攻には勝てなかったというだけの話か。うん、納得したよ」

「……お兄様」

 何故ミモリーの余計な解釈でそうも簡単に納得してしまわれるのですか。

 私とタジーク様が縁を深めたという事実は納得して欲しいけれど、その納得の仕方はなんだか釈然としません。

「まぁ、何はともあれ、彼と親しくなれたようで良かったじゃないか」

 ジト目でお兄様を見ていると、視線を逸らしつつ「ハハハ……」とお兄様が笑って誤魔化す。

 やっぱり納得がいかない。

「まぁ、何はともあれコリンナが嬉しそうで良かったよ。その調子ならタジーク殿とのデートも良い思い出になるだろうしね」

「お兄様、何故既に過去の話になる事が確定しているかのような口調で話されるのですか?」

 酷いです。私の恋はまだ終わっていません。

 現在絶賛進行中なのです。

 もちろん、前回のデートは『初デート』として思い出にしっかりと残すつもりですが、今後も色々な思い出を増やしていくつもりです。

 終わってません。

 まだこれからです。

 終わってません!!

「ま、まぁ、これからの事はまだわからないしね?」

 心の中で何度も終わってないと言い、その思いを視線に乗せてお兄様に向けていると、お兄様も私の言いたい事を察したのかあたふたとフォローに入る。

 けれど、この口調には「まぁ、時間の問題だろう」という思いが手に取るように伝わってくる。

 ……まぁ、ここでどっちが正しいと言い合っても未来の事では結論は出ないだろう。

 有言実行でこの恋を実らせれば、きっとお兄様も納得するはずだ。

 だから今は口を噤んで……しまうのは、やっぱり腹が立つから、これまでの私のアプローチとそれに対するタジーク様の素敵な対応について話して聞かせる事にしよう。

 それから私は、お兄様との食事が終わるまでの間、今までにあったタジーク様との出来事をお兄様にしっかりとお話する事にした。

 そうすれば、きっとお兄様もタジーク様の良い所や、少しずつではあるけれど、私に気持ちを傾けてくれているという事実を理解して下さるだろう。


 話し終えた頃には、お兄様が頭を抱えて「うわぁぁぁ! タジーク殿に謝罪の手紙を送らなければ!!」と叫んでいたけれど、何故そうなったのかはよくわからなかった。


***


「ちょっとそこのお嬢さん」

 お兄様とお別れして、ミモリーが辻馬車を捕まえてくるというので、お城の門の傍で待っていると、突然見知らぬ女性に声を掛けられた。

 おっとりとした雰囲気の、お母様より少し年上位の女性。

 身に付けている服装は私が身に付けている物と同レベル、もしくは少し下位のレベルの貴族女性向けのドレスだ。

 多分階級的には似たり寄ったり位だと思うから、何処かで知り合っていてもおかしくはないけれど……私の数少ない社交経験の記憶を掘り起こしても、彼女に該当する女性は全く出てこない。

 忘れているだけか、或いは初対面か……。

 結局、相手の素性がわからない為、私は敢えて明確な態度は取らず曖昧に笑って首を傾げる事で相手の出方を見る事にした。

「急に声を掛けてしまってごめんなさいね。さっき、貴女と貴方のお兄様が話しているのが少し耳に入ってきて。懐かしい名前が出て来たから少し気になって声を掛けてしまったの」

 良かった。

 どうやら知り合いではないようだ。

「まぁ、そうだったのですね。それで私に何か?」

 相手が思い出せなくて当然の相手だった事に胸を撫で下ろし、用件を尋ねる。

 私とお兄様の会話が聞こえてきて気になったからと言っていたけれど、一体なんの事だろう?

 ま、まさか、タジーク様の昔の交際相手なんて事は……。

 突如脳裏を過ぎったタジーク様の熟女好き説。

 他の事なら努力で何とかなるけれど、年齢だけはどうしようもない。

 化粧を濃くして多少実年齢よりも上に見せる事は出来るかもしれないけれど、お母様と同年代に見せる事は無理だ。

「あら、ごめんなさい。どうやら困惑させてしまったみたいね。実は私は以前タジーク様の乳母をやっていたのよ。それで、暫く会っていない懐かしい名前が耳に入ってきてついね」

 私の困惑している様子を見て、クスクスと朗らかに笑った女性は、私を安心させるように穏やかな口調でそう説明してくれた。

「タジーク様の乳母?」

「えぇ。以前、タジーク様の乳母としてガーディナー家に仕えていたカルミア・ウルーバよ。よろしくね、可愛いらしいお嬢さん」

 ニッコリと微笑み、スカートを軽く持ち上げ淑女同士の簡単な礼をしてくるカルミアさん。

 凄く美人という訳ではないけれど、話していると惹きつけられるような独特の雰囲気がある女性だ。

「はじめまして、コリンナ・ゼルンシェンと申します」

 カルミアさんの綺麗な所作にちょっと気後れしつつも礼を返す。

「フフフ……。それにしても、あのタジーク様にこんな良い方が出来るなんて。暫く会わない内に子供は成長するものね」

 何処か懐かしむような口調でそう語るカルミア様。

 きっと、子供の頃のタジーク様のお姿を思い浮かべているのだろう。

 是非ともその記憶を私も共有したいものだ。

「あの、カルミア様とタジーク様はその……」

 カルミア様の口調からして、お二人は最近お会いしていないのだろう。

 現に、タジーク様の口からもガーディナー家の使用人からもカルミア様のお名前が挙がった事は今まで一度もなかった。

 別に比べるものでもないのだろけれど、私の乳母は領内の比較的大きな商家の出の女性で、私が大きくなった事で「やる事がない!」と言って我が家を辞して自宅に戻ってからも、比較的頻繁に私に会いに来てくれている。

 我が家はそんなに大きな家ではないから、都会の大貴族や王族のように子育てはほとんど乳母任せなんて事はなかったけれど、やはり自分を育ててくれた女性である彼女との間の縁はそれなりに太いものだと感じている。

 だから、こうして突然現れ、タジーク様の乳母だと名乗った女性が、暫くタジーク様と会っていないのだという事に違和感を感じてしまったのだけれど……都会ではこれが普通の事なのだろうか?

「私とタジーク様はね、以前ちょっとした行き違いで仲違いしてしまってね。本当はまたお会いしたいのだけれど……タイミングを逃してそのままになってしまっている」

 私の聞きたかった事を察したのか、困ったような悲しそうな顔でカルミア様はそう語る。

「まぁ、それは何というか……」

 確かに、タジーク様は頑固な所があるし、人間不信でもあるから一度拗れると厄介そうだ。

 きっとカルミア様もそれがわかっているから、敢えて無理に距離を縮めようとはしないのかもしれない。

「だからちょっとだけ、懐かしい名前を聞いて、今あの方がどのようにお過ごしなのか聞きたかったのよ。社交界で聞く話は……ほら……ね?」

 ちょっと言うのを躊躇うように言葉を濁すカルミア様。

 もちろん、彼女が何を言いたいのかはよくわかる。

 別に貶しているわけでもなく、ただ彼の現状を言葉にしているだけなのだけれど、『引きこもり』と言ってしまうとどうしても悪いイメージが付きまとってしまうから、声には出しにくいのだ。

 ……私はよく気にせずに口走ってしまうけれど。

「タジーク様はお元気にしていらっしゃいますよ。ちょっと頑固なので、お外に連れ出すのに苦労はしますけれど」

 ニッコリ笑って明るい口調でそう告げると、カルミア様は嬉しそうに笑顔を浮かべた。

「まぁ、そういう所は相変わらずなのね。タジーク様は昔からこうと決めたら曲げない方だったもの。私もよく手を焼かされたわ」

「その話を是非! 幼少の頃のタジーク様の話、聞きたいです!!」

 つい勢い込んで尋ねてしまうと、彼女は少し驚いたように目を見開いてから子供の頃のタジーク様との思い出をかいつまんでいくつか話してくれた。

 タジーク様が家庭教師の方が気に入らなくて授業の時間に物置に閉じこもって出て来なくなった事件や、お父君からのお土産のケーキを全部一人で食べると言い張り、食べ過ぎで医師を呼んだ時の話など、今の彼からは想像付かないようでいて、何となく納得してしまう話を聞かせてもらい、私は小さい頃のタジーク様を想像して見悶えた。

 あぁ、出来る事ならもっともっとお話を伺いたい。

 そんな事を思い、次の話を強請ろうと口を開き掛けたその時、遠くから馬車を連れて戻って来るミモリーの姿が見えた。

「あら、お迎えが来たみたいね」

 私の視線の先に気付いたカルミア様は「残念だけれど、今日はこの辺で」と言って立ち去ろうとする。

「あ、あの、また今度、是非タジーク様の子供の頃の話を聞かせて下さい!」

 私に背を向けて歩き出す彼女にそう声を掛けると、彼女は振り返りニッコリと笑って「えぇ、もちろん。是非私にも今の彼の話を聞かせて頂戴」と言って頷き、そのまま立ち去って行ってしまった。

「お待たせしましたお嬢様。……あの、今の方は?」

 私の前に馬車を止めさせ、御者台から一人軽やかに降りたミモリーが訝しむような視線をカルミア様に向けて尋ねて来る。

「あの方はタジーク様の乳母をなさっていらっしゃったカルミア・ウルーバ様よ。偶然私とお兄様がタジーク様のお話をしているのを聞いて、気になって声を掛けて下さったそうなの」

「カルミア・ウルーバ様……ですか? タジーク様の乳母の?」

「えぇ、そうよ。ミモリーが来るまで幼少の頃のタジーク様のお話を聞かせてもらっていたの」

 今まで聞いた事がなかったタジーク様の幼少の頃の貴重な話を聞けてご機嫌な私は、満面の笑みでミモリーにそう説明した。

「さようでございますか」

 ミモリーはそんな私の説明に耳を傾けつつも、カルミア様が立ち去った方角をジッと見詰めていた。

 その後、小さく溜息を吐いてから私に向き直る。

「お嬢様、いくら女性の方とはいえ、見ず知らずの方とそのように無防備に話さないで下さいませ。今回は偶然何もありませんでしたが、王都には田舎と違って悪い人も大勢いるのですよ。お嬢様のように無防備では、あっという間に身包みを剥がされて大変な目に遭ってしまいます」

 何処か浮かれ気分だった私に、ミモリーの雷が落ちる。

「大体、お嬢様は警戒心というものがなさ過ぎます。人目が多く、お城を守る騎士の方の目もあると思い、お一人にした私も悪うございますが、お嬢様はお嬢様でお気を付け下さい」

「……ごめんなさい」

 まるで子供のように説教をされてしまいしょんぼりする。

 確かに今回はたまたまタジーク様の乳母だった方だから良かったものの、全く知らない方に話し掛けられてはほいほいと話に乗っていたら、大変な事になる可能性だってある。

 お父様やお母様、お兄様達も言っていた。

 都会は怖い所だって。

「全く、タジーク様とコリンナ様、混ぜ合わせて半分にしたら丁度良いのに」

「あぁ、確かに、そうしたら丁度いい警戒度具合になるわね!」

 ミモリーの言葉にパチンッ手を打って納得する。

 私のその様子に、ミモリーが「こいつ本当に反省しているのか?」とでも言いたげが視線を向けていた為、慌てて背筋を伸ばしてわかっているとアピールするように何度も頷いた。

「本当に気を付けて下さいね。それでは帰りましょう」

 待たせていた辻馬車の御者に声を掛けて乗り込む。

 いざ出発という所でふと気が付いた。

「そういえば、またお話を聞かせて下さいとお願いしたのに、何処に行けばお会い出来るのか尋ねるのを忘れてしまったわ」

「……お嬢様」

 是非またタジーク様の話を聞きたかったのに、これは痛恨のミスだ。 

 ショックを受けてあんぐりと口を開けている私に、ミモリーは今日も冷たい視線を向ける。

「過ぎた事は仕方ありません。諦めて帰りますよ」

 ショックに項垂れていた私は、名残惜しい気持ちでカルミア様が立ち去って行った方角に視線を向けたけれど、当然そこに彼女の姿はもうなかった。


 ……この時の私は、この一連の流れを物陰からジッと見詰めている人物の存在に、ほんの少しも気付いていなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ