6 いよいよデートです
タジーク様がデートを了承してくれたその日、私は彼の気が変わらない内にと、デートの日程をすぐに決めた。
ついでに、部屋の掃除を終えたジヤルトさんとバーニヤさんに、約束する場に同席してもらい証人にもなってもらった。
その際、タジーク様がバーニヤさんの満面の笑みを見て「チッ」と貴族らしくない舌打ちをしていたけれど、そこはまぁ見なかったふりをしておく。
私だって時々貴族令嬢らしくない振る舞いをしてしまう事があるもの。お互い様というやつだ。
そうしてやっと漕ぎ着けたデート当日。
バンッ!! カッカッカッ。
タジーク様の屋敷の玄関前で、タジーク様が出てくるのを今か今かと待っていた私の正面で、勢いよく扉が開く。
不機嫌そうな表情のタジーク様は、そのままの勢いで、足音荒く私の元へと歩いてくる。
「おはようござ……」
「いつも勝手に屋敷に上がり込んで鬱陶しい程、俺の部屋の扉をノックするのに何故今日に限って来ないんだ」
待ち人の登場に、満面の笑みで挨拶をしようとした私を遮り、彼は開口一番にそう言った。
彼の今日の格好はパーティーの時ほどしっかりとした格好ではないけれど、普段部屋に籠っている時ほどだらけた格好でもない。丁度中間くらいのラフな格好で腰にはシンプルなデザインの鞘に収まった剣が下げられている。
これはこれで騎士の休日スタイルという感じで素敵ではあるが、残念な事に簡単に撫で付けられた彼の髪には見事な寝癖がついていた。
……でも、きっとこれは私とのとデートの為に外に出れそうな格好をしてきてくれのね!
本来の貴族のデートスタイルとしては、及第点……まではいかなそうだけれど、普段の彼の様子から考えたら、私としては大満足だ。
もちろん、いつかは彼の魅力を最大限に活かした素敵な貴族スタイル、もしくは騎士スタイルでお出かけしたいとは思うけれど、それを今求めるのは目標が高過ぎるだろう。
何事も一歩ずつというやつだ。
目の前に現れた思い人の普段とは違う姿に、暫く感動しつつそんな事を考えていた私は、彼の問いに答えるべくゆっくりと笑みを浮かべて口を開いた。
「折角の初デートなので、憧れの待ち合わせというのをやってみたかったのです!」
タジーク様との初デート。
そして、私の人生においても初デートである記念すべき今日という日。
そんな素敵な日の始まりに、私は領地にある自宅でよく読んでいた恋愛小説によく出てくるようなカップルの待ち合わせというものをやってみたくて、いつものように彼の部屋に行き、ひたすらノックをするという行動を我慢して彼が現れるのをひたすら玄関前で待っていた。
ちなみに、約束の時間はもう1時間くらい過ぎている。
「……玄関で会うのは待ち合わせに入るのか?」
私の発言に一瞬唖然とした表情を浮かべたタジーク様は、すぐに溜め息をついて呆れ顔になる。
タジーク様より少し遅れて出てきて、今は彼の後ろで一生懸命彼の跳ねた髪を櫛で梳かして直しているバーニヤさんも何どう反応して良いのか困ったような笑みを浮かべていた。
ちなみに、私の後ろに控えているミモリーからは、タジーク様が来るまでの間、何度も「そんな時間の無駄をなさらず、さっさといつも通り迎えに行ったらどうです?」と言われ続けている。
全く、乙女心がわからない侍女だ。
これだらから彼女はなかなか彼氏が出来な……ごめんなさい。私が悪かったわ。だから、お願い。そんな突き刺さるような目で見ないで頂戴。
「タジーク様、タジーク様」
「なんだ?」
「有名なあの台詞を言ってください?」
「何の事だ?」
「『待った?』っていうあれです」
「『待った』? 何だそれ……」
「今来たところです!!」
小説で何度か見た待ち合わせの時の定番のセリフ。
タジーク様は困惑したように眉間に皺を寄せていたけれど、気にせず笑顔で返事をした。
「いや君、1時間は待っているだろう?」
私の返事に対して、意味がわからないという表情で普通に突っ込んでくるタジーク様。
「コリンナお嬢様、坊ちゃまが大変お待たせして申し訳ございません」
タジーク様の寝癖を直し終えたバーニヤさんが申し訳なさそうに眉尻を下げて頭を下げる。
彼女は使用人なんだけれど、こうしてみるとまるで不出来な息子の所業を詫びる母のように見える。
きっと、それだけタジーク様と彼女の距離が近いのだろう。
そういえば、彼の両親にお会いした事も、ご両親についての話を聞いた事もないけれど、そういった事も何か関わっているのかしら?
ガーディナー家の当主の座は既にタジーク様が継いるから、領地の方にいるのかもしれないけれど……。
いつかそういう事も聞いてみたいな。
……出来れば、もう少し関係が深まって気兼ねなく尋ねられるようになった頃にでも。
「いえいえ、お気になさらず。こうしてタジーク様をお待ちする時間も楽しかったですから」
「しかし……」
私が笑顔で首を振ると、更に眉尻を下げたバーニヤさん。
「本当に申し訳ございません。坊ちゃまったらデート直前に行くのが嫌になったとかで、鍵を掛けて扉の前にバリケードまで作って部屋に引き籠っていたのですよ」
「……」
……それはちょっとショックかもしれません。
楽しみにしていたデートだった分悲しくなり、ついつい目を潤ませながらタジーク様に視線を向けてしまう。
彼は気まずそうに視線を逸らした後、「結局来たんだからいいだろ?」とボソッと呟いた。
確かにこうして最終的に来てくれたのは嬉しいけれど……彼と私の気持ちの温度差をまざまざと感じさせられて、複雑な気分だ。
「どうもコリンナお嬢様が坊ちゃまの部屋まで迎えに来て下さるのを想定してそういう行動に出たようなんですが……なかなか来て下さらないから心配になったようで、先程、ご自分で頑張って作ったバリケードをご自分で壊して出てきたんですよ」
苦笑いのバーニヤさんの台詞に、耳を赤くしてそっぽを向くタジーク様。
どうしよう。私より年上の男性なのに、ちょっと可愛いかもって思っちゃった。
「い、いつも勝手にずかずか部屋まで来る人間が、楽しみだと言っていたデー……外出日当日に現れなければ誰だって心配になるだろう?」
少し怒り口調だけれど、それだけ耳が赤ければ少し鈍い所がある私でも、照れ隠しだという事はすぐにわかる。
でも、そっか。
タジーク様、いつまで経っても私が部屋まで迎えに来ないから、私の事を心配して下さったんだ。
今日は部屋から出るのが嫌だって閉じこもってたのに、自ら出てきてくれたんだ。
私が楽しみにしていたのと同じくらい楽しみにしてくれてはいなかったという事は寂しいけれど、それだけ気に掛けて下さったというのは嬉しい。
「もう、坊ちゃまったら! 当日に出掛けたくないと子供のようにごねて、挙句の果て女性をお待たせしたのですから、素直に謝ったらどうですか?」
タジーク様の態度に、バーニヤさんが腰に手をあてて目尻を吊り上げる。
私はその様子を見て、慌ててバーニヤさんとタジーク様の間に割って入った。
「良いんです、バーニヤさん。私が、デート定番シチュエーションパート2『薔薇の花束を持って迎えに行く』に予定変更してれば待たずに済んだのに、ここで待ち続けてたのもいけないんですから!!」
二人の間で慌ててそう告げると、二人は一瞬驚いた顔をした後、バーニヤさんは「あらあら」といった感じで頬に手をあて困り顔になり、タジーク様は頬を引き攣らせた。
「……俺は恋愛小説には詳しくないが、それは男の役目だという事だけはわかるぞ?」
「まぁ、そこは臨機応変にってやつです!」
確かにタジーク様の言葉通り、その役目は男性にして欲しい所だけれど……私とのデートに乗り気じゃない上に、そういう気障っぽい事をしそうにないタジーク様に、期待してもきっと無駄だろう。
無駄なら待たずに自分がやった方が良い。
「……そうか」
何処か諦めた様子で肩を落とすタジーク様。
その姿は、試合で負けて燃え尽きた騎士のようだった。
……おかしいな。私、別にタジーク様と勝負なんてしてないし、タジーク様に出来なそうな事を求めたわけでもないのに。
「もういい。こうなったら腹を括ってさっさと行って、さっさと帰ってくる事にしよう」
ぐったりとした様子でそう告げたタジーク様がジヤルトさんに視線を向けると、私がタジーク様を迎えに来た1時間程前からずっと玄関前に停車しっぱなしになっている馬車にジヤルトさんが近寄りそっとドアを開けてくれる。
「ほら、さっさと行こう。そしてさっさと帰ってこよう」
そういって、タジーク様がエスコートと呼ぶにはやや乱暴な仕草で私の手を取り、馬車へと導いてくれる。
急に行く気満々になったタジーク様に面食らって固まっていた私は、彼に手を引かれるまま馬車に乗り、座席に座らされた。
馬車の座席に座ったままきょとんとしている私の正面に今度はタジーク様が座る。
ミモリーがやれやれといった感じで私の隣に乗り込んだ所で、馬車のドアは閉じられゆっくりと馬車が動き出した。
「えっと、あの……」
実はもう少し出発に手こずると思っていた私は少し混乱しつつ口を開く。
「どうした?」
不機嫌顔のままのタジーク様は、窓の外に向けていた視線を私の方にチラッと向ける。
「いえ、ただこの馬車、何処に向かっているのかなと思いまして……」
「……あっ」
タジーク様の目が僅かに大きくなり、小さな声が零れる。
それを見て確信した。
タジーク様がデートの行先を考えていなかったことを。
「……ひとまず、王都の中を適当に走らせて、何処かで降りて歩く事にする」
何度か口を開けたり閉めたりした後、少し考えて再び口を開いた彼から出た言葉は、何とも曖昧な内容だった。
でもまぁ……
「私はタジーク様と出掛けられるなら何処でも良いです!!」
タジーク様と出掛けられるなら、私は何処だって良い。
領地にある畑ばかりの小道でも、歩きにくい森の中……はさすがにお洒落が台無しになるから避けたくはあるけれど、それでもやはり彼と一緒なら楽しめる気がするからもう本当にも何処でも良いのだ。
「全く君という人は。……もし行きたい所があったら言ってくれ。行くかどうか、考えてくらいはやる」
私の返答に呆れ顔を浮かべた後、ほんの一瞬だけ彼本来のものっぽい自然な笑みが浮かんだ。
それを見た瞬間、トクンッと小さく胸が鳴る。
貴重な貴重な笑みを今日は見る事が出来た。
これは幸先の良いスタートかもしれない。
もう既に、少し前まで玄関の前で一時間も待たされた事なんてすっかりと忘れて、私はルンルン気分で出掛けて行ったのだった。
***
「タジーク様、タジーク様!」
「……何だ?」
ぐったりとした様子でやや背中を丸めて歩くタジーク様の隣で、私は正面に見える噴水を指さした。
「あそこに見える大きな噴水が願い事が叶うと有名な観光スポットらしいです! その傍にあるお菓子屋さんのケーキがとても美味しいんです! あ、先日私がタジーク様の所にお土産に持って行って一緒に食べたのがあそこのタルトですよ」
「……そうか」
言葉少なく返すタジーク様だけれど、私の指さした方角はきちんと見てくれている。
その事に気分を良くして笑顔で「はい!」と頷けば、彼は何故が小さな子供にするように私の頭をポンポンと軽く叩いた。
結局、デートのプランを何も考えていなかったタジーク様は、御者に「適当に見て観光できる場所に馬車を停めろ」と命じた。
御者のおじさんは少し困った顔をしていたけれど、タジーク様の言葉に頷いて王都の中でも貴族の若者達で賑わう商業区画に連れて行ってくれた。
……そう、そこまでは良かった。
馬車から降りてすぐに人の多さに固まるタジーク様。
御者のおじさんはいつまでも馬車を人通りの多い場所に停車しておく事が出来ない為、私達を降ろした後少し離れた場所にある馬車置き場に行ってしまった。
こうしてデートが本格的に始まったわけなんだけど……何故かつい最近王都に来たばかりの私が、王都生まれ王都育ちのタジーク様に王都の案内をしている。
理由は簡単。
タジーク様は生粋の引きこもり……本人曰く、自宅警備隊? である為、ほとんど家から出た事がない。
彼の話によると、子供の頃はよく出掛けていたようだけど、十二歳くらいからは仕事で王宮に行くくらいしか家を出た事がないらしい。
つまり、デートスポットどころか観光スポットも普通に買い物する場所もほとんど知らなかったのだ。
いや、正確には『覚えていない』もしくは『最近の様子を知らない』といった感じらしい。
「……ここは以前に来た事がある」
着いて早々にお疲れのご様子のタジーク様を休ませようと、先日ミモリーと一緒に行った、大人の男性客もそれなりにいる落ち着いた雰囲気の喫茶店へと向かって歩いていると、不意にタジーク様が立ち止まり広場のど真ん中にある噴水を見上げた。
「小さい頃にいらっしゃったんですか?」
「……あぁ」
何処か懐かしむような、それでいて悲しそうに目を細めて噴水を見るタジーク様。
その様子は容姿も相まってまるで絵画のように美しく、胸に訴え掛ける何かを感じさせる。
「タジークさ……」
「ねぇねぇ、あの殿方、凄く素敵じゃない?」
「まぁ、本当だわ」
思わず声を掛けようとした所で、不意に後ろから華やいだ若い女性の声が聞こえてきた。
それと同時に向けられる、露骨な視線。
……タジーク様は私とデート中なのに。
ムッとして声の聞こえた方に視線を向けると、こちらを見て楽しそうに会話をしてた貴族令嬢らしき二人組が私の視線に気付き、慌ててそそくさと近くにあったお店へと入って行った。
「……君は何を威嚇しているんだ。野生動物じゃあるまいし」
思わずタジーク様の腕を抱き寄せ、野生の動物のように相手に向かって威嚇するような視線を向けていた私に、タジーク様が呆れたような溜息を吐く。
気分的には「ガルル」と唸っているような感じだったけれど、うっかり本当に声が出ていたのかと不安になり口元を抑え、確認するような視線を後ろに控えていたミモリーに向ける。
「声は出てませんが、顔と態度に出過ぎです」
こっそりとアイコンタクトで答えて欲しかったのに、きっぱりと言葉で返答されてしまった。
これではタジーク様に誤魔化しが利かなくなってしまったではないの。どうしてくれるの、ミモリー。
「それだけ、露骨に腕を掴んで威嚇していたら元々誤魔化しは利きませんよ」
恨みがましい目を向けた瞬間、すぐに私の言いたい事がわかったのか、ミモリーが溜息交じりにそう返してくる。
「わからないじゃないの。ちょっと転びそうになったとか、嫌な視線を感じてとか、乙女っぽい言い訳が出来たかも……」
「無理だな」
「無理ですね」
タジーク様とミモリー、両方に同時に否定された。
「まぁ、君のそのわかりやすい所は、露骨過ぎて反応に困る事もあるが、ある意味美徳でもある。そう落ち込まなくていい」
しょんぼりした私にタジーク様がフォローするようにそう告げた。
「タジーク様はそういう女の子はお好きですか?」
「……さぁな」
チラッと視線を向けて尋ねると、肩を竦めてサラリッと流される。
照れるとかそういう素振りも見られない為、彼の本心は全く読めない。
「もう、タジーク様の意地悪。どんな女性が好みが教えて下されば、私だって努力出来ますのに」
「無理だな」
フッと馬鹿にするように鼻で笑われた。
悔しいけれど、そんな仕草も格好いい。
こういう意地の悪い表情も、怒っている顔も、普通の貴族令嬢ならドン引きな引きこもりスタイルの時の彼も、全部全部格好よく見えてしまう私は、きっと重度の『タジーク様病』なんだと思う。
ちなみに、治す方法はわからないし、治す気もない。
「もう!」
不貞腐れたように頬を膨らませる。
「ほら、さっさと君のお勧めだという喫茶店に行くぞ。……ここは少々人の視線が煩すぎる」
周囲を見回してげんなりしたように肩を落とすタジーク様。
引きこもりの特性なのか、人の視線が多い所は苦手なようだ。
「パーティーの時は平気そうだったじゃありませんか」
今の彼に向けられる視線は、私達の出会ったあのパーティーの時程多くないし露骨でもない。
パーティーの時と違い『タジーク・ガーディナー』という貴族の看板を背負ってこの場にいない為、元々表にほとんど顔を出す事がない彼の顔を知っている人などほぼいないのだろう。
今ここにいる彼に向けられている視線は『何処の誰かわからない素敵な殿方』に向けられるものがほとんどだ。
悪意のある視線よりも好意的な視線の方が居心地は良いだろうし、視線の数だって少ないのだから、あの時よりも大分ましだと思う。
「ああいう場では、自分の中のモードを仕事用に切り替えているから良いんだ」
ブスッとした様子で答える彼の顔は相も変わらず冴えない。
私には彼の言っている事が何となくでしかわからなかったけれど、今は私がそれを理解出来るかよりも彼がどう感じているかの方が重要だろう。
「それじゃあ、行きましょう!」
暗い表情の彼を元気づけるように意識的に明るい笑顔を向けて、彼の腕を引っ張る。
本来であれば、淑女がこんな風にまだお付き合いもしていない殿方の腕に抱きつくのははしたない事だとは思うけれど、うっかりとはいえもうしがみついてしまったものは仕方ない。
折角のチャンスを無駄にしないように、せめて喫茶店に入るまではこの状態をキープさせてもらおう。
……ミモリーの視線が少し痛いけれど、喫茶店まで位なら耐えられる。耐えてみせる!
喫茶店でお茶とケーキを食べながら休憩を取った後、私達は適当に周囲の店を見て歩く事にした。
「はぁ、早く家に帰りたい」
「タジーク様、さっきからそれしか言っていませんよ」
私がお店を見て歩くのは止めないし、後ろから付いて来てくれるけれど、口を開けば「帰りたい」としか言わない。
タジーク様が興味を持ってくれそうな本屋や美味しそうなお菓子の置いてあるお店、騎士様なら武器にも興味があるかと思い武具店にも足を運んでみたけれど、多少興味は示しても最終的にはその言葉に繋がってしまう。
元々、無理矢理付き合わせている自覚はあるから文句は言えないけれど、こうも嫌々な感じを前面に出されると心が折れそうだ。
「タジーク様、私とのお出掛けはつまらないですか?」
「君とに限らず、俺はお出掛けが好きではない。引きこもりだからな。自宅を警備している時が一番安心で出来て心が和む」
そう言われてしまうと、御尤もとしか言えない。
「でも、ちょっとくらい楽しかった所とか……」
本当はここで「じゃあ帰りましょう」と言えば良いのかもしれないけれど、もしかしたら二度目のチャンスはないかもしれないデートだ。
もう少し粘りたくて、迷惑を承知で食い下がる。
「そんな顔をする必要はない。興味を惹かれる物はそれなりにあった。本も何冊か買えたしな。……ただ何というか……人の視線が気になって落ち着かないんだ」
グッと眉間に皺を寄せて、横目で周囲の様子を窺うタジーク様。
そういえば、今日のデート中、何度か足を止めて今みたいに周囲にさり気なく視線を走らせている事があった。
そういう時には大概、すれ違う女性に視線を送られたり、お店の人に声を掛けられる所だったりした気がする。
あぁ、よく思い出してみれば、その度に腰に下げられている剣をさり気なく撫でていたり、何処かソワソワと落ち着かない様子だった。
これはつまり……
「タジーク様、人込みが本当に駄目だったんですね」
私は嫌いとか好きとかそういうレベルの問題だと思い込んでいたけれど、実際はギリギリ耐えられるけれど苦手というレベルだったようだ。
ならば、この王都の中でも特に人の多いこの場所は彼にとって苦痛に違いない。
何でもっと早く気付けなかったのだろうか?
彼とデートはしたかったけれど、苦痛を与えたかったわけではない。
「別に落ち着かないというだけの話だ。そんな顔をする必要はない。それに、今日デートする事を了承したのは俺自身だ。ただ……愚痴を言うくらいは許容してくれ」
私が余程情けない顔をしていたのだろう。
気まずそうな顔をした後、ガシガシと数回頭を掻いたタジーク様がぶっきら棒な口調でそう言う。
何だかんだと文句を言いながらも、私が落ち込むとすぐに不器用なフォローを入れてくれる。
彼は本当に素直じゃないけれど優しい人だ。
「もちろんです! 嫌な事があったら遠慮なく言って下さい。お互いに楽しい方が絶対に良いので。……と、いう事で、タジーク様、もう少し先に自然公園があります。あそこはとても広くて人も少ないですから、そこに行きましょう!」
思わず喉まで出かかった謝罪の言葉を飲み込み、自己嫌悪で泣きたくなる気持ちを押し込めて笑顔で彼の手を引く。
折角彼が気を遣ってくれたのだ。
暗い顔で謝罪をして台無しになんてしてはいけない。
せめて暗くしてしまった空気を明るくするくらいはしないと。
「……そうか。悪いな」
フッと表情を緩めた彼が、柔らかい笑みを浮かべる。
こうして彼のレアな笑顔を見れる回数が日に日に増えてきている気がするのは気のせいだろうか?
もしそれが事実だとすれば、嬉しい事この上ない。
だって、それだけ彼の物凄く警備の固い心に私が近付けたという事だから。
それだけ、彼が笑顔に出来る言動を知る事が出来たという事だから。
「いえいえ。私は将来の妻ですからね! 夫に対してそれくらいの気遣いは出来ませんと」
「君を妻にする予定は今の所ないのだが?」
「『今のところは』ですよね?」
「引きこもりの妻になんて何でなりたがるんだ」
「『引きこもりの妻』ではなくて『タジーク様の妻』になりたいんですよ」
タジーク様の手を引いて先を歩きながら振り返り、少しも躊躇う事なく満面の笑顔で返す。
そんな私にタジーク様は面食らったように目を見開き、またいつもの呆れたような笑顔を向けた。
ただ、繋いだ手に少しだけ力が入ったような気がして……。
「君は本当に前向きを通り越して、周りが見えていない馬鹿だな」
「淑女に『馬鹿』はないと思います」
私的に、今のは良いシーンだと思っていたのに、タジーク様の言葉で台無し。
眉を寄せてムッとした顔を作れば、彼は愉快そうに声を立てて笑った。
彼のこんな笑い声を聞けるなんて嬉しい。
嬉しい……けれど、やっぱり少し納得がいかない。
「自然公園と言うのはあそこだろう? 確かに人が少なくてのんびりできそうだ」
いつの間にか私の隣に並んだタジーク様が視線で正面にある木や花々が生い茂る空間を示す。
「そうですよ。王都の観光案内にお勧めスポットとして書いてあったので、先日、公園内を散歩してみたのですけれど、広過ぎて全部は回れなかったんです。でも色々な草花が咲いていて見て歩くのはとても楽しいですよ」
私とミモリーは折角王都に来ているのだからと、タジーク様のお宅から帰った後から暗くなるまでの隙間時間を使ってちょこちょこと王都内の観光名所を回っている。
この自然公園も、草花を見ながら散歩をするのにお勧めと書いてあった為、先日ミモリーと訪れた場所だった。
タジーク様には『広過ぎて』と言ったけれど、正確には『淑女が歩くには広過ぎて』という意味だ。本気公園内を全て歩き切ろうと思えば、多少時間は掛かるけれど正直出来なくはない。
ただ、淑女らしくヒールの高い靴でしゃなりしゃなりと日傘を差して歩いていたら、それなりに時間が掛かる。
私も一応貴族令嬢なので、先日訪れた時には日傘を差してヒールの高い靴でしゃなりしゃなり歩いた。
正直、まだ道は整備されていないし、小さい子供でも安全に遊べるようになのか、地面にはクッション代わりの芝生が植えられている。
要するに何処を歩いてもハイヒールでは歩きにくく、いつもの何倍も歩く時間が掛かるのだ。
結局、元々観光にあてる時間が少なかった事に加え、思ったように歩けなかった事で全部を回る事が出来なかった。
しかし、おそらくタジーク様のような騎士様であれば、きっと三十分位あれば全体を見て回る事も出来るだろう。
広いとはいえ、所詮王都内にある自然公園だ。そこまで滅茶苦茶な規模の公園ではない。
「ふぅ……。やっと一息つける」
自然公園の入口付近に何軒か立ち並んでいたお店の内の一軒で買った飲み物片手に、公園内の比較的人気の少ない場所に設置されたベンチに二人で腰を下ろす。
タジーク様はかなりお疲れのご様子で、座るなり背もたれに凭れて脱力した様子で天を仰いでいる。
ミモリーには、公園内の散策が終わった頃に公園の入口にある馬車停留所まで馬車を回すよう御者に言いに行ってもらっている。
流石の私も、こんなに疲れている彼を前にしてこれ以上引きずり回そうとは思えなかったからだ。
私は彼と少しでも長い時間デートをしたいけれど、それはあくまで私といる時間を少しでも楽しんで、少しでも私に好意を持って欲しいからだ。
我儘を押し通し過ぎて、嫌われては元も子もない。
「……今日は付き合って下さって有難うございました」
タジーク様の隣で、自分用に買った果物をそのまま絞ったジュースをチビチビと飲みながらそう告げる。 タジーク様が折角私の為に頑張ってくれたのだから、最後まで笑顔で楽しそうに過ごさないとと思うのに、ついつい彼の視線が外れると罪悪感から俯いてしまいそうになる。
「いや、久々に外を見れたのは俺も良かった」
私の声の感じが変わった事に気付いたのか、ぐったりとしていた体を起こし、チラッと私の方に視線を向けてから、彼も自分用に購入したよく冷やされたコーヒーを飲み始めた。
互いに互いの事を意識しつつも無言の時間が流れる。
少し離れた所では、カップルや子供連れの親子が楽しそうにのんびりと園内を歩いていたり、私達と同じように何かを飲んだり食べたりしている。
「……平和だな」
どれ位の時間が経った頃だろうか?
不意に彼がそんな事を呟いた。
「そうですね。皆平和で楽しそう」
やんちゃそうな男の子が走り回り、乳母がそれを追い掛ける。
そんな二人の様子を楽し気に見守る両親。
そんな光景を見ながら、小さく笑みを浮かべて彼の言葉に同意した。
「……まるで楽しい時間が永遠に続くと信じ切っているみたいだ」
「え?」
彼の何処か闇を帯びた声色に驚いて視線を向けると、彼は何も映さない暗い瞳でボーッと楽しそうな家族の姿を見つめていた。
その様子に、私は言い様のない不安と恐怖を感じて、咄嗟にベンチについていた彼の手に自分の手を重ねてギュッと握り締めた。
「ん? どうかしたのか?」
突然私に手を握られた事に驚いたのか、彼が家族に向いていた視線を私の方に向ける。
その瞳にはその数秒前に浮かんでいた暗さは既になくなっていた。
その事にホッとしつつ、取り繕うように笑みを浮かべる。
「えっと……えっと……他の人ばかり見てないで、私の事も見て下さい?」
慌てて考えた言い訳は、自分でもちょっと無理矢理だったかなという気持ちがあったせいか、語尾が疑問符になってしまった。
「……何だそれは」
タジーク様はそんな私に、呆れ顔を浮かべるけれど、さっきまでの暗い顔よりも今の少し小馬鹿にしたような呆れ顔の方がずっと良い。
「あの、タジーク様は何故引きこもりをしていらっしゃるんですか?」
いつもの彼に戻った安心感からか、或いは公園の作り出したこののんびりとしていて開放的な雰囲気のせいなのか、以前から気になっていて質問が口からスルッと飛び出した。
タジーク様は私の脈絡のない質問に一瞬息を飲んでから、何処か居心地が悪そうに髪をガシガシと掻いた。
「う~あ~、何て言うか家は居心地が良いだろう?」
「それはまぁ、そうですね」
私だって一番落ち着ける場所は何処かと尋ねられれば領地にある自宅の自室だと答える。
自分の為に与えられた自分だけの場所。
それも家族と言う存在に守られた場所なら尚の事居心地は良くて当然だ。
でも、だからと言ってそれが引きこもりの理由にはならない。
なってもあくまで一因というやつだろう。
「それに……外は怖い」
「……え?」
少し躊躇うような素振りを見せた後、彼の口から零れたのは少し意外な回答。
でも……うん。確かに今日の彼の様子を思い返してみれば、彼の言っている事は本当のように思える。
「人は簡単に人を裏切るだろう? 特に貴族社会ならそういった事は多い」
「それは……確かにそうかもしれませんが」
貴族社会がある種、狐と狸の騙し合いのような所がある。
笑顔で親し気な雰囲気を装い、隙を見せればあっという間に蹴落とされる。
田舎貴族で競争相手もいない家のような家柄なら、そういった事はほぼ皆無だけれど、先日初めて行った王都の貴族が集うパーティーでは確かにそんな感じの雰囲気が漂っていた。
私はあの時タジーク様に夢中で、あまり周囲の事は気にしていなかったけれど、それでも笑顔の会話の中に棘やら毒やらをこれでもかというくらい仕込んでいる人の会話を通りすがりに耳にした時には、背筋に冷たい汗が流れたものだ。
「そういえば、タジーク様は人間不信でしたね」
「そういう君は、疑うのも馬鹿らしくなってくる程、率直に物事を言うな」
溜息交じりで呆れを含んだ言葉は、私を馬鹿にしているようなもののはずなのに、何故だか今までより距離が縮まったような印象を受ける。
「幼少の頃から、そういった貴族らしいやり取りは学んできたつもりだが……信じる者を誤った時の衝撃と被害は想像を絶するものがある」
ジッと虚空を睨み付ける彼の目には、悲しみと怒りが潜んでいるように感じる。
彼はもしかしたら、信じる人を誤る――大切に思っていた人に裏切られた経験でもあるのだろうか?
私にはそういった経験がないからよくわからないけれど、お兄様が以前王都の貴族の間ではそういった事が頻繁に起こり、実際に彼のように人間不信になる者も多いから気を付けろと言っていた気がする。
あの時は、全く実感がわかなかったから聞き流していたけれど、今はその言葉がとても重く感じる。
「まぁ、君にはわからないだろうし……わからないままの方が良い。君のような人に引きこもりは似合わないからな」
フッと笑う彼の表情は何処か哀愁が漂っていて、見ているこちらの方が胸が痛くなる。
何だか無性に泣きたい気分になりながらも、目の前で微笑んでいるタジーク様を見て泣けないと感じた。
「むしろ、引きこもりが似合う人ってどんな人ですか」
胸の中に突如として現れた悲しみを吹き飛ばすように、意識して口調を強くする。
彼に何とか笑って欲しくて、わざと子供っぽく怒ったふりをして頬を膨らませた。
「う~ん、俺みたいな根暗な奴じゃないか?」
私の思いが通じたのか、彼は私の頭をポンポンと軽く叩きつつも、ニヤリッと笑った。
うん、決して優しい微笑みとかではないけれど、暗い顔をされているよりはこっちの方が何倍も彼らしくて良い。
「タジーク様だって、私と一緒にいて笑っていればあっという間に根暗じゃなくなりますよ」
胸を張ってそう言い切ると、タジーク様が「ハァァァ……」と深い溜息をついて、再び体の力を抜く。
「何故君と一緒にいる事が前提なんだ?」
「それはその方が私が嬉しいからです。後、実際に最近タジーク様は笑顔が増えました! 要するに私にはそう言えるだけの実績があるのです!!」
本当は以前の彼がどの程度の頻度で笑顔を浮かべていたのかなんてわからないから、対比のしようなんてないんだけど、ここは敢えて言い切る。
だって堂々と言い切った方が、相手もそんな気がしてくるものだと我が家によく出入りしている商人のおじさんが言っていた。
「君は本当になんて言うか……呆れる程の前向きさだね」
「それだけが取り柄ですから」
「自分でそれを言ってしまうのか」
タジーク様の目が、残念な子を見る時のものになる。
「いいじゃないですか、前向き! 前向きでいれば結構周りも引っ張られてくれるんですよ」
視線に現れている彼の私への評価に不服を申し立てる。
私だって本当は言う程前向きなわけではない。
でも、彼が後ろ向きな事ばかりを考えたり口にするのならば、自分は前向きでいて引っ張って行こうと思う。
そんな健気な乙女心が何故伝わらないのだろうか?
「……まぁ、確かに悪くはないかもしれないな」
「でしょう?」
ボソッと聞こえるか聞こえないか位の声で呟かれた言葉に、私は満面の笑みで答えた。
この瞬間、私は確かに彼の鉄壁の心の中に少しだけ招き入れてもらえたのを感じた。
「今日のデートは成功ですね!」
「そうか? まぁ……君に対しては気を張るだけ馬鹿らしいというのがわかっただけ良かったとするか」
「何ですか、それは!」
あまりの粗雑な扱いに文句を言う私を無視して、彼はベンチに寝転がる。
「何かあったら起こしてくれ。後、帰ってもいい気分になっても起こしてくれ。……早く家に帰って引きこもりたい」
「ちょっと、タジーク様!?」
彼は言いたい事だけ言うと目を瞑ってしまう。
どうやら私と共にいる事は許容して下さっているようだけれど、本日分の会話はもう品切れのようだ。
暫くの間、目を瞑って私側に頭を向けて横になっている彼にブツブツと文句を言っていたけれど、寝息が聞こえ始めた所で諦めた。
「まぁ、あれだけ周囲に気を張っていた人が眠れるくらいに気を緩めてくれたって事は、かなりの前進と考えれば良いかしら?」
だって、今までだったら絶対にこんな風に私の傍で隙を見せてなんてくれなかった。
そう考えると、自分で思っているよりも遥かにずっと私達の恋は前進しているような気がする。
「本当は、このジュースを飲み終えたらタジーク様も疲れているみたいだし、帰るつもりだったんだけど……もうちょっとだけのんびりしていこう」
自然公園には貴族の来客も多い為、専用の馬車止め場がある。
待たせても他のお客さんに迷惑を掛ける事はない。
御者とミモリーには少し悪い気もするけれど、あのマイペースな侍女は、きっと私の戻りが遅いと感じれば勝手に休憩を取っているだろう。
そこら辺は長い付き合いなだけ私にも簡単に予想が出来る。
「折角の貴重なタジーク様の寝顔だもの。少し堪能したって罰はあたらないわよね」
そう自分で自分に言い聞かせ、頭を掻いたり横になったりしたせいで乱れてしまった彼の髪をそっと撫でつける。
彼の髪は冷たく硬そうな色に反してサラサラで柔らかく、そして彼の持つ温もりをしっかりと宿していた。