5 突撃あるのみ!!
コンコンッ。
「タジーク様!」
……。
コンコンコンコンッ。
「タジーク様!」
……。
コンコンコンコンコンコンッ。
「タジーク様!」
……カッカッカッカッ。
バンッ!
「……うるさい。そして何故また君が我が家にいるんだ」
ひたすらノックしては名前を呼ぶ事、数回目にしてタジーク様が自室から出てきて下さった。
「おはようございます。朝食をご一緒致しましょう」
イライラした様子のタジーク様。
私はそんな彼に向けて満面の笑みで朝の挨拶と朝食のお誘いをした。
「だ・か・ら! 何故君が我が家の、それも俺の部屋の前で朝食の準備をしてるんだ!!」
「まぁまぁ。朝食が冷めてしまいますよ」
そう言って、ドアの前に仁王立ちしているタジーク様の為に椅子を引いて促す。
手慣れているように見えるって?
それは当然だ。
タジーク様のお宅への初訪問以降、私はこうして毎日タジーク様のお宅に訪問している。そして、最近では似たようなやり取りを毎日のように繰り返しているのだから。
いい加減、手慣れてもくるというものだ。
「さぁ、ガーディナー家自慢のシェフの作った朝食ですよ! 物凄く美味しいんですよ! 一緒に食べましょう」
「だから、何故俺でなく君が我が家のシェフの自慢を主人である俺に対してしてるんだ」
こうして、タジーク様が不満そうな事を言うのも最近では日課のようなものである。
それに、こうやって反応を返して下さるようになったのだって、私にとっては大きな進歩なのだ。
……最初の内なんて、無視が当たり前だったのだから。
***
私だって、最初の頃はそれなりに遠慮をしていた。
待ちの態勢や控えめなアプローチは、タジーク様には厳禁だと思ったから、押せ押せでいくつもりではあったけれど、それでもやり過ぎはいけないと思い、毎日のお宅訪問とお部屋への声がけ程度に止めていたのだ。
いや、もちろん、普通の淑女の行動ではないとは私も思いますよ?
けれど、ガーディナー家の使用人達曰く、タジーク様にはそれ位……否。もっと上のアプローチでないと返答すらもらえないと言われてしまったのだ。
最初は半信半疑だった私も、3日連続で会話どころかノックをしても返事すらもらえなかった時には、それが事実である事に気付いた。
だから、今度は扉の前で一人で語り掛けるようにしたんだけれど……今度は中で物音がするという程度の反応(?)はあれど、やはりそれでも返事は返って来なかった。
ついでに言うと、一人で長時間返事もないのに話し掛け続けるのは結構辛かった。
それに廊下でずっと立ちっぱなしなのも辛かった。
見かねたガーディナー家の使用人達が、タジーク様の部屋の前にソファーとお茶をする為のローテーブル。それにひざ掛けまで用意してくれた。
とても嬉しかった。
それに、部屋の前でガッタンゴットンとお引越しさながらの物音を立てていた為、タジーク様が「煩い! 一体お前達は何をやっているんだ!」と顔を出して下さったのは大きな収穫だった。
あの時は、タジーク様は怒って早く撤去しろと言っているのに、顔を見れたという事実だけで感動と言い様のない喜びを感じ、つい目が潤んでしまったものだ。
ちなみに、タジーク様の「撤去しろ」という命令は使用人達には綺麗に無視されていた。
それどころか、やっと顔を出したタジーク様にバーニヤさんが「自分の事を慕ってくれる女性に対して無視をし続けるなんて何事か」と説教をしていた。
タジーク様は不満そうな顔をしていたけれど、勢いに押されて反論は出来なかったようだ。
ガーディナー家の使用人、強いなぁと思った。
結局、その後もタジーク様の無視は続いた為、私は作戦を変える事にした。
名付けて『野良猫を手懐けよう作戦』だ。
今現在、我が家の住人になっている元野良猫のミャーちゃん。
彼女は最初、我が家の軒下に住みついていたのだけれど、仲良くなろうとしても警戒心が強くて、近くに人がいる時は決して軒下から出て来てくれなかった。
手を伸ばせば引っ掛かれるか、手の届かない奥に逃げられるかのどちらか。
まさに今のタジーク様のような感じだ。
そんな彼女と仲良くなる為に使ったのが、餌付けと言う名の贈り物作戦。
毎日毎日、ミャーちゃんが出入りしている軒下の入口の所に贈り物の餌を置き、少し離れた所から出てくるのを待ち続ける。
最初は見ている所では当然出てこなかったし、それどころか贈り物に手を付けてくれすらしなかった。
けれど、徐々に見ていない所でだったら食べてくれるようになり、更に月日が経って私と言う存在に慣れてくると私が見ていても、離れてさえいれば出てきて食べてくれるようになった。
そこから徐々に餌場を出入口から離してみたり、手に持った状態で誘ってみたりを繰り返し、数年がかりややっと我が家の飼い猫として迎える事が出来たのだ。
私はその時の事を思い出して、まずはタジーク様を部屋からおびき寄せる為に贈り物を部屋の前に置く作戦を決行する事にした。
「タジーク様! タジーク様はどのような物がお好きですか? ご趣味は?」
いつも通りドアをノックした後、室内に向かって尋ね掛けてみたけれど、当然反応なし。
しかし、私のその問い掛けをたまたま通り掛かって聞いていた執事のジヤルトさんが代わりに答えてくれた。
ちなみに、この間、ミモリーは私の待機用にセッティングされたソファーで、自分でお茶を淹れ飲んでのんびり過ごしていた。
私は必死でアピールしているのだけれど、ただただその様子を傍観しているだけの彼女はその時には既に飽きてしまっている様子だ。
いや、飽きたというよりはもう呆れており、「どうぞご勝手に」という感じな気もする。
「タジーク様はご本がお好きなんですね! それに肉料理や果物が入ったお菓子なんかも好まれるのですね!」
ジヤルトさんからの有力な情報を基に、その日から私はタジーク様のお宅に伺う前に、町で買い物をするようになった。
もちろん、タジーク様への贈り物を手に入れる為だ。
最初の贈り物は本にする事にした。
ジヤルトさんからの有力情報によると、タジーク様は無類の本好きで、部屋に籠っている間は本を読んでいる事も多いらしい。
そして、本であればどのようなジャンルの物でも選り好みせずに読まれるのだそうだ。
要するに、彼の好みにあったものを見付けるのは難しいかもしれないけれど、はずれに当たる確率も低いという事だ。
彼の好みがわからない現状としては、比較的選びやすい贈り物である。
更に、本の作成が全て手作業だった昔に比べ、最近は同じ本を比較的簡単に複数作る技術が発展してきた事もあり、本は平民でも買える程度の値段にまで下がっている。
要するに、私でもお小遣いの範囲でそれなりの冊数を買って送る事が出来るという事だ。
「ねぇ、ミモリー。この本はどうかしら? 少し読んでみたけれど面白そうなの」
「よろしいのではございませんか?」
「ねぇ、ミモリー。こっちの本はどう? 題名が気になると思わない?」
「よろしいのではございませんか?」
「……」
ミモリーはどうやら私の本選びには協力してくれる気がないようだ。
こちらを見もせず、自分が興味のある本をパラパラと捲って生返事を返して来る。
「ねぇミモリー、相手をしてもらえないのがちょっと寂しいわ」
「あら、それは失礼致しました。最近、お嬢様は扉にばかり話し掛けていらっしゃったので、そういうのがお好きなのかと……」
「ミモリー……」
「冗談です」
少し涙目になって見つめると、渋々と相手をしてくれるようになった。
ガーディナー家の使用人もあまり主人の言う事を聞かないみたいだけど、我が家の使用人もどうやらその傾向があるようだ。
そんなこんなで、私は何とか購入した本を手にタジーク様の部屋の前に日参した。
そして、相変わらず扉を開けて下さらないどころか返事すらしてくれない彼の部屋の前に、購入した本をどんどん置いていく事にした。
そんな日々が続く事4日目。
事件は起こった。
ガンッ! ガンッ!
いつも通り本を片手……両手に持ち、彼の部屋に向かうと、いつもは静けさに包まれている彼の部屋から何かを打ち付けるような物音が聞こえた。
急いで音の正体を探る為に、いつも通り私を屋敷へと招き入れてくれたジヤルトさん達と共にタジーク様の部屋に向かうと……
「な、何なんだ。ドアの前に何かあって開かない。おい、誰かいるか!? ドアの前にある物をどけてくれ。で、出れない」
私がタジーク様への貢ぎ物として置いていた本達が邪魔になり、部屋から出る事が出来ず四苦八苦しているタジーク様の姿があった。
慌てて駆け寄り、ジヤルトさん達やミモリーと協力して、扉の前に積んであった本等を取り去った。
やっと部屋から出る事が出来たタジーク様は、部屋から出れない原因となった物を見て、頬を引き攣らせた。
「何故、君の買ってきた本は辞典や分厚くて重そうな本ばかりなんだ! それに何故、世界の植物全集が1巻から20巻まで置いてあるんだ! その上、このデカい果物は何だ。どうしてこんなものまで俺の部屋の前に供えてあるんだ!!」
初めて部屋から出て来て下さったタジーク様にお説教された。
どうやら、それまでは何とか押せば本も一緒に移動する形で扉が開く状態だったのに、昨日安売りしているのを発見して「タジーク様が喜んで下さるかも!」と思ってまとめ買いした世界の植物全集と、全集が重くて一度に運べなかった為、何度もお店とタジーク様のお宅を行き来している内に気になって購入する事にした大きくて丸い緑と黒のストライプが入った果物が駄目押しになって扉が開かなくなってしまったようだ。
タジーク様のお宅に伺う度に、何故か本が通路の中央寄りに移動していて、邪魔になるだろうと思って扉の前の定位置に頑張って戻していたのだけれど、あれがタジーク様が扉を開けた際に邪魔になって押し出されている状態だったなんて……。
「……タジーク様、ごめんなさい。私、タジーク様に少しでも喜んで欲しくて」
涙目になりながらしょんぼりと謝ると、私に対してこんこんと説教をしていた声が止まり、深い溜息が落ちて来た。
「もういい。本はこちらで回収していく。今後は扉の開閉する位置には置かないでくれ」
そういうと、私が1~2冊持つのが精いっぱいだった本を一気に10冊位持ちながら中へと運び込み始める。
私はその光景を呆然と見つめつつも、歓喜していた。
だって、ずっと放置されていた私の贈り物をどのような形であれ、タジーク様が受け取ってくれたのだもの、嬉しくないはずがない。
私は、タジーク様の仰った注意事項に何度もうんうんと頷きながらも、自然と笑みが零れるのを止められなかった。
「タジーク様、有難うございます」
最後の本を運び入れ、部屋の中へと戻っていく彼の背中に私はお礼を言った。
「……この場合、本来お礼を言うのは俺の方だろう」
足を止め、振り返りもせずそれだけ告げると、タジーク様は静かに部屋の扉を閉じた。
「ミモリー、やったわ! タジーク様が贈り物を受け取ってくれたの。それに久々にお顔を拝見できたし、今までにない程お話もして下さったわ!!」
タジーク様の姿が見えなくなるとすぐに私はミモリーに喜びの報告をした。
「いや、お嬢様。現実を見て下さい。あれはお話ではなく怒られたというのです。それに贈り物も受け取ったというより、邪魔だから片付けられたというだけの話です」
「でもお部屋の中には持って行って下さったわ! もしかしたら読んで下さっているかもしれない。そう期待できる状況じゃない!!」
「お嬢様は何というか……相変わらず超が付く程前向きですね」
ミモリーは今日もやっぱり呆れた表情をしている。
でも、今日の私は機嫌が良いからそんな事は気にならない。
「大丈夫ですよ。坊ちゃまはお部屋に新しい本があれば必ずお読みになりますから。この残されたフルーツは……夕食の時にでも、当家の料理長にデザートとしてお出しするように渡しておきますね」
笑顔で請け負ってくれたジヤルトさんの言葉に、更に胸が躍る。
「これで少しは前進出来たかしら?」
「本当にお嬢様は……いえ、もう何も言いません」
ミモリーが深い溜息を吐く。
けれど、それ以上は本当に何も言って来なかった。
「さぁ、明日からは作戦の第二段階に移りましょう!」
「……一応私はコリンナお嬢様付きの侍女なので、無茶をなさる場合はお止めしないといけないので、本当は聞きたくないですけれどお尋ねします。作戦の第二段階とは何ですか?」
とても嫌そうな顔をしながらも、渋々尋ねて来るミモリーに、私はニヤリッと口の端を上げた。
「それはもちろん、胃袋を掴もう作戦よ! お兄様達が以前話していらっしゃったもの。男は胃袋を掴まれるのに弱いって」
いつか自分に好きな人が出来たら参考にしようと思って素知らぬ顔して盗み聞きしていた、フールビンお兄様とジミールお兄様の理想の女性像についての会話。
お酒が入っていた事もあり、胸が……とか、お尻が……とか下品な話も混ざっていたけれど、いくつか参考になる意見もあった。
その中の一つが「男は胃袋を掴まれると弱い」という話だ。
容姿やスタイルについては持って生まれたものもある為、努力ではどうしようもない事も多い。
でも、料理だったら頑張れば何とかなる。
それに、心強い味方――ミモリーだっているのだ。
試してみない手はない。
「ミモリー、明日からお菓子作りをするわ! 幸い、タジーク様は果物を使ったお菓子がお好きらしいし。そうよね、ジヤルトさん?」
確認するようにジヤルトさんに視線を向けると、「そうですよ」と頷いて下さる。
その場にいた他の使用人達も「うんうん」と頷いてくれているから、かなり正しい情報だと言えるだろう。
「ねぇ、協力してくれるわよね?」
視線を再びミモリーに戻し、「お願い」と掌を合わせ小首を傾げると、彼女は渋々頷いてくれた。
こうして翌日から、私の手作りお菓子を贈る作戦が始まった。
毎日毎日色々な種類のお菓子を作ってはタジーク様の所に持っていく私。
手渡したくて、出来れば一緒に食べたくて、開けてもらえないのを知りつつも毎日ノックをしては声を掛けていた。
結局手渡す事は出来なかったお菓子は、持って帰るのもどうかと思い、本の時のように置いて行こうかと思ったけれど、「食べ物を床に置くのもなぁ」と悩んでいると、いつの間にかやってきたバーニヤさんがタジーク様にお供えする為のミニテーブルを扉の横に設置してくれた。
それを見て、安心した私はそれから持って行った物は全てそのテーブルに置いていく事にした。
いつか私のいない時に顔を出したタジーク様が私の置いて行った物に興味を示して食べてくれるのを期待して。
「お嬢様。こういうの、ストーカーが良くやる手ではありませんか?」
「なっ! ち、違うわよ。私はこそこそと渡したりしてないし、タジーク様にも声を掛けているし、お屋敷の人だって了承してくれているもの」
「……捕まるような事だけはしないで下さいね」
「……はい」
いつもの呆れ顔とは違い、真面目な顔でミモリーに言われた私はそう返事をするしかなかった。
ただ翌日タジーク様の所に伺った時に、あまりの不安にタジーク様自身(扉越し)に私はストーカーになってないかを何回も確認したら、「うるさい! 大丈夫だからもう黙ってくれ」と言われたから大丈夫だろう。
安心してホッと息を吐いた私に、ミモリーが何故か白い眼を向けていたけれど、理由はよくわからなかった。
そこから暫くは、あまりしつこくはしないよう意識しつつ、お菓子を届ける事だけを続けていた。
そんなある日、またしても事件が起こった。
「……頼む。大量のお菓子を部屋の前に置いていくのは勘弁してくれ」
珍しく部屋の外に出て、壁にもたれるように立っていたタジーク様に、開口一番にそんな事を言われた。
やはり好きでもない女の手作りのお菓子は迷惑だったのかとしょんぼりとしつつ、彼の言葉に耳を傾ける。
その間、彼の部屋からは珍しくガタゴトと物音が聞こえており、誰かがいるようだった。
もしかして、彼の本命の女性でも来ているのかもしれないと思うと、胸が締め付けられるように苦しくなって、涙が滲みそうになる。
「あ~、何を考えているかはその顔を見ると予想が付くが、違うからな」
気まずそうにボサボサの頭を掻きながらタジーク様が否定の言葉をくれる。
それに勇気付けられるように顔を上げると、彼は私の顔を見て深く溜息を吐いた。
「部屋の前に大量の甘いものがずっと置いてあったせいで、部屋に蟻が出るようになってしまったんだ。今、中でジヤルトとバーニヤが掃除と蟻退治をしてくれている」
「なっ!!」
私の顔から血の気が引いた。
まさか私の置いて行ったお菓子がそんな惨事を招いているなんて思いもしなかった。
慌てていつもお菓子を置いているテーブルを見れば、私の置いて行ったお菓子は綺麗に片付けられていたが、テーブルの上に小さな蟻が1、2匹いるのが見えた。
「ご、ご、ご、ごめんなさい!! わ、私もすぐにお手伝いをします」
慌ててスカートのポケットからハンカチを取り出し、取り合えず目の前にいる蟻から外に出そうと手を伸ばすと、私のハンカチが蟻に触れる前にタジーク様の手が私の手首を掴んだ。
「それは使用人がやる仕事だ。君がやる必要はない」
「し、しかし、私のしでかした事ですし……」
そう言って、タジーク様は少し離れた所で待機していたメイドを呼び、指示を出して蟻とテーブルを片付けさせた。
私はその光景を申し訳ないという気持ちでいっぱいの中、見ている事しか出来なかった。
あぁ、何でこうも失敗ばかりなんだろう。
もう穴があったら入って上から土を掛けてもらって埋まりたい。
「はぁ……。気にするな。君のその感情駄々洩れの顔を見れば、悪意があってやった事じゃない事はわかる。それに、俺も折角君が毎日頑張ってお菓子を作ってきてくれていたのに、一切食べずに放置した。君だけのせいじゃない」
溜息を吐いた後、ムスッとした態度で告げたその言葉は、態度とは裏腹に私を気遣って下さるものだった。
でも、だからこそ余計に罪悪感が湧き上がってくる。
「で、でも……。せめて罪滅ぼしにお掃除位はお手伝いをさせて下さい」
尚も食い下がる私に、彼は少し眉を寄せてジッと顔を見つめた後、再び溜息を吐いた。
そして小さな声で、「ここまで顔にしっかりと感情が出てると、疑うのもバカバカしくなるな」と呟いた後、チラッとご自身の部屋の扉を見た。
「……悪いが、俺は信頼のおける者以外に自室に立ち入られるのが嫌なんだ。この家の者でもジヤルトとバーニヤ、他数名しか自室に入れた事がない」
「……え?」
貴族の家では、部屋の掃除は普通メイドの仕事だ。
主の希望があれば、執事長だろうが侍女頭だろうがやってはくれるだろうけれど、本来の職務ではきっとないだろう。
実際に私の部屋の掃除も、ミモリーの他に持ち回りで家の掃除を担当するメイド達がやってくれている。
そう考えると、自室への立ち入りを極端に制限しているのは異様な事だと言えるだろう。
「なにしろ、俺は引きこもりだからな。自分の部屋こそが俺の城。本当に信頼出来る者以外立ち入られたくない」
「……タジーク様は人間不信なのですか?」
思わず頭に浮かんだ言葉をそのままぶつけてしまう。
タジーク様は一瞬きょとんとした後、喉の奥で小さく「クッ」と笑った。
「普通、そういう事をそのまま本人に聞くか?」
「あ! えっと、その……すみません?」
タジーク様の指摘に、もう口から出てしまった言葉は取り返せないけれど、反射的に手で口を覆ってから謝った。
「何で語尾が疑問形なんだ」
小さくクスリッと笑うタジーク様の初めての自然な笑みに見惚れる。
やはりタジーク様は素敵なお方だ。
「全く、いつまでもこんな引きこもりにまとわりついていても良い事なんて何もないだろうに」
小さく儚い幻のような笑みをあっという間に引っ込めてしまった彼は、今度は呆れ顔を浮かべている。
その視線は、まるで理解不能な未確認生物を見ているような不思議そうなものだった。
「いいえ。タジーク様の笑顔が見れて、こうして声を掛けて頂ける機会に恵まれました」
「だから?」
まるで「一体何が言いたいんだ」と訝しむかのように、彼の眉間に皺が浮かぶ。
「ですから、ちゃんと良い事がありました」
ニッコリと満面の笑みで胸を張って宣言する。
ずっと会いたくて、会いたくて。でも無視されてばかりで、顔を見る事も、声を聞く事も出来なかった相手が今目の前で話している。
その上、一瞬ではあったけれど笑みも浮かべてくれた。
これが『良い事』でなかったとしたら、一体何が良い事だと言えるのだろうか?
「……変なご令嬢だな」
呆れ交じりの溜息は、少し優しい響きを帯びているように感じるのは私の気のせいだろうか?
「取り合えず、ここで掃除と蟻退治が終わるまで立っているのも面倒だな。……それは今日の分か?」
タジーク様の視線が私の後ろに控えていたミモリーの持つ荷物へと向く。
「は、はい。今日はドライフルーツ入りのパウンドケーキを焼いてきました」
ミモリーから今日の分のお菓子を受け取り、タジーク様にも見えるように折ってあった紙袋の口を開いて中が覗き込みやすいように差し出す。
彼は一瞥しただけで袋の中を確認しようとはしなかったけれど、小さく頷いてはくれたからきっと納得したのだろう。
「部屋の事はジヤルトとバーニヤに任せれば問題ないはずだ。掃除が終わるまで下で茶でも飲む事にするか」
「え!? それってもしかして?」
期待に鼓動が高鳴る。
ブワッと顔の温度が急上昇したのも感じた。
落ち着け。落ち着くのよコリンナ。
下手に期待して叩き落されたりなんかしたら、ショックでいられないはずだわ。
だから、期待は低めにしておくのが良いのよ。
でも……でも……頭では冷静にそう考えていても気持ちの方が勝手に暴走しようと暴れ狂う。
期待するな期待するなと自分に言い聞かせている内に、実際は期待してしまっている自分の存在を痛感する。
「今まで君が頑張って俺の為に作ってきた菓子を全てゴミにしてしまったお詫びに、一度だけお茶に付き合おう」
「っ!?」
そう言うと、彼は私の手首を掴んだままま屋敷の一階――来客をもてなす為の部屋へと私を連れていく。
あまりに突然降って湧いた幸運に、私の頭は真っ白いになっていて、タジーク様に連れられるがままに歩いていた。
その日、初めてタジーク様と一緒にお茶をする事が出来た私は、ずっと喜びでボロボロと泣いていた。
そんな私の事をタジーク様は困った子供を見るような目で無言で見ていたけれど、途中で「まぁ、わかりにくいよりわかりやすい方が良いか」と呟いた後は、どちらも何も話さないその時間をゆっくりと楽しんでいるようだった。
タジーク様が私が作ったパウンドケーキを食べて下さった時には、嬉し過ぎて思わずそれまで以上に泣いてしまった。
タジーク様はそんな私を見て訝しむように少し眉間に皺が寄せたけれど、すぐに私が泣いている理由を察したのか、その後は特にこちらを気にする事無く、彼の部屋の掃除が終わる時までのんびりとした時間を過ごしていた。
パウンドケーキの味については、タジーク様は特に何も仰っていなかったし、私も「不味いと言われたらどうしよう」という不安があったから、敢えて感想は聞かなかった。
こんな風にして徐々に距離を縮めていった私に対し、タジーク様は段々と無視をする事が減り、反対に色々と文句や突っ込みを入れてくる事が多くなった。
彼曰く、「放っておくと何をやらかすかわからないから」との事だ。しかし、私としてはかなり嬉しい変化だった。
***
そして現在。
タジーク様は何とか部屋近辺、機嫌が良い時には敷地内であれば時々私の誘いに乗ってくれるようになった。
だから調子に乗った私は、彼と一緒にいられる時間を少しでも確保しようと、朝食や昼食、お茶の時間等に彼の部屋へと行き、誘うようになったのだ。
まぁ、彼が部屋から出てきてくれる確率が高いのは、今でも私が何かをやらかし掛けた時が一番多いのだけれどね。
「さぁ、タジーク様、朝食を一緒に食べましょう! タジーク様のお顔を拝見して食べる食事はきっと格別ですよ」
「俺は君の顔を見て食べても別に美味しくは感じない。むしろ静かに引きこもっていたい」
「そんな事仰らずに。見慣れればそれなりに感じるかもしれませんよ? 愛嬌がある顔とはたまに言われるので。美人よりは見飽きないと思います」
「……君はその評価で良いのか?」
「まぁ、こればっかりは変えられませんからね。私は愛嬌で勝負です」
「……そうか」
タジーク様、同情するような視線を向けるのは止めて下さい。
少しでも笑顔を見てもらいたいと思っているんで笑っていますが、地味に傷つきますから。
「ほら、早く出てきて下さい」
「嫌だ。俺は部屋に籠っていたい。食事だけこちらに渡してくれ」
椅子の座面を叩いて座るように促すけれど、今日のタジーク様はあまり部屋から出る気分ではないらしい。
それであれば仕方ない。
私はタジーク様用に引いていた椅子をよっこいせと持ち上げて、部屋から出て来ようとしないタジーク様に手渡した。
「……これをどうしろというんだ?」
私の行動の意味がわからず困惑しつつもうっかり椅子を受け取ってしまっているタジーク様。
多分、か弱い少女が重そうな椅子を一生懸命運んでいるのを可哀そうだと思っていた部分もあるのだろう。
「ミモリー、ちょっと手伝って頂戴」
タジーク様の問い掛けには答えず、私は朝食の並ぶテーブルへと戻り、ミモリーを手招いた。
「コリンナお嬢様、そこは私が」
私の行動を見て、何をしたいのかを即座に察したらしいジヤルトさんが近付いて来て、私と立ち位置を交代する。
そして、ジヤルトさん同様、私のやりたい事をしっかりと理解してくれていたミモリーがテーブルを挟みジヤルトさんの反対側に立つ。
「ま、まさか?」
ようやく私達がしようとしている事に気付いたタジーク様が慌てて部屋の扉を閉めようとしたけれど、いつの間にか現れたバーニアさんが開け放たれた状態になっている扉の前に立ち、閉められないようにしている。
「お、おい。何もそこまでする必要は……」
バーニヤさんに弱いタジーク様は扉を閉める事を諦め、タジーク様の部屋の入口にピッタリと付けられようとしているテーブルに対して「来るな」とでも言うように、手を伸ばして制止するようなポーズを取った。
ここで近付いて来たテーブルを実際に手で押さえて止めようとしないのはきっと、そうする事でテーブルの上に並ぶ朝食を落としてしまわないように配慮しての事だろう。
人付き合いを厭い、普段は身なりも気にしないタジーク様だけれど、実はそういう気遣いは出来る方なのだという事を出会ってからの何日かで私はもう既に知っている。
そしてそういう所も素敵だなと思い、日々彼への気持ちを深めていっているのだ。……一方的に。
あぁ、いつになったら彼と両想いになれるのだろうか?
いや、むしろなれる日は来るのだろうか?
「……」
「さぁ、これでタジーク様はお部屋から出なくても大丈夫ですよ。一緒に食べましょう」
入口にピッタリとテーブルを付けられた事で、部屋から出なくても手を伸ばせば朝食が取れるようになった。
ついでに言うと、テーブルが入口にあるせいで、バーニアさんが退いてももうタジーク様の部屋の扉を閉める事は出来ない。
「……君はここまでして俺と朝食が食べたいのか」
「もちろんです」
「そうか」
満面の笑顔で返せば、憮然とした表情で、でも何処か諦めて悟った様子でタジーク様が私が先に手渡しておいた椅子に座る。
その様子に満足して、私もいつの間にかジヤルトさんが持ってきてくれた椅子に座りテーブルに着く。
「タジーク様、今度お部屋を出てお庭を散歩したり……一緒にお出かけして下さい。デートですよ、デート」
「何故、俺が君とそんな事をしないといけないんだ。君も知っているだろう? 俺は引きこもりで自宅警備隊なんだ。そして引きこもりは部屋や家を出ないんだ」
こんな風に言ってはいるけれど、最近はたまにお庭の散歩位なら付き合ってくれる事がある。
庭から、タジーク様の名前を連呼して散歩に誘っていたら「大声で呼ぶな! 近所に聞こえたら恥ずかしい!!」と言って慌てて外へと出てきてくれたのだ。
田舎は無駄に土地があって、お隣さんも遠いからあまりそういう感覚はなかったけれど、確かに王都は貴族の屋敷が立ち並んでいて、お隣さんとの距離もたかが知れている。
タジーク様のご自宅は庭も王都の屋敷の中では広い方だとは思うけれど、全力で呼んでいたら誰かの耳に聞こえてしまう可能性はあるかもしれない。
それに納得して、少し自分の行動に少し恥ずかしさは感じたものの、それでもやっぱりタジーク様と一緒にお庭を散歩出来たのは嬉しかったから、時々同じ事をしてタジーク様をお外に呼び出したりしている。
「でも、お仕事には時々行っているんですよね?」
「ぐっ……」
私の指摘にタジーク様が言葉を詰まらせる。
タジーク様は行動を見ている限り、やはり自主的に引きこもっているだけで出ようと思えばいくらでも外に出られるタイプだ。出られない人とはわけが違う。
「別に私はお仕事のついでとかでも良いですよ?」
「いや、それは……」
タジーク様が更に言葉に詰まる。
言い返せない分、段々と眉間の皺が濃くなっていっている。
「そうだ。大体、何故私が君とデートしないといけないんだ」
「だって、団長様の手紙にそう書いてあったんですよね? それに私とタジーク様は今縁談の真っ最中のはずだもの。お互いを知る事は大切でしょう?」
「縁談は断っ……」
「断ってはいらっしゃいませんよね? お兄様から話は聞いています。断りの手紙ではなく、縁談の件に一切触れていない手紙が来たと」
論点をずらして私とのデートを何とか断ろうとするタジーク様に対して、私は不満を感じ頬を膨らませる。
「……君は本当に子供みたいな人だな」
私の顔を見て、タジーク様が苦笑した。
それから少し悩んだ後、長い長い溜息を吐いた。
「わかった。私もオルセウス殿に押し切られ、一度は縁談を了承してしまったからな。一度だけ君と彼の希望を叶えよう」
「本当ですか!? やったぁぁ!!」
本当は多分、私が会う度にデートしてくれとせがむから面倒くさくなって了承してくれただけだと思うけれど、そんな事はどうでもいい。
重要なのはデート出来るかどうかという事なのだ。
「ただし、一回だけだからな。それ以降は強請るな」
「まぁまぁ、そう仰らずに。久しぶりに仕事以外で外を楽しんだら気分が変わるかもしれませんよ?」
「一回だからな」
「あぁ、何を着てこうかしら」
「おい、俺の話を聞いているのか?」
「『今回は』何処に連れて行って頂けるのかしら? 楽しみだわ!」
「『今回は』じゃない『今回だけ』だ! って、行く場所は俺が決めるのか!?」
私が言葉の端々に散りばめたメッセージをしっかりとキャッチしてタジーク様が全て突っ込んでくる。
もちろん、聞こえないふりをするけれど。
タジーク様は優しいけれど頑固でもあるから、一度『一度だけ』と約束してしまうと本当にそれ以降は連れて行ってくれない気がする。
だから、絶対に言質は取らせないようにしないと!
「おい、君。今凄く悪い顔をしているぞ?」
「あら、淑女に対して『悪い顔』とか失礼ですよ!」
「君は良い事も悪い事も全て顔に出るんだ。そういう顔をしているという事は何か良からぬ事を考えていた。そうだろう?」
「タジーク様、そこまで私の事を理解して下さっているんですね! コリンナ、感激です!」
「理解しようと思わなくたって、君を見てればすぐに分かる事実だろう!?」
「そんなに私の事を見ていてくれたなんて……」
「……あぁ、もういい。わかった。君には何を言っても無駄だという事が」
ガックリと肩を落とすタジーク様。
どうやら今回も私の粘り勝ちのようだ。
「じゃあ、デート楽しみにしていますからね!!」
「はいはい」
凄く喜んで張り切っている私とは対照的に、タジーク様は何処か疲れた様子で浮かない顔をしている。
私と同じ位楽しみにしてくれると嬉しいんだけど……今はまだこうして渋々でも付き合って下さっているだけで満足しておく事にした。